歴代誌上
10:7 谷にいたイスラエル人は皆、兵士が逃げ、
サウルとその息子たちが死んだのを見ると、自分たちの町をことごとく捨てて
逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。
10:8 翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、
サウルとその息子たちがギルボア山上に倒れているのを見つけた。
10:9 彼らはサウルの遺品を奪うだけでなく、その首と武具も奪った。
ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像と民に戦勝が伝えられた。
10:10 彼らはサウルの武具を神々の神殿に納め、その頭はダゴンの神殿にさらした。
10:11 ギレアドのヤベシュの人々は皆、
ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちのすべてについて聞いた。
10:12 戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、
ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨をヤベシュの樫の木の下に葬り、七日間、断食した。
10:13 サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、
かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。
10:14 彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、
王位をエッサイの子ダビデに渡された。
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イスラエルの最初の王サウル(注・01)の死を悲しんで
民は断食したのです。
なぜ彼はこのような死を向かえてしまったのでしょうか。
初代の王として神に選ばれた王でしたが、神の導きを信ぜず、
その領域を超えてしまったのです。その結果が悲惨な死を向かえました。
ダビデ王とは余りにも対照的な信仰であり、
その比較はこれまで多く語られています。
しかし、民は彼の死を悼んで1週間の断食をするという哀悼を受けているのは
ある意味では大きな慰めです。
サウル(注・01)
紀元前10世紀頃のイスラエル王国の最初の王。
サウルはベニヤミン族出身のキシの息子で、背が高く美しい若者であった。ロバを探しに出てサムエルに会い、サムエルは彼が神が選んだ人であることを悟って油を注ぐ。
サムエルの死後にペリシテ軍がシュネムに陣を取った際、サウルは恐れて主に伺いをたてるが答えを得られず、自ら断ち滅ぼしたはずの口寄せに頼った。サムエルが現れるが「主はイスラエルの軍勢をペリシテびとの手に渡される」と言い渡される。サウルはペリシテ軍との戦いの中で、ギルボア山で息子たちと共に追い詰められ、剣の上に身を投げて自害した。また「重傷だったサウルに頼まれて家臣がとどめをさした」との異なる伝承もあるが、そのようにダビデに話した若者はダビデによって処刑された。サウルとヨナタンの遺体はペリシテ人に奪われ、鎧を剥ぎ取られた上でベテ・シャンの城壁に釘付けにされ晒し者にされていた。それを聞いたヤベシ・ギレアデの勇士たちは夜に取り返しに行き、取り返した後は火葬し遺骨はヤベシのギョリュウの木の下に埋葬して一週間断食した。後に次の王となったダビデによって、ベニヤミンの地ゼラにあるその父キシの墓に移送され葬られた。(ウィキ)