太った中年

日本男児たるもの

危うい脱原発

2011-07-01 | weblog

「脱原発こそ国家永続の道」について

原発事故から心が離れない。私は事故直後にすぐ判断した。日本の将来のことを考えて「脱原発」こそ目指すべき方向である、と。産経コラム正論(3月30日付)にも、『WiLL』6月号の拙稿「原子力安全・保安院の『未必の故意』」にもそう書いたし、4月14日のチャンネル桜の討論会では福島の学童集団疎開さえ提言した。

福島第一原発の情勢の悪化を今も非常に心配している。狭い国土における「内部被曝」は人体におけると同様に始末に負えない。それに使用済核燃料の最終処理の見通しの立たない原発は、われわれが子孫に伝えるべき美しい国土を永久に汚辱し侵害するおそれがあると考えられる。私は「守る」とは何か、をしきりに考察した。派遣されたアメリカの大艦隊、「ともだち作戦」の真意と現実、東アジアにおける日本の陥った危ういポジションをどう考えるかも、問題として一体化している。

(中略)

国民は健全な常識があり、賢明である。おかしいのはいつの時代にも知識人である。昔は左の知識人が常識を踏み外していたが、今はどうであろう。保守系の知識人や言論紙が少しおかしいのではないか。今日(5月20日)の産経の社説は、いま徹底的に批判されるべき(東電以上に批判されてしかるべき)原子力安全・保安院をしきりに擁護しているのには驚いた。

(以下略)

(以上、西尾幹二のインターネット日録より抜粋)

右派の論客である西尾氏は脱原発派で上記コラムは興味深い。国土の内部被曝による汚染を怖れている。

上記コラムで「おかしいのはいつの時代にも知識人である」としてるが、脱原発派にもおかしな人がいる。以前、ツイッターを再開して不毛な脱原発派の人をリムーブしたことを記したが、具体的に言えばきっこのブログと岩上安身を盲信している人たちである。彼らは憑かれたようにきっこと岩上のツイートをリツイートする。

きっこのブログは自分の意見に合わない人を罵倒し露骨に党派性をだす。ツイッターを再開すると岩上安身はジャーナリストつーより扇動的な反原発活動家といった感じになっていた。何故だろう。

昔、共産党と社会党を支持母体にした原水協つー反核団体があった。ところが活動方針を廻る対立から内部分裂をして国民の支持を失った。イデオロギーを持ち出せば脱原発運動も原水協の二の舞になる。

それから西尾氏は反原発の学者、武田邦彦氏と小出裕章氏を礼賛する。しかし小出氏も最近おかしいのだ。

尚、武田ついては商魂逞しい反原発ビジネスなので論外。

原発学者のメルトダウン

週刊金曜日の2011年6月10日号(850号)の特集「放射能と食」に、小出裕章氏の記事があります。

【汚染されたものは大人が引き受ける】から抜粋。

「すべての食べものを測定し、汚染度が高いものは年寄りが食べればいい。子供は汚染度が低いものを食べる。大人は、特に私の世代を中心として、原子力をここまで許してきた世代としての責任がある」。

「消費者が、汚染されている福島の農産物や近海の海産物を拒否したら、福島の農業、漁業は崩壊してしまう。日本は一次産業を崩壊させ、工業を発展させるこ とを中心として進んできたが、原発はその象徴だ。その象徴である原発が事故を起こした今回、一次産業を更に崩壊させる選択をするべきでない」。

(以上、カレイドスコープより抜粋)

「汚染度が高いものは年寄りが食べればいい」つーのは姥捨て山と同じ発想、学者として如何なものか。

さて、先般各電力会社の株主総会が終了した。各総会では脱原発を会社の定款に記載する動議が提出されたが圧倒的多数(株主の9割)で否決された。資本主義の原則に従えば会社とは会社をコントロールする議決権を持つ株主のものである。代表取締役以下社員は会社と雇用契約を結んでいるに過ぎない。

各電力会社の株主は取引先の持ち合い株であるメガバンク、生保などで構成されている。それはつまり総会で脱原発を否決した株主は電力会社同様の原発推進である。国民の9割が脱原発なのに1割の原発推進株主によって電力会社の原発推進が維持されたことになる。これってなんとも捻れた構造だ。

つまりはエネルギー政策を捻れ構造の原発推進から脱原発へパラダイム転換する選択肢は政治しかない。しかし、政権与党である民主党の両院議員総会を見る限り何の希望もない。小出裕章氏のように政治に絶望する他ないのか。こうして脱原発への希望は無力感に襲われるのだった。ではまた。