一昨年の4月に亡くなったぼくの母は、短歌を詠む人であった。歌歴は70年に及ぶ。母が小学校6年の時、県立高等女学校受験のため、近所の塾に通わされていた。「学校始まって以来の秀才」の枕言葉とともに語られていた二歳上の叔母に比べて、母はひどくできが悪いと祖母は考えていたのである。その塾の先生は若い未亡人。歌を詠む人であった。一度母の勉強をみると、「あなたは何もしなくても受かります」と言って短歌の手ほどきを始めたのである。昔の塾とは優雅なものだ。
少女時代が母の短歌の黄金期であった。彼女の短歌はしばしば、『心の花』の巻頭を飾った。戦死した自分の兄を詠んだ歌は、『昭和万葉集』にも収録されている。しかし、戦後の母には、短歌の天分を伸ばしていく暇はなかった。商家の家付き娘である母は、戦争で中断した商売を祖母と再興させながら、子育てにも追われていたのである。短歌の投稿はコンスタントに続けていたけれども、そこに大きなエネルギーを割く余裕など到底もてなかったのである。
母が四〇歳になった頃のことである。旭川で雑貨屋を営む主婦が、『氷点』という小説を書き、テレビドラマの原作に採用された。1000万円の賞金を獲得したのである。当時の1000万円は、いまだといくらぐらいになるのだろうか。自分と同い年で境遇も酷似した女性の成功に母は刺激された。これからは、短歌ではなく小説を書くと宣言した。数千枚の自分の名前が入った原稿用紙を作り、週末ごとに近所の温泉にこもっては、「創作活動」に励んだ。
短歌と小説とでは、勝手が違ったようだ。母の創作熱は一年もたなかった。一攫千金を狙うより、地道にもなかを売る方が自分の性にあっていると母は言っていた。一遍の小説も書きあがらないまま、後には膨大な原稿用紙の山が残ったのである。ぼくは、学校時代の作文の類をすべてこの原稿用紙に書いた。そして250枚の修士論文を書き上げたところで、原稿用紙の山はなくなった。ぼくは、学者としての第一歩を母の原稿用紙で踏み出したのである。
少女時代が母の短歌の黄金期であった。彼女の短歌はしばしば、『心の花』の巻頭を飾った。戦死した自分の兄を詠んだ歌は、『昭和万葉集』にも収録されている。しかし、戦後の母には、短歌の天分を伸ばしていく暇はなかった。商家の家付き娘である母は、戦争で中断した商売を祖母と再興させながら、子育てにも追われていたのである。短歌の投稿はコンスタントに続けていたけれども、そこに大きなエネルギーを割く余裕など到底もてなかったのである。
母が四〇歳になった頃のことである。旭川で雑貨屋を営む主婦が、『氷点』という小説を書き、テレビドラマの原作に採用された。1000万円の賞金を獲得したのである。当時の1000万円は、いまだといくらぐらいになるのだろうか。自分と同い年で境遇も酷似した女性の成功に母は刺激された。これからは、短歌ではなく小説を書くと宣言した。数千枚の自分の名前が入った原稿用紙を作り、週末ごとに近所の温泉にこもっては、「創作活動」に励んだ。
短歌と小説とでは、勝手が違ったようだ。母の創作熱は一年もたなかった。一攫千金を狙うより、地道にもなかを売る方が自分の性にあっていると母は言っていた。一遍の小説も書きあがらないまま、後には膨大な原稿用紙の山が残ったのである。ぼくは、学校時代の作文の類をすべてこの原稿用紙に書いた。そして250枚の修士論文を書き上げたところで、原稿用紙の山はなくなった。ぼくは、学者としての第一歩を母の原稿用紙で踏み出したのである。
それにしても、学生時代の作文をすべてご母堂のネーム入りの原稿用紙で行なった、というのは面白いお話ですねえ。ネーム入り原稿用紙なんて、漱石みたいですな。
言うまでもなくパソコン入力は、完全にローマ字入力。かつて日本語の完全ローマ字化を目論んだ不逞の輩がいたようですが、パソコンがかくまで普及した今となっては、その目論見は半ば成功している、とは言えますまいか。
「昔」と言えば、先日大学時代のノートの類をダンボール箱から引っ張り出したところ、先生の院生時代のご論文である「ミードとロマン主義再考」や「ミード自我論の両義性」が出てまいりました。「やや、お宝発見!」とばかりに、別途丁重にファイルしたしだいです。
ただこの本のなかでミードは、科学とジャーナリズムと文学は相互に兄弟のようなものだといっていたことに強い印象を受けました。NOVELといい、NEWSというように、個人の体験する新奇なできごとに価値をおくことが近代の特性だという議論です。科学のばあいであれば、個人の発見ですね。それまでの通念を打ち破る斬新なものを提示することこそが、学者・作家・ジャーナリストの使命であるはずなのに、いまのこれらの職能を担う人たちは、あまりにも世の通念に阿っているのではないでしょうか。
科学のばあいであれば、個人の発見ですね
↓
科学の場合であれば、新奇な発見ですがこれは必ず個人の経験のなかに生じるとミードはいいます。
それにしても、「ただこの本(『19世紀思想動向』)のなかでミードは、科学とジャーナリズムと文学は相互に兄弟のようなものだといっていたことに強い印象を受けました。」とは、面白いお話ですねえ。
先生があまりお好きではない(?)詩人・哲学者の山尾三省が、似たようなことを言っています。「科学、哲学、宗教の三つの道は、いずれにしても真理を歩みつつ真理を目指す、親しい三姉妹である」と。(『屋久島の森のメッセージ』) 三者の違いは、科学が実証によって真理への道を歩むのに対して、哲学と宗教は、思考と想像力と直観によって真理への道を歩む点であり、さらに哲学と宗教の違いは、哲学は「思考と想像力と直観」の主体である「私」をけっして手放さないのに対し、宗教は真理のために時にはその「私」を放棄してしまう点だ、と山尾は説いています。
これはなかなかの卓見ですが、僕はこれに文学を加えて、「親しき4姉妹」にすべきだと考えています。文学は哲学と非常によく似ているので、さしずめ両者は一卵性双生児といったところ。でも、性格は真反対。理知的だが気難し屋のソフィーに対し、感受性豊かな楽天家のリタ、といった具合に。リタに恋して30年、浮気もしたけど、一つ屋根の下暮らしてきたんだな~、と思う今日この頃です。