ガラパゴス通信リターンズ

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歯医者さんのこと(昭和は遠くなりにけり・声に出して読みたい傑作選82)

2009-06-13 15:36:26 | Weblog
子どもの頃、近所に歯医者さんが2軒あった。一軒は小奇麗で「近代的」な、高度成長の時流に乗った医院である。ここは子どもの患者にチョコレートやチューインガムをみやげにもたせていた。子ども心にも、患者を拡大再生産しようという邪悪な意図を感じたものである。もう一軒は、おじいさんがやっている歯医者さん。相当な高齢で、診察中も手がブルブルと震えていた。思い出すだに恐ろしい。偏屈で、患者をどなりつける昔気質の医者だった。

 「近代的」歯科は流行っていた。門前市を成す盛況である。おじいさんの歯医者にかかるものは少なかった。手が震える歯医者などに、誰も診てもらいたくはないだろう。だが、ぼくはこの歯医者に通っていた。この医院のロビーには、カラーテレビが置いてあった。東京オリンピックをはさむこの時代に、カラーテレビなどまだT市では大変な貴重品だったのである。大好きな「ひょっこりひょうたん島」をカラーで観る。それが「恐怖の報酬」だった。

 T市の真中に広い地所をもつこの歯医者のことを、ぼくの周りの大人たちは「あの先生は分限者(ぶげんしゃ)だけえ」と言っていた。「分限者」とはつまりブルジョアのことである。土地を所有し、医者という人々の尊敬の的となる職業についていた彼は、まさにブルジョアであった。そして、その特権を生かして好き勝手に生きた人生でもあった。70を過ぎてから人妻を孕ませ、大騒ぎになったこともあった。「バイアグラいらず」の艶福家である。

 しかし彼は硬骨漢でもあった。大戦末期、町内の30代後半の男性に「赤紙」が来た。肺を病んでいて応召が遅れていたのだ。町内会長をしていた歯医者は、壮行会でこんな挨拶をした。「みなさん。もういけません。この戦争は負けです。この人は死にぞこないですで。そんなもんまで兵隊に取る国が、なんでアメリカに勝てましょうに」。憲兵や特高の刑事もそこにいた。だが歯医者に手出しをしなかった。多分、彼らも度肝を抜かれていたのだろう。