リバイバルをあまりに軽んじている証拠は、
罪が不法を平気で働くようにさせることです。
ヨハネ第一の手紙
3:4 罪を犯す者は皆、法にも背くのです。罪とは、法に背くことです。
3:5 あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。
御子には罪がありません。
3:6 御子の内にいつもいる人は皆、罪を犯しません。
罪を犯す者は皆、御子を見たこともなく、知ってもいません。
悪魔は常に法に背くように導きます。
そして神のみこころに平気で背いていきます。
しかもこれを性懲りもなく継続していくとどうなるか。
主の命令に背く罪になり、傲慢になり、悪霊に支配されていきます。
私たちはその一歩手前で意外にも平気で下記のような罪を重ねているのです。
1・教会の礼拝に参加しない罪
ヘブル人への手紙
10:25 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、
むしろ励まし合いましょう。
かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、
ますます励まし合おうではありませんか。
2・教会の奉仕をしない罪
第一コリント人への手紙
4:1 こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、
神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
4:2 この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。
3・日常生活における清くない生活の罪
第一テサロニケ人への手紙
4:7 神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、
聖なる生活をさせるためです。
特に上記の3は私たちが信仰生活に二重標準を設けているからです。
聖別されていない安易な生活から何が生まれるのでしょうか。
・様々な不道徳
・不貞、姦淫の罪
・安易な離婚
詩編の記者はこのように私たちにすすめます。
詩編
85:9 わたしは神が宣言なさるのを聞きます。主は平和を宣言されます/
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に/彼らが愚かなふるまいに
戻らないように。
しかし、邪悪と不法がはびこれば、無感覚となり、
安易で軽率な行動へと走らせます。
まことに愚かなことになるのです。
箴言
24:9 無知の謀は過ちとされる。不遜な態度は人に憎まれる。
24:10 苦難の襲うとき気力を失い、力を出し惜しみ
24:11 死に捕えられた人を救い出さず/殺されそうになっている人を助けず
24:12 「できなかったのだ」などと言っても/心を調べる方は見抜いておられる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。