ガラパゴス通信リターンズ

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ノーベル賞と大島紬

2006-11-23 16:17:24 | Weblog
 「史上最強のサラリーマン」、島津製作所勤務の田中さんが、ノーベル賞を受賞してからもう4年がたちます。「博士」でも「教授」でもなく、「さん」というのがいいですね。地位や権勢を追い求めるエセ学者の鼻をあかしたようで痛快です。何しろ「田中」さんです。一番フツーの名字。このノーベル賞は、日本のコモンマンの素晴らしさを物語るものといえるでしょう。

 田中さんフィーバーが続いていたころ。太郎がぼくにこう尋ねました。「びんちゃん、ノーベル賞とったことある?」。田中さんがいかにもそこらにいる感じのお父さんなので、ならば「びんちゃん」もと、太郎は思ったのかも知れません。

 ぼくが大学院の博士課程に入った1981年。福井教授が田中さんと同じノーベル化学賞をとりました。この時、ストックホルムの受賞式後のパーティに、福井教授が大島紬を着てあらわれました。それをみた母は、50万円を出してぼくに大島紬の着物を買ってくれたのです。うちの次男坊も将来学者になるのであれば、ノーベル賞をとる可能性皆無とはしない。ストックホルムで恥をかかないように立派な着物を作ってやろう。そんな母心からでした。しかし、そのころは精悍なスポーツマン体型だったぼくも、その後は醜く中年太りをしてしまい、当時の体型にあわせて作った大島紬は、一度も袖を通さぬうちに着れなくなってしまったのです。

 7年前。ぼくの病気の報を聞いて両親はひどく落ちこみました。しかし商売人の両親は、根がプラグマティックにできています。彼らは早手回しにぼくの葬式の相談をしたようです。そこで死に装束をどうするかという話題になった時、母がなんと言ったか。「ああ、大島紬がありますわいな。あのもんが太って着れんようになっとりましたけど、大病して痩せりゃあ大きさもちょうどようなりましょうで。ノーベル賞のパーティでなしに、こんなことで着せるのはほんに残念ですけどなぁ」。

 ぼくはあやうく大島紬を着て、ストックホルムならぬあの世の土(?)を踏むところでした。そんなことにならなくて本当によかった!