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安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

山上説教 73 富をどう処理するか 11 二人の主人に仕えることはできない

2024-03-21 04:00:00 | イエス・キリストの生涯  マタイによる福音書
マタイによる福音書
◆天に富を積みなさい
 6:19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。

そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、

また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。

 6:20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、

さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

 6:21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

◆体のともし火は目
 6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、

 6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、

その暗さはどれほどであろう。」

◆神と富
 6:24 「だれも、二人の主人に仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、

どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

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イエスの時代は奴隷で成り立つ社会構造(注・01)でした。

ゆえに24節にあるように「二人の主人に仕えることはできない」

の主人という言葉は、奴隷が仕える主人のことを指しています。

しかし、当時のローマ法では二人の主人に仕えるとは許されていましたが、

実際は困難ことでした。

奴隷である以上、許されてはいた制度でも困難ですが、

ここでイエスは何を語ろうとしておられるのでしょうか。

二人に仕えられないにもかかわらず、

人間の本質は、「実はあいまいなままでいる」ということです。

つまり半分は神を求めて、

半分は神を愚弄しているというこという姿なのです。

教会の礼拝には参加していても日常生活は

聖書の言葉に生きるのとは正反対の歩みをしているという

二重人格的な歩みをしてしまってうといるということなのです。

これぞ神を愚弄している姿にほかならないのです。

いや自分はそのような者ではないと思っても

あいまいであれば同じことなのです。

神の言葉に生きるといいながら、このようなあいまいさでは

神の前に立つことはできません。

主人である神の前に真実に生きることが求められているのです。



奴隷で成り立つ社会構造(注・01)
古代ローマ社会において奴隷は社会・経済分野で重要な役割を担っていた。肉体労働や接客業務だけでなく、高度な知的労働にも従事していた。たとえば教師や会計士、医師は多くの場合奴隷が従事する職業で、これら高度な知識が必要とされる業務は、多くの場合ギリシア人奴隷が充てられた。それに対して、能力の劣る奴隷は農場や鉱山で使役されていた。
奴隷の用途
古代ローマの奴隷の用途は、極めて多岐にわたる。主に、都市の邸宅で使役される家内奴隷と、地方の奴隷制農場(ラティフンディウム)などに用いられる使役奴隷に大別される。
自作農が所有する奴隷
古代ローマは、地中海を制する覇権大国となる以前の、小規模都市国家だった頃から、奴隷を有する社会であった。貧しい自作農であっても、1人か2人程度の奴隷を所有するのが普通であった。そうした奴隷は、貧しい農民にとっての大切な労働力、高価で貴重な財産として、大切に扱われた。
農場の奴隷
ローマが覇権大国になると、大土地所有による奴隷制農場が盛んになり、ラティフンディウムの成立を見る。新たにローマの支配下となった国の多くの農地が国家所有となり、それを奴隷を多数所有するローマの貴族や富裕者が借り上げ、使い捨ての奴隷の過酷な労働により、多大な収益をあげたのである。
一般の家内奴隷
ローマの家内奴隷は、農場の使役奴隷ほどには過酷な境遇ではなかった。後述する通り解放奴隷となるチャンスも十分にあった。もちろん、多数の家内奴隷を有するのはローマの貴族であり、彼ら家内奴隷の悪く無い境遇も、農場の奴隷の過酷な労働に支えられたものであった。
高度専門職
教師、会計士、医師、貴族の秘書など。このような知的労働であっても、古代ローマにおいては奴隷の仕事であった。それら知的労働に携わった奴隷は、その職務に見合った高い待遇を得ていた。特に厚遇されたのは家庭教師であり、自らの主人の子弟にあたる自分の生徒に軽い体罰を与える事すら認められていた。当時の地中海世界で最高学府とされるのはロードス島であり、そこで学んだギリシア人の奴隷が、特に高額で売買された。(ウィキ)
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