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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

SFセミナー2013に行ってきました(本会企画編)

2013年05月05日 | SF・FT
昨年は行けなかったので、個人的には2年ぶりのSFセミナーに参加してきました。
本会の企画についてざっくりとしたメモをとってきましたので、参考までにご紹介します。

1. Gene,Meme,Hacking-藤井太洋インタビュウ
個人による電子書籍で出版され、好評を受けて改稿・書籍化を果たした『Gene Mapper』の作者である
藤井太洋さんに、作家でありSF考証等でも知られる堺三保さんがインタビュー。

藤井さんの経歴がかなりユニークで、劇団の舞台美術づくりからMacによるセットデザインを行った後、
食えないのでMacが使えるDTP業に転職、プログラムを書きつつソフトのセールスで世界を飛び回り、
アメリカ出張では大規模農業と環境の問題に触れるといった様々な経験をされています。
まずセルフ電子出版という形態を選んだのも「経験的にできることがわかっていたから」とのことで、
お話の端々に学者や科学ライターなどとは違う「現場経験を積んだエンジニアの気概」を感じました。
好きな作家はクラークやセーガンで、『楽園の泉』や『コンタクト』を愛読したそうですが、これは堺さんの
藤井作品に対する「バチガルピやストロスのペシミズムに対して、地に足のついたオプティミズムを感じる」
との評にも通じるような気がします。

SF作品の話に留まらず、アバターによるコミュニケーションやソフトのオープンソース化による改良などを
早くから予見していたこと、いまの株取引はマイクロセカンドの遅れが致命的なので、回線のソケットに
プログラムを仕込んで売買の自動実行をさせていること(生物の脊髄反射に近いですな)、誰でも知ってる
有名なWebサービスのソースコードに「人間が書いたとは思えない部分がある」といった、実に興味深い話も
聞かせていただきました。

我々の知らない現実は既に存在していて、一握りの人間だけがその現実を見ているのかもしれない。
そんな現実を我々にも可視化してくれるのが、藤井さんの作品なのかも。

昼休みには藤井さんと、はるこんのゲストで来日されたジョー・ホールドマンさんのサイン会が開催されました。
(福武書店版『ヘミングウェイごっこ』を持っていったら、同じ本を持ってる人が何人もいて苦笑い)

2. シスターフッドの時代に
2011年のセンス・オブ・ジェンダー賞受賞作、特に新設のシスターフッド賞についてのパネル対談。
シスターフッドとは女性同士の友情や連帯を指す言葉で、こうした視点から受賞作に選ばれたのが
『終わり続ける世界の中で』と『魔法少女まどか☆マギカ』の2作だそうです。
登壇者はジェンダーSF研幹事の小谷真理さん、選考委員の水島希さん、高世えり子さん、そして受賞作
『終わり続ける世界の中で』の作者である粕谷知世さん。司会はジェンダーSF研の柏崎玲央奈さんです。

両作品の共通点である「まじめな女の子が真剣に物事を考える作品」「女の子同士の友情の物語」について
話が進みましたが、総体としては「まどマギをどう評価すべきか」という議論に集約されてしまう感じもあり。
あとは戦う少女の人工性とメイクアップの関係、力を得た女性が私欲よりも世のために活動する話が多いこと、
少女に戦いを背負わせる社会の束縛感や、戦いとは自分の力で何かを得るための行動では?との指摘など。

今回の企画では『終わり続ける・・・』の作者でありかつての大賞受賞者、そして選考委員も勤めたことのある
粕谷さんが登壇しましたが、まどマギ側の登壇者はなし。
そうした中で両受賞作を比較するのは、欠席裁判ぽくてあんまりいい感じではないなーとも思いました。
特に登壇者のひとりが『終わり続ける・・・』との対比で主に否定的な見解を述べていたのは、一ファンとして
かなり辛かったです。(他の方はまどマギに対し、おおむね好感を持たれていたようですが・・・。)
これなら粕谷さんにじっくりと自作を語ってもらったほうが、気持ちのいい企画になったかもしれない。

シスターフッド賞という名目であれば、作中に登場するまどかの母や女性担任の立場も踏まえたうえで、
女性を生贄とし続ける世界すべてへの異議申し立てという見方まで踏み込んで評価して欲しかった・・・。
さらには魂なき肉体という見地から『接続された女』との類似性を考えるとか、作品を語るための題材は
ほかにもいろいろあると思ってますけどね。
でも小谷真理さんの「なぜ作り手は女の子の関係性をここまでよく知ってるのか?」という指摘には、
思わずヒザを打ちました。
これは虚淵脚本を考える上で、重要なヒントになり得るかもしれない。

余談ですが、今回のセミナーに来場したジョー・ホールドマンさんの『擬態』も、2007年の海外部門で
センス・オブ・ジェンダー賞の候補に挙がってますが、この時の受賞作が『ようこそ女たちの王国へ』・・・。
はっきり言って、私はこの受賞作が苦手です。
だって父権主義を女性版に裏返ししただけの冒険ロマンスで、制度自体の問題点は温存したままに見えるから。
たとえば男子の純潔が重んじられるのも、女性の処女性に置き換えただけであって、純潔性に対する固定観念に
直接切り込もうとする鋭さは見えません。つまりは世界を変えようとする意志が感じられない。
でも娯楽小説のフォーマット上「主人公男子が最後に得た特権性を肯定する」ためには、世界の仕組みなんて
変わらないほうがいいんでしょうねぇ。もし変わってしまえば、彼の得たものも無になっちゃうから。
選評では『大奥』と比較されてるけど、男女逆転が社会制度を変革し、他方では合理的に制度が温存される
『大奥』の巧みな構成と比較するのは・・・おっと、イベントのレポートと関係ない話になっちゃいました。
まあ男の目線から見た上でのたわごとなので、あんまり気にしないでください(^^;

3. 海中ロボットの現在と未来-鉄腕アトムは海から生まれる
世界的ベストセラー『深海のYrr』にも登場する自律型海中ロボットの生みの親である浦環先生が、
海中ロボットの現在から未来までを熱く語る企画。
ザトウクジラの歌を聞きわけて自動的に追跡するロボット、水中で一定の位置をキープしながら移動して
対象物の周囲を自動観察するロボットなど、すごいメカが次々に紹介されました。
浦さんの弁舌も歯切れよく、研究者としての理想と現実的な開発理念の対比もおもしろかったです。
「研究者に必要なのは、実際にやって見せること」
「有線ロボットなんてつまらない」
「自分は全自動ロボしか研究しないし、学生にもそれしか研究させない!」
「ロボットの価値は人間の役に立つかで決まる」など、数々の名言も披露。

そして浦さんの夢は、深海で海中資源を採掘し供給する人間不可侵の「ロボット帝国」を樹立すること・・・。
これを聞いて「天馬博士でもお茶の水博士でもなく、ララーシュタイン博士だったのか!」と思ったのは、
私だけでしょうか(^^;

4. ライブ版SFスキャナー・ダークリー
翻訳家・アンソロジストとして勇名をはせる中村融さんに、SFとの出会いから同人誌の製作、さらには
翻訳技術からアンソロジーの編み方までをうかがうもの。
聞き手はSFレビュアーにして中村門下の翻訳者としてもデビュー予定の橋本輝幸さんと、法政大学で
「一人SF研究会」として気を吐く茅野隼也さんです。

これは比較的まめにメモをとってきましたが、話の内容がいくつかに分かれるので、簡単に整理してご紹介。
中村さんのブログ「SFスキャナー・ダークリー」に記事があるものは、一部リンクを張っておきます。

【ファンタジーと同人誌】
SFマガジンで「夢みる都」を読んでエルリックにハマったものの、2作だけで続きが出なかったので
コナンからトールキンへと手を伸ばし、やがてファンタジー同人誌の名門「ローラリアス」に入会。
しかし原稿を送ってもなかなか掲載されず、しびれを切らして初の個人誌を作ってしまった。
(橋本さんが質問した自作小説やムーングラムのコスプレ疑惑については「別人でしょ!」と全力で否定)

【原書と翻訳】
翻訳SFファンは原書に憧れるので、シルヴァーバーグ編のアンソロジー(Alpha 5)を買った。
高校時代の3年かけて読めなかったが、3年目にライバーのYesterday houseが読めてしまった。
最初に読みきった長編は、コルム三部作の合本版。
ファン出版のTHATTA文庫でヴァンスの短編(五つの月が昇るとき)を訳したのがきっかけで、
白石朗さんから浅倉久志さんへとつながって翻訳者デビューできた。すべてはヴァンスのおかげ。
翻訳を仕事にすると日本語の話や小説は読まなくなって、主にノンフィクションを読んでいる。
翻訳は自己表現。やればやるほどうまくなるので、楽しくなる。
他人に誇れる翻訳は『ブラッドベリ年代記』。

(橋本さんから「一人称の訳し方は?」)読み始めは単なるI(アイ)でも、進めていくうちにだんだんと
人称が決まってくる。それでもブレが出てきてしまうときは、訳すときに人称を全部とってしまうこともある。
翻訳中に主語や語尾の表記を軌道修正する場合もあるが、まれに直し損ねた部分が残ってしまうことも。

【ホラーSFアンソロジー『影が行く』】
90年代は翻訳アンソロジーが出ない、出せない時期。
それをなんとかしたかったので、翻訳者として実績ができたころに東京創元社の小浜さんに相談したら
企画を任せてくれた。
名作ではないが読みたい、復活させたい作品として「影が行く」と「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」を軸に、
ホラーなので13編に絞るまで5倍ほどの作品を検討した。

(ここで中学生時代から現在までつけているという、「読書ノート」の映像が登場。初出年、話の長さ、
5点評価のデータが書かれている。)

読書ノートで4点以上の作品を選べばすぐに作品が集まるが、いま読み返すと3プラスや3Aがついている、
「点数だけでなく何かひっかかりを感じた作品」のほうに残るものがある。
読書ノートは小説、雑誌、海外を合わせると、全部で30冊ほど。

SFホラーとしてマイクル・シェイの「検視」と、マーティンの「サンドキングズ」も収録したかったが、
版権の都合で収録できず。
代わりに収録したのが巻末のオールディス「唾の樹」だが、これが好評だった。(私も大好きです。)
ナイトの「仮面」は、わざとテーマから外して選んだ変化球。
これは作者の註入り版を使って訳したが、優秀な作家の考え方がわかって勉強になった。
アンソロジーを編むとき、傑作ばかり選ぶとべったりしておもしろくない。
(茅野さんから「引き立て役はシオドア・L・トーマスの「群体」ですか?」)そのとおり。
アンソロジーにはでこぼこが必要で、並び順が最も重要。並び順に命を懸けているとも言える。

【翻訳者兼アンソロジストとして】
ウォルハイム&カーの年刊傑作選が好き。頑固オヤジと尖った若造の両極端な組み合わせがいい。
いまやってみたいのは、ドゾワ&ダンによるアンソロジーの日本版。扶桑社から邦訳がいくつか出ているが、
意識しているのは「ALIENS!」と「ALIEN AMONG US」。
他のアンソロジーを読むと対抗心が湧く。
退化文化の話が好き。ハワードのキング・カルは暗い話だが、マッケンのピクト人論に影響を受けていると思う。
原書を読んでいい作品に当たる打率は、10本に1本ぐらい。
(橋本さん「原書のジャケ買いは?」)たまにするけど、まず失敗する。
アル・サラントニオ編の「MOONBANE」は表紙でワクワクしたけど、中味は想像以上にくだらない話だった。

今後の仕事としては、まず創元推理文庫の新訂版コナン全集が完結する。
創元SF文庫からは『時の娘』の続編的な時間SFアンソロジー『時を生きる種族』が出る予定。
これにはムアコックの表題作に加えて、T・L・シャーレッドの隠れた名作「努力」や、ヤングの中篇
真鍮の都」を収録する。


ウルトラQが好きで、大伴昌司編の『世界SF名作集』を入口にSFを読み始め、SFマガジンは74年の
2月号から購読、次の号でティプトリーの初邦訳に接するといった流れは、ある世代のSFファンにとって
共感する部分も多かったはず。
そうした歴史を若手SF者として期待されるお二人が聞く・・・という図式も楽しかったです。
まるで世代を超えるSF魂の伝授式のようにも見えて、なんだかぐっとくるものもありました。

本会企画はこれにて終了。自分の好きなジャンルは海外SFですが、企画全体に発見や驚きがありました。
一部釈然としない部分についても、自分なりに考えるネタにはなりましたし(^^;

この後は合宿に舞台を移しての延長戦や場外戦もありましたが、それはまたの機会に。
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こうの史代さんキャラクターデザイン、片渕須直監督作品『花は咲く』 NHK短編アニメ

2013年03月20日 | マイマイ新子と千年の魔法
NHKの東日本大震災復興ソング『花は咲く』関連プロジェクトとして、この曲がアニメ化されました。

なんと製作会社はMAPPAで、こうの史代さんによるキャラクターデザインを片渕須直監督が撮るという
夢のような組み合わせ!
ただいま着々とアニメ製作が進んでいる『この世界の片隅に』ですが、その縁から生まれたもうひとつの作品が
この『花は咲く』のアニメバージョンだと言えるかも知れません。

NHK総合で本日初めて放送されたフルバージョンを見ましたが、5分間という映像の中にさまざまな年齢、
さまざまな職業、そしてさまざまな時代に生きる人々が登場し、孤独な少女との触れ合いで生まれた人の輪が
まるで花の咲くように広がっていく様子が描かれていました。

それにしても、期待以上の完成度の高さにはビックリ!
短い映像に膨大な数の人生を織り込むことで、5分という尺にとてつもないスケールの時間と空間が
ぎゅーっと圧縮されているかのようでした。
それをカットバックやマルチアングルによって自在につなぎ合わせる演出の冴えは、片渕監督ならでは。

かといって別に難しい話ではなく、むしろ普通の人たちの暮らしを淡々と積み重ねていくスタイルなので
一見すると全然ドラマチックな内容には見えないでしょう。
でもよーく見てみると、、そういう淡々とした暮らしの中にあるやさしさとか出会い、あるいは恋の予感が
物語の中にいくつも埋め込まれ、それらを繋いでいくと「花びらが輪になって、大きな花が咲く」ように、
その土地に根を張った人たちが育んできた大きな物語を感じられるはず。
そしてラストカットで、この物語は未来へ、次の世代へと引き継がれていくことが示されるのです。

こうの史代さんによる柔らかな造型のキャラクターを、持ち味そのままで動かした作画技術もすばらしい。
背景や色彩についても、こうのさんの世界をそのままアニメに落とし込んだかのようでした。
岩井俊二さんの歌詞と菅野よう子さんの曲とも見事に合っていて、それぞれの良さを最大限に活かしつつ、
短編アニメとしてしっかりまとまった作品に仕上がっています。

これだけの内容にもかかわらず、NHKではスポット映像扱い。そのため今後の放送予定は未定とか・・・。

とりあえずNHKオンラインにある番組表で検索をかけると、今後の放送が見つかることもあるので
なんとかテレビで見たい!という方は、あきらめずにチェックしてみてください。
詳細検索でジャンルを「アニメ・特撮」、キーワードに「花は咲く」と入れればOKです。

【追記】4月6日の時点で判明している『花は咲く』全長版の放送予定は、次のとおり。
《NHK総合》   4月6日 (土) 午前11:20~午前11:25(5分)
《BSプレミアム》 4月14日 (日) 午前2:35~午前2:40(5分)

4月17日には、アニメ版を含むDVDとCDシングルがセットになった《親と子の「花は咲く」》が発売されます。
ジャケットのデザインにもこうの史代さんによるイメージイラストが使用されるみたいですね。
テレビで見逃した人も、こちらをお買い求めいただければ確実に見られますよー。
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今年の展示はすごい!「第16回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」

2013年02月23日 | 美術鑑賞・展覧会
国立新美術館で「第16回文化庁メディア芸術祭受賞作品展」を見てきました。
今回は事前に受賞作の情報だけつかんでたので、マンガ部門の『闇の国々』と、アニメ部門の
『火要鎮』『おおかみこどもの雨と雪』に関する展示が目当てです。

この展覧会にはここ数年続けて足を運んでますが、展示内容にムラがあるのが毎度の不満で、
壁いっぱいに展示物を飾ったり、関係者直筆の製作関連資料を置いたりする作品がある反面、
大賞作品なのにパネル数枚だけの展示とか、展示物が広報資料のカラープリントだったりと
ほとんど見るところのないものもありました。

しかし、今回のマンガ・アニメ部門の展示はすごかった・・・これまでで最高レベルの内容かも!

まずはマンガ部門ですが、なんと大賞受賞作『闇の国々』の巨大な展示コーナーを設置!

作画を担当したフランソワ・スクイテン(別名シュイッテン)による本物の生原稿や、
カラーで製作されたポスター原画が大量に展示されてます。


作品を読んだ人ならわかると思いますが、あの細密きわまりない描線と微妙な彩色が
印刷を経ずに肉眼で見られるんですよ!なんというありがたさ!

そしてガラスケース内には、豪華な装丁や付録のついた特装版を含めた『闇の国々』の
様々なバージョンが展示されてます。

下段の3枚は、特装版につくサイン入りのポートフォリオ。あー特装版欲しいなー!

こちらはシリーズの一篇『傾いた少女』の大型版と小型版。どっちの表紙もいいですねー。


さらに展示会場の一角には、原作者のペータースと作画のスクイテンによる生サインまで!


以前に見た優秀作品受賞作『アンカル』の展示がカラーパネル数枚だけだったので、
今回も期待してなかったのですが、まさか原画を見られるとは・・・しかもこんなにたくさん!
はっきり言って、国内でこれだけのモノを見られる機会は今後二度とないかもしれません。

他には『岳 みんなの山』のカラー原稿や『GUNSLINGER GIRL』の生原稿とラフ画などが
見どころだと思います。ガンスリは同人誌版も展示されてました。

続いてアニメ部門。こちらもたくさんの展示物が出てましたが、圧巻だったのはやはり
『火要鎮』と『おおかみこどもの雨と雪』のコーナーでした。

『火要鎮』では、キャラクターデザインや設定画からコンテ代わりのプロット説明、さらには
背景に至るまで、大友克洋監督の直筆資料が展示されています。


特に驚いたのは背景画で、これは本格的な日本画に比べてもひけをとらないと思います。

画材にも和紙を使ってるし、もしかすると顔料まで日本画のものを使ってるのかも?

CGアニメなので展示物の多くは製作用の準備資料ですが、大友さんとにかく絵がウマすぎ、
そして描きこみすぎです!
いずれ資料本にまとめて欲しいけど、もし出ても収録画像が小さくて細部は潰れちゃうんだろうな・・・。
そんなわけで、大友さんの超絶技巧をナマでじっくりと見たい人はぜひ会場へ!

『おおかみこどもの雨と雪』は、子どもの“雪”が雪山を走りながらおおかみに変身するシーンの
全ての作画を展示していました。
あの躍動感と爆発する歓喜の表現がどのように描かれ、一連の動きとして組み立てられたかを
1カットずつ原画で確認できるのは、実にぜいたくな体験です。
こういう作業の過程を見ると、アニメって本当に「絵に命を吹き込む」という仕事だと思うし、
アニメ製作者って一種の魔法使いなんだな、ということを痛感させられますね。

他にはキャラ表や細田監督による絵コンテ、花たちの家の美術ボードなども見ることができました。


会場で初めて知った受賞作では、アート部門の推薦作品『ほんの一片』が圧巻でした。

東日本大震災によって生じた瓦礫の重なりを大画面に貼り付けることで、そこにある事実の重さを
視覚的に立ち上げると共に、その前に立つ人が何を見るかという巨大な問いを反射する作品です。
私は形を歪められ、本来の意味を剥ぎ取られて平面に圧縮されたモノたちの重なりに、失われた
たくさんの命と生活の名残りと、それをひとつの塊として見ることへの戸惑いを感じました。

今回はとにかく時間がなかったので、特に見たかったものを駆け足で見てきましたが、
それだけでもこの充実ぶり。さらに思いがけない作品との出会いもありました。
今年は新美で一番大きな展示スペースを使えたせいか、例年になく展示に力が入ってますので、
アニメやマンガに留まらず、表現そのものに関心のある人なら足を運ぶ価値はあると思います。

会期は2013年2月24日まで。
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R・A・ラファティ『昔には帰れない』

2013年02月09日 | SF・FT
新☆ハヤカワSFシリーズの刊行予定に入っていながら途中で消失するなど、涼宮ハルヒばりの
紆余曲折を経た後にSF文庫から出版された、日本オリジナル編集のラファティ傑作選。
余談ですが、ラファティもハルヒシリーズで取り上げてくれれば、もっと売れる気がするんだけど・・・。
ハヤカワもラノベ方面に進出する際には、こういうメディアミックス的な戦略を重視して欲しい(笑)。



これまで紹介されてきたラファティ作品に比べて、スケールの大きさや発想のぶっ飛び具合、
そして物語の壮絶さにおいてはやや控えめな感じがあって、そういう傾向を期待した人には
ちょっとばかり物足りないかもしれません。
しかしそうしたメチャクチャさが控えめになった分だけ、ラファティ作品の本質ともいえる
「逆説性」や「はみ出し者の気楽さと孤独」が見えやすくなってるから、とっつきやすさは
これまでの短編集よりも増してると思います。

特に今回の巻頭を飾った「素顔のユリーマ」は、ヒューゴー賞も受賞した文字どおりの代表作であり、
ラファティらしさと親しみやすさがうまく調和した、ある意味で「最も良く書けている」作品です。

彼の時代には子どもはみんな賢く生まれつくようになっており、
この先も永遠にそうなりそうな形成だった。
彼はこの世に生まれた、ほぼ最後の愚鈍な子どもであったのだ。

アルバート少年は靴の左右もわからず、あくびの後に口を閉めるのを忘れ、時計の長針と短針の
どちらが時刻を指すか理解できないほどの愚か者。
なにをやってもうまくできない彼がやむなく考え付いたのは、インチキをすることでした。
つまり自分の代わりに物事をよりうまくこなしてくれる機械を作り、人に隠れてこっそりと
そうした機械を使ってズルをするのです。

不適応者は発明する。無能力者は発明する。敗残者は発明する。卑劣漢は発明する。

アルバートは字を書く小さな機械を作り、手の中に隠せる計算機を作り、女の子が怖い自分の代わりに
本人よりも社交的で頭の良い身代わりロボットを作ってズルをし続けました。
(身代わりロボットは彼の好きな娘を奪ってしまったので、自爆装置で娘ごと爆破しましたが・・・。)
やがてアルバートは大気から有害物質を取り除く機械や、街で暴れる不良少年の目をえぐるロボット不良
(しかも不良少年だけに見える特殊な素材製)を造り、おかげで世界からは公害と不良が一掃されます。
社会適応性がなく、一人では何もできない人物ではありますが、こうして「問題を解決してくれる機械」を
次々と作り続けた結果、彼の発明品は世界中の人々に幸福を与えました。

しかしそれによって得られた富と名誉はアルバートを幸せにせず、彼は相変わらず孤独なまま。
アルバートの偉業を讃える式典で、彼はたどたどしく「人生初の、自分で考えたスピーチ」を披露しますが、
それは会場にいた多くの人々を困惑させるばかりでした。

「パン種がなければ、何ものも生まれません。・・・
 しかしイーストは、それ自体菌類であり病気でもあります。」
「敗残者や無能力者がいなかったら、だれが発明するでしょう?・・・
 みなさんの練り粉を、誰が膨らませるでしょう?」
「世界は、不健康な精神がそのなかにまじっているからこそ健康なのです。」
「肝心なのは、うすのろです!」

 改革者が偉大な人物でないということは、なんと不愉快なことだろう。
 そして偉大な人物というものは、偉大な人物であるという以外なんのとりえもないものなのだ。

そして世間の人々だけでなく、自分の作った優秀な機械までが要領の悪い主人を嘲るに至って、
遂にアルバートは死を選ぼうとしますが、ひとりで何もできない彼は自殺すらできません。
仕方なく隠れ家で自殺マシーンをつくり始めたとき、むかし作ってほったらかしにしておいた
カンだけしか取り得のない予言機械のハンチーが、彼にある予感を囁きかけるのでした・・・。

長いタイムスパンを一気に語り切る話術、続々と繰り出されるアイデア、巧妙に張られた伏線の
見事な回収、そして何よりも常識の裏を突く逆説の発想と、そこに込められた真実が持つ重さ。
この短編一本の中に、ラファティ作品の様々な魅力がすっきりと収まっています。

わかりやすいぶんだけ、すれっからしのラファティ好きがあえてベストに推さない(笑)という
これまた逆説的な作品ですが、奇想に関心の無い方にも広くオススメできる傑作です。

それにしても、本作のエディの姿には、ビル・ゲイツやスティーブ・ウォズニアックといった
実在の人物がダブって見えてしまいますね。
「ギーク」の出現を書いた先駆作という意味では、見事に「未来を予見した」作品と言えるかも。

そしてラファティの人物像を伝える文章を読むと、彼自身も“人付き合いが苦手で、シャイな人柄だった”
ということがわかります。
豊かな知識を持つ卓越した語り部でありながら、実生活では人と関わるのが不得手な元電気技師であり、
酒が最も身近な友人・・・そんなラファティ自身も、ある種の「ギーク」だったのではないか。
そう思うと、この作品が単なる諷刺だけではないように思えてなりません。

作者が45歳になってからデビューしただけに、人生の輝きとそれが色褪せていく様子を書いた作品にも、
しみじみとした味わいがあります。
魔法の財布を手に入れた男が社会の変化に対応できず落ちぶれていく「ぴかぴかコインの湧き出る泉」や、
子供時代に訪れた魔法の月を再訪した大人たちを描いた「昔には帰れない」は、そうした傾向が強い作品。
特に「昔には帰れない」では、語り手の名前が「アル」と表記されているのが重要なポイントでしょう。
つまりこれはレイフェル・アロイシャス・ラファティ自身の思い出であり、彼の目から見た現実なのです。
(そういえば「アルバート」の省略形も「アル」なんですよねぇ・・・。)

こうしたラファティの視線が、作中で「生者と死者」「現実と非現実」「歴史と神話」の区別がない、
独特の「魔術的リアリズム」を形成しているのではないでしょうか。
「廃品置き場の裏面史」や「一八七三年のテレビドラマ」も、こうした視線からとらえることによって
「真実」とか「歴史」の裏にある多様な顔を表す物語としての、新たな側面が見えてくるかも・・・。

カトリック作家としてのラファティを考える上で重要なのは「すべての陸地ふたたび溢れいづるとき」と
「行間からはみだすものを読め」の2作でしょう。
カトリックを信仰しながらでありながら進化論を標榜し、人間に対する皮肉と失望を露わにするその感性は、
司祭でありながら『ガリヴァー旅行記』を書いたスウィフトの逆説と冷徹な人間観を思わせます。
まあ「九百人のお祖母さん」も、ガリヴァー旅行記のストラルドブラグ人の挿話が元になってますし、
ラファティ自身もスウィフトに強い共感を持っていたんじゃないかと・・・。
どちらもアイルランドに起源を持つ作家、という共通点もありますしね。

人生のおかしさとほろ苦さを豊富な知識とウソ知識で彩り、隠し味に人生経験をピリリと効かせた逸品。
これが私の考えるラファティの妙味です。
そして彼の目で見た現実世界には、幽霊や架空の存在が当たり前のようにウロウロしているのです。

だから2002年に亡くなったラファティの幽霊だって、今でも現実世界を酔っぱらってうろつきながら、
偶然ぶつかった人に「Bang!」と言っているに違いないし、ラファティの目を受け継いだ優秀な読者なら、
きっとその姿を見ることができるに違いありません。

もしかしたら、生前には会ったことのなかった浅倉久志先生と一緒に歩いてる姿が見られるかも・・・。
そんな二人をどこかの街角で見かけた方は、ぜひご一報ください。
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2013年もよろしくお願いします!

2013年01月01日 | その他の雑記・メモなど
マヤ暦の終わりもなんのその、無事に2013年を迎えることができました。パチパチ。

Googleのロゴは、すでにパーティのかたづけで忙しいようです。


窓から見えるイリノイ工科大学クラウンホール越しの初日の出が、ちょっとうれしい。
そして「考える人」は、年を越してもまだ考え中みたいですね(^^;

それでは、本年もよろしくお願いいたします!
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Googleの大晦日タイトルロゴを見ながら、2012年を振り返ってみよう

2012年12月31日 | その他の雑記・メモなど
いよいよ2012年もあと1日を残すのみ。
1年を通じていろいろな記念日を飾ってきてくれたGoogleのロゴも、大晦日仕様へと変わりました。



今年の最後を飾るロゴは、これまでとはちょっと違った豪華バージョン。
2012年に登場した数々の記念日ロゴに関連するキャラやアイテムを散りばめた、楽しいものになっています。

ぱっと気づいたものだけですが、登場しているのは以下のとおり。

左下ではクララ・シューマンムーグを弾き、その上ではロッシーニの「セビリアの理髪師」をイメージした
うるう年のカエルが歌を歌ってます。
その横では赤ずきんちゃんとオオカミが、ロンドン五輪のバスケット選手と、マリア・モンテッソーリの考案した
木製の教育玩具(教具)で遊んでます。
その右にいるのは、リトル・ニモ。手に持っているのはアメリア・イアハートの飛行機かな?

右下の隅では、ロダンの「考える人」が、パソコン上でチューリングテストをやってるみたい。
横で説明しているのは、エイダ・ラブレスでしょうか。

左上の窓に見えるのは、スター・トレックのエンタープライズ号。
その下に見えるのは、ミース・ファン・デル・ローエが設計したイリノイ工科大学クラウンホール。
その横でフアン・グリスの作品「Still Life with Fruit Dish and Mandolin」を見ているのは
TV番組の絵画教室で有名なボブ・ロスと思われます。

手前の赤いOの文字がお手玉しているのは、吉澤章さんが考案した折り紙です。

棚に置いてある小物の中には、ハワード・カーターが発見したツタンカーメンのマスクと、
ピーター・カール・ファベルジェが作ったイースターエッグがあります。
その前にいる仮面の男は、ルイジ・ピランデルロですかねー。
さらにその隣には、クリムトの代表作「接吻」。
そしてカーテンのような仕切りには、ギデオン・サンドバックが改良したファスナーがついてます。

テーブルにいるのは、ロンドン五輪のサッカー選手
さらに右を見ると、ドラキュラ伯爵五輪の槍投げ選手エイハブ船長が持つモリに戦々恐々。
そして右上の隅には、原子模型を持ったニールス・ボーアの姿があります。

こんな感じですが、まだいくつか見落としてるものがありそうですね。
たぶん年明けにはGoogleから説明があると思いますが、ためしに皆さんも探してみてください。

それでは、良いお年を!
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「009 RE:CYBORG」神山健治監督×宮野真守さん舞台挨拶 “PRE:CHRISTMAS!”

2012年12月22日 | アニメ
新宿バルト9で12月22日に開催された『009 RE:CYBORG』の舞台挨拶つき上映に行ってきました。

リピーター御礼企画の第8弾となる今回は、上映終了後に神山監督と009役の宮野真守さんが
登場するとあって、会場内は女性が圧倒的に多かったです。

今回は2度目の鑑賞なので、細かい部分や見落としていた部分にいろいろと気づくことができました。
メカニック的には、アメリカのミサイル巡洋艦から六本木ヒルズへ撃ち込まれたのが「トマホーク」の
後継機として開発されている超音速巡航ミサイル「ラトラー」だったり、002が操縦しているF38
(F22と23の合いの子っぽい形状にカナードを装備した、架空の米軍機)を追跡しているのが、
ロシアか中国の戦闘機であること(形状がスホーイっぽいので、Su-30か殲撃11の系統?)が、
新たに確認できたところです。ヘルメットと機体にも赤い星がついてましたからね。
あと、最後にゼロゼロナンバーズが弾道弾迎撃のため占拠したイージス艦の名称が「シャイロー」に
聞こえたのですが、同名のSM-3搭載艦が横須賀基地に配備されていたはず。

今作では3Dの効果を最大限に生かすため、アオリやパースのついた絵がたくさん出てきますが、
特に目立ったのは、003の足元からナメるように撮るカットですね(^^;。
なお、トモエについても同じ撮り方をしているのは、両者の同一性を暗示する演出なのかも。
そういえば『攻殻SSS 3D』の舞台挨拶で、神山監督が「3D映像だと、下から見上げたときに
女性のスカートの中とかのぞけそうな感じで、ドキドキしませんか(笑)」と言ってましたが、
今回の003(とトモエ)は、まさにその言葉を実践したかのような映像でした(^^;

009の代名詞である加速装置は、前半は009の主観で、後半は加速状態を客観的に見た演出で
その「速さ」を表現していますが、後半はちょっと石川五右エ門の斬鉄剣っぽい気がしました(笑)。
大量の敵を一瞬で倒す009はカッコいいけど、個人的にはハイスピードカメラ風の主観映像のほうが
アニメの表現として斬新だし、迫力があったと思います。

ラストの解釈については、神山監督自身も「はっきりと描いてしまいたくなくて、観客に委ねた」と
言っているとおり、あのシーンだけで断定的な答えは出せないと思います。
ただし、「脳こそが神そのもの」というピュンマの仮説と「神は乗り越えられる試練しか与えない」という
トモエの言葉を総合すると、ラストに起こった「奇跡」は、人の意識のネットワークが生んだ超越者である
「集合的無意識」の存在を暗示すると共に、それが009たちを人類にとっての「希望」と認識したことで
(具体的な手段は不明ながら)なんらかの力で彼らを救った・・・とも解釈できそうです。
だとすれば、今回の『009 RE:CYBORG』も『攻殻SACシリーズ』や『東のエデン』と共通の世界観を持つ、
一種のパラレルワールドと見なすこともできるでしょう。

以前にお台場の「ノイタミナショップ&カフェシアター」で行われた『東のエデン総集編上映会』で
神山監督から「新作と『東のエデン』、そして『攻殻SAC』は、同じ世界というわけではないにしろ、
ある種のつながりがある、つながってたらいいなという思いで作っている」との説明がありましたが、
その言葉が『009 RE:CYBORG』のラストにそのまま反映されているというのが、私の考えです。

ですから、脳波通信とネットワークを司る力を持つ003が、流れ星を見上げて祈りを捧げる姿は、
人類全体の「願い」の象徴であり、同時に神山作品に繰り返し登場する電脳シャーマンの一員として、
この世界を超えた存在へと直接呼びかけているようにも見えました。

その一方、ハインリヒの「神ほど自分勝手に人間を苦しめてきた存在はいない」という発言は、トモエの
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉と対になって、「神」の持つ「残酷さ」と「慈悲」の
二面性を表すものになっています。
そしてこの二つの言葉は、そのまま「東日本大震災による被害」と「震災後の復興に立ち向かう人々」に
向けられた、一種の「メッセージ」である・・・とも解釈できるでしょう。
震災によって甚大な被害を受けながら、11月17日に再オープンを果たした石ノ森萬画館のことを思うと、
『009 RE:CYBORG』は、そうしたメッセージを伝えるよう運命付けられていたのかもしれません。

そう考えた場合、この作品から聞こえる「彼の声」は、神山監督、そして石ノ森章太郎先生から届けられた
「いま生きている私たちへの呼びかけ」のようにも感じられます。
これが劇中終盤でジョーが言う「彼の声が、今は全く違うものに聞こえる」というセリフを理解するうえで、
ひとつの手がかりになるのではないかと思います。

さて、『009 RE:CYBORG』上映終了後には、神山監督と宮野さんによる舞台挨拶が行われました。
初上映から2ヶ月を越えて上映が続いていること、熱心なリピーターと今回が初鑑賞のお客さんに対して
お二人から感謝の言葉が述べられた後、作品やアフレコについてのエピソードが披露されました。

神山監督は今回初めて音響監督も手がけたということですが、3Dの映像を見ながらのアフレコでは
ブレスタイミングが2Dに比べて若干早くなる傾向があり、声優さんに苦労をかけてしまったとの話。
宮野さんは「最初はちょっと合わせにくかったけど、これが人どうしの間合いなんだなと思いました。」
・・・ということは、3Dの場合は舞台的な呼吸で演じたほうがうまくいくのかも。

アフレコ初日のエピソードとしては、音響ブースに入ってチェックをしていた神山監督がふと見ると、
キャスト側のブースがやたら盛り上がっているので、音声レベルを上げて中の様子を聞いてみたら
宮野さんがスギちゃんのモノマネで「ゼロゼロナンバーズのプロフィール」を語っていたとか。
これを聞いた本人は「なんでスギちゃんだったんでしょうね・・・加速装置するぜぇ~!」といきなり実演。
ちなみに2日目もこのノリでスタジオに入ったら、ギルモア博士役の勝部演之さんから「まだ早いって!
はじめからそのテンションだと、最後まで持たないから!」と言われたそうです(^^;。

劇中で印象的なシーンを聞かれて、神山監督は「最後のジョーのシャツが、萌え袖なところです(笑)」
男性スタッフが絵を描くと、袖をピッタリな長さに描いてしまうので、そこは女性目線にこだわって
「違う、そこは(袖を余らせて)萌え袖にして」と監督自ら指定したそうです。
これには宮野さんも「それは初耳でした(^^;」とビックリ。

ちなみにこの日、宮野さんの衣装は萌え袖。そしてフォトセッションで横に並んだ神山監督も、シャツの袖を
ぐいぐいひっぱって「インスタント萌え袖」に変身。これを見ていた観客からは、思わずくすくす笑いが・・・。
神山監督、相変わらずお茶目だなー。

印象的なシーンについて、宮野さんは「フランソワーズですね・・・まさかあそこで脱ぐとは(笑)」
ちなみに神山監督によると、3Dでは本番前にリハーサル映像を作るそうで、そこではスーツ姿でしたが
何かの手違いで「スカートだけ脱いだフランソワーズ」が出てきたこともあったとか。
これについて監督からは「アレは全脱ぎより強力だったかもしれません」と、うれしそうなコメントも(^^;

宮野さん自身が演じたジョーの登場シーンでは、やはり加速装置がお気に入りだそうです。
「やっぱもえますよね、加速装置!・・・いや「萌え袖」の萌えじゃなくて、火へんの「燃え」です!」

急遽行われた観客からのリクエストでは、映画の続編だけでなく、現代にあわせてアップデートされた
原作エピソードや、ゼロゼロナンバーズの解散から再結集までの空白期間を描く前日譚の希望がありました。

宮野さんいわく「なんで解散したんですかね・・・まあちょっとしたことで仲が悪くなることもありますし。
・・・たとえば、隣で何度も「飛行!」のポーズをやられて、イラッとしたとか」これは場内も大爆笑。
ここで初日舞台挨拶の小野大輔さんとのミニコントをひっぱってくるとは、わかってるなぁ。

今回のジョーはこれまでの正義感あふれるイメージだけでなく、トモエに自分勝手な依存をしたりと
「黒い・悪い」姿を見せるところもあり、宮野さんも神山監督もそういう一面に魅力を感じたとか。
神山監督は「悪ジョーはもっと描きたいですね」、宮野さんは「そんなジョーを、もっと演じてみたい」と
物語やキャラを膨らませることに意欲的でした。

続編やスピンアウトについては、映画への反応も含めて判断することになるようですが、神山監督としては
「自分以外の誰かが作る可能性も含め、いま誰かが撮らなければ新しい物語が始められない・・・という思いで
今回の009を作りました。自分の中には映画の後の画もあるので、いつかそれも撮ってみたいです。」
そして最後に「できればゼロゼロナンバーズのみんなに、また集まってもらえたらと思います。」

こうした発言が、何らかの形で今後につながってくることを期待してます。
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日本と世界の自然派ワインが渋谷に集合!「FESTIVIN 2012」

2012年12月10日 | イベント・観覧レポート
昨年に引き続き、自然派ワインのお祭り「FESTIVIN(フェスティヴァン)2012」に行ってまいりました。

今年は恵比寿から渋谷ヒカリエに会場を移し、20を越えるインポーターが200を越える
海外生産者のワインを提供。
そして国内からは8つのワイナリーが、丹念に醸した自社の逸品を携えて参加しています。
これらのワインが、参加費7,000円(前売6,000円)で全て試飲可能!
(ただし一部のレア銘柄は有料試飲になります。)

会場もワインも昨年よりスケールアップしてますが、さらに今年は食の面でも大幅増強され、
50を越えるレストランブースが参加していました。

二部構成の第一部は、昼12時~15時30分まで。
開場30分前には既に列ができていましたが、その後も次々と参加者が集まってきて、
最終的にはかなり長い行列になったようです。
私は開場から10分くらいで入場できたので、さっそくブースを回って試飲を開始。



さて、この日飲んだ作り手を、覚えてる限りで以下に並べてみます。
(飲みすぎて細かい銘柄は忘れました~。)

◎海外生産者
ジョスコー・グラヴネル
ビネール(2種)
アゼリア
ラ・ビアンカーラ
マッサ・ヴェッキア
ラディコン
パーネヴィーノ
ジェラール・シュレール(2種)
マルク・テンペ(2種)
シャソルネイ(3種)
ショサール
シャトー・ラ・バロンヌ
アリス・エ・オリヴィエ・ドムール(4種)
ティエリー・アルマン(有料)


◎国内生産者
四恩醸造(2種)
タケダワイナリー(2種)
ヴィラデストワイナリー(3種)
酒井ワイナリー
ルミエール(3種)

他にもいくつか飲んだと思うけど、記憶がはっきりしません(^^;。

2年続けてFESTIVINに参加して再確認したのが、自然派の主流はいわゆる
「フルーツ爆弾」とか「こってり濃厚」とは明らかに異なるもので、無理な醸造や
余計な装飾を施さない、まさしく「自然な味わい」であるということ。
例えばシラー種のワインでも、新世界のガツンとくるボリューム満点なタイプとは違い、
柔らかい芳香と軽やかな口当たりが身上の、飲み疲れしないタイプが多い感じですね。
・・・とはいっても、3時間で30種以上も飲めばさすがに疲れますけど(笑)。

海外生産者でまず挙げたいのが、ゲストとして来日したアリス・エ・オリヴィエ・ドムール。
シャブリといってもキレまくるスタイルではなく、自然の甘さとミネラルが溶けあっていて、
実に厚みのある味わいです。
今回は赤のブルゴーニュやアリゴテもいただきましたが、共通のスタイルを持ちながらも、
それぞれの品種を生かす造りをしていると感じました。
特にアリゴテの良さにはビックリ!個人的にはヴィレーヌのブーズロンを越えてると思います。

さらに生産者のド・ムール夫妻から、グラスホルダーにサインしていただきました!


ビネールやシュレール、テンペといったアルザス組は、今年も安定したおいしさ。
他にはシャソルネイのアンフォラ醸造もの(既に入手不可)や、パーネヴィーノも印象に残りました。

面白かったのは、ラディコンのリボッラ・ジャッラととショサールのパタポンですね。
どっちも曲者自然派ワインとして有名ですが、今回の試飲では特にヘンな香りも感じませんでした。
ラディコンは白ワインと思えないトロっとした風味、パタポンは絞った果汁のフレッシュなうまさ。
どちらもフツーのワインとはひと味もふた味も違うけど、やっぱりおいしい!

今回はおみやげに、パタポンマークの缶バッチをもらっちゃいました!


1杯だけ有料試飲したのが、ティエリー・アルマンのコルナス。
さすがお高いだけに、ある種の貫禄めいたスケールの大きさを感じました。
シャイヨかレイナールか見てこなかったけど、たぶん後者じゃないかな。

そして国内生産者では、昨年に続いて楽しみにしていた四恩醸造の小林さんが、
今年もまた良いワインを届けてくれました。
ここのワインには、かしこまった席ではなく毎日の暮らしに寄り添ってくれるような
「やさしさ」を感じるのですが、それは作り手の人柄も表しているのだと思います。

自らワインを注いでくれた小林さんが、今年は派手なアフロじゃなかったことだけが
私にとってはちょっとだけ心残りです(笑)。

昨年は飲めなかったタケダワイナリーですが、今年は岸平社長から注いでもらいました!
サン・スフルのフレッシュさとベリーA古木の複雑さ、どっちもタケダらしい造りだと思います。

ヴィラデストのシャルドネは、さすが日本のトップクラスだと感じさせる重層性を持っています。
ピノ・ノワールも良い出来ですが、今後さらに優れたワインに成長しそうな感じでした。

そして国産で最も力強さを感じたのが、酒井ワイナリーのバーダップ鳥上坂。
ボルドーに負けないほどしっかりした赤ワインは、長期熟成も期待できそうです。

なお、ココ・ファームとボー・ペイサージュ、それに小布施ワイナリーは残念ながら
飲めませんでしたが、小布施の曽我さんとは直接お話しすることができました。

曽我さんに限らず、日本の自然派ワイン生産者は特に自分たちの仕事に対して強い誇りを持ち、
その気持ちがワインにもはっきりと表れているように感じます。
そうした造り手の人と仕事を直接知ることができる場としても、この「FESTIVIN」のような
「生産者と直接触れ合えるイベント」の役割は重要でしょう。

欧米のように「長期保存・貯蔵」を前提とした濃い目の食文化が根付いている土地柄に対し、
日本には「新鮮さ、みずみずしさ」を大切にする繊細な食文化があると思います。
そうした食文化には、自然派ワインの持つフレッシュさや繊細さが最もふさわしく、また既に
それを受け入れるだけの下地もできているのではないか・・・などと感じることも。
この考えが間違っていなければ、日本の食卓にワインがより根付くために、自然派の国内生産者が
担っていく役割というのは、非常に大きいものでしょう。
そしてこの日会場で話を伺った生産者たちは、そうした流れの中で強いリーダーシップを発揮し、
日本におけるワインシーンを確実に変えていくはず・・・私はそう信じています。

さて、ワインだけでなく食べ物のほうもスゴイのが、FESTIVINの素晴らしさ。
こちらは別途支払いが必要ですが、ほとんどが500~1,000円程度とお値打ち価格。
去年は早い時間帯で食べ物がほとんど売り切れてしまって困りましたが、今年は
ワインのアテに困ることはありませんでした。

Le Velle Vole a Tokyoの「ブーダンノワールとじゃがいものピュレavecピクルス」


Rossiの「短角牛のフトラコット」


うずら屋の「うずらの唐揚げ」


山下ワイン食堂の「九州和牛のローストビーフ柚子こしょうソース ピタパンサンド」


ブラッセリー・ノートの「ひつじやの羊と大崎バークシャ黒豚のパテ」


SALUMERIA69の「ハム盛り2,000円プレート」


オザミ&竹とんぼの「黒毛和牛ロースト ポムピューレ添え」


Libertinの「ローストポークとシュークルート」


そして店長が「日本一のチーズショップ」と自負するレクリューズの「チーズ盛り」


シメはACQUOLINAの「ジェラート3種盛り」

9品目食べたら腹いっぱいになっちゃいましたが、本当はもっといろいろ食べたかった!

さらに特設ステージでは、今年も多彩なミュージシャンがステキな音楽を聞かせてくれました。

スタンダードナンバーを次々と繰り出して会場を沸かせた「BLACK VELVETS」


昨年に引き続き、魅惑のアフリカ音楽を聴かせてくれたママドゥ・ドゥンビア。


ステージの外、まさに観衆の眼の前で演奏を披露した「Zipangu Steel Orchestra」。


そして伝説的シンガーにしてフラの伝道者であるサンディーが率いるハワイアングループ
「サンディー アンド オリ オリ ティアレ タヒチ」。


サンディーさんはハワイアンだけでなく、「私の友人であるどんとの歌を歌います」と紹介して、
「波」も披露してくれました・・・これにはぐっときたなぁ。

入場時の手際や会場内のレイアウトなど、改善して欲しい部分もありましたが、始まってしまえば
特に混乱もなく、あっという間に3時間半が経ってしまいました。
運営サイドの皆さんには大いに感謝すると共に、今年の経験を生かしてさらに良いイベントとなるよう、
来年にも期待したいと思います。

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「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」初日感想

2012年11月18日 | アニメ
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」公開初日の11月17日に観てきました。

本当はもう少しほとぼりが冷めてから行くつもりだったんだけど、twitterとかで感想が流れてくると
ネタバレが心配でヒヤヒヤするもんですから、席があったらすぐ行っちゃおうということで。
近所の映画館をチェックしたら席があったもんで、結局初日に観ることになってしまった・・・(^^;

ちなみにこちらの写真は、公開前日の新宿バルト9です。
ここの券は持ってないので、前を通ったときに写真だけ撮影。なので最速上映は観てません(^^;

さて、映画が公開したばっかりなので、細かいことには触れずに大雑把な感想だけ書いときます。

Qはいろんな意味で相当ぶっ飛んでますが、旧作をなぞりつつの新展開という目で見れば、まあこういう
新たな解釈の仕方もあるだろうなー、という許容範囲には納まってます。
だから驚きはそんなにないんですけど、これまでのエヴァが持っていた「思春期の少年少女たちの交流と、
大人の男女たちの愛憎劇」というイメージとはやや変わって、スケールの大きなSFアニメであることを
前面に押し出そうとした感じは、ちょっとだけ意外でした。
ですからそっち方向に話が流れるのを好まない人には、たぶんウケが悪いんだろうなぁとは思います。

まあ今回の大転換については、やっぱり脚本に最大の原因があると思いますね。
マニアックな専門用語のオンパレードや、ひとひねりもふたひねりも加えられたキャラクターの造形、
凝りすぎな設定にどこかで聞いたようなセリフ回しとか、いろんな所が榎戸さんっぽいなぁ・・・と思って
見てましたが、エンドロールを見たら脚本協力の筆頭に名前が出てきて「ああ、やっぱり」って感じ。
ですから鶴巻・榎戸コンビの作品を見たことがある人なら「あ、この感じは知ってる」と思うような
独特のエキセントリックさが、Qでもあちこちに見られました。
そういう意味では、あんまりエヴァっぽくないかもしれないなぁとか思ったりもしましたが。

そして今回のエヴァQに何よりも大きく影を落としているのは、今年公開された多くの作品とも共通する、
東日本大震災と福島第一原発事故による甚大な被害に対する意識なのだと思います。
かろうじて食い止めはしたものの、実際に世界の終わりの扉が開きかける状況を引き起こし、そして今も
その痛手から回復できず、放射能への不安から逃れられないわが国の状態。
それが思ったよりもストレートに、Qへと投影されてしまったな・・・という感じですね。

ある意味では、破に比べて物語そのものは後退してしまったようにも見えるけど、これもまたエヴァなりに
現実とコミットしようとする姿勢なんだ、と理解することもできるでしょう。
その一方で、こうした作り手の意図が、必ずしも熱心なエヴァファンに受け入れられるとは思いませんが、
これもやっぱり現在進行形の、今を生きている「エヴァンゲリオン」そのものなんだと思います。

リメイクではあるけど、今でもエヴァはこの瞬間の現実と真正面からぶつかりあっている。
その生々しい激突の瞬間に立ち会うのを覚悟して、劇場に足を運んで欲しいと思います。

もちろん、カヲルとアスカはいろいろと大活躍しますよ~!(微妙な言い回し)

ちなみにQの場合、スタッフの名前を書くだけでどういう映像になってるのかバレちゃいそうな人が
結構いるもんで、そのへんは見てのお楽しみ。
まあ冒頭6分38秒の空中戦を見た人なら、あそこに誰が関わってるかはすぐわかると思いますが(笑)。
映像に関しては現在の最高峰とも言えるレベルなので、そっちについては期待しても大丈夫です。

最後にネタバレをひとつだけ・・・。

8号機の目って、ホントに8の字型してるんですよ!(全然ヒネリなし)
コメント (4)
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10月27日全国公開『009 RE:CYBORG』感想

2012年10月28日 | アニメ
神山健治監督作品『009 RE:CYBORG』公開初日に新宿バルト9で観てきました。


こちらの写真は劇場内の様子。ロビー上には009の特設売店が設置されてます。


売店ではPatisserie Swallowtailとのコラボレーション焼き菓子も販売。

デザインは009、002、003の3タイプがありますが、やはり一番人気は009のようです。

10Fの「009カフェ」にはEL発光ポスターや作品ロゴつきのテーブルが置かれてました。

ここでは各キャラをイメージした9種類のドリンク販売に加え、名前が入れられる千社札の発行機があったり、
公式HPで見られる作家さんたちのイラスト色紙が飾られたりしています。
ディスプレイも含めて009一色なので、バルト9で009を観るならぜひ寄っておきたいところです。

さて、作品の内容についてですが、細部に触れると絶対にネタバレになるのが苦しいところ。
ざっくりまとめて言ってしまうと、今回は「原作と人類史という二重のミッシングリンクに触れつつ、
サイボーグ戦士が再集結するまでの物語」ということになるのかな。
現在の世界情勢にあわせて大きくアレンジされた部分はありますが、基本の設定はできるだけ活かし、
取り込める部分はなるべく取り込もうとした努力が、随所に見られたと思います。
全体の中に散りばめられたエピソードには、原作に疎い私にも「あ、これは原作準拠のアレンジね」と
わかるところがあるので、元ネタがわかるファンには結構うれしいんじゃないでしょうか。

ジョーとフランソワーズの関係も「001の次に生身の部分が多い」という003の設定をうまく生かしてるし、
これまでの「清楚なヒロイン」というイメージを残しつつ、うまく妖艶さを加えることに成功しています。
それに「清楚なヒロイン」の部分はまた別に…ごにょごにょ。(そこは特に重要なネタバレなので)

作品を振り返ってみれば、今回のストーリーで009と002の次に重要な役回りだったのは、やっぱり003。
今回の003は神山監督の得意とする「電脳世界」にまで精通する存在と位置づけられたことで、これまでの
どのシリーズにも増して、圧倒的な存在感を持っていたと思います。
…ちなみに、肉体面での存在感も圧倒的でした(笑)。
一部で「009ノ1」とか「009-1」と言われてるのも無理ないわな…私もそう思ったし(^^;

今回の『009』が取り上げたテーマについてですが、神山監督が長くこだわってきた「9.11」と、昨年から
監督が何度も言及している「3.11」という二つの大事件を「神」と「人間」の関係から読み解くことにより
関連付けようとしたのではないか…と思います。
(ちなみに「神」の部分に入る名称は、様々に読み替えることが可能。)
私は人の愚行と自然の猛威を同列に考えたくないので(そういう発想自体が人類の驕りだと思うから)、
同時多発テロと東日本大震災を並べて論じるのは好きじゃないのですが、今回の『009』が示した
やや特殊なアプローチについては、ある程度納得できるところがありました。

しかし、それを論じる過程で宗教人類学の視点を持ち込んではみたものの、アルベルトの一方的な語りで
やや中途半端な見解が示されたことについては、ちょっと残念です。
「〇〇論」(あえて伏せ字)では、全体の謎解きとしてちょっと弱すぎるんじゃないかと…。

それに世界中から集結したサイボーグ戦士は、いわば人種のるつぼなわけですから、それぞれの
相反する宗教観をぶつけ合う、という展開があってもよかったと思うのです。
ジェロニモとピュンマと張々湖が民族的な宗教観を語り、そこに合理主義者としてのアルベルトと
愛国者のジェットが絡み、無神論者のジョーやグレート、女性であるフランソワーズ、さらには
旧共産主義国出身のイワンが意見を述べる…というのは、攻殻SACの「ネットの闇に棲む男」ぽくて、
なかなかエキサイティングじゃないでしょうか。
まあそれをやっちゃうと、劇場映画じゃなくてTVシリーズの1話になってしまうわけですが…。

今作のサイボーグ戦士たちについては「もしヒーローが現実に存在していたら」というコンセプトが
徹底していたように感じました。
これは映画版も含めて『ウォッチメン』に関してよく語られるコンセプトですし、私がムーア好きなせいで
類似性を見てしまうのかもしれませんが、それでもやっぱり「影響を受けている」可能性はあると思います。
なにしろ『東のエデン』も、「現実的かつ等身大のヒーロー像」を描こうとする試みだったわけですからね。

こうしたコンセプトだけでなく、映像面についても「ハリウッド映画からのインスパイア」と思われる点が
いくつも見られました。
特にジェットの飛行シーンは、やはりリアルなヒーロー像を指向した『アイアンマン』を思わせるところが
多かったですが、ライバル視すべき作品と表現が似てしまうことについては、やや微妙な思いがあります。

映像は最初から3Dを前提としたので、映像設計においても建造物などの存在感を強調するレイアウトが
多用されていたように見えました。
人物の描き方やカメラアングルでも、3Dを想定した強めのパースが意識されていたように思えます。
とはいえ、立体視の効果が一番よく出ていたのは、なんといっても加速装置の発動シーンでしょうね。
私は3Dに「リアルさの中にある浮遊感」を感じる人なので、これが「フラットなアニメ絵なのに3D」
という不思議さと組み合わさることで、加速中の超現実的な感覚が生々しく体感できました。
…できれば、こういうシーンをもっとたくさん見せて欲しかったですけど。

シーンといえば、空戦シーンで出てくる「プガチョフ・コブラ」はよかった!
ぶっちゃけ空戦の見せ方では『スカイ・クロラ』よりデキがいいかもしれません(笑)。

スケールが大きくて扱いが難しいテーマであることや、原作尊重の縛りをかけてるためか、
全体としては「意あまって描き切れず」な感じもありますが、神山監督の原作への想いと、
作品に託した熱いメッセージは、しっかりと伝わりました。
私の評価はやや辛めかもしれませんが、これは原作や3Dに思い入れが薄い人の感想であって、
昔からの009ファンや3Dアニメに強い関心を持つ人なら、また違った見方になるでしょうね。

さて、私の見た回では、ゼロゼロナンバーズ役がそろい踏みの舞台挨拶が行われました。
全員がサイボーグ戦士のユニフォーム(風のTシャツ)を着て勢ぞろいする様子は、まさに壮観。
各声優さんが生で名セリフを述べられたほか、宮野真守さんの決めポーズや小野大輔さんの「飛行!」
(やりすぎて宮野さんに怒られるというコントもあり)、緊張で何度も噛みまくる杉山紀彰さんなど、
短いながらとても楽しいイベントでした。

そして玉川砂記子さんからの一言は「私の演じたセリフは、今回も加工音声です。(ニッコリ)」
これには神山ファンなら、みんな苦笑いしつつうなずくと思います(^^;

館内ロビーに飾られていた、サイボーグ戦士のサイン入りポスター。


こちらは影の主役ともいえるフランソワーズ役・斎藤千和さんのサインのアップ。


そして神山作品におけるキーパーソン・玉川砂記子さんのサインのアップ。

加工なしで玉川さんのセリフを聞けたのが、実は一番レアだったのかもしれません(笑)。
コメント (4)
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