私は勉学を生業とする身である。しかし正直に言おう。子どものころからいまに至るまで身を入れて勉強をした記憶がほとんどない。これは一重に自身の怠惰によるものである。だが、日本の風土がそこに影を落としていることは否定できない。50有余年を生きてきてつくづく思う。日本は勉学に適さない国であると。多彩な四季があることが、日本人が勉学に集中することを困難たらしめているのである。
うららかな春。まさに春眠暁を覚えずの季節である。眠くて眠くて勉強などできたものではない。尋常な神経の持ち主であれば、桜の季節に家にこもって勉強する人間の気がしえrない。そうした輩に限って5月病を発症するのだ。落第坊主は、そんなものとは無縁である。
そして夏。熱帯も顔負けのあの暑さで勉強などできるものか。しかも気候温暖化の影響でますます酷暑の猛威は増すばかりである。そのうち埼玉の熊谷あたりで、ギネスブックの酷暑記録を更新するのではないか。いまはエアコンがあるだろうって?そんなものを使うから夏の暑さがひどくなる。暑い夏はひたすら暑苦しく、汗まみれの身体を畳に横たえてごろごろしているのにしくはない。
秋。それは、黄金の季節。気候の良いこの時期に勉強するのは愚か者である。秋の素晴らしさを享受する能力を欠いた人間は不幸と言う他はない。若人よ、秋には書を捨てよ!そして野山に出よう!!たらふく御飯を食べて、あとは呆けたように眠りこけるのだ。
冬。熊のような猛獣も冬眠をする厳しい日本の冬に勉強などできたものではない。熊よりも体力の劣る人間がどうして冬眠をしないのか不思議でならない。日本政府は法律で国民に冬眠を義務付けるべきなのである。いや、冬といわず年がら年中寝ていればよい。これ以上CO2削減に有効な方法も他にないだろう。勉強は環境の敵であるというのが今回の無理やりな結論でありますまる
うららかな春。まさに春眠暁を覚えずの季節である。眠くて眠くて勉強などできたものではない。尋常な神経の持ち主であれば、桜の季節に家にこもって勉強する人間の気がしえrない。そうした輩に限って5月病を発症するのだ。落第坊主は、そんなものとは無縁である。
そして夏。熱帯も顔負けのあの暑さで勉強などできるものか。しかも気候温暖化の影響でますます酷暑の猛威は増すばかりである。そのうち埼玉の熊谷あたりで、ギネスブックの酷暑記録を更新するのではないか。いまはエアコンがあるだろうって?そんなものを使うから夏の暑さがひどくなる。暑い夏はひたすら暑苦しく、汗まみれの身体を畳に横たえてごろごろしているのにしくはない。
秋。それは、黄金の季節。気候の良いこの時期に勉強するのは愚か者である。秋の素晴らしさを享受する能力を欠いた人間は不幸と言う他はない。若人よ、秋には書を捨てよ!そして野山に出よう!!たらふく御飯を食べて、あとは呆けたように眠りこけるのだ。
冬。熊のような猛獣も冬眠をする厳しい日本の冬に勉強などできたものではない。熊よりも体力の劣る人間がどうして冬眠をしないのか不思議でならない。日本政府は法律で国民に冬眠を義務付けるべきなのである。いや、冬といわず年がら年中寝ていればよい。これ以上CO2削減に有効な方法も他にないだろう。勉強は環境の敵であるというのが今回の無理やりな結論でありますまる
骨子の高校が吹奏楽の地域のお祭りに出たので聴きにいったことがあります。司会者にマイクを向けられた骨子のある先輩は、「天然」といったキャラで聞かれたことにとんちんかんな受け答えをしていました。それに自分でも気づいたらしく「すみません。あたし頭が悪いんです」と謝っていました。全然嫌味な感じはせず微笑ましいとさえ思いましたが、まつもとさんに対するような反応があるかもしれないなとちらと思いました。「進学校」と呼ばれる学校の生徒さんですからね。
それとも私の言い方には嫌みな感じが漂うのでしょうかね。
怨嗟はすでに相当かっています。「人徳」は地に墜ちています。詳細を語ることはできませんが…。
>それとも私の言い方には嫌みな感じが漂うのでしょうかね。
最貧困に近い状況にあった私ですが、「それを読んで傷つく人の身にもなってみろ」ということは、よく言われます。
さて本題です。留学するならば、コーネル大学だと言われます。どんよりとして勉強するしかしょうがない大学だからです。逆に向いていないのは、そう! 我がハワイイ大学マノア校です。昼寝に最適ハワイイ大学!
「弁当忘れても傘忘れるな」の山陰地方は、まだしも勉強に適していそうですね。沖縄はきびしそうだなあ。地上の楽園という点ではハワイと似ているもんね。
大変ご無沙汰しております。
さて、軽い冗談として書かれた文章に対して「マジレス」をするのは野暮である上に無粋でもあるということは承知しているつもりではありますが、「ロスジェネ」に属する研究者としては正直なところ笑うに笑えません。
冗談であれ何であれ、勉学の環境などを喋々されるくらいでしたら、「知恵と教養は精神の問題であり、偶然の環境での問題ではありません。獅子は檻の中でも獅子であり、驢馬にはなりません」という言葉をしっかりと噛みしめていただきたいと思いました(この言葉の出典は、チャペックの『マサリクとの対話』です)。わたしは、いまだうだつが上がらないものの、この言葉を励みにして研究を続けております。とは言え、この言葉で説かれているような内容を根拠にして基礎研究の助成を大幅に削除することを良しとする連中や、失業者が路頭に迷うのは「所詮自己責任だから国が救ってやる必要などない」などと考えて恥じることのない連中は心底軽蔑しております。
「ネタ」についつい「マジレス」をしてしまい、重ね重ね申し訳ありません。ですが、どうしても気になったので一言記した次第です。もしお気に障るようでしたら、この投稿をすぐに抹消して下さいませ。
いやいや。おっしゃるとおりです。どんな作家でも出世作は深夜のリビングのテーブルで書くといわれています。亡くなった経済学者の平田清明が私の以前勤めていた大学の学長をしていましたが、「自分の最初の著書はリンゴ箱をテーブルがわりにして書いた」といっていました。この先生の書いた本は実は読んでもよくわからないのですが、リンゴ箱云々の話は気にいっていますし、その点で尊敬もしています。