ガラパゴス通信リターンズ

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将軍とパン屋

2007-01-07 00:08:52 | Weblog
 「硫黄島からの手紙」はみている時には大変面白かった。しかし、見終わってよく考えてみるといろいろと不満が出てくる。硫黄島の軍事基地は、多くの朝鮮人軍属の犠牲のもとに造られたものだと聞く。しかし、この映画のなかには朝鮮人軍属の影もみえない。もちろん、栗林が彼らにどのような態度で接したのかも描かれてはいない。戦場にはダークサイドはつきものである。それを捨象したのでは、戦争映画の名に値しないのではないか。

 栗林とともにこの映画で「ええもん」(善玉)として描かれていたのが、馬術競技の金メダリストだった、西竹一中佐である。この二人には共通項がある。滞米経験があって英語が堪能。そして栗林は家族を大切にする人だったし、映画のなかの西は、捕虜になった米兵に人道的な対応をみせている。家族を大切にし、戦場においてもフェアでヒューマンな態度を貫く、「アメリカ化したサムライ」が理想的人間像ということか。この映画は日米同盟へのオマージュにも思える。

 渡辺演じる陸軍中将栗林貞道と、二宮和也が好演したパン屋の兵卒がこの映画のなかでは対比的に描かれている。この二人は家族に向けて多くの手紙を書く、家族思いのよき夫、よき父親という共通項を持つ。彼らを家族から奪い去る戦争の愚かさをこの映画は訴えている。しかし高位の職業軍人である栗林が戦場に赴くのは当然のことだ。パン屋は違う。それまでの幸福な生活を奪われ、国家権力によって地獄の戦場に拉致された犠牲者ではないのか。この二人を同列に語るイーストウッドの感覚は、狂っているといわざるをえない。

 昭和20年3月17日。大本営に決別の打電をした翌日に栗林は、陸軍大将という軍人としての最高位に昇格している。そして彼はアメリカ軍からも「最高の指揮官」という高い評価を受けた。死後も栗林は栄光に包まれている。しかし、二宮が演じたパン屋のような無名の兵卒には栄光などはない。誰も訪れることのない南の島に、いまも無残な骸をさらすだけだ。