ガラパゴス通信リターンズ

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イージーライダー

2009-06-27 08:00:03 | Weblog
 東京都の足立区で、若者が夜中公園に集まって器物損壊行為を続けていた。それに業をにやして、区内のある大きな公園では、蚊を撃退するためのモスキート音を流しているというニュースが話題になっている。行政が若者を羽虫扱いしている。これはとてもいやな気分にさせられるニュースだ。

 そもそも本当に若者が器物損壊を行っているのだろうか。「給食費未納者の急増」と同じ、行政や警察のフレームアップではないか。私はそれを疑っていた。ところが件の公園だけで器物損壊行為の被害額は70万円に及ぶという。モスキート音は感心しないが、たしかに看過できない事態ではあるだろう。しかし若者は全体的に大人しくなっている。それなのに何故、こういう現象が起きるのだろうか。

 若者が騒ぎを起こすというと、暴走族が連想される。ところが最近暴走族というものをとんとみなくなった。暴走族研究は社会学のなかで山ほどあるが、「貧乏人は暴走族にはなれない」というのがその共通認識である。四輪や迫力のあるオートバイは相当に高価だ。しかも暴走族は特攻服をユニフォームとしている。さらにクルマを改造したりアクセサリーをつけたりとお金がかかる。暴走族は、ある種のどら息子カルチャーなのだ。更生した暴走族の頭が親の家業を継いで、かつての暴走族仲間を社員として雇っているという類の「美談」には事欠かない。

 暴走族は走ることで憂さを晴らせるから、公園の器物損壊などやらないだろう。マッチョであることをよしとする彼らなりの美意識に照らした時、子どもの遊ぶ公園を壊して喜ぶというようなセコイ悪事は許容されないはずだ。ところがいまの若者は総じて貧しいから、暴走族にもなれない。神奈川県の渡良瀬ダム周辺はその昔暴走族の聖地といわれた場所だが、いまは暴走族の影もないと近くに住む学生が言っていた。暴走族にもなれない若者たちが夜の公園で暴れている。これはなんとも物悲しい光景ではないか。