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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

『話の話』を見に行った話―ノルシュテイン&ヤールブソワ展

2010年05月17日 | 美術鑑賞・展覧会
神奈川県立近代美術館の葉山館で、究極映像研究所のBPさんに教えてもらった展覧会
話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ」を見てきました。

開催期間は4月10日から6月27日までですが、せっかく葉山に行くんだったら
晴れた日に海でも眺めたいな~と考えて、連休明けのこのタイミングを選びました。

そしてこの日はまさに狙ったとおりの陽気。海風と陽光が心地よかったです。

葉山沖に浮かぶ名島の鳥居、右手は葉山灯台(別名:裕次郎灯台)。
もやってなければバックに富士山も見えるらしいのですが、今回は残念でした。

逗子駅から車のすれ違いもままならないようなほっそい道をバスでくねくね登って行くと、
会場の神奈川県立美術館 葉山館につきました。


周囲の緑の木々と海の青に映える白い箱のような建物は、葉山という土地柄にぴったり。
かつては高松宮家別邸だったということで、海と山に囲まれた絶好のロケーションです。

館内に入ると「話の話」にでてくるオオカミの子が迎えてくれました。

…おや、オオカミの子の位置がBPさんの写真と違ってるぞ?

展覧会タイトルが「ノルシュテイン&ヤールブソワ」となっているとおり、作品の多くは
ノルシュテイン夫人であるヤールブソワの手になるものです。
このあたりの経緯は究極映像研究所でも書かれてますが、ノルシュテイン作品は基本的に
夫妻の共同制作で、ノルシュテインの発想をヤールブソワがエスキース(下絵)などにまとめ、
それをもとにアニメーションを撮っているみたい。
ちょっとシャガールを思わせるノルシュテイン作品の絵柄は、本来ヤールブソワのものなんですね。

キャラづくりで例えるなら、ノルシュテインが原案、ヤールブソワがキャラデザと作画監督かな?

DVDパッケージの「古い家の戸口に立つオオカミの子」も、実はヤールブソワの油彩画だと、
今回の展覧会ではじめて知りました。

パッケージ説明ではジャケットの作画が「ユーリ・ノルシュテイン」となってます。

場内の展示は、ノルシュテインによるアイデアスケッチや原画(特に「外套」のがすごい)と、
それを美術的にまとめたヤールブソワのエスキース、そして実際に撮影で使った切絵などを
スライド状に重ね、ガラスの箱に収めた立体模型「マケット」などで構成されてました。
ナマの線や色の重ね方が見られる絵画もいいのですが、やはり立体的なマケットが圧巻。
ノルシュテインアニメの視覚効果が、箱に収まって凍結されているように感じられます。

量・質とも充実していたのは「話の話」や「霧の中のハリネズミ」そして「外套」ですが、
個人的には、ロシア・アバンギャルドの影響が色濃い「25日-最初の日」が好きなので
これに関するノルシュテイン自身の原画が見られたのがうれしかったです。
「街」のエスキースなんて、それだけで一枚の抽象芸術といえるほどの描き込みでした。

展示物を見たあとは、できあがった映像作品の鑑賞会場へ。
私が見たのは午後3時からのプログラムで、ラインナップは次のとおり。

「アオサギとツル」
「話の話」
「冬の日」(発句)
「外套」(部分)

このうち「冬の日」は今回が初見、「外套」は断片しかみたことがありませんでした。
「冬の日」は芭蕉の句をもとに、二人の俳人が木枯らしの中で出会う様子を描いたもの。
まるで国産アニメのような自然さで、侘び寂びの情緒が心に染みて来ます。
ノルシュテインやヤールブソワの絵は、日本の文人画の感じに近いものがありますから
掛軸とかにしてもかなりイケそうな気がしますね。

そして着手から30年たっても完成しない、幻の傑作「外套」。
その映像の緻密さと濃密さは、市場向けアニメでは到底不可能なレベルのものでした。
特に主人公であるアカーキーが自宅で書類を書き写すシーンは、偏執狂的なほど粘っこく
ささいな仕草や表情の細部までを表現しています。
アニメーションによる「人間」の描写としては、現在のところこれが最高峰でしょう。

ちなみにアカーキーがお茶をティーソーサーに移して飲むシーンがありますが、
あれは当時の正しいお茶の飲み方だったはずです。

展示物だけでも十分見応えがあるし、会場で映像作品を見ることもできるのですが、
できれば事前にアニメを見てから行ったほうがより楽しめる内容。
にもかかわらず、2010年5月現在「ノルシュテイン作品集」DVDが入手困難なのは
なんとも残念な話です。

まだ中古価格が高騰してないのは救いですが、ぜひ一般流通でも入手できるようにして欲しい。
会場のグッズ売り場で「霧の中のハリネズミ」捜してる人がガッカリしてましたから。
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「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展

2010年05月09日 | 美術鑑賞・展覧会
GW中のことになりますが、東京国立近代美術館で8/8まで開催中の
「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展に行って来ました。

7人の作家(建築家)による、建築から飛び出したインスタレーション作品たち。
建築にはあまり詳しくない私ですが、この展覧会はとても楽しめました。

その中でも特に印象に残った作品をご紹介…とはいっても、この手の展覧会の場合は、
言葉ではなんとも伝えにくいというのが困ったところです。

しかし今回は、所定のルールさえ守れば会場内の写真撮影OK!
しかも掲載時の決まりに従えば、ブログ等への使用もOK!
(詳細についてはflickr内の公式ページなどで確認してください。)
毎回書くことに悩まされる私にとっては、なんともありがたい話です(^^;。

では、まず中村竜治氏による「とうもろこし畑」を見てみましょう。



高さ170センチ程度、硬いんだか柔らかいんだかわからないふしぎな素材のかたまりが、
目につく範囲の空間をみっしりと埋めつくしています。

近くによってみると、これが細い線を何重にも組み合せた作品であるとわかります。



この線の正体はバルカナイズド・ファイバー。木の繊維などを化学処理して製造される、
軽くて丈夫な紙質の素材です。いわば、紙のこよりが強靭になったようなもの。
これを手間ひまかけて貼りあわせて、軽さと重さ・密集とすきま・硬さと柔らかさなどの
相反する要素が感じられる摩訶不思議な作品が生まれました。

作品のかたちも均質ではなく、見る場所によって向こうが透けたり透けなかったりします。
そして周囲を歩くと、構造の中に格子模様や放射線が見えたり、あるいは反対側の人影が
ぼんやりと浮かび上がったり。







とうもろこし畑や麦畑を歩くときのワクワク感を擬似体験しながら、その中に建築っぽい
人工的な規則性を見つけたとき、「あ、建築ってここにあったのか」と気づかされるかも。

次に内藤廣氏の「赤縞」。
これは建築現場で、いわゆる「垂直を出す」ために使うレーザー光線から発想したもの。



真っ暗な室内に見えないレーザーが降りそそぎ、通るものを赤い縞模様に塗り替えます。
赤いレーザーの直線は人体を輪切りにするようでもあり、逆に人の身体や動きによって、
直線の持つ規則性が乱されているようにも見えました。

会場で貸してくれる薄い布を使えば、さらにいろいろな楽しみ方ができます。





床においてみたり、手に持って広げたり、あるいは体にまとってみたり。
ちなみに手に持ってふわふわさせると、まるで手が燃えているような感じになります。

そして作品中でも特に大掛かりなのが、伊東豊雄氏による「うちのうちのうち」。
伊東氏の手がけてきた建築物から取り出された様々な要素を発展させた造型たちが、
幾何学的な迷路か洞窟のような白い空間の各所に配置されています。

全体の構成は愛媛県で建築中の「今治市伊東豊雄ミュージアム」の1/2縮小版。
美術館の中の美術館=「うちのうちのうち」つまり「inside in」となります。



というか、これって『帰ってきたウルトラマン』のプリズ魔に見えるよな~。

そしてプリズ魔の中に入ってみると、そこには期待通りの不思議空間がありました。













それにしてもこの空間、『2001年宇宙の旅』のラストに出てくる白い部屋にも似てますが、
あの部屋に感じた「冷たさ」が、なぜか伊東氏の作品からは感じられません。

考えてみると、あの部屋の冷たさは「人の住む部屋」を模して作られたにもかかわらず、
そこに人の気配が希薄であることから来ていたように思います。
それに対して伊東氏の作品の場合、自然界に存在する構造を模すことで、人為性から来る
「冷たさ」からも解放されているのかな、という気がしました。

そしてさらに「建設」という枠からも解放された作品から感じられるのは、純粋なるかたちの美しさ。

最後に作品を振り返って「建築はどこにあるの?」と問うとき、自分なりに考えた答えは
「人がいる場所が建築であり、そこにいることを感動できるのが“美しい”建築である」
というもの。あんまり目新しい話でもないけど、これが私の率直な感想です。

だから今回の作品展にも「そこにいる人しかわからない」発見があちこちに隠れています。
それを見る人それぞれが見つけることで、「建築はどこにあるの?」というタイトルへの
様々な答えが導き出されていくのではないでしょうか。

なお会場では、中村竜治氏による紙製のクマがヤコブセンのアントチェアに座っていました。



クマがアントに座っているというのも、ちょっとしたジョークなのかな~と思ったりして。
そう感じるほどの遊び心と想像力が感じられる展覧会でした。
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全ての人に見て欲しい!『没後400年 特別展 長谷川等伯』

2010年03月20日 | 美術鑑賞・展覧会
日曜美術館や美の巨人たちで取り上げられたせいもあるのか、ただいま激混みらしい
東京国立博物館の『没後400年 特別展 長谷川等伯』。
自分が行ったのは会期最初の日曜だったけど、雨のせいかそこまでは混んでなかったのが
今思えばラッキーでした。
東京の会期は3月22日までですが、せっかく見に行ってきたので記事をあげておきます。
…というか、むしろ書かずにはいられないほどにすばらしい内容でした!

等伯といえば、まず国宝の『松林図屏風』が有名で、次が同じく国宝の『楓図壁貼付』と
誰もが思うところでしょうが、この2作を並べて「じゃあ等伯ってどんな作家なの?」と
いきなり聞かれたら、う~んと首をかしげる人も多いはず。
かたや水墨と紙の枯淡、かたや彩色と金箔の絢爛という対比は他の作家にもありますが、
その間をつなぐ作品が知られていない等伯の場合、その落差は極端に大きく感じられます。

知名度が高いにもかかわらず、元が能登の地方絵師であったことや年代による筆名の違い、
さらにその画風が何度も変わったことが、等伯という作家の全貌を知る上での障害となり、
また収蔵先が分散していることも、作品をまとめて見ることを困難にしていたようです。

しかし今回の等伯展は開催まで8年がかりの企画。
その規模とかかった時間にふさわしく、今回の展示では能登時代の仏画から狩野派や
南画の影響を受けた作品を経て、後期の水墨画に至るまでの作品が揃いました。
作品を順に見ていくことで、等伯の画業とその変遷の過程を追うことができるという、
前代未聞ともいうべき優れた内容になっています。

「長谷川信春」名の初期仏画は、非常に細かい筆づかいと鮮やかな色彩感覚に支えられた
繊細緻密な描写のかたまり。その技巧を十分に実感するためには、単眼鏡が必須です。

この『日堯上人像』などは、まさに好例かと。


装飾品に用いられた高度な意匠の模様も細部までしっかり描かれており、これらの仏画が
染物屋の息子であった等伯のデザインセンスを存分に発揮させ、さらに鍛え上げるための
重要な土台となったように感じました。

その最たる成果が、後に京で評判をとったという大作『仏涅槃図』でしょう。


奇想の動物や人物が入り乱れる中で堂々と横たわる釈迦の姿と天へ突き抜けていく樹木、
そして全てを照らす夜空の月が、巨大な画面内に絶妙なバランスで置かれています。
高さ10mの大画面にも関わらず隙やゆるみがないのは、それまで多数の仏画を描いてきた
経験から来るものでしょうし、この卓抜な構成力が、後に『楓図壁貼付』や『松林図屏風』へと
結実していったように思います。

さて、国宝のひとつ、智積院の『楓図壁貼付』。


狩野永徳の『檜図屏風』と比べられることの多い作品なので、ここでも並べてみましょう。


前へ前へと押し出してくる強烈なプレッシャーの『檜図屏風』に対し、『楓図壁貼付』は
同じように巨木を描いても決して押し付けがましくなく、むしろ周りの草花へと寄り添い、
あるいは草花に守られるような不思議な調和と、その背後にある光や風を感じさせる
「風通しのよさ」を持っています。

そして、この「風通しのよさ」を究めた作品こそ、『松林図屏風』ではないでしょうか。


松林と遠景の山を描いているようでもありますが、それらはむしろ光と影、湿った空気と
おぼろに霞む空間を捉えるためのパーツにも感じられます。

近づけば大胆に描かれた松と繊細な墨の濃淡に驚き、遠く下がって見れば全て渾然として
白と黒に彩られた屏風の中に、広々と開放された空間が現れる。
これを例えるのに適当かはわかりませんが、私の頭に浮かんだ言葉は「墨の印象派」、
そして「白と黒の極彩色」というものでした。

そしてこの画の前に立つと、その向こう側にある湿った空気の肌触りと松のざわめきを感じ、
まるで画の中の空気を呼吸できるような気持ちにさせられます。

「見るのではなく、そこにいるのだ。」

この言葉に最もふさわしい作品こそ、この『松林図屏風』だと思います。

名こそ知られていても、その仕事の全貌はあまり知られていないであろう長谷川等伯。
彼が残した足跡を知ることは「日本の美」そのものの根本に触れることだと思います。
だから、できるだけ多くの人に、この展覧会を体験して欲しい。
日本画好きだけでなく、全ての美術と(映画・マンガ・アニメも含む)映像表現に
関心を寄せる人なら、特に見逃すべきではありません。
ある意味で『アバター』すら越える空間表現が、等伯の作品から見えるはずです。

特に関西方面の方、4月10日からの京都巡回をお忘れなく!
コメント (2)
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漆マイスター・柴田是真の技を見よ!

2010年01月31日 | 美術鑑賞・展覧会
三井記念美術館で「江戸の粋・明治の技 柴田是真の漆×絵」を見てきました。

このところ美術番組等でひんぱんに取り上げられている柴田是真。
東京国立博物館の平常展などでも作品を見かけることがありましたが、正直なところ
数点の作品を見た程度では、その仕事の幅広さに触れることはできませんでした。

しかし今回は米国コレクターが丹念に集めた作品を中心に、一挙百点あまりの作品が集結。
工芸作家にして画家、そして卓越した実験精神の持ち主だった是真の実像が示されます。

漆芸作品というと、やはり公家や武家の所蔵していた豪華な金蒔絵の印象が強いのですが、
是真の作品はそういったゴージャスさよりも「漆の可能性を極める」方向に向いていたようです。
確かに精緻な螺鈿細工や金蒔絵も用いられていますが、真の主役はあくまで漆による表現。
しかも漆らしい色や光沢といった既存の枠を超えて、漆で木目を描き、櫛箆で青海波を刻み、
さらに変塗(かわりぬり)の技によって金属の質感まで再現するという徹底ぶりです。
自らの技術と扱う素材の可能性に絶対の自信がなければ、こんな無茶はできないでしょう。

その自信が生んだ成果のひとつが、数々の「だまし漆器」。
一見すると粋な遊び心による作品と見えますが、その模倣ぶりは遊びの域を超えるもの。
焼き物であれ金属器であれ、漆に再現できない美などないと言わんばかりの真似っぷりに
なぜそこまで?と思わせるほどの執念を感じました。

重ね塗りと微細な彫りこみによって紫檀木の質感を漆で再現した「紫檀塗香合」。
塗りも驚異的ですが、亀裂やかすがいの部分も彫りと細工によるまがい物です。


銅と錫の合金である「砂張」の枯れた色と微妙な色むらを丸ごと写し取った「砂張漆盆」。
砂張は茶碗を見るときにあわせてよく見てるので、その再現度の高さがよくわかりました。


どちらも「漆でなきゃできない」作品ではないのに、なぜか漆器で作っちゃってます。
そこに是真の深い「漆への愛」があると思うのは、ちょっと感傷的すぎますかね?

だましでなく、もっとまともな(?)作品の代表としては「柳に水車文重箱」が挙げられます。

青海波塗、金蒔絵、青銅塗などの変塗を駆使し、異素材による組み合わせと見せながら
実は文字どおりの「総漆塗り」であるという、まさに驚異の函。
例えるなら、国宝である光琳の「八橋蒔絵螺鈿硯箱」の八つ橋部分を、鉛板を貼らずに
漆で描いてしまったというところでしょうか。

そしてこれらの技術を総結集して、実用品ではなく絵画作品として描かれたのが
TVなどでも取り上げられた「花瓶梅図漆絵」です。


紫檀の板に描かれた漆絵と見せかけて、実は板材も周囲の枠も含む全てが漆による模倣。
フェイクであることが唯一無二の個性となり、絵画と工芸の境界すら飛び越えてしまうという
漆による奇想芸術の頂点であり、一種の怪作でもあります。

奇想の頂点が「花瓶梅図漆絵」とすれば、正統的な漆絵の極地が「富士田子浦蒔絵額」。

縦117.5×横178.5cmの大作は、普段は小さくしか見ることのない漆芸作品の美しさを
大画面でたっぷりと体験させてくれます。
まさに重箱の隅をつつくような鑑賞に疲れた人も、このサイズなら楽々鑑賞できますしね。

他にも漆絵による画帖などが展示されており、闊達な筆遣いとユニークな構図が楽しめました。
会期は2/7まで。江戸から明治の激動期を漆と共に生き抜いた天才の技を、お見逃しなく。
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THEハプスブルグ展に行ってきました

2009年12月06日 | 美術鑑賞・展覧会
国立新美術館で開催中の「THEハプスブルグ展」を見てきました。

会期終盤ということもあってか、入口前には入場待ちの列ができてました。
10分程度とはいえ、新美で入場待ちになったのはこれがはじめてです。
中に入るとこれまた人の山・・・皇室の名宝展(若冲は最高だったなぁ)に比べても
決してひけをとらない感じなのは、さすが東西王室対決というところ。
まあ、奥に行くとだんだんとすいてくるあたりも似てましたけどね。

そして入口周辺がバカ混みな最大の原因は、ハプスブルグ家の2大ヒロインである
マリア・テレジアとエリザベートの肖像画が早々に展示されているからでした。
ここでみんな止まっちゃうから、後ろがつっかえてしまうんですね。
人垣越しに絵を見ながら、少なくともこの配置はどうにかできなかったのかと
首をひねっておりました。


左が11歳当時の女帝マリア・テレジア、右が悲劇の皇妃エリザベートです。

まあ確かにどちらの絵もゴージャス感たっぷりで、華麗な宮廷画が好きな層には
えらく喜ばれそうな作品です。両方ともたいそうな美人に描かれてますし・・・。
あと笑えたのは、実物を美化せずに描いたというハンス・フォン・アーヘンのルドルフ2世像。
今年Bunkamuraで見たアルチンボルドの野菜によるルドルフ2世像(ウェルトゥムヌス)が
いかに本人の特徴をよく捉えていたか、この絵を見てよーくわかりました。

ただしこの展覧会の真価を実感できるのは、むしろこのコーナーの後からでしょう。
オーストリアとスペインの両方を統治し、ヨーロッパ全土にその権勢を轟かせた
ハプスブルグ家ならではの、質と厚みを兼備したコレクションが続きます。

まずはイタリア絵画。ここはラファエロ、ティツィアーノ、ティントレットといった
名だたる作家が目白押しです。

ジョルジョーネの「矢を持つ少年」、もやっとした輪郭はこの画家ならでは。

個人的にはこれとかティエポロが見られて大喜びですが、ここで一番人だかりができていたのは、
カニャッチの描いたクレオパトラの自害シーンでした。
やはり有名な美女が出てくる絵は、来場者の盛り上がり方も違うようです。

続いてドイツ絵画、こちらはデューラーとクラナッハの2大巨頭が揃い踏み。
ここでも人気を集めていたのは美人の絵、クラナッハの描いたサロメ嬢でした。



モローやビアズリーの描くサロメと違って、高そうな服をきっちり着込んでます。
こちらは艶婦というよりも、両家のおっかないお嬢様といった感じですね。
今で言うツンデレ・・・いや、ヤンデレといったところでしょうか。
しかしこの展示場所付近、ユーディットを描いた2枚に続いてヨハネの首を持つサロメと
どれだけ生首が続くんだ~!というノリではありましたが。

その横にあったのはやはりクラナッハ作の「聖人と寄進者のいるキリストの哀悼」。

手前の人と奥のキリストの大きさが違っているので、会場でも「縮尺がおかしい」と
笑ってる人がいましたが、よく見ると奥のキリスト降架図は枠のある絵として描かれ、
手前の人物像はそれを見物する寄進者という構図になっているようです。
さらに両サイドの人物がキリスト図からはみ出す形で描かれているため、全体としては
いわゆるトロンプ・ルイユの形式になっていると思うのですが、どうでしょう?

工芸品のコーナーでは、カメオ彫りのシャーベット入れとガラスのように透明な
水晶細工に驚かされました。
さらにはフェリペ2世の甲冑まで展示。頭部にはご本人を模したヘッド(これも彫刻作品)が
設置されていて、妙なリアルさを醸し出してました。

うーん、できればこれに大型のリボ関節をハメて動かしてみたい・・・。

そしていよいよスペイン絵画。ここにはベラスケスのマルガリータ王女や
エル・グレコの受胎告知などが展示されています。

でも私が一番好きな作家は、ムリーリョだったりするのですが。

ムリーリョ作「聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ」。
聖家族をテーマにしながら、ごく普通の幸せな家庭のように描いてるのがいい。
うまいんだけどヘンに個性を強調してない、という奥ゆかしさも好ましいですね。
ちなみに右側の幼子が、後にサロメによって首をとられるヨハネくんです(^^;。

トリをとるのはオランダ・フランドル絵画。
ルーベンス、ブリューゲル、ロイスダール、レンブラント・・・豪華すぎる中に混じった
デ・ホーホの風俗画には、妙にホッとするものがありました。

ピーテル・デ・ホーホ作「女と子供と使用人」
親子の姿に透視図法と、いかにもこの作家らしい要素が凝縮された作品です。

あとサーフェリーの「動物のいる風景(背景にオルフェウスとトラキアの女たち)」、
手前にごっそりと描かれたリアルな動物に目を奪われますが、副題にもあるとおり
背後ではオルフェウスがトラキアの女たちに追い回されてます。

単眼鏡で確認してみたら、手にはちゃんと竪琴も持ってました。

THEハプスブルグと銘打ってはいますが、むしろそれはキーワードに過ぎません。
実質的にはウィーン美術史美術館とブダペスト国立西洋美術館の名品を選りすぐって
ヨーロッパ中世美術の全貌を総ざらえした展覧会、という印象を受けました。
逆に言うと、当時は実際に「ヨーロッパ=ハプスブルグ」くらいの勢いがあったのを
この展覧会の豪華さによって改めて思い知らされることに・・・恐るべしハプスブルグ家。

ちなみに新美の隠れた楽しみの一つが、有名デザイナーの名作椅子に座れること。
ビデオ鑑賞コーナーにはかの「セブンチェア」と「PK22」が置かれてますし、
地下に行けば「エッグチェア」と「スワンチェア」が揃っているという豪華仕様です。
新美に行った際には、ぜひこれらにも座ってみることをオススメします。
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ワンコインで上野の美術館を満喫しよう

2009年08月16日 | 美術鑑賞・展覧会
本日はコミケの最終日でしたが、最近は行く気力もめっきりなくなりました。
・・・といいつつも、やはり8月16日が最終日だった国立西洋美術館の所蔵版画展
「かたちは、うつる」は、しっかり見に行ってきましたが。
(常設展チケットでこれが見られる上に、今回はタダ券を持ってたもので・・・。)



会場内はレンブラントにドラクロワ、クラナッハなどの巨匠が目白押しでしたが、
むしろ強烈だったのはゴヤの「戦争の惨禍」やホガースの「残酷の4段階」など
俗っぽさと皮肉さを強く感じさせる作品のほうでした。

こちらの作品はホガースの「残酷の報酬」(<残酷の4段階>より)。
これらには月岡芳年の無惨絵と通じる「人の残酷さとはかなさ」を感じました。
そういえば、どちらも版画であるというのも共通してるところですね。
まあこれらは社会風刺を狙ったというよりも、大衆ウケする悪趣味さという要素が
より濃厚なようにも思えますが・・・。
これって大量生産、大量発行が求められる刷りモノならではの宿命なのかも。

いつかBunkamuraあたりで、これらを一同に集めた展覧会をやって欲しいなー。
まあ客層がえらく偏りそうなのは否定しませんけど(^^;。

その後は改装が終わった新館で常設展を見ましたが、会場が驚くほど広くなって
全部回るのに今までの1.5倍くらいかかった気がします。
ロビーにあったロダンの彫刻群は中庭に面した外光いっぱいの展示室へ移されて
中庭の緑との見事な対象を見せていました。

次はこれまた本日最終日の「コレクションの誕生、成長、変容―藝大美術館所蔵品選―」で
伊藤若冲や曾我蕭白から狩野芳崖、そして上村松園や鏑木清方らに至る日本画の傑作や
平櫛田中らの超リアルな彫像作品などを堪能してきました。

ポスターの図柄は狩野芳崖の「岩石」。
最後の狩野派にふさわしく、連なる岩と木が独特の筆遣いで描写されています。
そして芳崖の看板作品「悲母観音」も、もちろん展示されてました。

さらに西洋画のセクションでは、新発見の初期フジタ作品(本展が初公開)が、
彼の「自画像」と並んで飾られるという粋な趣向もあり。
ここでは黒田清輝の「夫人像」、高橋由一の「鮭」といった有名作品もよかったですが
一番心に残ったのは浅井忠の「収穫」(重要文化財)ですね。

まるでミレーのような農作業のひとコマですが、どこか湿り気のある空気感は
描かれている風景以上に「日本らしさ」を感じさせるものがありました。

そして同館3階では、日本藝術院所蔵作品の無料展示も実施中。
ここでは恩賜賞や日本藝術院賞を受賞した絵画や工芸が60点も見られました。

ポスターの図柄は杉山寧の「暦」。西洋画の伝統的なモチーフを日本人の親子に
置き換えることで、日本的な「母子像」を描いています。

この展覧会、タダにもかかわらず高山辰雄や川合玉堂、東山魁夷といった大物や
工芸では萩焼の吉賀大眉、大樋焼の大樋年朗(十代目大樋長左衛門)、九谷焼の
浅蔵五十吉といった現代陶芸家の優品も見られるという、実に贅沢な内容でした。

これらを全部見て、自分で払ったお金は藝大美術館の500円だけというんだから
非常にお得な1日だったと思います。

そしてその帰り、新宿のタカシマヤタイムズスクエアで買ってきたおみやげ。



フォションが9月1日までの限定で販売しているエクレアの新作「ラ・ヴァーグ」。
La Vagueとはフランス語で“波”。その名のとおり、世界的に有名な葛飾北斎の
『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』をプリントしたホワイトチョコが乗ってます。

それでは、ホンモノの『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』と比較してみましょう。


並べてみると構図がややアレンジされてるものの、各部の形状はなかなかうまく
再現されてると思います。

食べるのが惜しくなるデザインですが、エクレアは日持ちしないので思い切って
がぶりと一口いってみました。



断面図はこんな感じ。カスタードクリームがびっしり詰まってます。
ほんのり効いたエシレバターの塩味も、海っぽさを感じるポイントかな。

ただしこのエクレア、長さ13cm程度で太さは3cmくらいしかないのですが
お値段は税込み525円と、けっこういい値段です。

本日見た展覧会全部を足したより高いというのが、なんとも微妙・・・(笑)。
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細見美術館開館10周年記念展「日本の美と出会う」

2009年06月13日 | 美術鑑賞・展覧会
日本橋高島屋で6月15日まで開催中の細見美術館開館10周年記念展
「日本の美と出会う-琳派・若冲・数寄の心-」に行って来ました。
(公式サイトはこちら。)

いやーこれはもう、とにかくすばらしい展覧会でした。
すべての作品が美しくて心地よく、そしてなによりもわかりやすいのがいいですねぇ。
肩肘はらないで「いいなぁ~」とキレイな画面に酔うだけでも、日本美術の良さを
十分に感じることができます。しかもお値段は800円とお手ごろ!
会期がやたら短いですが、多少無理してでも見に行く価値は十分にあります。

細見といえば神坂雪佳ですが、今回残念ながら「金魚玉図」は出展なし。
でもこちらの「四季草花図屏風」を見れば、その実力は一目瞭然です。

神坂雪佳<四季草花図屏風> 六曲一双

色鮮やかな四季の草花が、右双では近くに、左双では遠くに描かれています。
これに屏風の折れが組み合わさって、画面に奥行きが生まれるというわけ。
右双の蕨と左双の萩が真ん中でつながる演出も、空間をうまく活かしています。
デザインとレイアウトに高い才能を見せた雪佳の本領が伺える傑作です。

中村芳中もよかった。一見するとテキトーでユーモラスな書き方に見えますが
実は生き物や樹木のカタチをよく理解したうえで、あえてシンプルに描いてます。

中村芳中<月に萩鹿図>

丸い目にポカーンと口のあいた脱力系の表情は、思わず鹿の前に「馬」の字を
付け加えたくなるほどですが、鹿の体つきは驚くほどリアルな描写。
「どんな超絶テクニックも、人を楽しませてこそ生きるもの」という考え方が、
この絵に集約されている気もします。こういうのって、実は琳派の真骨頂かも。

そして、数ある若冲作品の中でも特に名高い「糸瓜群虫図」も出てました。

伊藤若冲<糸瓜群虫図>

若冲の超絶的写実力がいかんなく発揮された作品であり、一方でだまし絵的な
奇想画の面白さも併せ持っています。

実は今回の展覧会でようやく単眼鏡デビューしたのですが、この絵を見たとき
心底から「持ってきてよかった~」と思いました。
肉眼では見えない虫の翅脈なども、これを使うとハッキリ・クッキリ見えて
若冲の観察力と描写力のすごさを改めて実感。
ピントあわせはちょっと面倒ですが、手元にあって損はありません。
ちなみに私の使ってるのは2,000円くらいで倍率7倍ですが、これでも
十分に使えます。安いけど近接20センチからピントがあうというのがミソ。

そして単眼鏡で見たいもうひとつの作品が、丸山応挙の「若竹に小禽図」。

丸山応挙<若竹に小禽図>(部分)

この鳥も一見すると普通に塗られているように見えますが、単眼鏡で見ると
実は細い線がびっしりと引かれていて、背中側の羽と腹側の羽毛がしっかりと
描きわけられているのがわかります。

他にも傑作・秀作が目白押しなのですが、全部はここに書ききれないので
そちらはTakさんの「青い日記張」に掲載された出品作リスト(労作!)を
参照してください。

さて最後にご紹介するのは、この一作です。

森祖仙<猿図>(部分)

猿を描かせたら日本一かもしれない森祖仙、彼がたくさん描いてきた中でも
この猿図はベスト級ではないかと思います。
毛づくろいされてる小猿の顔の、なんともカワイらしいこと!
応挙犬にも匹敵するこのカワイさを、ぜひともナマで見て欲しいですね。
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天平六年の造型革命-「国宝 阿修羅像」を見る

2009年05月17日 | 美術鑑賞・展覧会
すでに連休前の話になっちゃいますが、いま巷でなにかと話題になっている
『興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」』に行ってきました。

実はこの展覧会、個人的には行く前からいろいろとつまづきがありまして・・・。
限定チケットを買うと入れる「阿修羅ファンクラブ」にも入会していたのに
会員限定鑑賞日には予定があわず不参加、おまけにフィギュア者としては
ぜひ手に入れたかった海洋堂製の「阿修羅フィギュア」も、開催2週間で
早々に売り切れてしまうという異常事態。
しかも入場者数は東博で開催した歴代イベントの記録を更新しそうな勢いで
連日長蛇の列が続いているとの報道に、行く前から既にげんなり気味でした。

そんな中での数少ない朗報が、土日の開館時間も夜8時まで延長されたこと。
あちこちの美術鑑賞ブログを見て回ると、どうやらこのへんの夜6時以降が
狙い目らしいということなので、土曜の夕方を待っていざ上野へ。
やはりこの時間は入っていく人も少なめで、並ぶことなく入場できました。
西美のルーブルもそうですが、朝一でなければこの時間以降が入り易いかな。

とはいっても、さすがに中は相当な混み具合です。
特に第一章に展示されている装飾品や仏具などは、壁沿いの陳列場所から
なかなか人が動きませんから、じっくり見るのはあきらめて列の背後から
軽く流し見る感じで済ませました。どれも国宝なんですけどねえ。

そして第二章からは、いよいよ仏像が登場します。
私が行ったときは八部衆のうち阿修羅を除く七体が一箇所に勢ぞろいしていて、
畢婆迦羅(ひばから)立像と鳩槃荼(くばんだ)立像も見ることができました。
八部衆の向かい側には釈迦十大弟子像(現存するのは六体のみ)も展示されて、
まさにありがたさの挟み撃ち状態です。

八部衆の異形ぶりも見ものですが、十大弟子の衣のひだや着こなしに見える個性、
年齢によって異なる立ち姿の姿勢なども注意して見ておきたいところ。
この時期の仏像は直立状態のものばかりで動きがないですが、その分を顔立ちや
身体的特徴で補おうという、造型上の工夫が感じられると思いました。

そして会場内に仮設された鳥居風の通路を通り、いよいよ阿修羅像の元へ。
『薬師寺展』のときと同じく、今回も会場内にひな壇が設けられていて
やや高いところから阿修羅像の顔をたっぷりと拝見できます。

展示場所に入ってひと目見た瞬間、他の像と異なる雰囲気に息を飲みました。
直立した姿に三面六臂の異形を持つこの像には、一体だけでその展示空間の
360度全てを支配するような、圧倒的な存在感があるのです。

そしてそのかたちには、他の八部衆にはない「動き」の要素も。


ひな壇の正面から見ると、両方の腕が「天を支える形」から徐々に降りてきて
円を描き、最後に「合掌」の形をとるまでの動きがイメージできるのです。
腕を二本として見たときに、それぞれのポーズに破綻がないのがすごい。
六本の腕というよりも、二本の腕による一連の動作を分解して立体化したのが
この「阿修羅像」の隠されたコンセプトなのかもしれません。

この“動きの分解”で連想したのが、デュシャンの「階段を下りる裸体No.2」。
やや強引ですが、もしも阿修羅像がこれと同じ発想で造られていたとしたら
その先進性はまさに革命的なものだった、と言いきってよいでしょう。
デュシャンがそれを再発見するまで、1,000年以上もかかったわけですから。

あと、像を赤く照らしている照明はやや作為的にも感じましたが、演出としては
抜群の威力を発揮。阿修羅像に輝きと生気を与えるのに一役買っていました。

ひな壇からさんざん眺めたあとは、下のフロアに下りて足元から見上げましたが
こちらは人が三重四重に取り囲んで、押し合いへし合いしながらの鑑賞です。
それこそ人の波がよせてはかえし、よせてはかえし。
像の周囲をゆっくり回りながら見ましたが、その間の圧力は相当なものでした。
足元をぐるぐる回る人の群れを見て、阿修羅のほうはどう思ってることやら。

その後の第三章では、鎌倉時代の仏像たちが待っています。
奈良時代の仏像たちと違って、大きくて力強くて動きの派手な像を見ていると
なんだかギリシアやローマの彫刻を思い出しました。


こちらは興福寺四天王像のうち、持国天立像(重要文化財)。 

過剰な力強さが仏らしさを損ねているという意見もありそうですが、この姿が
貴族から武家へと統治権力が移ったことを象徴しているようにも思えます。
時代の変化に思いを馳せながら、静から動への変化を感じ取るのも一興では。

出鼻こそくじかれたけど、やっぱり見に行ってよかったです。
特に阿修羅像は評判を裏切らないすばらしさで、個人的にも発見の連続でした。
6月は最後の大混雑が待っていそうなので、これから見に行くならぜひ今月中に。

さて、最後に東博で買い損ねた「阿修羅フィギュア」について、コメントを少々。

今回の完売騒ぎの経緯とその後の裏側に関しては、製造元の海洋堂のブログ
リボルテックエキスプレス」に、いろいろと書かれています。
やはりメーカー側も今回の事態を重く見て、増産も考えていたようですが
この記事を見る限りでは、主催者側からストップがかかったみたいですね。
どうも主催者側の発表とは食い違ってますが、たぶんこっちが真相でしょう。

この後は九州への巡回展示も控えていることだし、何らかの手を売たないと
同じことの繰り返しになるのは確実でしょう。
いっそ主催者側も、海洋堂に期間限定で販売業務まで委託してみては?
すでに宣伝はできてるので、元は十分とれると思いますけどね。
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畠山記念館「浄楽亭」で抱一を拝見

2009年05月06日 | 美術鑑賞・展覧会
畠山記念館で年に1回、端午の節句とその前日だけ行われる茶室公開。
昨年は「明月軒」でお茶をいただいて感動したので、今年も5月5日に行ってきました。

今年公開された茶室は昨年と違い、庭園の奥に建つ「浄楽亭」。

畠山美術館内にある茶室の中では、一番新しいものだそうです。
端午の節句ということで、軒先にぐるりと清めの菖蒲が下げられています。

今回は一度に数人まとめて入る形なので、隣接する腰掛待合で順番を待ち、
係の方に呼ばれてから茶室へと移動します。

私が座ったのは、ちょうど床の間を背にする位置でした。
しかしそこに飾られていた掛物には、どこか見覚えが・・・?
この筆致、この色、そしてこの印。まさかな~と思いつつ掛軸を眺めていると、
学芸員さんからこんな説明が。

「今年は畠山記念館開館四十五周年ということで、それを記念いたしまして
 実際に名品を拝見していただくという、特別な趣向をご用意いたしました。
 床の間の掛物は、酒井抱一作の水草蜻蛉図でございます。」

え、やっぱりコレって抱一の真筆なんですか?
おいおいおい、オレそんなすごいモノの前に座っちゃってていいのか?!

その後は気もそぞろで学芸員さんの話もあまり耳に入らず、背後の抱一に
気をとられっぱなしでした(^^;。


酒井抱一作 <月波草花図三幅対>のうち<水草蜻蛉図>

端午の節句に抱一の描いた燕子花の前で、干菓子と薄茶をいただく。
たぶん人生で二度はない機会に恵まれてしまいました。あー幸せ。

茶席の終了後は床に向き直って、上から下まで生の抱一を堪能しました。
薄暗い茶室の中で、鮮やかな青色の燕子花が浮き上がるように咲いています。
まるでそこだけ空間が抜かれて、その向こうに水辺の風景が見えるみたい。
蜻蛉の細かく描かれた姿や透けるような羽根の様子など、普段は見にくい部分も
今回は間近で見ることができました。

お茶は点て出しでしたが、釜に風呂に水差といった道具もしつらえてあり、
素人でもきちんとした茶席の気分を体験できたのも良かったと思います。
床脇に置かれた即翁自作という茶碗と茶杓も、とても味のあるものでした。

今回は四十五周年記念で特別ということですから、もし次があるとしても
五十周年まではやらないでしょうね。
人が押しかけても困るということで、事前告知もしていなかったようですし
こんな機会にめぐり合えて、本当に運がよかったと思います。

お茶をいただいた後は記念館に移動して、春の名品展を鑑賞しました。
絵画ではこの時期限定で見られる尾形光琳の「躑躅図」と、1年ぶりに再会。
他には抱一の「四季花鳥図 四月 芍薬に燕」や渡辺始興の「四季草花図屏風」、
工芸品では備前火襷水差が、特にすばらしかったです。

その後は雨の中を上野まで駆けつけて、東京国立博物館で5/10まで限定公開の
「特集陳列 平成21年新指定国宝・重要文化財」を見てきました。
最大のお目当ては、今回重要文化財指定となった光悦の赤楽茶碗「乙御前」。
個人的には「雨雲」「時雨」に匹敵すると思うこの茶碗、重文指定によって
ついに名実ともに他の二作と肩を並べることになりました。いやめでたい。

平常展の透きっぷりは相変わらずで、しかもこの日の天気は雨模様。
昨年見てからずっと好きなこの茶碗を、人の少ない中でたっぷり拝見できました。
同時に重文指定を受けた伊藤若冲の「菜蟲譜」、康音作の「木造天海坐像」や
楽美術館所蔵の「長次郎作 二彩獅子」など、他もさすがの逸品ぞろいでした。
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ルーヴル展グッズとか、その他もろもろ

2009年05月03日 | 美術鑑賞・展覧会
某大使の代わりのシカはどうでもいいけど、アナロ熊ってのはイカすなぁ。
すでに応援サイトまでできちゃって、壁紙まで落とせるのもすごい話です。
あまり騒ぎになって消されてしまわないといいんですが・・・。

それはさておき、東博の「対決展バッジ」に続き、新美のルーヴル展でも
カプセルトイのグッズが出てました。いわゆるガチャガチャってやつ。
仕組みがチープなぶんだけ、逆にご年配のお客さんや上品なマダムにとっては
手が出しづらいようですが、こちとら人生の半分以上はガチャを回してきた身。
そこにガチャがあれば、回さずにいられません。(自慢にゃならないけど)

カプセルの中身は彫刻作品のミニチュア三種と、小型のストラップ五種。
狙ってたのはミニチュアのほうですが、何度かやったら全部出せました。
(まあショップの店員さんいわく、ミニチュアのほうが多く入ってるそうですが)

左が<台車に乗ったハリネズミ>、真ん中奥が<悲しみにくれる精霊>、そして右が
<台車に乗ったライオン>です。
写真だとわかりにくいけど、かなり小さいです。だいたい5センチくらいかな?
当然ですが、スケール統一はされてません。

実はハリネズミのほうになんだか違和感を感じてましたが、実物写真と見比べて
ようやく理由が判明しました。
本物ではギザギザのあるほうが前ですが、ミニチュアはそちらが後になってます。
製作時にハリネズミの取り付け位置が逆になってしまったみたいですね。

値段は1回300円。さすがに本物をすっかり再現できてるわけではないけど、
大きさと値段のわりにはよくデキてると思います。
<悲しみにくれる精霊>なんか、目元に流れる涙まで再現されてました。

これにストラップがついてるのもショップで売ってますが、そちらは750円。
うまく出せればガチャのほうがお得です。
おみやげで配るにも手ごろなので、みんな恥ずかしがらずに回してみよう!
(とか言っといて、すでに無くなってたらゴメンなさい)


ちなみにルーヴル展にあわせたわけではないでしょうけど、ユニクロからは
“LHOOQ”のロゴ入りTシャツが発売されています。

シンプルだけどかっこいいですねー。
実は西美でも新美でも、上着の下にはこれを着用してました。

いつかこれを着てルーヴルのモナ・リザの前に立ってみたいものですが、
ネタがばれたら不審者と疑われて、警備員に取り押さえられちゃうかも。
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ルーヴル美術館展(その2)国立新美術館篇-美の宮殿の子どもたち

2009年05月02日 | 美術鑑賞・展覧会
すでに先々月のお話ですが、「六本木アートナイト」でジャイアント・トラやんを見たあと
国立新美術館の特別開館を利用して『ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち』を
見てきました。


この日の新美は、夜10時まで開場。おまけに入場者にはサービスとして絵ハガキ1枚が
オマケされるというおいしさなので、これを逃す手はありません。
めったに入れない夜8時すぎの美術館ということで、やはりそこそこ人が入ってましたが
昼間に比べれば全然余裕です。
まして西美の混雑ぶりと比べれば・・・おっと、これは禁句ですかね。
まあそのおかげで、じっくり作品を鑑賞することができました。

さて内容の方ですが、西美のルーヴル展が「ヨーロッパ近世絵画の真髄を見せる」という
絞り込み方をしていたのに対し、新美のほうは「美術における子供の表現」という大きな
くくり方で、絵画から工芸品に至るまでのさまざまな作品を陳列していました。
言い換えれば「子供が題材ならなんでもあり」なわけで、展示物もエジプトのミイラから
巨大タペストリーにフランスのセーブル焼までという幅広さ。
公式サイトの紹介によると、出品部門は以下の7部門にわたるそうです。

古代エジプト美術部門
古代オリエント美術部門
古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門
彫刻部門
美術工芸品部門
絵画部門
素描・版画部門

さすが天下の大ルーヴル・・・と言うべきところですが、これだけ振れ幅の大きな作品群を
新美の1会場内に収めるのは、やはりムリがあると思いました。
いってみれば、東博の常設展をひとつの陳列場所に集めてしまったような感じですかね。
現地の広大な館内で、1日がかりで順繰りに見るならいいんでしょうけど・・・。
特にミイラなんかは美術と技術、それに文化的側面を総合して評価すべきものと思うので、
これを単純に他の美術品と並べて良いのか?というのも悩ましいところです。

そうは言っても、個々を見ればさすがに選りすぐりの名品。サッカー風に例えるなら、
1作で展覧会全体を引っぱる突出した名プレイヤー(いわゆる著名作品)は不在ですが、
ルーブルの各ポジションを代表する名手がまんべんなく配されているという感じです。
特に絵画と比べてお目にかかることの少ないルーヴルの彫刻や工芸品の質の高さを
改めて実感できたのは、大きな収穫でした。

以下に個人的なおすすめ作品をいくつかと、その見どころについて書いてみます。

<台車に乗ったライオン>と<台車に乗ったハリネズミ>

この2作は古代エジプトの子供の玩具、もしくは神殿奉納品だとか。
実物の精緻なつくりに驚きますが、なんといってもすごいのがハリネズミの背中。
背中の曲面にきれいに彫られた格子模様の緻密なこと!
あと台車に乗った獅子がなんだか恐竜戦車っぽくて、ちょっと心が和みます。

ジャン=パティスト・ドフェルネ<悲しみにくれる精霊>

西欧における“メメント・モリ(死を思え)”の伝統を強く感じさせる作品。
子供の精霊の悲嘆の表情がまるで老人のように見えるのも、その顕れではないでしょうか。
会場のキャプションは忘れましたが、昔は幼児の死亡率が非常に高かったので、本作品も
それを悼むために彫られたのだと思います。
その地の文化や風俗が感じられる作品には、美しさに留まらない味わいと読み解くことの
おもしろさを感じます。

ジャン=バティスト・ルイ・ロマン<無垢>

少女が左手に持っているのは、トカゲの死骸だったかな?
爬虫類の死骸と子供という組み合わせ自体が「無垢」という主題を意味するそうです。
この作品で一番美しいと思うのは、像の左45度後方から見た時の背中からうなじへの
流れるようなラインと、背骨のひとつひとつの浮き上がり方ですね。
写真ではこれを紹介できないのが、なんとも歯がゆくて仕方ありません。

ジャン=ルイ・クアノン<アレクサンドリーヌ=エミリ・ブロンニャールの胸像>
(画像はありません)

ひと目見て思ったのが「利発そうなお子さんだ!」。
この年頃の女の子を写し取った作品としては、バツグンの出来だと思います。
世界名作劇場とかジブリアニメが好きな人には大いに支持されそうですが、残念ながら
公式HPにも画像がないし、絵ハガキとかグッズ類もありませんでした。
やむなくネット上で画像を探したら、ようやくこちらを発見。この画像は結構貴重かも。

<赤像式スタムノス:蛇を絞め殺す幼児ヘラクレス>

最近やきものに興味が出てきたせいか、素朴なアンフォラもいいものだと感じます。
器の肩の張りやパキっと冴えた黒さ、絵付けの細い描線などが見どころですね。
ちなみにこの種の素焼きツボ、最近ではワインの醸造で大きな成果をあげているとか。
日本でも焼酎の甕仕込とかありますもんね。悔しいことにどっちもまだ飲めてませんが。

万人向けのスターがいない代わりに、自分なりのお気に入りを見つけやすい展覧会だと思います。
絵画作品にこだわらなければ、六本木のルーヴルもなかなか良いモノですよ。
上野より混んでないから、気分的にも大きく違いますしね。
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ルーヴル美術館展(その1)国立西洋美術館篇-17世紀ヨーロッパ絵画

2009年04月07日 | 美術鑑賞・展覧会
国立西洋美術館で開催中の「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」に行ってきました。


私が行ったのは平日の金曜日の夕方6時近くで、ようやく入場待ちの列が終わったらしく
待たずに入ることができましたが、ふだんは入場までめちゃめちゃ待たされるみたい。
当日券の販売窓口には、まだ列が残ってました。

今回の全体展示テーマは「17世紀ヨーロッパ絵画」ということで、特定の時代の絵画を
横断的に並べた形式となってます。
ルーブル側では本展出品作の選定に当たって、「17世紀ヨーロッパを読み解く」という
意図をもって、「黄金の世紀とその知られざる陰の部分」「大航海と西洋文明と異文明の
対決、科学文明の世紀」「聖人の世紀の宗教的側面と、古代文明からの遺産の継承」の
3点をキーワードにしたとのこと。
しかしわれわれ日本人にとって、ここまで歴史的・学術的に踏み込んだ鑑賞をするのは
けっこう難儀だし、いささか窮屈でもあります。

といって、美術館がポリシーと自信を持って送り込んできた作品が揃っているというのに、
やたらとフェルメールばかりに入れあげるのもどうだろな~、という感じ。
ここはあまり凝り固まって考えず、フェルメール以外にもお気に入りの作品を探すとか、
未知の作家との新たな出会いを楽しむべきなのでしょう。

さて、そのフェルメールの『レースを編む女』ですが、予想以上に小さい作品でした。

人の顔ほどの大きさのサイズに描かれた、静かなる手仕事の光景。

これまでに見てきた他の作品と比べて色も淡く、圧倒されるような迫力は感じませんが
その淡い色の表現によって、画面の中に穏やかな光が生まれているようにも感じました。
ししゅう糸の流れ具合や髪の生え際の処理、手の表現の豊かさなどは、さすがの描写力。
西洋画というよりも、どこか日本的な慎ましやかさを持つ名品だと思います。

いま収まっているハデな寄木細工の額よりも、むしろ軸装にして茶室の床の間にでも
掛けてあげるほうが、この絵の素朴さに似合うかも。
その時に取り合わせたい道具は、やはりデルフト焼の水差しとオランダ茶碗でしょうね。

こちらはヤン・ブリューゲル(父)とその工房による作品『火』。

鍛冶屋の工房から生まれる山ほどの金銀財宝と、工房の外の闇夜に跳梁する悪鬼の姿は
科学技術と神秘主義が表裏一体だった時代の象徴であり、飽くなき物欲が人の心中から
悪魔を引っ張り出してしまったと皮肉っているようにも感じられます。
マニエリスム的な過剰さも魅力の、象徴主義好きにオススメな怪作です。

ウテワールの《アンドロメダを救うペルセウス》も、マニエリスムの香りがたっぷり。
アンドロメダの足もとに転がる貝殻や頭蓋骨は、彼女の裸身と同じくらいの艶かしさです。
 
海からのたのたと泳いでくる怪獣のエキセントリックな姿が、どこかかわいらしい。
昔どこかの学生が蕪村の句を聞いて「ひねもす」という怪獣を連想したという有名な話が
ありますが、私はこの絵の怪獣に「ひねもす」の名前を進呈したいです(笑)。

天馬にまたがって飛んでくるペルセウスはこのエピソードの主役ですが、アンドロメダと
「ひねもす」のあおりを食らって、画面の端っこに押し込められちゃってます。
ロバのような天馬とドワーフみたいな英雄。この妙ないびつさも見どころのひとつです。

西美のアイドル、『悲しみの聖母』を描いたカルロ・ドルチの作品も来てました。

右が『受胎告知 天使』、左が『受胎告知 聖母』。
おなじみの青色と後光が美しい聖母像は、画風にあまり幅がないとも言えますが、
良くも悪くもツボを外さない安定感があります。
注文どおりの絵をしっかり描いてくれる所は、さすがプロの仕事!という感じです。
なんだかんだ言ってもやっぱり大好きなんだよなー、ドルチの絵。

天使の肖像を左に置いて「受胎告知」の場面を構成するという趣向もいいですね。
ポーズや配色が『レースを編む女』と似ているところに、宗教画から風俗画へと
絵画の主題が変化していく過程を読み取ることもできそうです。

そして今展覧会で最も強烈な光を放っていたのは、「もう一人のフェルメール」こと
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『大工の聖ヨセフ』でした。

「夜の画家」の異名にふさわしい、印象的な光と闇のコントラストが絶妙です。

表現の方法こそ違いますが、光の効果を追求し、素朴な民衆の姿に聖なる存在の姿を
重ね合わせようとした作風などは、フェルメールと共通するものだと思います。
ヨセフの手の力強い造型を、『レースを編む女』の手が持つ表情と比較してみるのも、
今展ならではぜいたくな楽しみ方でしょう。

紹介したのは全71点のごく一部。一般に知られている作品はやや少なめなので
前半のフェルメールで時間をかけてしまいがちですが、そこは何とかやりくりして
最後まで体力と気力をキープしておきたいものです。
個人的には後半から終盤にかけての作品たちにとりわけ魅力を感じたのですが、
人によってはフェルメールまで見たら後は素通り、というのが残念でした。

最後に、なぜかやたらと気に入ってしまったこの一枚を。

デュピュイの『葡萄の籠』という作品ですが、みずみずしいブドウの丸い粒々と
カゴの垂直な線の組み合わせには、どこかモダンアートっぽいリズムも感じます。

17世紀といえば、ドン・ペリニヨンがシャンパンの製造法を発見した時代でもあります。
このカゴの中のブドウも、その時に使われていた品種かもしれませんね。
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東本願寺の至宝展

2009年03月21日 | 美術鑑賞・展覧会
高島屋日本橋店で「東本願寺の至宝」展を鑑賞してきました。
といっても、展示の半分は親鸞聖人や歴代門首の御影図や自筆の文書、焼失前の
建築を偲ばせる図面などが占めていて、美術展というよりも東本願寺自体の紹介が
メインになってる感じでした。

お寺そのものは非常に有名ですが、その建物については四度の大火により失われ、
明治時代にようやく再建されたものだとか。
そんな事情で、江戸時代以前の絵画で国宝や重文クラスといった大物がないのは
ちょっと残念でした。

でも丸山応挙の作だという衝立「雪中松鹿図」は、雪の積もった松の下を歩む
二頭の鹿をさらりと描いて、衝立という小さな画面の中に広い空間と奥行きを
うまく表現してました。
その裏面に描かれた、蘆雪作と推定される「渓流香魚図」もよかったですよ。
岩にぶち当たる水しぶきの大胆不敵っぷりは、確かに蘆雪っぽい大らかさだけど
渓流を泳ぐ鮎の姿は簡素ながらも繊細で、おもて面の鹿の描き方に似ています。
ひょっとして、「雪中松鹿図」の鹿も、蘆雪が描いたのかも?

再建時の明治期に描かれた作品では、やはり望月玉泉の作品群が際立ちます。
その中でも特によかったのが、御影堂衝立の「唐獅子牡丹図」。
おもて側では二頭がにらみあうという唐獅子の典型的な構図ですが、裏を見ると
その唐獅子が舞い飛ぶ蝶に見とれているという、カワイイ姿が描かれてます。
棟方志功の肉筆襖絵もいいけど、個人的にはこっちのほうが好みでした。

「至宝展」というわりにはやや小粒な内容でしたが、まあ入場料は800円だし
応挙と蘆雪の二作品(というか、衝立自体は1枚)のおかげで、元はとれたかな。

その後は東京駅構内にある「はせがわ酒店 グランスタ店」のカウンターバーで
まっ昼間からひとり飲み。(いや、通りがかったらすいてたもので…。)
最初に飲んだのは東一の熟成大吟醸2003。この蔵元ならではの果実のような香りは
やや減ってますが、東一らしい爽やかさはしっかり残しつつ、米の甘みとうまみに
熟成ものならではの貫禄を感じさせます。この味、濃い口好きにはたまりません。

次に飲んだのが十四代の中取り純米・無濾過生で、こちらはすっきり感とうまみを
両立させたバランス型。生酒らしいフレッシュさが魅力だけど、いかにも純米的な
ヒネっぽさは、ちょっとだけ気になりました。
こちらはカウンター飲みよりも、きちんとした和食にあわせたほうが生きるかも。
ちなみにここまでのつまみは、東一の酒かすにクジラの軟骨を漬け込んだという
その名もズバリ「南極漬け」。
コリコリした軟骨に東一の濃厚な酒かすがネットリからんで、ウマかったです。

チェイサーの水で口を洗った後、シメに頼んだのは初体験の小布施ワイナリー作、
ソガ ペール エ フィス メルロ キュヴェ スペシャル(2006)。
ボトル裏の醸造者コメントで「修行に行ったブルゴーニュのタッチに仕上げた」と
書いてありましたが、薄いけどエキス分を感じるあたりが確かにそうかも。
タバコやスパイスのスモーキーさがあり、後にクローブっぽい余韻が長く残りました。

仏様を見た後に飲んじゃうのもアレですが、まあそこはお神酒ということでご勘弁を。
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日本の美、いまだ健在なり-加山又造展

2009年01月30日 | 美術鑑賞・展覧会
国立新美術館で開催中の『加山又造展』を見てきました。
これはホントによかった。展示構成も作品内容も見ごたえのある、すばらしいものでした。


こちらは展覧会のキービジュアルである屏風絵、《春秋波濤》 (第二章で展示)。


会場に入るとまず出迎えてくれる《雪》《月》《花》の三作が、いきなりの先制パンチ。
3.5m×4.3mの大作が三方を覆いつくし、見るものを一気に又造ワールドへと
引きずり込みます。
大作の圧倒的な存在感を誇示しつつも、会場の広さが窮屈さを感じさせないという
見事な演出。こういう展示ができるのも、天井が高い新美だからこその芸当ですね。


(左から順に) 《雪》 《月》 《花》

この三部作では、真っ先に展示されている《雪》が、とりわけ印象的。
目にした瞬間、『森川如春庵の世界展』で見た石山切《をちへゆき・・・》の美しさを
大画面で追体験している気分になりました。
この《雪》は、料紙の破継ぎが持つ様式美を大スケールで再現することによって、
原型が持つ繊細さや華麗さに大画面ならではの迫力と伸びやかさを加えたもの。
川のように流れる線と大小に散らした切金によるリズム感が、実に気持ちよかったです。

《月》は琳派の特徴的な意匠である月と波で構成された作品で、金色の月をよく見ると
金箔の箔足らしき升目がついています。
こちらの作品では、黒々とした波のうねりに漆塗りの蒔絵を連想させられました。

《花》は水墨画調の桜のはかなげな姿と、抽象画的な炎の力強さの対比がユニークです。
四章に出てくる夜桜をクローズアップして、トリミング加工したようなおもしろさもありますね。

その後に続く展示コーナーでは、作風の変遷にあわせてテーマが設けられていました。
技法とテーマ性で整理されていたおかげで、作風の違いに戸惑うことなく見られたのは
私のような日本画ビギナーにとってありがたいものでした。


第一章「動物たち、あるいは生きる悲しみ」は、プリミティヴ・アートやキュビズム等の
影響下で、様々な動物たちを描いたもの。
これらの作品からは、加山のデザインセンスと「もののかたち」を捉える感覚の鋭さが
強烈に感じられます。
加山の「なんでも描ける」幅広さは、この時代に培われたものかもしれません。

中でもキリンを描いた作品は、ポリゴンの上にテクスチャを貼ったようなシンプルさが
逆にその身体が持つ「かたち」の美しさを際立たせていました。


《キリン》


第二章「時間と空間を越えて」では、主に琳派風の屏風絵が集められています。
渓流を描いた《奥入瀬》は、『対決展』で山口晃氏が説明していた「しゃがんで見る」の
鑑賞スタイルを適用すると、平面的に見えた金色の背景に奥行きが見えてきました。
《天の川》からは、対決展で見た俵屋宗達の《蔦の細道図屏風》を、《春秋波濤》には
野々村仁清の茶壷に描かれた吉野山の姿を思い出しました。

加山又造という人の大きな功績のひとつは、日本的美術の意匠が古臭い骨董品や
着物や京扇子といった伝統文化の枠に留まらず、現代の美術シーンにも通用すると
その実績をもって示したことでしょう。
このコーナーでは、そんな日本的美意識の現在進行形ともいえる成果が集約されて、
本展覧会の中核を成していたと思います。


第三章「線描の裸婦たち」は、裸婦を意匠的に描いた屏風たちのコーナー。
女性の肉体があまり形よく描かれていないところが、むしろ写実的に思えました。
西洋的な身体の均整美や天女のように気高い女性像とは縁遠い俗っぽさ、生々しさこそ
加山がきちんと描こうとした「ありのままの美」のように思います。
その生々しさが見る側に一種の戸惑いや生理的な不快感を感じさせたとしても、それも
また作家の狙いどおりなのでは。


第四章「花鳥画の世界」では、小品から大作まで、様々な花鳥図が並んでいます。
この章の展示は、見方によっては第三章のタイトル「時間と空間を越えて」を受けて、
それを補完する内容だともいえるでしょう。
花と猫を描いた小品もよいですが、私は《弥生屏風》の無限性や《秋草》の心地よさに
心ひかれるものがありました。


《月と秋草》

この作品なども、意匠化された月とそれを囲むように配置された秋草たちによって
秋の季節感や見た目の心地よさが見事に演出されています。
この「心地よさ」の演出こそ、実は琳派デザインの真髄ではないでしょうか。

それとは対照的に、藤棚のように咲き乱れる《夜桜》を描いた作品は、幽かに玄く
闇に浮かぶその姿が、まさに「幽玄」の境地。
秋草図の心地よさに対し、こちらには精神の内奥を覗くような怖さも感じました。


第五章「水墨画」では、彩色も含めた水墨画が展示されています。
波濤の砕ける様子をモノクロ写真のような一瞬の明暗で捉えた《月光波濤》の力強さは、
現代の水墨画として面目躍如たるものがありました。
一方、平面的に描かれた《龍図》では、龍と渾然一体となった背景の波濤がおもしろい。


《龍図》(部分)

金地に黒くのたうつ波の形は、光琳や抱一の描いた波濤図にそっくりです。


第六章「生活の中に生きる「美」」は、着物や茶道具から食器、羽子板などに至るまで
加山又造がデザインを手がけた実用品たちが続々登場。
団扇や蓋物などの琳派十八番の素材から洋食器、果てはジュエリーまで、加山流の
「用の美」の世界が披露されていました。
それにしても又造先生って、ホントに「なんでも描けた人」だったんですねぇ。

琳派をはじめとする日本的な美を「カビ臭い過去の遺物」から「今の作家が取り組むべき
生きたデザイン」へと蘇らせた作家、加山又造の大いなる足跡。
個人的には、昨年から『対決展』『大琳派展』などを通じて辿ってきた日本美術の系譜に
今回の展覧会がひとつの区切りをつけてくれた感じがあります。
作品の素晴らしさを堪能すると同時に、西洋美術とは異なる美の基準とその継承について
いろいろと考えさせてくれる、非常に中身の濃い展覧会でした。
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テオ・ヤンセン展-新しい命の形-

2009年01月27日 | 美術鑑賞・展覧会
フェルメールの故郷にして焼き物でも名を知られるオランダのデルフトで学び、
その作品がいまや大きな注目を集めているクリエイター、テオ・ヤンセン。
骨組みだけの胴体にムカデのような足を持つ物体がガシャガシャと歩く姿を、
最近のバラエティ番組などで眼にした人も多いと思います。



塩ビパイプなどの素材を組み合わせ、内燃機関や電源などを持たずに風力などの
自然エネルギーを活かして自律的に歩行する彼の創造物は、芸術作品というより
自己の置かれた環境を利用して「生き延びる」ことを目指して生まれたもの。
それらは総称として“砂浜に生きる生物”(オランダ語ではストランドビースト、
英語ならビーチアニマル)という呼び名を与えられています。

究極映像研究所1月23日付け記事によれば、そのストランドビーストのうち
11体が、ただいま日比谷に集結中とのこと。(ちなみにネタ元はshamonさん
しかも公式サイトを確認したら、24日はテオ・ヤンセン自身による最後のデモが
行われるということなので、あわてて会場に行ってきました。



現地は倉庫みたいな建物で、がらんどうの会場内はいくつかに区分けされており、
ヤンセン氏のアトリエの再現コーナーや、開発(進化)の時期ごとに分類された
ビーストたちの展示がありました。
アトリエには作りかけの部品や材料の塩ビパイプと一緒に、懐かしのアタリ社製
1040STとモニターのセットも展示。
この骨董品みたいなPCから、最初のビーストたちが生まれてきたわけですね。

ビーストたちは、ヤンセン氏が最初に作った「アニマリス・ヴァルガリス」を皮切りに、
木製の「リノセロス・リグナタス」などを経て、最新作で全長10m以上の大作である
「アニマリス・モデュラリウス」までが並べられています。
BMWのCM用に作られた小型のビースト「アニマリス・オルディス」は本来風力で
動きますが、会場では人が引っ張って動かす体験コーナーで大人気でした。

最新作を除くビーストたちはもはや自発的に動けないか、大規模な修理が必要で
ヤンセン氏自身の言葉によれば、これらはすでに「化石」であるとのこと。
完成したビーストを後で修理するのは彼の意志に反しており、動けなくなった時点で
そのビーストは「死」を迎えるのだそうです。
そして、化石化したビーストの成果(遺伝子)は、新しく生まれてくるビーストへと
フィードバックされることで、生物としての進化の過程を辿っていくのだとか。

こういう考え方って自作に対して冷たいようだけど、ビーストたちを生物と考えるなら
もし壊れても部品を交換すれば生き返るという考えのほうが、実はその生に対して
冷淡な態度なのかもしれません。
ヤンセン氏により、ビーストたちは短いけれど確かな命を与えられたのだと思います。

そしていよいよ、最新のストランドビースト「アニマリス・モデュラリウス」による
会場の1/3程度のスペースを使った歩行デモが始まりました。

まず通訳を介して、ヤンセン氏本人によるビーストの動作説明がありました。
背中についている折りたたみ式の羽根は、本来風を受けてペットボトルの「胃袋」に
空気を溜め込み、脚部を動かす動力にするためのものだそうです。
ただし今回は屋内のため、コンプレッサーで空気を送ってのデモとなりました。

ビーストの尾部につけられた弁を介して圧縮空気が送り込まれ・・・突然前触れもなく
多数の脚がガシャガシャと動き出し、10m超の巨体がすべるように迫ってきました!
狭いスペースでのデモなので動いた距離は短かったけど、あの動きはすごかった。
特に自分は前の方でしゃがんで見てたので、覆いかぶさるように迫ってくるその姿は
なんともいえないド迫力!いやー、貴重な体験をさせてもらいました。

歩行デモの後は、実演を交えて例の空気弁についての解説。
この部分に水が入ると弁が作動して、本体の下にある棒状の部分の向きが変わり
ビーストが水と反対方向に歩くようにセットされるということです。
ヤンセン氏によれば、この弁がビーストの生存を司る「脳」であるとのこと。
弁の開閉でデジタル的な判断を行う原初的な脳・・・これってもしかして、いわゆる
ディファレンス・エンジン』的な知性の萌芽では?などと妄想したりして。

その後は、ヤンセン氏と来場者の間での質疑応答となりました。
多数の質問に丁寧かつ真剣に(時に笑いもとりつつ)答えてくれたヤンセン氏。
その中でも、特に印象的だったやりとりを抜き出してみます。
(記憶を頼りに書いてるので、多少の勘違いや脚色が入ってる可能性もあり)

Q:製作にあたって、スポンサーやスタッフはどうしていますか?
A:最初のころは、オランダ政府からの助成を受けていました。
  製作スタッフは自分以外に1名、助手兼写真担当の青年がいます。

Q:空を飛んだり水を泳いだりするビーストは作らないのですか?
A:重量120kgのビーストを飛ばすことは可能だと思いますが、自分にとっては
  ビーストを飛んだり泳いだりさせる事が目的ではなく、与えられた環境の中で
  それらが「生き延びる」ために、何をさせるかということが大切なのです。
  その点では、歩行するビーストを作るほうがより意味があると考えています。

Q:ビーストたちをデザインする時、何かを参考にしていますか?
A:よく「スタジオジブリの作品を参考にしているのか?」と聞かれますが、
  特に元になっているデザインはありません。
  この姿は、ビーストの生存に必要な機能を与える上で導き出された結果です。

Q:ビーストを作成する時、美しいデザインとなるよう意識していますか?
A:芸術性は特に意識していませんが、でき上がったビーストについて多くの方が
  美しいと言ってくれます。そのことはとてもうれしく思っています。

Q:あなたは自分を芸術家と思いますか、技術者と思いますか?
A:その両者を区別する必要は感じません。例えば、エスキモー(原文のまま)が
  カヌーを作る時、完成したものには芸術性が伴っていますが、作った本人は
  それが芸術的かどうかを意識してはいないでしょう。
  ある意味で、わたし自身もエスキモーなのです。

Q:自分でビーストを作ってみたいと思った場合、何を参考にすればいいですか?
A:私の本や公式HPに説明があるので、まずそれを見てください。
  もし質問があれば、私あての電子メールで問い合わせてください。
  実際に作る際に重要なのは、脚の部分に使われているチューブの長さです。
  私はそれについていくつかの重要な数字を持っていて、これを「聖なる数字」
  と呼んでいます。
 (追記:「12」と聞いた気がしますが、別の情報では「11」との記述もあり)

最後に来場者に対しての感謝と、新たに製作しているビーストへの想いを語り、
また日本に来たいと話したヤンセン氏。
通訳の女性からも、スタッフを代表して来場者に対する感謝の言葉がありました。
デリケートなビーストたちをはるばる日本まで運び、さらに動かして見せてくれた
ヤンセン氏とスタッフの皆さんには、最大級の賛辞を送りたいと思います。
氏がいつか最新のビーストと一緒に、また日本に来てくれることを願ってます。

会場の最後に、ビーストの部品である塩ビ製のパーツが何点か置かれてました。
この部分とこの部分が組みあわさって、あんな風に動くのか・・・と考えていると、
本物の生物の化石か解体標本を見ているような、複雑な気持ちになりました。

テオ・ヤンセン展は2009年1月17日(土)より4月12日(日)まで開催しています。
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