一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「ヴァラナシ(1)」――都市の第一景――

2007年02月10日 11時17分12秒 | ヴァラナシ(ベナレス)
      <都市の第一景>

ヴァラナシは、全インドの縮図である。ヴァラナシに起きた様々な事柄にもかかわらず、ヴァラナシは、太古の国土の宗教と文化的伝統の中心地として繁栄を続けたのである。神秘的な気質に富み、荘厳な河岸に位置するこの多彩な都市は、長きにわたり、訪れる人々の心をたちまち奪い、そして魅了してきた。

ここに、一旅行者の手記がある。
「その都市は、高くなったやや円形の河岸に位置し、水際へと下っている。数々のモスク、塔、寺院、異なる様式の建築物、祈りの場へと続く長い階段――河、広大な眺望、速い流れ――対岸の美しさ――要するに、いかなるものでも、ヴァラナシの最初の景観ほど心を打ち、深い印象を残すことはできない、と言うことである。建築物は全て石造りであり、長い時の風雪に耐えているように思われる……ヒンドゥ寺院の尖塔に立つ三叉の鉾と、モスクに掲げられる新月章(crescent)は全て、真鍮製か金メッキが施され、陽を浴びて荘厳な姿を際立たせる……大群衆の沐浴や祈りは、最も名状し難い印象を与える」(Lady Nugent Maria, including,
A Voyage to India and Residence in India)

インド文化の素晴らしい解説者であったシスター・ニヴェーディターもまた、この都市の栄光と偉大さについて記している。
「初めて訪れた者がガンガーを漕ぎ下るとき、寺院と沐浴場(ガート)の長い連なりを通り過ぎる。代わる代わる各々の由来を聞かされるうちに、それぞれの構築された美の新鮮な啓示に息を呑みながら、彼は感じる、インドの全ての道は、常にヴァラナシに導いて来たに違いない、と」(Sister Nivedita ‘A Study of Benaras’)

この都市は、歴史的な興味をそそる名所に満ちているので、博学なガイドは、道なりに、ほとんど一歩毎に立ち止っては、好奇心の強い訪問者に説明するだろう。例えば、「ここでは、はるか昔にアシュヴァメーダ祭が執り行われました……そしてこちらには、かつて、ヴィシュヴァナータとビィンドゥマーダヴァの立派な寺院が建っておりました」というように。

「こちらは」、我々のガイドは続けるかもしれない、「ジャイナ教第23代の祖師、パールシュヴァナート(マハーヴィーラは24代目)がお生まれになった場所です。こちらは、トゥルシーダースがラーマの瞑想に没頭し、ラーム・チャリト・マーナス(ラーマ王子の所行の湖)を著した場所です。こちらは、カビールが、かの有名な自作の詩(sakhi)を歌った場所です。こちらは、グル・ナーナクが遊行僧として過ごした場所です。こちらは、シュリー・ラーマクリシュナが巡礼の旅の途中、トライランガ・スワーミーと面会なさった場所です。こちらは、藩王チェット・シンが暮らし、英国人に対し権利を主張した場所です。こちらは、バーラテーンドゥ・ハリシュチャンドラが代表的文学作品を創作した場所です。そしてこちらが、ペルシャからやって来た高名な聖者にして詩人のシャイフ・アリ・ハズィが眠り、二度と目を覚まさなかった場所です。」

そして、多分、我々の学識豊かな同伴者は、いわば心眼を通して過ぎ去りし過去を凝視し、低く、甘い声で物語るであろう、「これらは、ゴータマ・ブッダ、シャンカラ・アーチャーリヤ、ラーマーヌジャ、ラーマーナンダ、シュリー・ラーマクリシュナ、そして他の宗教的指導者によって、代わる代わる横切られた、まさしくその路地なのかもしれません……そしてガンガーを眺望しながら、これらが、彼らの魂を揺さぶる説法の反響が、かつて響き渡った沐浴場(ガート)なのです」と。

ということは、ヴァラナシに見られる古代のほぼ全ての寺院、全ての修道院、全ての家屋、全ての路地と沐浴場(ガート)は、いずれも、貴重な歴史に彩られている、ということである。それぞれが、聖者、学者、貴族または芸術家との、神聖で愛情のこもった思い出に結びつけられている。各々が、語るべき無数の物語を持っている。しかし、それらが語られることは、非常に稀である。それらは、景観から隠れているに過ぎない。それらは、気づいて欲しいと願っているし、各時代の財宝の数々を探究者に明かしたいと願っているのである。それで、このような探索者にとって、薄闇(グレー)、使い古された邸宅、不潔さに対する無頓着と彼らを取り巻く騒音に縁取られたこのこの都市の、狭く、神秘的で、さざめきが絶えない路地を思索にふけりながら歩き回ることは、常に価値がある。それは、わくわくさせる忘れ難い体験であり、ヴァラナシ以外のいかなる都市からも、呼び覚まされ得ないものなのである。

インド(Hindus)古代の諸聖典は、ヴァラナシを明確に賛美しているが、単なる一都市であれば、想像さえもできない。それらは、幾度も宣言する、ヴァラナシは比べるものとてなく屹立する、この世界においても、かの諸世界においても――「かくの如きは、天界になく、大地になく、地下の世界にもない。」(原文サンスクリット「ヴァーマナ・プラーナ」より?)

紀元前から発展していたヴァラナシは、ヴェーダ諸文献や、ウパニシャッド諸文献において、すでに(最初に)言及されている。諸世紀を通して、その多元的な性格を持ったこの「黄金の都」は、遠方から、近隣から、夥しい人々を引き寄せてきた。ある人々は、ヴァラナシの壮麗な美しさと豊かな文化に魅了されてやって来た。他の人々は、物質的な繁栄にひかれ、そしてもちろん、多くの人々がヴァラナシの宗教上の魅力に惹かれて来た。信心深いインド人(Hindus)は、この都市が日常経験の範囲を超えた特質を持ち、ここで暮らし、死を迎えることは、共に、大変な幸運をもたらす、と信じている。インド(Hindu)の諸聖典によれば、カーシー(ヴァラナシ)での死は、苦痛に満ちた生死の輪廻からの解放を人に保証する。そして、カーシーの聖なる大地で、死に際の数日を過ごすことや、特に、息を引き取ることは、大切に育んできた夢なのである――「カーシーで迎える死は、解脱である。」(原文サンスクリット「スカンダ・プラーナ カーシー篇」より)


   **************************************

なお、本文で触れた「カビール」に関しては、mugiさんのブログ「トーキング・マイノリティ」に、洞察に満ちた記事がアップされています。
「平和と唱えて世界が救われるなら・・・」
「イスラム化したイラン、イスラム化しなかったインド」

<関連記事>
「ヴァラナシ(1)」――都市の第一景――(当ページ)
「ヴァラナシ(2)」――ヴァラナシの現在――
「ヴァラナシ(3)」――ヴァラナシの独自性――
「ヴァラナシ(4)」――名称の由来――

このたび、当ブログメインサイト、「Hinduism & Vedanta
に「ヴァラナシ」第1章全訳をアップ致しました。是非ご覧下さい。

また、「シャンカラ・アーチャーリヤ」、「シュリー・ラーマクリシュナ」に関しましては、
当メインサイト「Hinduism & Vedanta
当ブログ   「ラシクの物語
を御覧ください。


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4 コメント

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TBありがとうございました (mugi)
2007-02-11 20:38:01
こんばんは、TBありがとうございました。

記事を楽しく読ませていただきました。
ヒンドゥーの聖地としてあまりにも有名なヴァラナシに、モスクも混在しているのがすごいですね。
イラスムの聖地にヒンドゥー寺院があることなど、考えられません。いかにもインドを象徴する地です。

英国はこのヴァラナシでの火葬を止めさせようとしたことがあったそうです。不衛生、非近代的という理由で。
西欧の傲慢の典型。ヒンドゥーはパールシーの鳥葬を認めてますよ。
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インドの包容力 (便造)
2007-02-12 11:50:52
mugiさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

>イラスムの聖地にヒンドゥー寺院があることなど、考えられません。

ああ、これは確かにそうですね。
ヴァラナシでは、イスラムの勢力がが強まると、ヒンドゥー寺院を破壊してモスクを建てたり、その逆もあったりで、結局は混在することになったのかもしれませんね。

それにしても、破壊しつくさないのは、ヒンドゥーの包容力のなせる業でしょうか。

火葬の遺骸を流すガンガー、水質を調べてみると、以外に大腸菌などの割合が低いそうな、不思議です。


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Unknown (たかはし)
2007-02-12 19:13:04
行ってみたくなりました。
カーシーって仏教の経典にも出てきました。釈迦が王子だった頃、お香も服も下着もカーシー産以外は用いなかった、というものです。カーシーってベナレスと説明されてましたが、同じことですか。
それは高級品という意味なのだと思っていました。聖地で作られた神聖なもの、という意味もあったのでしょうか。高価なものには違いないのでしょうね。
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カーシー (便造)
2007-02-13 02:15:18
たかはしさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
「行ってみたくなった」とは、とても嬉しいお言葉です!
翻訳の甲斐があったというものです!

カーシーは、歴史の長い都市なので、その間に多くの名前で呼ばれています。
その一つが「ベナレス」です。

現在の正式名称は「ヴァーラーナスィー(ワーラーナスィー)」です。

カーシー産のシルクは、今でもやはり高価だと思います。私は、「聖地で作られた神聖なもの」というところには、思い及びませんでしたが、たかはしさんの仰るとおりかもしれません。そう考えると、「釈尊は幼い頃から神聖さに包まれていた」という、仏伝としては、とても意義深い解釈が生まれますね。

これはとても良い考えを伺うことができました、ありがとうございました。

また、ヴァラナシの「名前の変遷とその由来」については、連載4回目でアップする予定です。

今しばらくお待ちくださいませ。
週一回のアップを目指しておりますので、翻訳が順調に進めば、3月3日辺りになりそうです。
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