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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

ラフォーレ原宿「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 ~映画とその周辺~」

2011年08月21日 | 美術鑑賞・展覧会
ラフォーレ原宿で8/20からスタートした「ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 ~映画とその周辺~」を
見てきました。

渋谷駅からラフォーレへと歩いていくと、どーんと垂れ幕が下がっているのを発見。


これは力が入ってるな!と高まる期待を胸に現地へと到着すると・・・


あれ、ディスプレイが全然ないですよ?

先に行われたヘンリー・ダーガー展では、ウィンドー全面を使って大きなディスプレイをしていたのに。


今回は入口近くに、ぽつんとポスターが掲示されているだけ。

震災の影響かもしれないけど、この扱いの違いはちょっとさびしいですね・・・。
しかし、中身のほうはダーガー展にも負けないほど充実しまくりの展覧会でした!

最近は映像作家として知られるシュヴァンクマイエルですが、その実像は多彩な活動を繰り広げてきた
実践的シュルレアリストであり、彼の映画はそれらを合成することで生まれた、一種の「キメラ」であると
言ってもよいでしょう。
今回の展覧会は、生粋のシュルレアリストとしてのヤン・シュヴァンクマイエル(以後ヤンと記載)の
仕事を振り返りつつ、彼の妻にしてシュルレアリスム芸術家のエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー
(以後エヴァと記載)の作品も紹介するという、まさに「シュヴァンクマイエル大全」とでも言うべき
内容となっています。

まず最初に置かれているのは、ポスターにも使われていたヤン製作の奇妙なオブジェの数々。
作品の一部は公式サイトに写真が出ているけど、その異様な迫力は実物を見ないことには
伝わらないと思います。

小動物を胴切りにした断面にメノウが詰まっている「鉱物的なヌートリア」などは、小谷元彦や
名和晃平の作品と共通するものを感じますが、シュヴァンクマイエルの場合は技術的にもっと素朴。
でもそれが逆に、より根源的・土俗的な表現形式として、見る人の感覚を直撃するようにも感じました。

ヤンの作品には、ナイフやフォークといった既製品と異素材を組み合わせたものもよく見られますが、
これについてはデュシャンの「レディメイド」からの影響も感じられます。
それを一番はっきりと感じられるのが、コラージュによる「自慰マシーン」のシリーズ。
この作品はまちがいなく、デュシャンの「大ガラス」に対するオマージュでしょう。
人間の機械化を風刺するようで、実は全くナンセンスな説明文には、シュルレアリストならではの
乾いたユーモアが発揮されています。

そして展示物の中でもひときわ異彩を放っていたのが、いわゆる「触覚芸術」の作品たち。
ヤンが手びねりした粘土の小片を板に取り付けて「ご自由にお触りください」と掲示しているのですが、
見るだけでは何のへんてつもない粘土の塊も、それがヤンの手の動きを伝える「記憶」だと思いながら
触ることで、作家本人の手つきや体の動きを「読み取る」ことができます。

私なりに工夫した触り方としては、片手ではなく両手で触る、つまんだり捻ったりの動きを意識する、
そして目をつむって触ることですかね~。
子どものように嬉々としながら粘土と戯れるヤンの姿が想像できれば、しめたものです。

ヤンの「触覚作品」は、いわば「剥製化された身ぶり」ではないかと思います。
その例として「身振りの椅子」や「4つの性愛的な手振り」といった作品が挙げられますが、
これらもデュシャンの作品や「動作を作品化する」という試みに通じるものではないか・・・?
と感じたところ。
これについて多くの検証を得るためにも、今回の展示を幅広い美術ファンにも見てもらって
多くの意見を聞いてみたいとな、と思いました。

また展示物の中には「ファウスト」で使用された巨大なあやつり人形や、撮影に使われた本物の
「オテサーネク」など、映像ファン必見の品々もありました。
特に「ルナシー」で使われた衣装は、よーく見ればかなりヤバいモノだとわかります(^^;。

ヤンに関する展示の締めくくりとなるのは、8/27よりシアター・イメージフォーラムで公開される
新作映画「サヴァイヴィングライフ ─夢は第二の人生─」 のコンテやスチール写真など。
モンティ・パイソン時代のテリー・ギリアムを思わせるコラージュの数々に、完成作への期待が膨らみます。

そしてこの後には、絵画を中心としたエヴァの作品が展示されていました。

言葉あそびやダブル・イメージ、だまし絵を特徴とした絵画作品には、エルンスト、マグリット、
ムンク、そしてダリの影響が強く感じられます。
エヴァの代表作として知られる「安全地帯」も、一見すると桃色の丘に立つ家を目指す親子の姿を
描いたものですが、やや離れて見ると女性の身体を思わせる官能性が強く感じられて、作品の印象が
ガラッと変わるはず。

また、後期のシリーズ「チェコ国における狼の再繁殖」は、狼と人間のダブルイメージによって、
文明社会で生きる人間の内部で育つ獣性が剥き出しになっていく様子を描いたのではないかと
私なりに解釈しました。
まあ寓意の有無はともかく、「人狼」や「ヘルシング」といった異ジャンルの
作品にも通じるドロドロした内面描写を連想させるところがあって、個人的に
とてもおもしろく見ることができました。

最後のコーナーには国書刊行会から発売されたばかりの「怪談」で使用したコラージュの原画や
妖怪の木版画が置かれ、写真家の細江英公氏が撮影したヤンのポートレイト写真で締め。
撮影後にヤンから細江氏に送られた手紙には、この体験が彼にとって非常に神秘的であったことが
綴られています。
特に今は亡きエヴァとの映像による一体化は、ヤンの心に強烈な印象を残したようです。

東京での会期は9/19まで。
春に終了した後も話題のアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』での劇中映像を始め、各方面への影響も強い
シュヴァンクマイエル作品の核心へと迫る好企画であり、危機的な状況の社会をいかに生き抜くかの
「サヴァイヴィング・ライフ」を考えさせる展覧会だと思いますので、映画とあわせて幅広い層の人に
見て欲しいと思います。

なお、先行して行われた京都での展示については、毎度おなじみBPさんの「究極映像研究所」に
掲載されてますので、東京展との違いを比較していただくのも一興かと思います。
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今 敏監督の回顧展 「千年の土産」を見てきました

2011年08月18日 | 美術鑑賞・展覧会
日本アニメの未来を担う人材として多方面から期待され、押井守や大友克洋といった才人にも
深く愛されながら、あまりにも突然に逝ってしまった名匠、今 敏さん。
2010年8月24日の訃報から、もうすぐ1周忌を迎えます。

その今さんの業績を振り返る【今 敏回顧展「千年の土産」】を、新宿眼科画廊で見てきました。



まず会場に入ったとたんに目を奪われたのが、『パプリカ』のヒロイン・パプリカと、
彼女の現実世界における存在である千葉敦子を描いたイラスト。
鉛筆ですばやく描かれたものだと思いますが、線の流れや強弱が単なる白い紙に命を吹き込み、
パプリカの瞳や敦子の唇には輝きまで感じらたほど。
公式ブログの会場写真には出てませんが、私が見た時はサイン入りイラストの上に飾られてました。)

会場に展示された「PERFECT BLUE」「東京ゴッドファーザーズ」「千年女優」といったアニメ作品の下絵は
多くが鉛筆描きですが、おかげで「ペン入れされる前の生のタッチ」を、はっきり見ることができます。
生きた線の一本一本に、まだ今さんの魂が宿っているように思えてなりませんでした。

また、ペン入れされたイラストの中には「パーフェクト・ブルー」のヒロイン・未麻を描いたものが
ありますが、これを別の人がトレスした後に彩色や効果を加えたフィニッシュ版のイメージボードも
同時に展示されていますので、両者を見比べたうえで、それぞれ異なる魅力を感じて欲しいと思います。

文化庁メディア芸術祭での受賞歴などから、アニメ監督としてのイメージが強い今さんですが、
この「千年の土産」を見てもらえば、彼が尋常でないテクニックを持つ「描き手」であったことが
よくわかるはず。
実は今さんは最初にマンガ家としてデビューし、後にアニメ作家へと転進した方だったのです。

そして展示会場には、美術大学の課題からちばてつや賞受賞作を含むマンガ原稿などによって
「マンガ家・今 敏」を振り返るコーナーもありました。

「セラフィム」や「ワールド・アパートメント・ホラー」などの原稿が展示された中で、特に興味深かったのが
連載マンガ「OPUS」幻の最終回原稿。
ここでは打ち切りになったマンガの登場人物が現実世界に現れ、作者に文句を言うシーンが出てきます。
ディックや筒井康隆のSF作品から強い影響を受けていた今さんだけに、マンガを描いていたころから
「現実と非現実が混沌とする設定」を強く指向していたのでしょう。
これが後に手がけたアニメ作品で「幻想と現実」や「虚と実」を執拗に扱う、今さん独特の作風へと
結実していったのだと思います。

また、奥の別室では日替わりで「在りし日の今さん」のトーク映像を流していました。

私が見た映像は、アートカレッジ神戸アニメーション学科でのトークセッション。(1998.11.8)
そこで今さんは、こんなことを語っていました。

「アマチュアのわりにうまいなんていうのは、あまり意味がない。
 プロの働く場所に後から割り込んでいくんだから、人の嫌がることをやらなければならない。
 キャラクターをカッコよく描くなら、相手のほうがずっと上手。
 だから人のやりたがらないことを進んでやって、そこで認められることが必要になる。

 街の場面を喜んで描きたがる人なんてあまりいないけど、自分は「パトレイバー2」で
 さんざん街を描いてきた。だから、街を描くのは楽しい。

 (プロでやっていくなら)描けと言われたら何でも描かなくちゃいけない。
 何かが描けないなんて言いわけは許されない。」

細部の記憶はあいまいですが、趣旨はだいたいこれであってるはずです。
今さんほどの実力があればこそできる発言でもありますが、現在のアニメ業界で単なる労働力として
使い捨てられないためには、このくらいの覚悟で臨む必要があるかもしれません。

「千年の土産」展、会期は今さんの命日である8/24まで。
すばらしく充実した内容なのに、入場料はなんと無料です。

小さな会場いっぱいに詰まった今さんからの「千年の土産」を、目と心で受け止めてください。
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マイセン磁器の300年展

2011年02月19日 | 美術鑑賞・展覧会
東京ミッドタウン内のサントリー美術館で開催されている「マイセン磁器の300年展」を見てきました。


マイセンといえば高級洋食器のトップブランドであり、西洋磁器発祥のメーカーとしても有名ですが、
その辺に関心がないという人でも、美術好きなら必見の展覧会です。
白い器に施された浮き彫り、細やかな絵付けと微妙な色彩の妙、そして磁器製フィギュアの精巧な造形。
この展覧会ひとつで、彫刻と絵画と工芸品の傑作をまとめて見た感覚を体験することができました。

マイセン磁器とは、そもそもザクセン公国の国家プロジェクトから作り出されたもの。
ゆえに初期の作品は王家とそれにゆかりのある一部の貴族のために作られたものと、外交目的で
諸国の王家に贈呈されたものに限られます。
つまり、その出来ばえに国家の威信がかかってるわけですから、製造技術にも常に最高レベルを
追求してきたわけで、その結果が今のマイセンの名声へとつながっているわけですね。

そして今回のマイセン展で展示されるのは、国立マイセン磁器美術館の所蔵品。
この美術館自体が「過去の名作磁器とその製造技術を、後世に継承する」という目的で設立されており、
持ってる作品の質・量ともに、他とは比較になりません。
つまり今回の展示物こそ、マイセン300年の歴史と、その到達点を示す最高レベルの作品たちなのです。

とにかく見るもの全てが驚きの連続というほどの名品ぞろいですが、まずは「メナージュリ動物彫刻」と
「スノーボール貼花装飾」に圧倒されました。

「メナージュリ」とは王侯貴族の私設動物園をさす言葉ですが、マイセンではザクセン王の命によって、
白磁の動物を大理石像のように堂々とした彫像に仕立てています。

動物造形の名手といわれたケンドラーによる「コンゴウインコ」。大きさも子供の背丈ぐらいあります。

「スノーボール貼花装飾」は、小さな磁器の花をアジサイのようにびっしりと器に貼り付けたものです。

薩摩焼などにも貼り付け技法はありますが、金細工との組み合わせは西欧ならではと言えるでしょう。

どちらの作品も、ある意味で「わざわざ焼き物でここまでやるか!」という妄執めいたものすら感じます。
しかし思い返せば、西洋白磁の誕生もまた、東洋陶磁に対する「妄執」の産物ですから、裏を返せば
これらの作品こそ、最も「マイセンらしい作風」と言えるのかもしれません。

絵付けの美しさと色の美しさについては、博物学の図譜にも使えそうなほどの精密さです。
例えるなら、ルドゥーテの描くバラをそのまま食器に移したかのような見事さ。
一部の作品については、真ん中よりも縁取りにびっしりと描かれた植物の描き分けがすばらしいのですが、
ひとつの花が米粒くらいの大きさしかありませんので、見に行くときは単眼鏡の持参をおすすめします。

後半部の展示では、王政終焉の後に生み出されたマイセンの名品が並んでいました。

この展覧会の看板作品、ゆるく溶いた粘土を重ねてカメオのようなレリーフ模様を表現した「神話図壺」。

また陶板のランプシェードに浮き彫りと彩色を施し、光を灯すと絵が浮き上がる「リトファニー」など、
新たな表現方法も次々と生まれており、技術的にはひとつの頂点を迎えた時期とも言えるでしょう。
他にはアール・ヌーヴォーからアール・デコを経て現代に至るまで、それぞれの時代を象徴するデザインを
取り入れた作品も展示され、変化と伝統の間でバランスを保つつ、現在までトップブランドであり続けた
マイセンの歩みを示しています。

この中で特によかったのは、パウル・ショイリッヒによる磁器の彫像「落馬する女」。
粘土を自在に操ったという造形の名手は、馬から振り落とされそうな貴婦人の姿を、現代アートにも通じる
大胆な造形で表現しています。

作品の豪華さや美しさはもちろんですが、どこでどのように作られ、またどこの王室に由来するものかなど、
歴史的な見所も多い内容でした。
また、元は東洋の模倣から始まったマイセンも、独自の技術と表現方法をたゆまず追求することによって、
本家以上の評価を勝ち得ることができたという点では、どこか日本のものづくりに通じるような気もします。

サントリー美術館での展示は3月6日まで。以後のスケジュールは次のとおりです。

松本市美術館     2011年4月16日(土)~ 6月12日(日)
兵庫陶芸美術館    2011年9月10日(土)~11月27日(日)
大阪市東洋陶磁美術館 2012年4月 7日(土)~ 7月22日(日)


美術ファンだけでなく、造形作家やものづくりに携わる人にも、ぜひ「マイセン磁器の300年展」を見て、
大いに刺激を受けて欲しいと思います。きっと学ぶところが多いはずです。

ひとつ残念だったのは、お土産で買えるほど安いマイセンが売ってなかったことかな・・・。
展示を見た後では、お高いのも納得ですが。

うちに1個だけあるぐいのみは無地なので、いつかはブルーオニオンが欲しいなーと思ってます。
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空と宇宙展-飛べ!100年の夢

2010年11月06日 | 美術鑑賞・展覧会
国立科学博物館で「空と宇宙展-飛べ!100年の夢」を見てきました。

公式サイトによるキャッチコピーはこんな感じ。

“日本初飛行のアンリ・ファルマン複葉機/ハンス・グラーデ単葉機から小惑星探査機「はやぶさ」まで!
100年にわたり日本の空を翔けた航空機が上野に集結
科博秘蔵の手彩色写真や航空機の設計図など初公開の歴史的資料も多数!”

“1910年に日本初の動力飛行が実現してから100周年となる本年、日本の航空黎明期から現在までの
 航空宇宙分野の成果を、国立科学博物館所蔵の未公開史料などで紹介し、100年以上にわたって
 空や宇宙へと挑む日本人の姿や科学技術の夢と力、そして未来への展望を示す展覧会を開催します”

タイトルこそ「空と宇宙展」で、報道面でもはやぶさが大きく取り上げられてますが、航空機の精緻な模型や
実際の飛行資料、それに実機のパーツなどがいっぱいで、航空機マニアにも見逃せない内容になってました。
さらに会場内では、ほとんど写真撮り放題という太っ腹さ。どこぞの民営博物館とは大いに違います。

さて、まず最初の展示は、江戸時代から明治時代の航空事情について。
ここでは「日本の航空機の父」二宮忠八が取り上げられてますが、この人が明治26年に発案した
有人機の試作模型「玉虫型飛行器」の復元模型に目を見張りました。

性能的に見て実際に飛べるかは未だ議論もあるようですが、実に美しいデザイン。
美術品を思わせる翼部の曲線には、うっとりしてしまいます。

さらに愛知県の所蔵する航空機模型のコレクションも、多数出展。
こちらは日本発の軍用飛行機「会式一号機」。


民間航空機の先駆けとなった奈良原式4号機「鳳号」。


初めて東京の空を飛んだ「伊藤式恵美1型」。


時代によってスタイルは変わっていきますが、複葉機ならではの個性と
独特のレトロ感は、二宮機と共通するものがあると思います。

ここまでは1910年代。少し歴史が飛んで1930年代になると、
いよいよ単葉機の大型機体が登場してきます。


1938年に川西航空機が生産した、国産初の実用4発機「九七式飛行艇」。

この模型は戦後に民間輸送機として生産された「綾波」です。

九七式の後継として生産されたのが「二式飛行艇」。

下面に通称“かつおぶし”と呼ばれる消波装置を持つ機種の形状が印象的。

機体のゴツさに対し、米軍につけられたコードネームは“エミリー”なので、思わず
エミリー結婚してくれ!」との声(笑)も。(トーマス107さんのツイートより引用)

その横には、みんな大好きゼロ戦を含めた名機がずらり。

手前が名高い零式艦上戦闘機、銀色の機体は三式戦闘機「飛燕」です。

こちらは零戦と並んで名高い、局地戦闘機「紫電改」。


一式戦闘機「隼」。開発に携わったのは、当時技師だった糸川英夫博士です。

この逸話が後になって、小惑星探査機との「隼つながり」を囁かれる由来に。

また別のコーナーには、隼の三面図もありました。


そして隼の心臓部である、栄21型・ハ-115エンジン。

これの発展形が、後に疾風に搭載される「誉」エンジンとのこと。

こちらは特殊攻撃機「橘花」に搭載された、国産初の実用ターボジェットエンジン「ネ-20」。

横には初公開となる設計図も展示されてました。

旧軍の戦闘機が続きましたが、いま最も旬な航空機についての展示もあります。

これはJAXAがただいま開発中の、静粛超音速研究機「S3TD」。
橘花の初飛行から65年、これが日本のジェット機研究の最先端というわけです。
糸川博士の研究テーマのひとつに“超音速輸送機の研究”があることから、この機体は
博士の遺した“もうひとつの遺産”とも呼べそうですね。

S3TDはソニックブームの低減と、離着陸及び巡航時の自律飛行を目標とした機体。
後者のテクノロジーには、小惑星からの自律帰還を果たした「はやぶさ」からのフィードバックも
期待できるかも。
見た目がちょっと「ゴーストX-9」に似てる気がするのは、自律飛行からの連想のせい?

展示の後半部分は、わが国の宇宙開発の紹介にあてられています。

小惑星探査機「はやぶさ」の原寸大模型に加え、イオンエンジンの実機やオーストラリアで使用された
回収機材、「イカロス」のソーラーセイルや各パーツなど、まるで7月の相模原キャンパス特別公開を
ダイジェスト版にした感じでした。

相模原でも見たことのあるソーラーセイルですが、通電状態を見るのは初めてかも。



黄色い部分の色彩を電気信号で切り替えることで太陽光の反射率を変え、イカロスの姿勢制御を行います。

またイカロスのご先祖、日本発の人工衛星「おおすみ」の予備機も出展されてました。


さらに未来の技術としては、こんなのも研究されてるようです。

月の赤道上に太陽光発電パネルを敷き詰め、マイクロウェーブレーザーで地球に送電する
大規模発電システム「ルナリング」。
ガンダムファンなら思わず「月は出ているか?」とつぶやいてしまうはず(笑)。

その他、国産ロケットや人工衛星のパーツや模型等も多数展示されてました。

なお、11月7日までは「はやぶさ」のカプセル搭載機器の展示も行われます。
実物のヒートシールドがないのは寂しいですが、インスツルメントモジュール、搭載電子機器部、
パラシュートは本当に宇宙から帰還したものです。
相模原での公開に比べると拍子抜けするほど空いてるので、興味のある方はお早めに。

グッズについては、本体に加えて糸川博士とおおすみのメタルフィギュアが付属する、会場限定の
「はやぶさプラモデル」が、現在売り切れ状態。(本体はメッキ仕様ではなく、通常の無塗装です。)
次回入荷は11月中旬とのことですが、会場限定で予約も受け付けてました。

他にはYS-11のプラモデルや、高荷義之氏の描いたイラストを包装に使用した「はやぶさクッキー」などもあり。
航空機ファンには、日本の空を舞った航空機の写真を網羅したカタログが一見の価値アリです。
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「田中一村 新たなる全貌」展

2010年09月29日 | 美術鑑賞・展覧会
千葉市美術館で「田中一村 新たなる全貌」展を見てきました。


世間の評価が定まらないままに没したため、生前は個展も開かれず、80年代に至って
ようやく孤高の画家として世間の耳目を集めた…という田中一村。
初出品も含め200点以上の作品が集結した今回は、没後最大の回顧展となります。
その生涯を中心に語られてきたこれまでの評価とは違った側面から光を当てることで、
一村作品の深層へと迫る、画期的な内容です。

一村は十代の前から既に筆を取っていましたが、この時期は墨がほとばしるような
豪快な筆致の水墨画を多数残しています。
後期の精緻な筆致の印象とは大きく違いますが、画面内に大きく樹木を置くという
画面構成、そして明暗に対する強い意識は、後に奄美での作品で特徴となる
「画面を埋めつくすほどクローズアップされた草木と、強烈な陰影の描写」へと
受け継がれているように思いました。

しかし20代前半に一転させ、写実性と叙情性を併せ持つ風景画、動植物画を
数多く手がけることに。
この画風の急激な変化が、それまでの指示者の多くを失う原因になったようです。
そんな時期に一村が住んでいた場所が、まさに今回の展覧会場となった千葉でした。

この頃に描かれた作品の多くは、一見すると素朴な田園風景ばかり。
それまでの文人画風な作品を求めていた人々にとって、このような風景画は
「芸術的価値」に乏しく見えたのかもしれません。
しかしこの田園風景こそ、当時の一村の目にまっすぐ映った「真実の光景」であり、
そこから受けた感動をいかに描くかが、この時期の目標であったように思います。

そして画題こそ日常的な農村風景が多いですが、ぼかしを多用した空気と光の変化、
多彩な色づかいなどを見れば、従来の作品から一層の進歩を遂げているのが明らか。
奥行きのある画面、岩絵の具の厚塗りによる油絵のような効果などは、日本画の枠を超えて
むしろ西洋画の表現へと近づいている感じです。
これらの技法もまた、奄美時代の作品を生み出すうえで強力な下地となったように思います。

この時期はまた、地元で飼われていた軍鶏の観察に励んだ時期でもありました。
鶏といえば若冲や応挙の作品を思い出しますが、一村の描く軍鶏は彼らのように
平面的ではなく、はっきりとした立体性が与えられています。
さらに際立つのは、鶏の目に宿る強い生気。虹彩の色合いまで再現した表現力は、
一村の観察力の高さと、色に対する卓抜な感性を示すものでしょう。

やがて千葉での生活を終えた一村は、奄美大島へと移住。
ここで熱帯の色と幾何学的な形状という新たな画題を得ることによって、生涯最後の、
そして後に代表作となる作品群が生まれます。

とはいえ、今回の展覧会で出展作品を辿ることにより、奄美で生まれた数々の作品も
決して突然変異の産物ではなく、むしろそれまでの画業における様々な模索からの
延長として、必然的に描かれたものであることが伺えます。

思い返せば千葉での生活や旅先で描かれた作品も、そのとき滞在した土地の姿を
つぶさに見つめる視線から生まれたもの。
そして最後に暮らした奄美で巡りあった風景が、これまでになく新鮮な素材として
一村の目に映り、ついには畢生の作品を描かせた…ということなのかもしれません。

今回のキービジュアルに選ばれた「アダンの海辺」も、一見すると超現実的ですが、
実際は一村が目にしたままの感覚をぎりぎりまで緻密に描いたものにも思えます。

千葉市美術館の展覧会チラシより。
上が「アダンの海辺」、下はこれと並ぶ傑作「不喰芋と蘇鐵」(共に部分)です。
パッと見た感じはデザイン化された図案のようにも見えますが、じっくり見れば
葉や果実といったパーツを、徹底してリアルに描いているのがわかります。

リアリズムを突き詰めた先にある非現実感という点では、若冲らとの類似も感じるところ。
西洋の画家たちが描いた熱帯画の、むしろ対極に位置する作品なのかもしれません。

ここではおおまかに3つの時期に分けて話を進めてみましたが、一村の画業も
作品もそれこそ多岐にわたるため、簡単な文章でその全容を伝えるのは無理。
千葉市美術館での展示は9/26までで終わってしまいますが、10/5からは
鹿児島市立美術館へ巡回しますので、機会があればぜひ足を運んでみてください。
観光予定のひとつに組み込んでおいても、決して損はない内容だと思います。
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静岡県立美術館にて「ロボットと美術」展を見た

2010年09月24日 | 美術鑑賞・展覧会
静岡県立美術館で9/18から開催中の「ロボットと美術」展を見てきました。


サブタイトルが「機械×身体のビジュアルイメージ」とされているとおり、今回の展示では
人型を模したロボット(ヒューマノイド)を鍵として、その文化史における意義と変遷を
「身体性」という概念から紐解いていく・・・といった内容です。

そしてメインテーマについては、本展のカタログでそのものズバリのコメントがありました。

「ロボットを通じて、子供文化のありようとか、メカに自己投影する欲望とか、身体をめぐる
シュルレアリストの美学とか、そういったものを読み込むことができる」
(カタログ収録の座談会にて、静岡県美の村上上席学芸員の発言)

そしてこの言葉どおり、「ロボットと美術」展では、ロボットというイメージの生成、そして
これが社会と大衆により受容、さらに需要されていく過程を、広範に見せていました。

最初のセクションでロボット以前の「ピノッキオ」と「フランク・リードと蒸気人間」を取り上げ、
以後にロボットの起源であるR.U.R.の出現から初音ミクに至るまでの流れを示すことで、
「ロボットと人間」あるいは「科学と芸術」の境界線が持つ本質的なあいまいさとか、
それが微妙に揺れつつも文化として定着していく様子を、うまく描き出したと思います。

セクション1では主にシュルレアリスムロシア・アヴァンギャルドによって、ヒトの姿が
機械的・幾何学的に改変されていくスタイルを例示しています。
美術作品としてはエルンストやベルメール、リシツキーなどの作品を紹介。
やがてこれらは未来的なシンボルとして、そのイメージが映画・博覧会・広告美術へと
流用されることによって、大衆へと浸透していくわけです。

いわばこの時期が一番「ロボットがオシャレ」とされていた時代かもしれませんね。

ここではロボットの起源であるチャペックの「R.U.R.」各国語版のほかに、
映画「メトロポリス」の公開時パンフレットやポスター、そして作中に登場した
女性型ロボットの原点、マリアの復刻像なども飾られていました。
また「帝都物語」のファンとしては、東洋初のロボットである「学天則」の
復刻モデルも見逃せません。
これは稼動するはずなので、できれば動いている姿も見せて欲しかったけど・・・。

セクション2は、戦後におけるロボットイメージの受容について。
この時期は美術のモチーフとして引き続き「機械」が取り入れられる一方で、
戦後に大きく発達した各種のメディア、特にTV番組と子供文化の結びつきが
「ロボット」というアイコンを強く求めたことが示されます。

セクション冒頭では現代美術家の村岡三郎、中村宏らの作品が紹介されていますが、
その流れから派生した成田亨による「ウルトラマン」デザイン画は、現代美術の様式と
子供文化の重要な接点を示すものでしょう。

そして手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」や四谷シモンの人形といった仕事は、
ヤノベケンジの「イエロースーツ」や荒木博志の「Astroboy」と言った作品へと
そのモチーフが引き継がれていきます。

また文学面ではSF小説の普及により、ロボット文学ともいうべき新たなカテゴリーが
確立されますが、ここで主導的な役割を果たしたのが、真鍋博氏のイラストでした。
今回は真鍋氏のイラストと共に、掲載時のSFマガジンも展示されてます。

一方でTV番組の普及は、スポンサーである玩具メーカーの成長と表裏一体でした。
これを象徴するのが、超合金やジャンボマシンダーといったキャラクター玩具であり、
そしてガンプラを中心としたパッケージアートの隆盛です。

そんなわけで、展示会場には新旧の超合金やジャンボマシンダーから、ガンプラに
リボルテックにロボット魂といった立体玩具たちが展示され、さらに1/12スケールの
大型ガンプラや実物大のSAFS、人間大のテムジンも置かれています。

パッケージアートでは大河原邦男氏から最近の天神英貴氏までの作品が並べられ、
それぞれの作風の違いや画材の変遷などが一望できました。
さらにはSFアートの代表として、加藤直之氏の直筆原画も出展されてます。
ちなみに加藤氏のデザインに基づくM-doorのバーサーカーフィギュアも
今回はじめて見ましたが、やはりすばらしい。ヘッドだけでも欲しいな~。

ガンダム寄りの現代美術では、山口晃さんの作品が参戦しています。
ロボットの騎馬を描いた「厩図」に加えて、ガンダムエースのピンナップ用に
描き下ろした「メカごころ落書き帖 ガンダム編」の原画もあり。
山口ガンダムのナマ絵が見られるだけでも、うっとりしちゃいます。

会場外のロビーには、鳥居周平さん作の1/1鉄製パワードスーツもありました。
これの原型デザインは宮武一貴氏。ハインラインの「宇宙の戦士」に登場する
機動歩兵の武装であり、モビルスーツの基になったメカとしても有名です。

宮武デザインに忠実なフォルム、すばらしい!
場内の展示物は撮影禁止なのですが、これはロビーにあるので撮影OKでした。

またこれらの戦闘メカとは対象的な、相澤次郎氏の四角いロボットたちも展示されてます。
人に寄り添うロボットのイメージを確立した点で、これらの果たした役割は大きいですね。

最後のセクション3では、ロボット工学と現代美術におけるロボットの現状を紹介。
ロボット工学が人の外見を精巧に模したもの、身体構造や動きを研究するものと
いよいよ細分化を見せるのに対し、美術方面ではロボットの不気味さや違和感、
そして擬態性を人間の身体に組み込むという手法も相変わらず行われています。

そんな傾向の中で新しい方向性を見せたひとつの例が、本展のトリを努める
「初音ミク」でしょう。
音声サンプリングによるツールという機能に人型のイメージを付与することで
爆発的なヒットを見せたソフトであり、さらにその枠を超えて広がるイメージの
源泉ともなっているキャラクターです。

KEI氏によるデザイン画を見ると、人型の中にシンセサイザーのモチーフが
いくつも組み込まれており、「楽器=インターフェイス」をヒト型に展開するという
VOCALOID本来のテーマ性に沿ったデザインイメージが感じられます。

一方でこれを立体的に膨らませた浅井真紀によるフィギュア「初音ミク・アペンド」は、
もはやメカとしてのイメージを脱しつつ、新しい形での人工美女の姿を示したもであり
大衆化された電子の女神像を、細心の技術で具象化したものとも言えるでしょう。
その点では、メトロポリスのマリアの後継者としての姿に近づいた印象がありました。

・・・言い回しがちと大げさだったかな?
でもロボットイメージの拡張という意味においては、本展を締めるににふさわしい作品です。

ちなみに知る人ぞ知るとおり、浅井氏の造型は極めて繊細。
会場の暗さもあって、肉眼で細かいところを見るのはなかなか大変です。
ということで、持ってる人はぜひ単眼鏡を持参して、じっくりとご覧ください。
先入観抜きで見ると、彫刻作品と変わりない細工に驚かされます。

ひとつ惜しい点を挙げるとすれば、本展オリジナルアニメの完成度でしょうか。
意欲は汲みますが、シナリオが美術展という現実の設定に引っぱられすぎでは?
絵のクオリティが高いだけに、物語もあとひとがんばりして欲しかった。

・・・といいつつ、アニメDVDつき限定カタログを買ってしまった私ですけど(^^;。

静岡展のチラシより、ヒロインのユマと乗用ロボットのチャリ。

4分弱という短さはともかく、人とロボットが身近に関わる生活と、その結果として
必然的に生じてくる「ロボットの廃棄問題」に目をつけたテーマ設定については、
さすがに鋭いなぁと思いました。
これに対処するには、ボディだけでなく「知性のリサイクル」という視点の導入も
必要になってくるかもしれませんね。
できればアニメの展開でも、そこまで踏み込んだ描写が欲しかったのですが。

現在進行形のテーマを扱っているだけに、様々な社会現象との連動が見られるため、
本展だけですべてのロボット像が総括できるものでもありませんが、俯瞰図として
多くの発展性も含みつつ、展示としても楽しめる内容になっていたと思います。
今ならちょっと足を伸ばせば1/1ガンダムも見られるので、遠方の方も少しだけ
遠出をしてみてはいかがでしょう?

中の展示が撮影できなかったので、ショップ前の展示物を撮ってきました。

アッガイのポーズは、展示されていた開田裕治さんのパッケージアートを思わせます。
モデラーが美術館の有志というところが、また泣かせますな~。
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ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新

2010年08月31日 | 美術鑑賞・展覧会
パナソニック汐留ミュージアムで「ハンス・コパー展 20世紀陶芸の革新」を見てきました。

国立新美術館のルーシー・リー展と連動するように開催されたこの展覧会、コパーの仕事が
本邦でまとめて紹介される、初の機会となるそうです。

実は新美のルーシー展も見てるのですが、大きな会場とガラスケース越しの鑑賞のせいか、
前年にガラスなしで見た21_21 DESIGN SIGHTでの感動に比べれば、印象がやや曇りがち。
それに対し、ルーシーの弟子から陶芸のキャリアをスタートさせたコパーの作品については、
ガラス越しでもその力強さや繊細さが失われないように思え、より見応えがありました。

スペード・フォームやティッスル・フォームなどは、実際に見たときの量感がすごい。

白いほうがティッスル(あざみ)・フォーム、黒いほうがスペード・フォームと呼ばれる形。

バンと横に張り出した上部と、シンプルな円筒状の脚部の組み合わせが印象的で、
素朴さと複雑さ、原初性と革新性、浮遊感と重量感といった相反する要素たちが
互いにぶつかりあうことなく共存しているようにも感じます。

すっと縦に伸びていくキクラデス・フォームの形も美しく、古代の発掘物のようでもあり、
逆にブランクーシのような現代美術作品を連想させるところもあります。

大理石や花崗岩、そしてブロンズを思わせる表面仕上げには、古代の建築や彫刻作品と
どこか似通った印象を受けるところがあります。
これらも、古代美術に惹かれていたというコパーならではの表現と言えそうですね。

そして土ものに独特の「触って感触を確かめたい」という欲求をそそる質感のおもしろさ。
釉薬を使わない泥漿掻き落としのコパー作品からは、その官能性をより強く感じます。
削ったあとの傷ですら、指で確かめてみたくなる衝動に駆られてしまいました。

器自体が決して雄弁でないところも、こちらから触れてみたくなる理由かもしれません。
男性はおしゃべりよりも寡黙なほうがカッコよく見えるものです(と、自戒も込めて)。

器でありながら開口部が細長く、内部があまり見えない作品が多いのも個性的なところ。
掃除機やスポイトを思わせる開口部の形状は、まるで内部世界への吸い込み口のよう。
オブジェ風な外見と器としての内面の双方を感じさせるところもあり、不思議な外見から
作品の内部へと想像をめぐらしていく楽しみを与えてくれます。

外に開く器の多いルーシーと比較すると、コパーのほうがより内向的な感じも受けますね。
展示の最後にはルーシーの作品もありますので、ぜひ両者の仕事を比べてみてください。

ところでこの会場でひとつだけいただけなかったのは、館外の垂れ幕を撮影しようとしたら
近くにいた警備員が血相を変えてすっとんできたこと。
「館内の撮影は禁止です」って、どこが館内なんだと聞いたら「ビル内は全部館内です」。
展示物を撮るのはもちろんダメだけど、なんで垂れ幕ごときを撮らせないんだろ?

こういう意味のわからない規制をされるのが、一番腹たつんですけどね。
天下のパナソニックさんも、えらくケツの穴が小さいことであるなぁと思いました。

まあこれから見に行く方は、私みたいに怒られないようご注意ください(^^;。
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夏のシブヤ奇想まつり!「ブリューゲル 版画」の世界展

2010年08月29日 | 美術鑑賞・展覧会
渋谷のBunkamuraにて、8/29まで開催中の「ブリューゲル 版画の世界展」に行ってきました。

チラシを見てからずっと楽しみにしてたけど、いろいろあってこの時期まで伸び伸びに。
ようやく観に来てみると、場内は細かい描写と横の説明文を食い入るように見つめる人で
壁が埋まって動かないという状態でした。
夏休みとはいえ、なんという繁昌ぶり!ブリューゲルの知名度も大きいのでしょうけど、
やはり皆さん“へんないきもの”が大好きということみたいですね。

とはいえ、ブリューゲルもへんな生き物ばかりを描いていたわけではありません(笑)。
今回の展覧会では、得意の民衆画などを含む多彩な版画作品を見ることができます。

まず冒頭には「大風景画」と呼ばれる連作を中心にした、風景画の展示。

アルプスの風景に魅せられたブリューゲルが描く山並みは、複雑な曲線の重なりによって
たっぷり量感のある岩塊として描かれています。まあ水まで岩っぽく見えるのはご愛嬌(笑)。

さらに狙ってか偶然か、視点を高くとることによって遠近法に微妙な不自然さが生じて、
奥の風景が手前に押し出されるような視覚効果を生んでいるのもおもしろいところ。
これって雪舟の「慧可断臂図」や若冲の「群鶏図」に感じる圧縮感にちょっと似てるかも。

なお、この章の最後を飾るのは、ブリューゲル本人が彫ったとされる「野うさぎ狩りのある風景」。
職人による彫版に比べて線が太いのですが、それが素朴さや線の勢いにも感じられるのは、
本人作というありがたさだけではないと思います。

続いては聖書の主題と宗教的な寓意が取り上げられています。
といっても描き手がブリューゲルだけに、作品からは神の威光よりも辛らつな寓意が中心。
また「キリストと姦通女」などは、彫りの技術による人物や服装の表現がすばらしいです。

これは宗教画よりも、むしろリアリズム絵画として高く評価できる作品だと思いますね。

そしていよいよ“へんないきもの”総登場の連作「七つの罪源」が登場!

こちらはチラシの裏にも使われた作品「傲慢」。
画面構成や怪物の描写には、先達のヒエロニムス・ボスに学ぶところも多く見られますが、
ボスがあくまで宗教画として「快楽の園」を描いたのに対し、ブリューゲルは版画という
大衆芸術の中で、俗っぽさを全面に出した、より親しみやすい表現を選んだように思えます。

出てくるのはバケモノばかりですが、そのしぐさは恐ろしさよりもどこか微笑ましくて、
何よりも人間くささを感じさせます。
それに比べると、作中の人間たちは外見も行動もどこか歪んでいて、怪物以上に怪物的。
ボスが天上の世界を描いたのなら、ブリューゲルはあくまで俗世を描いたとも言えそうで、
その点ではこれらの奇想画も、ある種の民衆画と考えても良さそうですね。

さらにこの章では、ブリューゲルの作品で特に知られたあのモチーフも見つかります。

ウィーン美術史美術館所蔵の油彩が有名な「バベルの塔」の版画版。

これは油彩をもとにした版画ですが、色がないぶんだけ細部の描き込みが際立ちます。
塔の独特の形状や押し出しの効いた画面構成は、風景画で鍛えた成果かもしれません。
ただし絵そのものはかなり小さいので、単眼鏡の使用を強く推奨します。

また、ブリューゲルは人だけでなく、お船もバリバリと描いてました。

丸っこい人物を描くという印象が強い人ですが、幾何学的な図形を組み合わせた帆船もお手のもの。

そういえば「バベルの塔」も、単なる宗教画というだけでなく、架空の高層建築を建てる工程を
リアルに描写した“工業技術絵画”でもありました。
ややオーバーに言えば、東京スカイツリーを写真に撮る感覚をすでに先取りしていたのかも?

場内ではブリューゲルの版画作品をCG処理した、アニメーション作品も上映してました。
もとは静止画なのに、動きをつけても違和感がないのが不思議といえば不思議なのですが、
そもそもブリューゲル作品の中に、そういった動きの要素が取り込まれているのかもしれません。
このアニメ、会場ではDVDの販売もあります(実は買ってしまった)。

最後に、展覧会のおみやげ。
カプセルベンダーで買える“へんないきもの”のフィギュア、1回300円ナリ。

やはりお魚さんがいいですね~。なんだかインスマウスの住人みたい!

最近はあちこちの展覧会でガチャガチャを見かけますが、大人はあまり回さないですね~。
私は平気で、というかイベント限定モノは進んでガチャるようにしておりますが(^^;。
色違いとはいえ、今回は全種そろってよかったです。

Bunkamuraでの展示は8/29までですが、以後は次の日程で巡回します。

2010年 9月 4日(土)-10月17日(日)新潟市美術館
2010年10月22日(金)-11月23日(火・祝)美術館[えき]KYOTO
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八王子夢美術館「押井守と映像の魔術師たち」

2010年07月18日 | 美術鑑賞・展覧会
八王子夢美術館で「押井守と映像の魔術師たち」開催初日に見てきました。

会場はビルの2階。入口には大型の案内パネルが鎮座しています。


そして中に入ると、それより大きいバセット犬のタペストリーがドーン。

これは舞台「鉄人28号」のセットで使用したものだとか。

そういえば入口に、見慣れた名前のついたお花が届いてましたねぇ。


今回の展覧会ですが、告知されてる情報も少なくて展示内容もよくわからないため、
行く前はタカをくくっていたところがありました。
しかし実際に内容を見てびっくり。全部を網羅しているわけではないけれど、これは
現時点まで押井守が関わってきた映像関係の仕事を回顧する一大企画ですよ。
熱烈な押井ファンとはとても言えないような私でさえ「こりゃー見応えあるわ」と
思うんだから、押井監督とその作品を敬愛する人は必見の展覧会でしょう。

さて、ここでいくつかご注意を。
今回は「造形を中心に展示したい」との押井監督の意向もあり、映像については
ロビーで流れるPVのみ。残念ながらガルム戦記の映像はありません。

また出展物は設定画やアイテム類が主体、そして絵の一部はデジタルデータからの
写真製版です。
いわゆるセル画とか美術ボードとかの製作資料がゴロゴロ出てくる「お宝公開」を
期待している人は、たぶん肩透かしを食うことでしょう。
(まあガルム関連のアイテムだけでも、好きな人には十分なお宝ではありますが・・・。)

でもよく考えると、セルや原画を全部所蔵できるスペースと管理体制を持ってるのは、
いわゆるジブリなどの特別なところに限られるはず。
しかもデジタル製作が主体となった現在においては、そういう生資料は現場から
どんどんなくなっていくんだろうと思います。
そういう視点から今回の展覧会に出てきた品々を眺めるとき、むしろ
「押井作品関連について、よくこれだけあちこちからかき集めたもんだなぁ」
という感慨さえ覚えてしまいました。

逆にそのへんの価値に意義を見いだせない人(つまり押井作品に思い入れの薄い層)は、
むしろ行く必要はないかも・・・とも言っておきましょう。
今回の展示は、関連資料から発想の原点や世界観の構築について読み解くのが主眼。
つまり押井作品を別の視点から「鑑賞する」という主体性が求められます。
展示物の一つ一つは、いわば押井作品の原点をなすパーツでもあり、また製作過程の
貴重な記録でもあるのです。

なんかハードルの高そうなことを書いてますが、要は受身で見るもんじゃないよという話。
ひとつふたつお気に入りの押井作品がある人なら、きっと喜んでもらえる内容だと思います。

さて、続いては展示内容を順路に沿ってご紹介。
美術館で展示リストを作っていないので、わかる範囲で書き留めてきたものです。
完全版とはほど遠いですが、鑑賞の参考にでもしてください。

●押井監督からのメッセージ入りサイン
●押井監督が初めて買った16mmカメラ
●イノセンス
 直筆イメージラフ(押井氏・黄瀬氏)、3Dアートパネル、複製設定画、
 直筆設定画(黄瀬氏・西尾氏)、原寸大ガイノイド、資料に使用した人形類、
 バトーのショットガン模型、プロモ時に監督の持っていたバセットぬいぐるみ、
 ガイノイド等のフィギュア(竹谷隆之氏、鬼頭栄作氏によるもの)
●アニメージュに寄稿した原稿(押井氏直筆)
 イラスト3点(宮崎駿氏と金田伊功氏?を描いたものが各1点)、
 宮崎氏を描いたギャグマンガ「恐怖の巨大タクワン石頭」直筆原稿
●天使のたまご
 絵コンテ(少女が卵を抱くシーン、巨大魚の影を追う人々)
 なお完成品ではこんなシーンになります。
 
●トーキング・ヘッド
 絵コンテ、バス停の看板
●ケータイ捜査官7「圏外の女」
 お七の抱いていた看板犬、 小道具の瓶ビールと缶ビール(バセットのラベルつき)
 ちなみにTV放映を見た私の感想はこちらです。
 
●立喰師列伝
 ネズミ頭のかぶりもの(フランクフルトの辰こと寺田克也氏が被ったもの)、
 電柱の模型、劇中に出てきた架空書籍(55冊)、
 アニメ「荒野のトロツキスト」LDジャケット
 
●ケルベロス-鋼鉄の猟犬
 1/6ジオラマ「Dar Endkampf」(7/27日より展示)
●ケルベロス-地獄の番犬
 撮影用ヘルメット、撮影用プロテクトギア
●人狼
 複製設定画、直筆設定画(西尾氏、平松氏?(〇にひのサインあり))
●攻殻機動隊
 複製設定画、セル画4種(女性、男、バセット2種)
●めざめの方舟
 汎のミニチュアフィギュア、監督が現場でかぶっていたヘルメット、
 六将のうち青鰉・百禽・狗奴
●劇場版パトレイバー1・2
 複製設定画
●アヴァロン
 出演者衣装(ジル・ゴースト・マーフィー・スタンナ・ビショップ)
 ライフルスコープ2種(ポーランドで購入)、改造キーボード4種、
 IDカードとリーダー、壊れたマイク(射撃音を撮ろうとして、押井監督が誤射)
●G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)
 直筆メカニック設定画(巡洋艦イムラヴァ、3枚)竹内敦志氏によるものか?
 イムラヴァ ブリッジのギミック模型2種(操舵手?)
 艦船フィギュア(巡洋艦イムラヴァ、航空母艦コロンバ)
 空母艦載機フィギュア4種(実演用・雷装形態・コクピットオープン・巡航形態)
 人物フィギュア4種(ダーナ(巨人)・コルンバ(2種)・クムタク・ドルイド ナシャン666・ブリガ)
 甲冑(ブリガ・コルンバ)
 戦車フィギュア
 ナシャン天使形態フィギュア
●海外での取材写真(撮影:樋上晴彦氏)
●スカイ・クロラ
 複製設定画
 直筆絵コンテ(スイトとユーイチの出会い・本部訪問)
●アサルトガールズ
 グレイの衣装、カーネルの銃(銃は監督の私物)


●宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-
 複製設定画・レイアウト
●舞台「鉄人28号」
 犬のパネル、鉄人の操縦機

なおサイン等がなく描き手を特定できない、またはサインが読めない設定画もありました。

直筆画はさほど多くはないものの、やはり生の線は見ていて気持ちが高ぶります。
天たまの直筆絵コンテなんて、よく残ってたなぁと思いますし。
人狼の設定画にはしっかり「ジバクちゃん」と書かれてて笑っちゃうし、
ケータイ捜査官の看板犬にはTVでのムチャっぷりを思い出してしまう。
まあその危なっかしさも、実は押井作品の持ち味だったりするのですが。

そして個人的に大ヒットだったのは、大好きな立喰師列伝に出てきた書籍類でした。
「予知野屋襲撃」「予知野屋解体」「カレー屋襲撃」「ハンバーガー襲撃」などなど、
よくもこれだけ当時の流行書をパロった書籍を考え出したものです。

LD「荒野のトロツキスト」も、戦闘美少女にパンチラという80年代アニメのお約束を
しっかりと盛り込んだデザインですね。(なお監督「丸輪零」も、押井監督の別名)
ここにも『立喰師列伝』の特徴である「時代への批評」と「自虐性」が明確に表れています。
またこの作品が、私にとって最も「押井守的な映像体験」であったという話については、
以前DVDで見たときの感想にも書いたところです。

そして大量の設定画に描かれた綿密なデザインと細部にわたる執拗な考証から見えてくるのは、
押井作品の世界観が多くのスタッフによって構築され、一つの作品へと形づくられていく過程。
逆に言うと、設定と考証の物量にストーリーが覆い隠されてしまうきらいもあるとは思いますが、
それもまた押井作品らしいところかもしれませんね。
(やや甘い見方ですが、そういう傾向の作家であることは納得の上で見るべきかと・・・。)

それにしても残念なのは、押井組の集大成にして頂点となるべき作品である『ガルム戦記』が、
今もなお未完成であるという事でしょう。
しかし今回の展覧会では、その世界観を形成する重要な品々を直接目にすることができます。
フィギュア類も衣装も、デザインや造型面について非常に高いレベルで練り上げられており、
確かに「これが実際に映像化されたら、さぞすごかろう」と思わせるだけのイマジネーションを
強烈に感じさせるものでした。
悔しいことに現時点では、この展示品から完成映像を想像するしかないのですが・・・。

押井作品にある程度接していること、多少でも自分なりのこだわりがあることなど、
やや見る人を選ぶ展覧会ではありますが、これだけまとまった形で「押井守と同志たち」の
数々の仕事を振り返る機会は、今後そうあるとは思えません。

そして押井監督自身も、こんなメッセージを寄せています。

「もう二度と出来ません。お楽しみ下さい。」

八王子での展示は2010年7月16日~9月5日まで。
開館時間は10:00~19:00です。(8/7、8/8は午後9時まで開館)
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塩田雅紀展~そして、微在汀線の向こう岸へ

2010年07月12日 | 美術鑑賞・展覧会
7/10まで開催されていた塩田雅紀氏の個展を見るため、再び青山まで行ってきました。
(ちなみに個展名はシンプルに「塩田雅紀展」。サブタイトルは特についていません。)

塩田氏は一流作家の装画も数多く手がけた、いま注目される描き手の一人。
音楽方面ではスキマスイッチや平井堅とのコラボレーションなど、組んだ相手の持ち味を
存分に引き出しつつ、独自の個性も感じさせるという優れた画風をお持ちの方です。
(経歴等について、詳しくはご本人のホームページをご覧ください。)

今回の個展はそんなコラボ系の仕事を集めた内容に、今回のための新作を加えたもの。
期間は7/5~7/10と短かったのですが、塩田氏が表紙を手がけた「廃園の天使」シリーズの
飛浩隆先生によるTwitter告知のおかげで、なんとか見逃さずにすみました。

こじんまりとした会場の中には、見慣れた作品の装画がズラリ。
カズオ・イシグロ「夜想曲集」、ル・グィン「なつかしく謎めいて」、そして飛先生の
「グラン・ヴァカンス-廃園の天使〈1〉」などが展示されてました。

そして書店で見慣れた表紙絵たちも、実物を見ると感動の度合いが全然違います。
書籍の装画として収まっている時に比べ、実物の絵はずっと強い生気を放っていて、
見る者をひきつけて離さない力がありました。
描かれている人物の躍動を一瞬に切り取る手際、立体的に描かれた造型のおもしろさ、
色の微妙なグラデーションなど、実物を仔細に見ることで気づく点も多かったです。

そして特に興味深かったのが、画面に見える掻き落としのような刷毛目模様。
実物の絵を見ると、これが作品に適度な凹凸を与えており、画面に油絵のような
厚みと陰影、そして表現の面白さを加えているのがわかります。
会場で塩田氏ご本人に伺ったところ、これは下地処理に自作の特殊な刷毛を使い、
このような模様が出るように工夫しているとの事でした。

一方、今回の個展向けに描かれたという二点の新作には、その刷毛目がありません。
やはり塩田氏のお話によれば、これまでの装画のイメージと違うものを目指そうとして、
こちらではあえて刷毛目を使わずに描いたとのこと。

錆びの浮いた観覧車に乗っているパンダらしきキャラクターを描いた作品からは、
なんだか石田徹也の絵を連想しました。
アオリで見る頭上には灰色の空、そしてぼんやりと爆撃機のような機影が浮かびます。
唯一派手な色で光るホイール部のネオンも、むしろ絵の不吉さを高めています。

もう一つの新作に描かれたのは、オレンジ色のケーキみたいな山を登るスーツ姿の男。
彼が押している自転車の荷台には、テレビのカラーチャートを写した紙芝居が載っています。
私には幻想的な表現の中に、現実への諷刺が巧みに織り込まれていると見えました。

優しさや懐かしさの裏に見え隠れする痛みや喪失感、そして得体の知れない不安。
一枚の絵にブレンドされたこれらの要素が、見る者の気持ちを強く揺さぶり、あるいは
静かな昂揚感を感じさせてくれるように思います。

今後は装画に加えて、一般絵画の発表も増えてきそうな塩田氏。
そちらの仕事にも注目しつつ、引き続き「廃園の天使」シリーズの装画も
描き続けて欲しいと願っております。

まあそのためにも、飛先生のシリーズ新作が待たれるのですが・・・(笑)。

以下は個展で購入したおみやげたちです。

上段は「天の光はすべて星」の複製画を額装したもの。
紙箱にも塩田氏のオリジナルラベルが貼ってあります。
限定5部ということで、右下には作者の自筆サイン入り!
下段はこれまでの作品を紹介したミニパンフレットと、複製画のしおりです。
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「伊藤若冲 アナザーワールド」千葉市美術館

2010年07月03日 | 美術鑑賞・展覧会
千葉市美術館で6/27まで開催していた「伊藤若冲 アナザーワールド」を見てきました。


伊藤若冲といえば、もっぱら「極彩色と細密描写の人」というイメージですが、
今回の展示の中核を成すのは水墨作品。
ゆえにタイトルにも“アナザー”とある通り、いわば「裏の若冲」なわけですが
しかしこの「裏若冲」、絵として見れば彩色作品に劣らないほどの魅力があります。

確かに「皇室の名品展」で登場した動植綵絵は圧倒的でしたが、それを支える要素は
線と形態への鋭敏な感覚と、それを実現する技術の高さでしょう。
だからその感覚と技術の冴えを味わうなら、色に目を奪われずにじっくり筆致が見られる
水墨画のほうに分があるというもの。
そして今回の展覧会では期待したとおり、若冲の描く「かたち」と「線」の楽しさ、そして
白黒の中に見せる多様な階調の妙を味わえました。

中でもその集大成というべき傑作が、近年発見された「象と鯨図屏風」。
本来はMIHO MUSEUM所蔵のお宝ですが、今回は静岡を経由して千葉へとやってきました。
去年の「若冲ワンダーランド」の協力に対する返礼っぽいので、今後関東で見られる機会は
あまりないかもしれません。

先に見てきたshamonさんから「会期末は混むから朝イチがいいですよー」との情報を得て
鑑賞当日は朝から現地入り。おかげで楽々と拝見することができました。

さて、入場したらさっそく一番のお目当て「象と鯨図屏風」のところへ。

土坡みたいにモリモリ盛り上がった波からぬっと現れ、勢いよく潮を噴き上げるクジラと
のっぺりした地べたに丸々と横たわり、長い鼻をぐっと天へ突き上げるゾウの対比。
海の主と陸の主を並べることで、気宇広大なスケールの世界を演出しています。

若冲といえば、描きこみの多さに比べて奥行きがない画風も特徴のひとつ。
これが画面に独特の異様さ、そして密度の高さを感じさせる一因なのですが、
「象と鯨図屏風」の場合は、画面の中に消失点が無いことが功を奏したのか、
横方向への広がりが強調されるように感じました。
細かく描いてないぶん、逆にのびのびした気風もあって、天地の広さを丸ごと
画面の中に取り込んだような作品でした。

クジラの表皮は水墨によるたらしこみが用いられ、齢を経た巨鯨の貫禄を表してます。
白象のほうは丸々とした姿に、切れ長の眼とすっと伸びた牙が変化を与えてますね。

円で構成される象の体、鼻と尻尾のうねる線、そして切れ長で笑ったような眼に半開きの口元。
これらの特徴には、やはり若冲が水墨で描いた仏画との共通性を感じます。
だとすれば、この白象はやはり普賢菩薩を意識して描かれたものかもしれませんね。
まつげが長いのも、実は菩薩の眼を想定してのものではないでしょうか?

そしてシンプルな円を基調として対象の特徴を捉えるおもしろさも、細密画にはない魅力。
ここには省略の美、単純化の楽しさが感じられます。
この「細密」と「省略」の融合した手法が、後の「桝目描き」なのかなぁとも思ったりして。

そして桝目描きといえば、静岡からはこんな作品もやってきてました。

静岡県立美術館蔵の「樹花鳥獣図屏風」。

細密と省略の両立が、この異様な感動を生む作品へと行き着いたとすれば、
やはり若冲は普通の人とは決定的に異なる感性を持っていたのでしょう。
そして「桝目描き」による、画面が盛り上がるかのような立体感!
そこには透視図法とは異なる形での、立体視への挑戦が感じられるようです。

また年代による画風の変遷がわかりやすく表れるのも、水墨画ならではのおもしろさ。
青年から壮年期の作品には線の鋭さや筆運びの豪快さがありますが、後年の作品では
切り裂くような筆遣いや、のた打ち回るように派手な描線はすっかり影をひそめており、
逆に落ち着きをもって対象の形や動きを捉えようという意図が見られます。

こういった見比べができるのも、展示内容の充実ぶりによるものでしょう。
また水墨中心とはいえ、カラー作品にも質の高いものが出品されてました。
わざわざ遠くまで足を運んだ甲斐があったというものです。

そして帰りがけには、館内でこんなモノを発見!

ミース・ファン・デル・ローエによる名作イス、バルセロナ・チェアじゃないですか!!

先に座ってる人がどくまでじっと待って、しっかり座ってきましたよ!
シートのステッチ、足のクロスする曲線、背中からシート部に貼られた皮バンドなども、
いちいち触って確認してきました。
初めて座ったけど、やはりすばらしいイスですな~。

ミースといえば、“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなことである。)という
名文句が有名ですが、これって色や線の少なさが作品をより豊かに見せるという
若冲の水墨画にも通じるものがありますね。
その意味では、「伊藤若冲アナザーワールド」に最もふさわしいイスかもしれません(笑)。

さらに入口付近の展示コーナーを見ると、ご当地の面白いものがありました。

いわゆる“古代ハス”と言われる大賀ハスは、千葉で発掘されたものです。
その大賀ハスをアクリル樹脂に封じ込めたものが展示されてました。

最後にもうひとつ、ご当地の一品をご紹介しておきます。
会場の近くにある和菓子店「千葉虎屋」のお菓子。
名前がちょっと思い出せないのですが・・・若緑だったかな?

浮島製なので、もちもちふわっとした口当たり。色の美しさもごちそうです。
コメント (2)
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星野勝之氏 イラスト個展「模様区」

2010年06月08日 | 美術鑑賞・展覧会
星野勝之氏の個展「模様区」を、最終日の6/4に見てきました。



星野氏の作品は各種書籍のカバーなどを飾っており、知らずに見ている人も多いはず。
最近ではNHKのTVドラマ「チェイス 国税査察官」ノベライズ版の表紙も手がけています。

会場のギャラリーエフは国立能楽堂の真横にありますが、外見は普通のマンションなので
土地勘がないとなかなか発見できません。

実は前に一度見に行きそこねているのですが、その時に場所だけは確認しておいたので、
今回は無事に到着しました。

ギャラリーエフは階段を上がった2階、入口もやっぱり普通のマンション風。
内部は6畳2間をぶち抜いて一室にしたくらいの広さでした。


会場には星野氏ご本人もいらっしゃいましたが、これが若くてイケメンな方。
さらにこちらが絵を見ていると、デミタスカップでコーヒーをそっと差し出す気配りも…
ちょ、ここ何て名前の執事喫茶ですか!(笑)

壁にかかった作品はA3前後のサイズで、支持体には紙やキャンバスでなく木の板を使用。
その板も結構な厚さなので、見た瞬間「平面なのに厚みがある!」という奇妙さを感じます。
この板にデジタルで作画した作品を刷るのですが、木目が表面に独特な荒れを生じさせて
アナログの風合いにデジタルな表現が乗っかるという面白い効果を見せていました。

さらに手作業で傷やこすれをつけてあるのですが、これが作品に適度な「傷み感」を与え、
画題の持つ奇妙さとか郷愁といった面を一層強めている感じ。
デジタルでシルエット風に刷り出した物体に対し、鉛筆による手書きで細かな模様を加筆して
影をつけるといった手法にも、デジタルとアナログを交錯させようとする意図が見られます。

作品に描かれた対象はさまざまな模様に覆われていますが、ひっくり返して考えれば
まるで外見が透けて中身が見えているようにも感じられます。
見慣れたものなのに異質、異質なのに見覚えがあるという奇妙な感覚。
あるいは、外側と内側の境界がなくなってしまったかのような不思議さでしょうか。
見た目も含め、個人的には、マルセル・ワンダースノッテッド・チェアを思い出しました。

立体視の作品なども手がける星野氏ですが、今回新たに用意したのが「ストライプシネマ」。
紙に描かれた絵とスリット式の透明シートによる簡易アニメで、なんだか昔の学習雑誌の
付録についていたような作品なのですが、結構新鮮なおもしろさがありました。
これって最もシンプルなデジタルアニメを、最もアナログな手法で実現した作品なのかも?

今回は作者の星野氏と直接お話しすることもできましたが、製作のコンセプトや作品の方向性、
表現手法についての明確な考えをお持ちでした。
きっとこれからも色々な手法を取り入れながら、新たな表現を探っていかれる方だと思います。

デジタルのクールさとアナログ的な郷愁を併せ持つ星野氏の作品ですが、やはり実物以外だと
その細かいニュアンスまでは伝わりにくいもの。
装画や挿絵も魅力的ですが、今後の個展等でのご活躍にも期待したいと思います。
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Humanized Machines  「キカイ・ノ・ココロ」

2010年06月06日 | 美術鑑賞・展覧会
ひねもすのたりの日々」のshamonさん、「究極映像研究所」のBPさんに教えてもらった
内林武史氏の作品展「キカイ ノ ココロ -どんな夢を見ているのだろう?-」を見てきました。

会場の新星堂は表参道の通りから少し入った場所で、外の喧騒がウソのような静かさ。
エレベーターで地下の第一会場に降りると、そこには何点かのオブジェが置かれてました。


"Flying sofa -pragmatic 508-"
レザーと木材が組み合わされた重厚なつくりのソファに座ると、各部のランプが点灯して
両サイドのファンがかすかな風切り音を発し、白黒ブラウン管に空撮映像が流れる仕掛け。



このソファ自体にはスピーカーがないようですが、オーディオ機能がある別のオブジェで
音楽を流してやると、気分はまるで「JET STREAM」の世界です。
他にお客さんのいない空間で、遊覧飛行の気分を満喫させてもらいました。

作品のコンセプトは「空飛ぶソファ」ですが、空撮映像以外にバスター・キートンの作品や
フリッツ・ラングの「メトロポリス」など、昔の映像作品を流しても面白そうです。
前者は過去の映像、後者は空想の未来世界・・・そう考えてみると、流す映像によっては
一種のタイムマシンにも変身しそうなオブジェですね(^^)。

"穏やかな休日の為の機械 -Deep Blue Object-"
鮮やかな青色に塗られた、木製らしきフレーム。
モダン・デザインのキャビネットかと思いきや、実はこれがオーディオユニットでした。

フレームの真ん中に隠されたスイッチを押すと、右上にセットされたディスクが回転して
音楽が流れます。スピーカー本体はフレームの裏に隠されて、正面からは見えません。
普通は見えるはずのスイッチやスピーカーを隠し、隠されるべき内部を見せる発想が秀逸。
下部に点灯しているデジタル表示は、その時刻の“分”だけを示す装飾です。
用途はあっても実用性にはとらわれないという作品性が、こんなところにも感じられます。

"交錯する日常 ‐Daily-"
古びた丸テーブルに埋め込まれた、カプセルの中のブラウン管。
ありえたかもしれない未来からやってきた、実在しないちゃぶ台みたいです。

残念ながら動く映像は見られませんでしたが、shamonさん情報によればDVDプレーヤーが
オートリバース対応でないという理由らしいです。

"透明な記憶 d1005 -Transparent memory-"
カプセルに入ったCDと、小さなオブジェの組み合わせ。

今回はこちらも動いていなかったようですが、本来なら小さな音で曲が流れるみたい。
ちなみに中のCDは、ブライアン・イーノのDiscreet Musicでした。
イーノの音楽が“Ambient Music”なら、内林作品は“Ambient Object”な感じですね。

地下から上がった第二会場は、暗室のように真っ暗。
そこにスポットの当たっているオブジェや、自ら光を発するオブジェが置かれてました。

その中でも特に気に入った作品は、こちらの二つです。

"西日に浮かぶ惑星"。

カプセルの中に入った液晶モニターが、宇宙から見た地球を思わせる映像を写しています。
小さい装置から大きな世界をのぞき見る面白さを感じる作品。

"机の上に宇宙をみつけた"

先に感想を書かれているshamonさんも絶賛のオブジェです。
机の前に立つと、その上に置かれたドームの星空が自動的に点灯。
暗闇の中で色と光が刻々と変化する様子が、軽いトリップ感を誘います。

第二会場の前にも、過去作品のアルバムと一緒に小さなオブジェが置かれてました。

"msdo 0908"

shamonさんが気に入ったと書いてた「手のひらサイズのオーディオ」って、これかな?
音量も音質も貧弱で、静かな会場でもかすかに英語の歌が聞きとれる程度の頼りなさ。
でもその頼りない音が、昔どこかで耳にしたラジオや映画音楽の記憶を呼び覚まします。
見た目もかわいいけど、人の心理に働きかける装置としても興味深い作品です。

実用品としてのアプローチが可能な作品もありますが、内林氏はそこを意図的にズラして
自作のオブジェたちが単なる「機械」の枠組みに収まるのを回避しているかのよう。
だから機械仕掛けであっても、どこかに温もりが感じられるのでしょう。
そんなオブジェたちに囲まれて、すこし不思議で懐かしい気分を体験できました。

今回の展覧会は6/5で終了ですが、内林氏の仕事には今後も要注目です!
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「ブリューゲル版画の世界」のチラシが楽しすぎる件

2010年05月30日 | 美術鑑賞・展覧会
昨日は所用を片づけるため、ほぼ丸一日渋谷近辺をうろうろしてました。
そのついでに、Bunkamuraでこんなモノをゲット。

7月17日から始まる「ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界」のチラシです。
…ところでこのデカい顔のオヤジは、いったい誰なんだろう?

上部のオビには「400年前のワンダーランドへようこそ。」というコピーが書かれていて、
バートンの「アリス・イン・ワンダーランド」に乗っかろうという目論見が丸出しですね(笑)。

まあそれはともかく、ブリューゲルといえば大衆を描いた風俗画で知られる巨匠なわけですが、
実は奇想画の傑作「バベルの塔」を初め、数々の奇観や奇天烈な生き物も描いてます。

そして先ほどのチラシを広げてみると、裏側には「ヘンな生きもの」がウジャウジャ。

今回の展覧会では、ブリューゲルのこんな生き物たちが多数登場するみたい。
奇想好きで版画好きな私にとっては、ちょっと見逃せない感じです。

さらに裏返してみると、こんな風になってます。

農民画から諷刺画、そして魔術師を描いた作品なども。

最後に四つ折の紙を全部広げてみると、なんと大きな一枚絵になりました!
“七つの罪源”シリーズから「傲慢」。
英語で言うとPride、ハガレンで言うとセリム君…なーんてネタは置いといて、まずはこの絵を
よーく見てください。

なんというゴチャゴチャ感、そしてバラエティ豊かな造型の数々!
変な格好をした悪魔もスゴいけど、バックに見える建物はさらに珍妙です。
左の建物なんて、まるでUFOみたいに見えませんか?

さらにこのヘンな生き物、会場ではフィギュア化したものを販売するとのこと。
その手のアイテムに弱い自分としては楽しみでもあり、思わず散財しそうなのが怖くもあります(^^;。
というかこいつら、実は悪魔なんだけど…カワイイとか言ってる場合か?

今回はBunkamuraのチラシの中でも出色のデキだと思うので、機会があったらぜひ入手して
描かれているモノを確かめてみてください。きっと本物の版画が見たくなると思いますよ。
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根津美術館 琳派コレクション一挙公開

2010年05月22日 | 美術鑑賞・展覧会
根津美術館で「新創記念特別展第5部 国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開」を
見てきました。

実際に行ったのは連休中ということで、入口にはお客さんの行列ができてました。
確かに館内も混んでたのですが、実は庭のほうもかなりの混み具合。
展示作品にあわせて、庭園にもちょうど燕子花が咲いていたのですね~。
お客さんがあちこちに固まって、お互いに記念写真を撮りまくりです。

私も燕子花だけ撮影してきましたが、ちょうど満開のように見えました。


そして館内では、もうひとつの燕子花が絢爛と咲き誇っています。


尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」、4年ぶりに降臨。
こちらの花は季節を問わず満開ですが、外の燕子花の後に見るとさらに引き立ちます。

同じような燕子花の絵が反復的に描かれているので有名な作品ですが、その燕子花の花が
左隻・右隻とも途中で切れているため、画面の枠を超えて燕子花の広がりを感じます。
それが庭園に咲いている花の記憶と結びつくことで、画面の外と内がひとつになって、
永遠に広がり続ける燕子花の解放的な光景が見えてくるように思います。

そして金屏風の輝きが示すのは、やっぱり日に照らされた水面でしょう。
晴れた日に庭を見て、その印象を持ったまま燕子花図屏風を見ると特によさげな感じです。

そしてこの絵に感じるもうひとつの特徴、それは絵に中心がないということ。
似た図柄の燕子花の繰り返しは、見るものに鑑賞のための拠りどころを与えてくれません。

その結果、鑑賞者はひとつの花に目を奪われるのではなく、むしろ花に包み込まれていき、
さらにはその中へ引き込まれるような気分になるのです。
花の間を効果的に抜いた余白の輝きが、その幻惑性をさらに高めている気もします。

前に永徳の「檜図屏風」と等伯の「楓図壁貼付」を比較して“武家の権威としての絵画”からの
脱却を感じたことがありますが、「燕子花図屏風」には花が寄り添うための大木すらなく、
もはや無限に広がる燕子花の花があるばかり。
ここに町人文化の完成とその芸術の具象化を見るのは、ややオーバーでしょうか?

また今回の展示作品の中で「燕子花図屏風」以上に衝撃を受けた作品が、鈴木其一の
「夏秋渓流図屏風」です。

この絵を見た多くの人は「なんだか新しい絵」「光琳に比べるとねえ」と言ってましたが、
なぜかそれに引っかかりを感じたので、絵の前を何度も行ったりきたりしてじっくり鑑賞。


右隻には夏の山百合で白を、左隻には秋の柿の葉で紅を表した構図。
濃厚な青とはっきりした波で表現される、ねっとりとした渓流の流れ。

これってどこかで見たような…と思ったら、光琳のもうひとつの国宝「紅白梅図屏風」を
ちょうど逆にした構図じゃないかと気づきました。

濃厚な青と長くつながった水流の線も、黒々とした水流に光琳波という有名な意匠を
より近代的にアレンジしたようにも見えますから、もしかしてこの「夏秋渓流図屏風」、
其一が自分なりの表現で描いた、もうひとつの「紅白梅図屏風」なのかもしれません。

そしてこの絵もまた、明確な中心を持たない作品です。
さらによく見ると、一曲ごとに水の流れ出しや流れ込みが描かれていて、どこから見ても
そこが見どころとなるように計算されているみたい。
それでいて全ての流れは両隻のちょうど中間に集まるよう描かれているのですが、
なぜかその部分には岩があって、水が全然描かれていません。

では水はどこにいったのか…というと、全ての流れが集まる地点、つまり鑑賞者の足元に
ちょうど「見えない淵」ができるようになっているのですね。
ここでもまた、鑑賞者が絵に取り込まれる仕組みが隠されているというわけです。
そして鑑賞者のいる場所に水が押し寄せてくるという構図も、やはり「紅白梅図屏風」を思わせます。

こんなことを考えながら見ていると、はじめは「いかにも絵だな」と感じていた作品から
いつのまにやら水音やしぶき、水泡の揺れなどを感じるようになってきたのがなんとも不思議。
やっぱり絵というのは、見る人の気持ちで大きく変わるものなんですね~。

「国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開」の会期は、5月23日まで。
庭の燕子花はもう終わりの時期ですが、それでも見ておくべき展覧会です。
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