パンセ(みたいなものを目指して)

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安倍首相の答弁(野次のこと・政治倫理綱領について)

2017年06月06日 08時44分23秒 | あれこれ考えること

国会の場で「野次を飛ばさないでください」「冷静に話しましょうよ」
と答弁する安倍首相が、野党の質問のときにはその本人が
質問席の近くで 野次っているのは大人げないし
これが国の最高決定機関で行われていること、それを国の代表者が行っていること自体が
少しばかり恥ずかしい
海外メディアがそれを報道したら、見た人たちは首相にどんな印象を持つだろう

ところで、安倍首相の異様な野次に対する反応ぶりに対して
昨日、テレビのあるバラエティ番組でお笑い芸人が(安倍首相の発言に関して)興味深い発言をした
「ああやって、野次に反応して話をそらしていこうとする時は
 自分の返答がうまい行かないと感じて、野次の話をしながら次の手を考えているに違いない
 自分たちも営業のとき、受けないと感じたときなんか無理やり観客に振って時間稼ぎをすることがある」
「そういうの、あるある」

なるほど、野次に対する反応は単なる感情の発露だけではないということか
現役のパフォーマーの経験に基づく話は、別の見方のヒントにもなった
野党は野次らずにじっと聞いていたほうが安倍さんは困るかもしれない、、
との発言もあったが、現実的にはあのような話を拡散、そらし、質問に答えない話しぶりには
ついつい野次が出てしまうのも、、仕方ないかもしれない

安倍首相の発言でよく出てくるのが「印象操作」
意識のなかに巣食っている概念なのだろう
一つは被害者意識として、もう一つは積極的に活用した人格攻撃によるイメージ操作として!
どのように言おうと、「印象操作をしているのはどちらか?」
と判断するのは、これらの報道、ニュースを見聞きしている国民
世論調査ではほぼ結果が出ているが、、認めようとしない人々

話は飛んで、昨日の参議院決算委員会での又市さんの質問に
「政治倫理綱領と言うものがある、そのなかに、われわれは(国会議員は)、政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯な態度をもって疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならない。という一文がある。それができていないのではないか」というものがあった

これを聞いた瞬間、何処かで聞いたような文章だなとの記憶が蘇った
それで調べてみると、新城市の市議会議員政治倫理条例の議員の義務というところの三番目に、
●議員は、次条に規定する政治倫理基準に違反する事実があるとの疑惑を招かれ、
政治的又は道義的な批判を受けたときは、自ら誠実な態度を持って当該疑惑を解明 するよう努めなければならない。
とあるが、まさにこのことで、新城市の議会議員政治倫理条例は政治倫理綱領がお手本となっているのが推察できた 

この新城市議会議員政治倫理条例を知ることになったきっかけの一つは、
ある議員の当選後に急激に市が発注する水道工事の受注が増えたことが
地元の新聞で取り上げられたことで、モヤモヤとした疑惑が市民に広がり
スッキリした説明を誰もが望み、結果的に政治倫理審査会を開くことにまでなった出来事だ

とても長い時間をかけて政治倫理審査会は行われ、倫理の問題らしく最終的には本人の
自覚とか行動に頼る結果が言い渡された、議員さんにも弁明の機会が与えられたが
その弁明が、今回の安倍さんと似ている
新城市議「私は法に触れることはしていません」
安倍さん「お金でもって便宜を与える等の証拠はあるのですか?(法に触れてません)」
どちらも倫理という範疇の話を法の話に置き換えている
法でコントロールできないから個人としての倫理の問題としているのに、
倫理ではなくて法の範囲内だとする、、、

こういう答弁を見聞きすると、そのように答えるのが定番の答えなのだと
言いようもなく残念な気がしてならない
政治家は(市議会議員も)専門職として知識・技術を必要とする
しかし、専門バカの前に教養ある、全人格的な判断ができる一個人としての信頼が
国民(市民)のなかにあるはずなのだが、どうもそのところは、選ばれてしまうと
すっかりお忘れになるらしい

国が国だから、地方まで、、ということになりそうな危機感を国は(政権は)
持っているのだろうか 
そして何もかも隠そうとする政治で 「美しい国」を本当に作れると思っているのだろうか
(そのそも彼らの言う「美しい国」自体が胡散臭いところがあるが) 

少しばかり腹の立つ、お偉いさんの行動が続くので愚痴ってみた


 

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