ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

カラマーゾフの兄弟

2007-10-28 20:27:35 | Weblog
 いま世評高き亀山郁夫さんの訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んでいる。まだ1巻を読み終えたところだが、いや実に面白いし分かりやすい。若い人が読んでも親しみがもてるのではないか。ベストセラーになるのも道理である。

 前回米川正夫さんの訳でこの小説を読んだのは中学生か高校生の頃だった。当時は、末弟のアリョーシャでさえ、ぼくにとってはお兄さんだった。ところがいまではアリョーシャは自分の子どもぐらいの年齢。父親のフヨードルは55歳だという。はるかにこちらに近づいてしまった。光陰は矢の如し。

 昔読んだ時には酒乱で好色家のフヨードルなど嫌悪の対象でしかなかった。しかし今回は共感する部分が多々あった。フヨードルが金なら一文でもおしいと演説する場面がある。自分は薄汚くだらだらと生きながらえたい。そのためには金がいるのだ、と。これは多くの中高年の本音のように思う。 フヨードルは「老醜」を象徴する人物だと思う。だからアリョーシャ以外の彼の子どもたちは、父親を憎んでいた。しかし歳をとればとるほど、男の子は父親に似てくるものだ。いまぼくはそれを痛感している。

 前に読んだ時、ぼくにはフヨードルの「好色」の本質がよく分からなかった。自分が子どもだったせいもあるし、米川正夫先生の訳が、すこしお上品に描写をぼかしたところもあったのだと思う。しかし今回は女の身体の線がどうのこうのと、フヨードルが語っている。自分は女の身体だけを、いやその一部だけを愛することができると赤裸々に語っているのである。なるほど、これは筋金入りのエロ親父だと納得できた。

 妙に心にとまった部分があった。自分はいい女だけが好きなのではない。大抵の女は自分にとっていい女なのだ、とフヨードルはいう。ある意味フヨードルは博愛主義者で、その血が末弟のアリョーシャに受継がれたのだろう。カラマーゾフ的なものの本質が何なのか、少しわかったような気がした。大変な名訳だ。この後を読むのが楽しみだ。みなさんにも是非読んでいただきたい。

8 コメント

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fake translations (ひろの)
2007-10-29 23:33:15
米川正夫先生の訳が、すこしお上品に描写をぼかしたところもあったのだと思う

To my regret,I cannot help saying that western classics we find,say, in the IWANAMI-BUNKO are full of misleading translations. This is the problem far graver than foods with fake labels which are now disturbing the public.
Too much are not lost but faked in translation.
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エロ親爺文学論 (かつのり)
2007-10-30 00:19:54
>しかし今回は女の身体の線がどうのこうのと、フヨードルが語っている。自分は女の身体だけを、いやその一部だけを愛することができると赤裸々に語っているのである。なるほど、これは筋金入りのエロ親父だと納得できた。

私がしばしば言及するクッツェー(彼にはドフトエフスキーをパロディーにした作品があり、翻訳もされている)の『恥辱』について、アマゾンのレビューで、ある女性がこんなことを書いた。女をみる視線が嫌らしい、この作家はこういういやらしさを持っているのかと思い嫌だった、みたいなことだ。

そういうのって、無いだろうと思った。50代の半ばの独身教授がスケベなのは当たり前だろう! クッツェーがスケベかどうかは関係ないだろう、とも言いたい。だが、私はもっと言いたい。人種主義的な諸関係を論じるためには、スケベ親爺の視線だとか、視線に止まらない破廉恥な行いこそが本質なのである、と。エロ親爺にこそーー彼が支配的階級であろうと没落階級であろうとーー、社会の本質が見えてくるのだ! ちなみに芥川の南京の基督はちょっとお上品すぎました。本当は、もっとスケベだったに違いない。
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岩波イデオロギーからの脱却 (加齢御飯)
2007-10-30 08:11:27
To my regret,I cannot help saying that western classics we find,say, in the IWANAMI-BUNKO are full of misleading translations.

ひろのさんのおっしゃることは私もうすうす感じていました。岩波翻訳文化には「西欧文学は偉大なり。偉大なものは荘厳なり」というイデオロギーが根底にある。だからフヨードルも「悪の権化」のような人格にしたてなければならなかった。ただのエロ親父は「荘厳」になりようもありませんからね。亀山さんの訳が斬新なのはそうしたイデオロギーから解放されたところからドストエフスキーを読むとどうなるのかということを読者に提示してくれた点にあると思います。
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性欲とその昇華 (加齢御飯)
2007-10-30 08:17:42
エロ親爺にこそーー彼が支配的階級であろうと没落階級であろうとーー、社会の本質が見えてくるのだ!

 かつのりさま。エロ親父史観(爆)。

 モスクワに向かおうとするイワンにアリョーシャに「あなたは性欲に身をまかせて…」という意味のことをいう場面がありました。これも直接的な言い回しでどきっとしたのですが、米川訳は「性欲」ということばを使っていたかなあ。

 異常な性欲の強さがカラマーゾフの特徴で、親父は下半身むき出しのこまわり君的な生き方をしていた。父親を反面教師にした3兄弟はその強すぎる性欲を昇華する生き方を選択したように思えます。すなわちドミートリーの情熱、イワンの思弁、そしてアリョーシャの信仰…。

 「性欲」をキーワードにこの小説を読み込んだ研究や評論はこれまでに存在するのでしょうか。

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性欲かあ (かつのり)
2007-10-30 18:33:36
>「性欲」をキーワードにこの小説を読み込んだ研究や評論はこれまでに存在するのでしょうか。

どうなんでしょうか? 
他人の性欲を論じたり糾弾している限り、もう簡単ですよね。従軍慰安婦をレイプした日本人兵士とかね。良い子chanになってしまって。
己の性欲とオーバーラップさせてなくては、無意味である。

お、そういえば、己の性欲みたいなのを露骨に提示している社会学者がいます、います(笑)。ただし、無害な人として提示しているような(笑)
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人間だもの (加齢御飯)
2007-10-31 06:57:38
お、そういえば、己の性欲みたいなのを露骨に提示している社会学者がいます

 はて、どこのどなたのことやら(爆)。

 徳永進医師の本を読んでいたら、高校生の頃に「オルガスムス」ということばを聞いて「おれがすすむ」とそれが聞こえたという記述とであいました。そして徳永医師のなかではおりにふれて「おれがすすむ」ということばが頭をもたげてくるといっていました。立派な人でも、やっぱりそんなことを考えるのですね。

 人間だもの

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おお、やばい、エロ親爺 (かつのり)
2007-10-31 12:15:29
今お昼のニュースを見ると、やばい、やばい、加齢さまの関連会社のエロ親爺が逮捕されてしまいました。実際、こういうこと、よくありますよね。そういえば「文化帝国主義」の翻訳者も、逮捕された記憶がある。
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いやはやなんとも (加齢御飯)
2007-10-31 22:28:06
 しかし痴漢事件にはいつもわりきれない気持ちが残ります。

 まずこの先生のばあい、満員電車がなければこんなことをしたのだろうかという思いがあります。非人間的な環境での通勤を強いられるいびつな都市構造が、「犯罪者」を作り出しているのではないか、ということがひとつ。

 そして、痴漢裁判の場合には犯人が有罪の推定を受ける。つまり普通の刑事裁判とは別に、自らの無罪の挙証責任が被告の側に課せられていることです。どうして痴漢の容疑者は殺人犯より法廷で思い負荷を負わなければ鳴らないのか。理解に苦しむところです。
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