ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

アルジェリア人質事件について

2013-02-06 01:58:10 | 気持ち

 

先日、順番待ちしていたオルリー空港のイミグレーションにて、アバヤ(女性が体のラインを隠すために着る一枚の服。通常黒色)とへジャブ(頭にかぶせるスカーフ)をまとった、ずんぐりむっくりしたいかにもアラブのおばちゃんが、後ろを振り返って私に問う。

アルジェリアに行くの?

 

え?

 

何を唐突に。

私の顔には、そんなに色濃くアルジェリア色がのこっているのだろうか。

そしてアルジェリアでの人質事件を思い出す。

 

この件については、事件発生から今までずっと頭にひっかかっていたし、ずっと書きたいと思ってはいたものの、気持が重く、なかなか書けなかった。

とにかく、悲しい。

 

今回、第一報を受けた際、私は事件の詳細がいまいち掴めず、人質を拉致して、これから長い時間をかけて交渉に入るのではないかと、素人ながらに思ってた。

とにかく助かって欲しい。

けれど、その思いはすぐに叶わぬ願いに変わってしまう。

 

ここでは、事件の話をするつもりはない。

そんなこと、ニュースをみればいくらでも分かるから。

でも、話さずにはいられない私の思いをつづろうと思う。

 

私の色々をご存知の方は、知っていることだと思うけれど、私は、一年半ほどアルジェリアに住んでいた。

2008年から2009年にかけてのこと。

ベリーダンサーとして、単身派遣、アルジェのホテルで踊る毎日。

 

その間に知り合った人たちの中には、日本人もたくさんいて、日本が請け負ったアルジェリアの高速道路を作るプロジェクト関係者もいた。

そんな繋がりで、周りに何もない地域に高速道路を建設するため、長期間アルジェリアに滞在している日本人の人たちのために踊って欲しいというリクエストを受け、建設に携わる全てのスタッフが暮らす、コンパウンド(壁などで囲まれた地区=ここでは居住区)を訪れたことがある。アルジェから、飛行機に乗って移動する距離である。

この高速道路建設の居住施設は、プロジェクトを構築する上で携わる大勢のスタッフが安心して暮らすことの出来るはずのコンパウンド。敷地内には食堂があったり、ビリヤードや卓球などが出来る娯楽室があったり、各々の部屋があったりと、そんな施設にはじめて足を踏み入れた私は、その光景を今でも鮮明に覚えている。

家族をおいて、そして日本を離れ、長期間に渡り、アルジェリアの片田舎でプロジェクトに取り組む。孤独で、過酷な環境だと思う。それでもなお、人々は仕事に打ち込む。そんな中で、自分の部屋がある居住コンパウンドは、わずかでもホッとできる環境だったかもしれない。

 

今回のイナメナスの居住コンパウンドがそれと全く同様だったかは分からないけれど、少なくとも、遠いアルジェリアの地で仕事をする人たちの、束の間の安らぎの場であったのではないかと思う。

安心できるはずのコンパウンド内にて起きた悲惨な事件。

 

どんなに怖くて、どんなに辛かっただろう。

どんなに無念で、どんなに生きたかっただろう。

可哀想で可哀想で、考えるだけで苦しくなる。 

居酒屋で飲んでいるスーツ姿の方を見るたび、犠牲になってしまった方たちも、こんな風に皆とお酒を飲んでいるはずの人たちだったと思うと涙が出る。

 

今回犠牲になってしまった方の一人は、高速道路建設にプロジェクトにも携わっていた事があるという。

もしかしたら、私の踊りを観てくれた方かもしれない。 

分かりえないことではあるけれど、中には、アルジェリア繋がりで私のブログを読んでいてくれた人もいるかもしれない。

 

心から、ご冥福をお祈りします。

 

 

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移動中

2013-02-04 23:23:26 | ダンス

現在、パリです。

 

今回、日本からパリ、そしてパリからベイルートに行ったのだけれど、パリ-ベイルート間はペガサスエアラインというLCC(格安航空会社)を使って移動した。

すると、必然的にトルコ(イスタンブール)経由。

ストレートだと5時間弱で行けるところが、7時間を少し超えるほど。

ビンボー暇有。笑

 

トランジットのイスタンブールの空港(サビハ・ギョクチェン空港)では、時間があれば、美味しいイシュケンデル・ケバブを食べよう、なんて思っていたのだけど、考えが甘かった。

空港内(イミグレは出ないので、出国をし終わったエリア)にザ・トルコ料理を出すお店があるはずがない。。。

イスタンブール主要のアタテュルク空港ならあるのかもしれんが、よく考えたら、どっちかというと私のはマイナー空港を行き来するローコストキャリアー。

 

パリではこちらも日本便が飛んでいるCDG(シャルル・ド・ゴール)空港からではなく、おそらく古くからあるオルリー空港からってことで、日本からパリに到着後、オルリー空港近くの安宿に1泊。

翌日オルリーから出発した。

 

まずはオルリーからイスタンブール行きの便にて。

前方の通路側に座るおじさん、3時間半ほどのフライト中、最初から最後まで体全体を使ったジェスチャーで、身を乗り出して隣の人に話かけている。

そして私は思う。

何をそんなにしゃべることがあるんだろう。。。

 

イスタンブールに到着、ランディング、滑走路をしばらく走っていると、やはりいた。

おもむろに立ちあがる人、数人。

荷物を取りだしたり、ジャケットを着たり、おいおい、まだ飛行機走ってますけど~?

世界のこの辺に来ると作法が違うんだよね。

やってきたぞ、中東のにおい。

 

それでも私は知っている。

ベイルートにランディング直後には、ほぼ全員乗客が立ちあがっていることを。

そして私は思う。

何をそんなに急ぐ理由があるんですか。

小さな国ではないですか。と。

(レバノンの国土は、日本の岐阜県と同じくらいの大きさらしい)

 

写真は、ベイルートの空港にて。

 

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ネットトラブル

2013-02-03 23:38:54 | ダンス

ブログ毎日更新!の目標を掲げておきながら、2日目には既にエントリーアップが出来ないという状態。。。

実はわたくし、この間レバノンに行ってました。

ええ、あのレバノンです。

レバノン入りしたその日からネットが繋がらなくなるという何ともタイムリーな状況。

楽しみにされていた皆さまにはお約束を守れず、申し訳ないです。

 

こんなことを書くと、やっぱりあっちの方(レバノンとか)はネット環境も悪いのね、と思われるかもしれないけど、実はここレバノン、いたるところにWIFIとんでます。

おそらく私のPCの調子がおかしくなっただけで、ネット環境に関しては、日本よりはるかに進んでるのが事実。

そんなレバノンも今は雨季。

話題に時差が出来てしまったのですが、少しだけ、いつもと違う顔をしたレバノンのお話を回想記風につづります。

 

今度は安定してネットに繋がると思いますので、懲りずにまた遊びに来て下さい☆

 

 

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