普通の自分くらいの年齢の男が
どんなことを考えて、どんなことを感じたり
どんなことに興味を持ち続けるか分からない
結局は自分と同じ様な心の状態なのか
と想像するわけだが
だとすると、還暦といっても大したことはない
というのが実感
おそらく誰もが昔想像した大人に年令になった自分を
なんて成長していないことだろう
と感じるようだが、実際、何も変わっていない
ただ人生には繰り返しのような経験が多いので
少し慣れて絶える力が付くくらいのことか
先日の立原道造の詩の中の
誰も聞いていないと、、、
の一節が今は心に染み入る
ヘッセのガラス玉演戯や知と愛でも
社会・実生活とのかかわり合いを繰り返し取り上げていたが
確かに自分も実生活とのかかわり合いを増やしていかないと
ダメかと思う
母は四文字熟語を自分より知らない
政治の話も理解できていない
当然外国語などには疎い
しかし、近所の人の顔と名前は知っている
毎日の生活で何が必要か
どうしたら節約した生活ができるか
近所のつきあいかたも知っている
そうして比較すると自分の頭の中で知っていることなどは
大したことではないと思わざるをえない
(自分と同じような)多くの会社人間だった男ども
彼らは社会との接点を増やすようにしないと
アカンかもしれない
真面目な話のあとには、少し楽しい話を!
先日、すみれが出ているCMを見て母が聞いた
「ほんまかいな!」
と言ってるけどなんでかな?
「ほんまかいな?」
「違うかな、ほんまかいな、みたいに聞こえるけど」
そこでCMを思い出してみるとハタと気がついた
「違う違うあれは、OH my god!って言ってて、ほんまかいなじゃない」
「ほんまかいな!じゃないのか」
そしてもう一つ、これは案外どこでもありそうだが
「アナ雪」を「雪アナ」と言ってしまいそうなこと
これはどこかのテレビの取材シーンでも見かけた
やっぱり母も「雪アナ」と言っていた
お年寄りは日本語の意味が通じる雪アナの方が
覚えやすいのだろう
ということで、可愛いお年寄りの勘違いは
これからも続きそう
こうした生活の連続が実は生きるということなのかも知れない
(などと思ったりして)