太った中年

日本男児たるもの

米屋開店

2011-04-26 | weblog

さて奥さん、床屋の2階へ住み付いたものの、赤字床屋の肩代わりを断って相変わらず無職、無収入が続いた。何か商売を始めなければならない、しかしその何かがわからない、つーことでまず口座開設をした銀行でどんなビジネスがいいか聞いたところこのエリアはフード・ビジネスが圧倒的にいいとの回答を得た。そこでトロトロ(簡易食堂)が出来そうな空き店舗を探すことになった。それから毎日散歩を兼ねて物件を探した。1つ物件があったけど問い合わせると先約あってダメだった。(そこは現在、ゲイがクラブを営業している、コワッ。)

トロトロが棚上げされ、次に考えた商売はネット・カフェ。叔母さんの食堂横にあるネット・カフェが連日超満員で大学生の溜まり場になっていたからだ。また物件探しが始まり、近くにネット・カフェの看板があるシャッターが閉じたままの店舗があって、大家に連絡して中を見たところ狭すぎてダメだった。以前はPC8台置いて営業していたらしいが、その倍のPCを置かないと利益が出ないからだ。さらにネット・カフェは顧客の大半が近くにある大学の学生で、聞けばその大学が2ヶ月後移転するという。実際に移転して食堂横のネット・カフェは売上げが激減した。で、住まいから徒歩圏内にある空き店舗探しが終了、八方塞になった。

心配した叔母さんは食堂、床屋をやっていて顔が広い。その伝手で町の中心パレンケ(市場)通りにある空き店舗を紹介してくれた。但し、サリサリ(雑貨)店の申し込みがあり契約はまだつー早い者勝ちの物件なのだ。であるから話を聞いてすぐに手付金を収めた。さてここで何をしたらいいのだろういか。このとき叔母さんは米屋を勧めてくれた。場所は申し分ないのだ店舗面積が狭い。更に通りにはサリサリや米屋の競合店が多い。果たして新規参入して成功するか疑問だ。そこで妻は近くのサリサリ店に儲かるか聞いたところ儲からない、ここはトライシクル・ドライバー相手のトロトロがいいつー答えだった。やはり食い物は強い。そこで大家の婆さんにトロトロをやりたいと申し込んだところ汚れるので飲食店は不可とのこと。元の木阿弥となってしまった。

しかしながら急浮上した米屋。叔母さんの食堂ではお米を2日で1袋(50Kg)使うそうだ。結局、空き店舗はネット・カフェの看板があるところしかなくて、そこで米屋が可能かどうか考えることになった。そして妻は競合するであろう空き店舗近くにある米屋の売り子に儲かるかどうか聞いたところ儲かると返事した。そうなるとヤル気になったのは妻で、後で聞いたら、あのパゲット(ブス)な売り子が儲かるなら私が売れば何倍も儲かるつーことだった。今にして思うと妻の実家から去り、分離したはずのネネがこの時再び息を吹き返したのだ。

そうして、まず大家と店舗契約をして簡単な内装工事に取り掛かり、それが終わるとライス・スコップや秤などの備品はデビィソリアで購入、主力の米はカロオカンにある米問屋へ行って発注、グロッセリー(ジュース、お菓子、酒、煙草など米に付随して売れる商品)はバクラランで買い付けた。そして妻の故郷から売り子として親戚の若い男1人を呼び寄せ米屋を開店した。店舗契約をしてから5日後だった。当初、米屋は順調に売れた。しかし、妻が2度目の仕入れをしたときから歯車が狂い始めた。そう映画マトリックスのエージェント・スミスのように妻のエージェント・ネネは暴走した。その辺の詳細ははまた次回つーことで、奥さん、ではまた。