パウロもローマへの旅路の途中に、
大贖罪日の断食を守っていた可能性があります。
使徒言行録
27:9 かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、
航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。
この日の断食は歴史的な記念日であるプリムの祭りなどとは違い、
神が自ら啓示によって示されたものです。
私たちは花嫁断食に入ると自分の罪を嘆き、
イエス様を求めるようになります。
神と親しくなり、たとえずわかでも、神の愛を体験する者は、
それをもっと求めるようになります。
反対に、私たちを神から遠ざけようとする罪を嘆くようになります。
神と一つになりたいと願う一方で、
自分がいかに神に似つかわしくないかを知り、悲しむのです。
そして自分の未熟さや、神との関係を阻害してきたすべてのことに
痛みを感じるようになります。
これは神のよって計画された、主とともに歩むための方法の一つです。
ダビデは断食してへりくだることで、罪と向き合い、
魂を聖めようと努めました。
そして、神の麗しさを仰ぎ見ようとしました。
詩編
27:4 ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。
命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/
その宮で朝を迎えることを。
35:13 彼らが病にかかっていたとき/わたしは粗布をまとって断食し、
魂を苦しめ/胸の内に祈りを繰り返し
69:11 わたしが断食して泣けば/そうするからといって嘲られ
69:12 粗布を衣とすれば/それもわたしへの嘲りの歌になります。
109:24 断食して膝は弱くなり/からだは脂肪を失い、衰えて行きます。
嘆きは魂を苦しめるものであると同時に(イザヤ58:3,5)、
神の愛を体験することから私たちを遠ざけるすべてのものを放棄することなのです。
イザヤ書
58:3 何故あなたはわたしたちの断食を顧みず/
苦行しても認めてくださらなかったのか。
見よ、断食の日にお前たちはしたい事をし/
お前たちのために労する人々を追い使う。
58:4 見よ/お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし/
神に逆らって、こぶしを振るう。
お前たちが今しているような断食によっては/
お前たちの声が天で聞かれることはない。
58:5 そのようなものがわたしの選ぶ断食/苦行の日であろうか。
葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと/
それを、お前は断食と呼び/主に喜ばれる日と呼ぶのか。