太った中年

日本男児たるもの

家族の絆

2008-08-04 | weblog

フィリピンの「家族とお金の常識」がどれほど非常識か、フィリピン人と交際したことのある日本男児なら理解できよう (前エントリーより)

そんなワケで、フィリピン人のファミリーファースト(家族第一主義)についてエントリー。常識とはある社会、共同体の価値観や判断基準であり、違う2つを比較したところで相対的なことであるから、どちらが正しいというものではない。ただ、それがトンデモナイ常識だから、この暑い中、考えるとイライラしてくるのは年のせい、急ごう。

ピン中オヤジがフィリピンパブへ足蹴く通い、お目当てのフィリピーナとラブラブになり、「ワタシノ ファミリー アッテ ホシイ」といわれ天にも昇る気持ちでフィリピンへ行く。彼女は20~30人のファミリーを連れてきてレストランで一緒に飯を食い、すべて支払わされてめまいを起こす。これがピン中オヤジへの洗礼である。

フィリピンは前近代的な大アジアの地縁、血縁概念が色濃く残っている。家族の概念は親、兄弟だけでなく親戚一同まで含み、日本人なら兄弟が、従兄弟まで拡大されて同質な血縁感覚となる。上記の数量的な傍系もさることながら、親子間の直系も日本に比べて質的に極めて強固であり、その関係性は異質、異様だ。

膨大なファミリーの人数に出会いめまいを起こしたピン中オヤジは、続いてフィリピーナから、「ワタシ モンダイアル オトウサン ビョーキ」の言葉を浴びて驚愕する。「会ったときは元気だったはずなのに変だゾ」、そこでピン中オヤジは考える。「ハハン、金が欲しいんだな」と気づく。このとき、リングから退場すれば傷は軽くて済む。

「子供は親のためにすべてを犠牲にして働く」、これがフィリピンの家族の常識であり、幼いころから教会や学校でそのように教える。ナマケモノの父親が幼い子供に平気で物乞いをさせる国なのだ。

嘗て隆盛してたフィリピンパブで働くフィリピーナたちは皆、稼いだお金のほとんどを国の家族のために仕送りする。言い換えれば、働かない無収入の親の代わりに家族の大黒柱となって、出稼ぎに来くる。そこをピン中オヤジは愛と勘違いする。

元気な「オトウサン ビョーキ」のために一度お金を与えると、「家族とお金の常識」が違うフィリピーナは恥も外聞なくお金を要求し、いつかどこかでフィリピーナはお金だけが目当てだったことを知って、金づるのピン中オヤジはKOされるのだった。

一般的にフィリピン人女性と結婚すれば、まず、親への送金が始まる。そして何らかの理由で金額をアップしろと要求してくる。アレばアルだけパっと使ってしまうルーズな金銭感覚だから歯止めがない。次に、「家族とお金の常識」の相乗効果で、兄弟が失業したと言い出す。実際は仕事をヤメたのだ。日本人からケツの毛1本も残さずお金をムシリ取るため、親兄弟がグルになってウソとわかるウソをつく。

家族とお金にウソの常識を加えていよいよ最終局面を向かえる。親戚一同からナニカとお金をタカられるのだ。結婚する彼女に「おじさん、おばさん、いとこ、全部で何人いるのか」と聞いたところ「100人はいないと思う、わからない」と、身の毛もよだつ答えが返ってきた。もし、そいつらからお金をタカられたらどうしよう、考えるだけでイライラしてくる。クッソー、オマエら日本人だと思ってナメやがって、郷に入らば郷に従え、、電撃作戦、先手必勝、コッチから先にグーのネも言わさないほどシツコク金をタカッて思い知らしめてやるかな、覚悟しとけよ。

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