パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

相手によって話し方を変えるということ

2021年11月13日 09時17分33秒 | あれこれ考えること

相手によって話し方を変えるのは当然のこと
聞き手がそのテーマ(政治的)の背景知識がある人とない人で
話す内容を変えるのが賢い方法

話すことは相手に影響を与えるということ
その影響が効果的となるためには、自説が客観的に正しそうな印象を与えることで
聞き手が背景知識がしっかりある人には、両論併記のような形で
まずは現状の説明から入って、それから対処法としての自説を説いていけば
説得は話し手の冷静な姿勢故に信用されやすいらしい

ところが背景知識のない人を相手にする場合は、客観的な現状分析は時として
反感を招くだけになりかねない
特に反感を持っているが詳しい内容を知らない人には、現状分析の段階で
「相手はこのような言い分で、、、」と話すこと自体が許せない行為のように思えてしまう

討論と議論は冷静に客観的に、、、といわれても、実態はこのように入り口の段階で
なかなかうまくいかないことが多い
これは抽象的な話だが、決して架空の想像上の話ではなく
現実に市政の問題を考える時に、しばしば経験することだ

人の一番わかり易い理解の仕方は「誰々が悪い!」と決めつけることだ
だがそれは「何でも反対している」と部外者には反感を覚えさせる原因にもなる
「彼らはなんでも反対」と決めつけていることも、実は安易な判断で
反対している人たちの切実な思いを理解しようとしないで
自分の価値観のなかで判断しているに過ぎない
(人はわかりあえない?)

物事にはテクニック、技術というものがあって、人に影響を与えるとか説得というものは
心理学的な傾向を知っているとより効果的になる
だが、それは一種の恐ろしいテクニックのような気がしないでもない
先日読んだ「プロパガンダ」には、(悪人が利用すると)恐ろしい技術が嫌となるほど
紹介されていた

その衝撃は大きく、今でも一種の絶望感に襲われそうなところまできている
特にある組織がメディアを実質的にコントロールできる状態にある場合
その危険性は想像以上のものとなる
そして気づいたときには手遅れとなってしまうかもしれない

世の中の数%の人が感じる何か(例えば危機感)!は、先取りしている感覚かもしれない
だが、先取りの感覚は先取り故に解りにくいこともある
そのことを伝えようとすると、今度は背景知識のない人への説得行為の難しさにぶち当たる

最近は全てが教育の問題と思えるようになってきた
新城市が標榜する市民自治も、そもそも前提となるシティズンシップが理解されず
ただ単に制度だけが存在する様になっているように思えてならない
(なんでも反対してると言われそうだが)

教育委員会は市の制度の中にあるが、どのくらいのオリジナリティをもって
独自の(シティズンシップ教育の)方針や行動をすることができるのだろう

良さそうなことでも、厄介なことはやらないに限る、、、の壁は大きいかな








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