メインサイト『Hinduism & Vedanta』も、この五月で開設一周年を迎えました。
小難しいサイトを御覧頂いた皆様には、厚く御礼を申し上げます。
さて、このたびメインサイトにアップしました『バガヴァッド・ギーター シャンカラ註』は、ギーター本文の「2章11-16偈」に対しての註釈です。
以下には『バガヴァッド・ギーター』の本文のみ、「2章1-16偈」をアップしておきます。
同族間の戦争において、敵方に師や親戚を見て、ひるみ、正義の行いに対して混乱している戦士アルジュナに、クリシュナが語りかけていきます。
(1)同情によって圧倒され、目が涙で満たされ、心かき乱され、意気消沈した彼(アルジュナ)に、悪魔マドゥの殺戮者 (:クリシュナ) は次の言葉を語った――
神聖なる主(クリシュナ)は語った――
(2)この危急の時において、気高い人々が好まず、天界に導くこともなく、不名誉であるこの精神の落胆は、いったいどこから起こったのだ。おおアルジュナよ。
(3)プリター夫人の子(アルジュナ)よ、勇気を失ってはならない。これはあなたには相応しくない。卑しむべき臆病さを取り除き、立ち上がりたまえ、敵の征服者よ。
アルジュナは語った――
(4)ああ、マドゥの殺戮者よ。戦闘において、尊敬に値する両人、〔大伯父〕ビーシュマや、〔師〕ドローナに対して、どうして私は矢を向けることができようか、おお、敵の殺害者よ。
(5)これらの尊敬すべき師達を殺すよりは、乞食によって得られた食物で、この世に暮らすほうが良い。しかし、もし私が彼らを殺害するならば、私は、ただ、ここで、血塗られた富と快楽の喜びを楽しむだけであろう。
(6)われわれが勝つべきであるか、彼らが我々を征服すべきか、我々はいずれがより望ましいかを知らない。殺した暁には、我々が生きることを望まないであろうまさに彼ら、ドリタラーシュトラの息子達が我々と対峙している。
(7)本性は、憐憫の情という過誤によって圧倒され、私の心はダルマ(義務、正義)について当惑している。私は貴方に尋ねる。私のために、いずれが優れているかを決心して語り給え。私はあなたの弟子である。願わくは、庇護を求めた私を導き給え。
(8)というのも、たとえ私が、地上の比類なく繁栄している王国や、神々を超える主権さえも得るとしても、私は実に、私の感官を枯らしている深い苦しみを取り去るすべ(救済策)を見出すことができないからである。
戦場の報告者であるサンジャヤが語った ――
(9)それで、感官の主(:クリシュナ)に、眠りと怠惰を征服せる者 (:アルジュナ)は話をして、敵の征服者(アルジュナ)は、ゴーヴィンダ (Govinda:クリシュナ) に「私は戦わない」と言って、黙ってしまった。
(10)おお、バーラタ(即ちドリタラーシュトラ)よ! 両軍の真中で意気消沈している彼に,フリシーケーシャ (クリシュナ) はまるで微笑むかのように次の言葉を語った。
(11)哀憐されるべきでない人々のために、あなたは嘆き悲しんだ。
そのうえ、あなたは智慧の言葉を語る。
〔真の〕智者は、死せる者のためにも生ける者のためにも悲しむことがない。
(12)私が存在しなかったことは、決してなかった。同様に、あなたも、そしてこれらの王達も。また、我々全てが、未来に(atas param)存在しなくなるときも決してないであろう。
(13)〔個我を司る〕主体(dehin)が、この肉体の中で、あたかも、幼年期、青年期、老年期と経るように、その様にまた、〔死後に〕他の肉体を得るのである。
賢者はそこで混乱させられることがない。
(14)おお、クンティー夫人の子(アルジュナ)よ。ただ物質との接触だけが、寒暑、苦楽を引き起こす。
〔そして、それらは〕来たりては去る無常なるものである。
おお、バーラタ(アルジュナ)よ、それらを耐え忍べ。
(15)それら〔の接触〕に動揺させられない人、苦楽を等しいと見る者である賢者、彼のみが不死に達するである。
(16)非実体(asat)なるものに、存在はない。実体(sat)なるものに、非存在はない。
しかし、これら両者の辺際は、真理を見る人々によって看破された。
16偈に対するシャンカラの註では「壷が、ある」という一文を手がかりに、一元論を説くヴェーダーンタ学派(シャンカラ)の存在論が展開されていきます。内容とともに用語の選定には非常に苦労いたしました。
それでは、当ブログのメインサイト「Hinduism & Vedanta」のトップページからお入りください。
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さて、このたびメインサイトにアップしました『バガヴァッド・ギーター シャンカラ註』は、ギーター本文の「2章11-16偈」に対しての註釈です。
以下には『バガヴァッド・ギーター』の本文のみ、「2章1-16偈」をアップしておきます。
同族間の戦争において、敵方に師や親戚を見て、ひるみ、正義の行いに対して混乱している戦士アルジュナに、クリシュナが語りかけていきます。
(1)同情によって圧倒され、目が涙で満たされ、心かき乱され、意気消沈した彼(アルジュナ)に、悪魔マドゥの殺戮者 (:クリシュナ) は次の言葉を語った――
神聖なる主(クリシュナ)は語った――
(2)この危急の時において、気高い人々が好まず、天界に導くこともなく、不名誉であるこの精神の落胆は、いったいどこから起こったのだ。おおアルジュナよ。
(3)プリター夫人の子(アルジュナ)よ、勇気を失ってはならない。これはあなたには相応しくない。卑しむべき臆病さを取り除き、立ち上がりたまえ、敵の征服者よ。
アルジュナは語った――
(4)ああ、マドゥの殺戮者よ。戦闘において、尊敬に値する両人、〔大伯父〕ビーシュマや、〔師〕ドローナに対して、どうして私は矢を向けることができようか、おお、敵の殺害者よ。
(5)これらの尊敬すべき師達を殺すよりは、乞食によって得られた食物で、この世に暮らすほうが良い。しかし、もし私が彼らを殺害するならば、私は、ただ、ここで、血塗られた富と快楽の喜びを楽しむだけであろう。
(6)われわれが勝つべきであるか、彼らが我々を征服すべきか、我々はいずれがより望ましいかを知らない。殺した暁には、我々が生きることを望まないであろうまさに彼ら、ドリタラーシュトラの息子達が我々と対峙している。
(7)本性は、憐憫の情という過誤によって圧倒され、私の心はダルマ(義務、正義)について当惑している。私は貴方に尋ねる。私のために、いずれが優れているかを決心して語り給え。私はあなたの弟子である。願わくは、庇護を求めた私を導き給え。
(8)というのも、たとえ私が、地上の比類なく繁栄している王国や、神々を超える主権さえも得るとしても、私は実に、私の感官を枯らしている深い苦しみを取り去るすべ(救済策)を見出すことができないからである。
戦場の報告者であるサンジャヤが語った ――
(9)それで、感官の主(:クリシュナ)に、眠りと怠惰を征服せる者 (:アルジュナ)は話をして、敵の征服者(アルジュナ)は、ゴーヴィンダ (Govinda:クリシュナ) に「私は戦わない」と言って、黙ってしまった。
(10)おお、バーラタ(即ちドリタラーシュトラ)よ! 両軍の真中で意気消沈している彼に,フリシーケーシャ (クリシュナ) はまるで微笑むかのように次の言葉を語った。
(11)哀憐されるべきでない人々のために、あなたは嘆き悲しんだ。
そのうえ、あなたは智慧の言葉を語る。
〔真の〕智者は、死せる者のためにも生ける者のためにも悲しむことがない。
(12)私が存在しなかったことは、決してなかった。同様に、あなたも、そしてこれらの王達も。また、我々全てが、未来に(atas param)存在しなくなるときも決してないであろう。
(13)〔個我を司る〕主体(dehin)が、この肉体の中で、あたかも、幼年期、青年期、老年期と経るように、その様にまた、〔死後に〕他の肉体を得るのである。
賢者はそこで混乱させられることがない。
(14)おお、クンティー夫人の子(アルジュナ)よ。ただ物質との接触だけが、寒暑、苦楽を引き起こす。
〔そして、それらは〕来たりては去る無常なるものである。
おお、バーラタ(アルジュナ)よ、それらを耐え忍べ。
(15)それら〔の接触〕に動揺させられない人、苦楽を等しいと見る者である賢者、彼のみが不死に達するである。
(16)非実体(asat)なるものに、存在はない。実体(sat)なるものに、非存在はない。
しかし、これら両者の辺際は、真理を見る人々によって看破された。
16偈に対するシャンカラの註では「壷が、ある」という一文を手がかりに、一元論を説くヴェーダーンタ学派(シャンカラ)の存在論が展開されていきます。内容とともに用語の選定には非常に苦労いたしました。
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