goo blog サービス終了のお知らせ 

怪道をゆく(仮)

酸いも甘いも夢ン中。

怪道vol.142 志摩ものがたり(2)

2009年10月04日 17時40分07秒 | 怪道
てなわけで翌日です。午前中は佐田浜港からこれまたかねてより念願だった遊覧船・竜宮城に乗ったりしてヨロコビます。この遊覧船は鳥羽湾を約1時間かけて周遊するついでにかのイルカ島にも立ち寄ります。イルカ島といえばアナタ、20歳までにその名を忘れなければ「足イルカ?」なダジャレ電話がかかってくるといわれるその島ですョw 未成年な方でうっかり読んじゃったどうしような方、「いりませんョそんなの」とかいうとご自身の足切られちゃいますので気をつけてクダサイネははははは。

むっかしーむっかしーうらしまがー♪なBGMにのって湾内に浮かぶ三ツ島、飛島、弁天島等の無人島から坂手島、答志島の有人島にミキモト真珠養殖島、な風景をまるっと1時間遊覧します。ちなみに答志島、九鬼嘉隆が最期をとげた島として有名ですが、別におもしろい伝承も残ってまして、天子のご落胤である子どもが世をはばかって島からうつぼ舟に乗せて流され、流れ流れて讃岐は屏風ヶ浦にたどりつき、なんと我らがオダイシになったらしいですョ。東海圏はあのオヤジのちょっとしたシマなわけですけども、ヤツが天皇に結びつくとはなかなか一味違う意識をお持ちのようでw それにしてもベビィお大師、自然漂流した結果善通寺着とかいうなら自分ら日本列島の形ワカッテル?と思いたくなりつつ、ここを拠点に列島各地を往来していたヒトビトを偲ばせるお話でもあります。

 
鳥羽湾遊覧船・竜宮城(左)とイルカ島(右)。わが愛する2時間サスペンスでは数々の事件現場となっておりますw

小ネタを拾いつつ、本日のメイン、大王崎へ向かいます。大王崎は志摩半島の東南端に位置する、熊野灘と知多半島沖の遠州灘とを分ける岬でありマス。つまりはこの二つの海の潮目である上に暗礁や岩礁が多く、古くからの海の難所として知られております。岬の案内板いわく「大王の沖で難破しても船主は船頭に罪を問え」なかったと言い、近代に入ってからも大正6年(1917)、日本海軍の巡洋艦「音羽」が座礁するほど。この大王崎に伝わるのがご存知、ダイダラボッチのお話なのであります。

ダイダラボッチはニッポン各地に伝承される巨人の名前でありますネ。ダイダラボッチ、ダイダラホーシといえば「大仏開眼」に赤鬼なTAC隊員を人身御供に捧げるような謎の時代と行き来していた、そんな名前のヤプールがいたような気がしますが・・・それはさておきw。呼称はダイラボウ、ダダボウ、などなど地域によって様々ですが、大王崎の辺りではだんだら法師、だんだらぼっちと呼ばれているらしい。その昔、波切の大王島に住んでいただんだら法師という一目一本足の怪物が里の田畑を荒らしたり娘をさらったりする。困った村人は怪物退治のために大わらじを作って浜から海へ流すと、わらじを見ただんだら法師は自分より大きなモノがいるのかと驚き、姿を現さなくなったという。以後、毎年秋になると申の日に海へ大わらじを流すようになった、それが県の無形文化財に指定されているわらじ祭りの起源といいます。

でかい山や湖をつくったり、またその近辺の窪地を足跡に見たてられるような伝承で知られるダイダラボッチは富士山に腰かけて駿河湾で手を洗う話に代表されるように相当な巨人っぷりで描かれるわけですけども。大王崎のダンダラ法師もダイラボッチ伝承のご他聞にもれず、住処とされた大王島には足跡が残っているようではありますが、この地域の化け物がその名称で語られ始めたのは実は昭和も半ばを過ぎてからのようで、近世にさかのぼる文献には「一目之鬼神」としか出てきません。どおりでギタじぃの「ダイダラボッチの足跡」には出てこねぇわけだw

一本足についても、地続きの紀伊半島山中に残るこれまた一つ目一本足の大男・一本ダタラを彷彿とさせ、山童的性格のカシャンボなんかと混同されたりもする一本ダタラがここ大王崎では海からやってくると思えば少々興味深いことではありますが、一方でこの鬼神が「大王島と波切を一跨ぎにした」という伝説がある以上は一本足というのも元々の形ではなかったことが推測されます。わらじを一足しか流さないことから想像されたんでしょかね。様々な情報が錯綜している感はありますが、いずれにせよかの化け物がこの船乗り泣かせの茫々たる大海から押し寄せる禍のすべてをとらまえようとした知恵の産物であることには間違いナイデショウ。

大王崎灯台へと続く細いくねくね道に入る手前でふとにわか雨に降られたので(←アテクシがこんな目にあうなんてツレはよほどの雨人間だと思うのw)、雨宿りしながらお店のオバチャンと雑談に興じておりましたら、この地に伝わる様々なお話を聞かせていただけました。曰く、大王島周辺はアワビがたくさん採れるポイントなんだけれどもそこはダンダラ法師の場所、間違って近づくとタタリがあるから海女さんの間では近づかない決まりになっているとか、島へは年に一度幣を立てに行く神事があるんだとか。また、ふと店の向かいを見ると、石垣の壁に埋め込まれるように小さな祠がありまして。これは何かとたずねましたところ、一ノ木明神といい、なんでもこの大王崎の丘は城山と呼ばれかつては九鬼氏のお城・波切城があったと。九鬼氏は室町から戦国時代にかけて勇猛をはせた九鬼水軍を操る一族ですネ。そして一ノ木明神は城への一の木戸があったその名残といいます。

昭和2年に建てられたという大王崎灯台は地球の丸さを目の当たりにできるという屈指の観光スポットなわけですが、そこからの眺めは聞きしに勝る絶景であります。海岸沿いあるいは海に突出した形で立てられるいわゆる海城は五島の福江城や讃岐の高松城、紀伊田辺の洲崎城など各地で見てきましたけれども、それらは波切城に比べれば時代も新しくまた海沿いとはいえ入江の奥に見られる形。ところが九鬼氏やそれ以前の川面氏がここ城山に城を構えていたのは中世半ば頃で、しかも場所は太平洋に突出した岬の突端。さらにこの岬はただの岬ではなく、「一目之鬼神」があらわれるようなあやかしの住む海に向かっているわけです。それが単なる「海岸段丘を天然の要害とした城」でありえましょうか。波切の集落を大王島から直接さえぎる方の岬に立つのは波切神社なんですけどね・・・九鬼ちょうこぇぇ(°Д°)と思ったのはワタクシだけかしら。

 
大わらじが流される浜辺(左)。波切城跡(右)は浜から見て大王崎灯台の奥になりマス。

 
波切神社の沖に浮かぶ大王島(左)と、ダンダラ法師(右)。ほ・・・ほしがってね?!


鳥羽へ戻る道すがら、石鏡(イジカ)港へ立ち寄ります。石鏡港は初ゴジこと1954年公開の東映特撮映画の金字塔「ゴジラ」で、ゴジラが「大戸島」に上陸するシーンが撮影されたロケ地であることは知る人ぞ知る話。思えば熊野灘、伊勢湾から遠州灘にかけては、大王崎の「一目之鬼神」、桑名の海坊主や、伊良湖岬の黒入道と、海の巨人伝説が点在する地域であるわけです。かくなる場所を現代の海の大怪獣が上陸する地に選ぶとは。映画スタッフの方々もなかなかにオツなことをされるものだなぁと思った次第でありマス。


ゴジラ初の上陸地・石鏡港。山の形に見覚えがあるでしょw

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そもそも (つんたろう)
2009-10-04 18:14:43
草鞋流すのと一つ目の鬼の伝承は関係なかったとか何とかごにょごにょごにょ。
返信する
いやぁ (いつきの…)
2009-10-04 19:23:45
面白い。地元にいると、普段行かないところは観光情報以外の資料が覆い隠されて知らないことがいっぱい!!
返信する
おぅぅ (主催者)
2009-10-04 22:11:36
>つんたろうさま
あー、なるほど、そんな感じしなくもないですね。

>いつきのさま
地元のいつきさまにオモシロイと言っていただくことが一番の目標でしたw 達成w
返信する

コメントを投稿