一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

「神隠し」

2005年11月08日 12時21分17秒 | 日記
昨晩変わった夢を見た。
普段はとりとめのない夢が多い中、まとまりのある夢は久しぶりなので、忘れる前に書いておく。

舞台は昭和30年頃の山間の小さな町である。
小さな商店があるが、その先は暗い闇に包まれている。
自分の家は、その商店街が終わるT字路の向かいにあり、明るさと暗さの狭間にある家だった。
自分は小学校五、六年の少年で、数年前に神隠しにあい、今日、小学校三年生ぐらいの弟分の少年(寅吉としておこう)を連れて町に戻ってきたのである。

時間は7時ごろであろう。
日はとっぷりと暮れ、商店街には、ぼんやりと明かりがともっている。
数時間前に町に帰ってきた私は、両親に挨拶を済まし、町を歩いていた。町の人々は、驚いたり、喜んだり、そして不思議な怪訝そうな顔をしていた。

商店街を通り、寅吉を連れて家に戻るところだった。
私達が、商店街が終わるT字路に差し掛かると、銃声が二発聞こえた。
私達の帰郷を快く思えない人々もいたのだ。
一発は寅吉の頭頂を掠め、もう一発は寅吉の頭に命中した。
撃ったのは二人組みの一人、馬面の大きめな男だった。
町の人々はまだ怪訝そうな顔をしているが、おばさんたちは、その二人組みをきつくたしなめている。

私は、「山に帰ろう」と決意する。
寅吉を見てみると、何故か生きている。

自分の決心を伝えようと玄関に入ると、身支度を整えた母が、小さな風呂敷包みと筒状のものを抱え、決意したかのように家を去るところだった。私は、母の敏感さと愛情に驚く。

座っている父に、「もう山に帰る」と告げると、父は体が飛び跳ねるほど全身で驚き、「どうして!」と思わず口から出る。
「寅吉を撃ったんだ。もうこんなところにはいられん!」
絞り出すような声がでた。

「ああ、曾おばあさんが言っていたことは本当だったんだな。人をさらうのは北朝鮮だけではなかったのだ」と、少し離れている自分が考えていた。
ここで夢は終わった。

象徴的な夢ではなかったが、感情のこもった夢だった。









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2 コメント

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象徴的でもあるような・・・ (吟遊詩人)
2005-11-08 20:18:10
夢って面白いね。



ユングに夢分析をしてもらったら、きっと何か意味を見出してくれるんだろうけれど、私には、よく分からない・・・ただ、象徴的なものも含まれているような気がしたよ。



「神隠し」なんて、普通は夢で見るようなものじゃないし、現実にも、不思議なものとして扱われているものね。



でも、おもしろい夢見られていいなぁ。

私なんて、夕べはモロに仕事の夢で、

「もう少し早くできないの?」

とか言われていた・・・(T_T)
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こんな夢は……。 (便造)
2005-11-09 13:16:26
自分でも珍しいよ。

大体ストーリーがまとまっている夢など、それほど記憶にない。思い出すのも難しい。

周辺は暗く、ぼんやりしたなかで、必要な部分だけが鮮明な夢でした。



>ユング

ユングはもう居ないし、河合隼雄は面白くないし^_^;



いつもは吟遊詩人さんのような夢ですよ。

ただ、人から言われるのではなく、自分であせっている夢がとても多い。

こういうのは、何が原因か分かりやすいですね。

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