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ヴァラナシと他の現代的な諸都市との、性格と伝統における根本的な相違は、ヴァラナシの歴史を注意深く研究し、積極的かつ敬虔な態度で、この都市での日々の生活を観察するならば、明らかとなるだろう。そのようにして初めて、この都市は、他に代え難い特質を持っているのだ、ということが納得できるのである。
過去と同様、ヴァラナシの偉大さは、シュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのような近代インドの精神的指導者達に加えて、ラビンドラナート・タゴールのような、インド文化の傑出した擁護者達(champions)によっても認められてきた。ラビンドラナートは、ある機会に所見を述べている。
「ヨーロッパ大陸では、パリがフランスの、ローマがイタリアの、そしてアテネが古代ギリシアの知性の中心地であることがわかる。同様に、ヒンドゥー・インドの歴史において、カーシー(ヴァラナシ)から遠く離れた地域で発展した全ての学問の本流は、常に、何らかの機会に、カーシーと結びついたことを我々は知る。
事実カーシーは、ことさらに、インドの他州に属することはなく、インド全州に属している……インドにある聖地全ての主要な役割は、あらゆる地域から来た人々に、その場所で、彼ら自身よりも偉大な魂の存在を感じ得る、ということを理解させることである。完全なヒンドゥー・インドの偉大な統一をはっきりと理解させることができるもの、それがこれらの聖地なのである。これらのプリーや、他の聖地と異なるカーシーの際立った特徴は、信仰の流れが出会う場所と言うだけではなく、インドに存在する異なる学派全てが一体となる場所でもある、ということである。」
ヴァラナシに特別な敬意を払うことがなかったイスラム教徒にさえ、この都市に魅せられた人々がいた。1750年頃にこの都市に移住したペルシアの偉大なる聖人にして詩人、シャイフ・アリー・ハズィと、ミルザー・ガーリブは、ヴァラナシの美しさに魅了され、その偉大さを認めた(理解した、悟った)。
アリー・ハズィは、この都市に感謝して(を認めて)、以下のペルシア語の二行連句を記した。
「私はバナラス(Banaras)を立ち去ることはないだろう、
それは全てに祈願する地(場)。
彼らはガンガーで沐浴し、その足を石(畳)に擦りつける。
何と神聖な(高貴な)石であることか、
何と神聖な肉体であることか、
聖なるガンガーに触れているのだから。」
ミルザー・ガーリブの手になる、ウルドゥー語によるヴァラナシ讃歌も素晴らしい。彼は歌っている。
「主よ、バナラス(Banaras)を邪悪な眼差しから隠し(覆い、守り)給え。
この陽気な(楽しい)天国、
このエデン園、
この法螺貝を吹き鳴らす人々を礼拝する場、
否、ここはインドのカアバ神殿。」
また、バックグラウンドが完全に異なっているにもかかわらず、ヴァラナシの非凡さを深く認めることに成功した(?)西洋の学者にも事欠かない。学者にしてロンドン伝道協会のメンバーであったM.A.Serring師は、19世紀の中葉、数年間この都市で暮らし、キリスト教の伝道師らしい批評眼を持って観察している。
「ベナレス(Benares)は、古き時代だけが注目に値するわけではない。我々が知っている限り、常に示されてきたその生命力や活力もまた際立っている。多くの都市や国家が衰退し、消滅しているときに、ヴァラナシの太陽は決して沈むことがなかった。それどころか、長い過去を通じて、ほとんど、中天高く光彩を放って輝き続けたのである……そして長い時代の異教徒の支配を経て、この荘厳な都市は、今なお、新鮮さと昔日の美の全てを保っているのである。……カルカッタ(現コルカタ)、マドラス(現チェンナイ)、そしてボンベイ(現ムンバイ)は、広い地域に向けた国家貿易を担う商業の中心地である。しかし、それらの諸都市は、大衆に訴え掛けることはない。……ベナレスは、国民の生きている(生きた)神託である。そして、ヒンドゥー教徒を専制的な力で支配する、彼らの神聖な儀式と実践すべてにわたって。」
この都市の、北京、エルサレム、メッカ、アテネやローマの他の古代都市と比較して、最も著しい特徴をあげるとすれば、人々の生活に及ぼす包括的な影響範囲の広さと、その絶たれることのない継続性にある。ヴァラナシは、人生の様々な状況すべてに対して目的を提供し、人生の規範を示す、法(ダルマ)、実利(アルタ)、性愛(カーマ)、そして解脱(モークシャ)である。そして、文明の黎明期にこの地に栄えたこの人生規範は、今なお栄え続けているのである。
ヒンドゥー(教徒)が、この都市に捧げる大いなる崇敬と、この都市から受ける魅惑は、以下の南インドに見られる結婚の習慣によって例証される。結婚の儀式の一部として、新郎は、想定上、カーシーの巡礼の旅に発つ。やがて彼が村はずれを通り過ぎ北へ向かうと、未来の義父が待ち構えていて、娘を嫁にやるからと、結婚の申し込みをして、結婚生活のために村に戻るように新郎を説得する。新郎はその結婚の申し出を承諾し、村に帰るのである。この習慣は、フランス人旅行者J.A.Duboisが1792年から1832年のインド滞在時に述べたものだが、ある地域では、今日でも見られる習慣である。
カーシーという名称を用いた都市が少なくとも3ヶ所存在する、ヒマラヤ山脈のウッタル・カーシー(北のカーシー)、南インドのダクシン・カーシー(南のカーシー)とシヴァ・カーシーである。
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<関連記事>
「ヴァラナシ(1)」――都市の第一景――
「ヴァラナシ(2)」――ヴァラナシの現在――
「ヴァラナシ(3)」――ヴァラナシの独自性――(当ページ)
「ヴァラナシ(4)」――名称の由来――
このたび、メインサイト、「Hinduism & Vedanta」
に「ヴァラナシ」第1章全訳をアップ致しました。是非ご覧下さい。
詩聖タゴールの生涯に関しましては、サントーシーさんのブログ「カレーなる日々」に記事がアップされています。
「ラヴィーンドラナート・タゴール」
また、「シュリー・ラーマクリシュナ」「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ」に関しましては、
当メインサイト「Hinduism & Vedanta」
当ブログ 「ラシクの物語」
を御覧ください。
過去と同様、ヴァラナシの偉大さは、シュリー・ラーマクリシュナやスワーミー・ヴィヴェーカーナンダのような近代インドの精神的指導者達に加えて、ラビンドラナート・タゴールのような、インド文化の傑出した擁護者達(champions)によっても認められてきた。ラビンドラナートは、ある機会に所見を述べている。
「ヨーロッパ大陸では、パリがフランスの、ローマがイタリアの、そしてアテネが古代ギリシアの知性の中心地であることがわかる。同様に、ヒンドゥー・インドの歴史において、カーシー(ヴァラナシ)から遠く離れた地域で発展した全ての学問の本流は、常に、何らかの機会に、カーシーと結びついたことを我々は知る。
事実カーシーは、ことさらに、インドの他州に属することはなく、インド全州に属している……インドにある聖地全ての主要な役割は、あらゆる地域から来た人々に、その場所で、彼ら自身よりも偉大な魂の存在を感じ得る、ということを理解させることである。完全なヒンドゥー・インドの偉大な統一をはっきりと理解させることができるもの、それがこれらの聖地なのである。これらのプリーや、他の聖地と異なるカーシーの際立った特徴は、信仰の流れが出会う場所と言うだけではなく、インドに存在する異なる学派全てが一体となる場所でもある、ということである。」
ヴァラナシに特別な敬意を払うことがなかったイスラム教徒にさえ、この都市に魅せられた人々がいた。1750年頃にこの都市に移住したペルシアの偉大なる聖人にして詩人、シャイフ・アリー・ハズィと、ミルザー・ガーリブは、ヴァラナシの美しさに魅了され、その偉大さを認めた(理解した、悟った)。
アリー・ハズィは、この都市に感謝して(を認めて)、以下のペルシア語の二行連句を記した。
「私はバナラス(Banaras)を立ち去ることはないだろう、
それは全てに祈願する地(場)。
彼らはガンガーで沐浴し、その足を石(畳)に擦りつける。
何と神聖な(高貴な)石であることか、
何と神聖な肉体であることか、
聖なるガンガーに触れているのだから。」
ミルザー・ガーリブの手になる、ウルドゥー語によるヴァラナシ讃歌も素晴らしい。彼は歌っている。
「主よ、バナラス(Banaras)を邪悪な眼差しから隠し(覆い、守り)給え。
この陽気な(楽しい)天国、
このエデン園、
この法螺貝を吹き鳴らす人々を礼拝する場、
否、ここはインドのカアバ神殿。」
また、バックグラウンドが完全に異なっているにもかかわらず、ヴァラナシの非凡さを深く認めることに成功した(?)西洋の学者にも事欠かない。学者にしてロンドン伝道協会のメンバーであったM.A.Serring師は、19世紀の中葉、数年間この都市で暮らし、キリスト教の伝道師らしい批評眼を持って観察している。
「ベナレス(Benares)は、古き時代だけが注目に値するわけではない。我々が知っている限り、常に示されてきたその生命力や活力もまた際立っている。多くの都市や国家が衰退し、消滅しているときに、ヴァラナシの太陽は決して沈むことがなかった。それどころか、長い過去を通じて、ほとんど、中天高く光彩を放って輝き続けたのである……そして長い時代の異教徒の支配を経て、この荘厳な都市は、今なお、新鮮さと昔日の美の全てを保っているのである。……カルカッタ(現コルカタ)、マドラス(現チェンナイ)、そしてボンベイ(現ムンバイ)は、広い地域に向けた国家貿易を担う商業の中心地である。しかし、それらの諸都市は、大衆に訴え掛けることはない。……ベナレスは、国民の生きている(生きた)神託である。そして、ヒンドゥー教徒を専制的な力で支配する、彼らの神聖な儀式と実践すべてにわたって。」
この都市の、北京、エルサレム、メッカ、アテネやローマの他の古代都市と比較して、最も著しい特徴をあげるとすれば、人々の生活に及ぼす包括的な影響範囲の広さと、その絶たれることのない継続性にある。ヴァラナシは、人生の様々な状況すべてに対して目的を提供し、人生の規範を示す、法(ダルマ)、実利(アルタ)、性愛(カーマ)、そして解脱(モークシャ)である。そして、文明の黎明期にこの地に栄えたこの人生規範は、今なお栄え続けているのである。
ヒンドゥー(教徒)が、この都市に捧げる大いなる崇敬と、この都市から受ける魅惑は、以下の南インドに見られる結婚の習慣によって例証される。結婚の儀式の一部として、新郎は、想定上、カーシーの巡礼の旅に発つ。やがて彼が村はずれを通り過ぎ北へ向かうと、未来の義父が待ち構えていて、娘を嫁にやるからと、結婚の申し込みをして、結婚生活のために村に戻るように新郎を説得する。新郎はその結婚の申し出を承諾し、村に帰るのである。この習慣は、フランス人旅行者J.A.Duboisが1792年から1832年のインド滞在時に述べたものだが、ある地域では、今日でも見られる習慣である。
カーシーという名称を用いた都市が少なくとも3ヶ所存在する、ヒマラヤ山脈のウッタル・カーシー(北のカーシー)、南インドのダクシン・カーシー(南のカーシー)とシヴァ・カーシーである。
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<関連記事>
「ヴァラナシ(1)」――都市の第一景――
「ヴァラナシ(2)」――ヴァラナシの現在――
「ヴァラナシ(3)」――ヴァラナシの独自性――(当ページ)
「ヴァラナシ(4)」――名称の由来――
このたび、メインサイト、「Hinduism & Vedanta」
に「ヴァラナシ」第1章全訳をアップ致しました。是非ご覧下さい。
詩聖タゴールの生涯に関しましては、サントーシーさんのブログ「カレーなる日々」に記事がアップされています。
「ラヴィーンドラナート・タゴール」
また、「シュリー・ラーマクリシュナ」「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ」に関しましては、
当メインサイト「Hinduism & Vedanta」
当ブログ 「ラシクの物語」
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18世紀にインドに移住したペルシアの詩人の話は知りませんでした。
ムスリムでも、この都市に魅せられた人々がいたとは、この地の素晴らしさです。
昔からインドに移住するペルシア人は結構いますが、その逆は前者よりずっと少ないのも、インドの包容力の違いでしょうか。
いつもコメントをありがとうございます。
イスラム教に改宗したインド人ならともかく、移住してきたペルシア人がガンガーの神聖さを認めたり、ヴァラナシを「カアバ神殿」と表現して最大級の賛辞を捧げているのは、凄いことなのかもしれません。
宗派を超えて感じる神聖なものや豊かさが、この町にはあったのでしょうね。
カースト等の難問を抱えつつも、全体としては大きな包容力を見せている、これはインドの特質かもしれません。