ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ

レバノンを拠点に、アラブ諸国を股にかけた過去を持つベリーダンサーASYA(アシア)の今と昔の奮闘日記

本物?

2011-02-28 01:58:36 | アラブ

さてさて、エジプトの革命後、色んなところに飛び火して、中東、北アフリカなどでは民主化運動やデモが続いている。

そしてその中でも一番ひどいのがチュニジアの東隣にある北アフリカの国、リビア。

今まで散々エジプトでのデモがどこのメディアにも映し出されていたのを忘れてしまうくらいの騒ぎになっている。

42年目に入っているというカダフィの独裁政権に、国民が反発しているのだ。

ただ悲しいことに、カダフィはその反発する自国民をどんどん殺している。

自分の国の国民を、なんの躊躇もなくどんどんと。

そしてこの期に及んで国際社会の目を気にしているのか、何人が亡くなっているかを分からなくするためにあちらこちらに転がっている死体もどこかに持ち運んでいるとか。

彼は自分を守るための軍隊を、アフリカの他の国々から傭兵して、我が身を守っている。

そしてその傭兵たちは、自分の任務を果たすため、そしてその報酬を受け取るため、リビアの国民を容赦なく撃つ。

こんなやり方ってあるだろうか。

前から彼の暴れん坊振りは有名だろうが、こんな行為は「暴れん坊」という言葉では済まされない。

もしカダフィ政権が崩れたら、今後のアフリカ諸国はどうなってしまうのだろうという懸念もされるらしいが、それは実はカダフィはアフリカのたくさんの国々に出資をしていたり、その国々での企業を持っていたりするからで、思えば私がマリ(正式名称:マリ共和国は西アフリカに位置するサブサハラ・アフリカの国のひとつ)のホテルに派遣される話があった時(もちろんベリーダンサーとして)、決定するのにものすごい時間が掛ったのは、ちょうど派遣される時期に「カダフィ大佐がマリを訪問するタイミングとバッティングしてしまうから」、だった事を思い出す。そう、そのホテルはカダフィが出資/所有(?)しているホテルだったのだ。結局次の契約が決まっていた私にはタイミングが合わずに派遣はキャンセルされてしまったのだけど、何だか複雑な気持ちになる。。。

それはそうと、よく集うアラブ通の友達たちとはやはり最近の湾岸、中東、北アフリカ諸国の情勢の話題で持ちきりになるのだけど、私たち、ちょっと目の付けどころが違うのか、カダフィ大佐の髪型に疑問を抱いている。

後継者と言われる息子の頭は髪がないのに、いつも帽子をかぶって髪を両サイドにフワフワさせているカダフィ大佐の髪、あれ、本物?

不謹慎かもしれないが、こんな時にこそ笑いを。

 


好きなもの

2011-02-25 18:02:10 | 気持ち

私の好きなもの。

それは、「フィギュアスケートを観ること」。

もちろん好きなものはいっぱいあるけれど、物心ついた時から、私はフィギュアスケートを観るのが大好きなのだ。小さい頃は家のテレビのチャンネル権がなかったので、幼いながらもフィギュアスケートの中継をやっている局がちらとでも映ればテレビに食いついていた(と、思っているが幼いころはかなり内気だったそうなので、「食いついてる」と言ってもそう自分が思っているだけかもしれない・・・)。

観戦するのに好きなスポーツTOP3の中には間違いなく挙がる。いや、TOP3どころではなく、観るのに一番好きな競技かもしれない。

実は私、形ばかりは北海道出身で、随分小さなころからスケート靴を履かされたことがあるそうなのだ(写真による情報より)。でも別にスケートが得意ってわけでもないし、正直いつまでたってもスケート靴の上に足をまっすぐ置いて滑ることもままならなかった記憶がある。こんな説明でお分かりいただけるかどうか分からないけれど、細いブレードの上に靴の部分があるでしょう?その靴の上にどうしても足の裏を真っ直ぐに置けなく、足首で折れて足が外向きか内向きかどうしても斜めになってしまう。そう、ちょうどくるぶしが出たり入ったりする感じに。後で分かったことだけれど、靴が合わなかったり靴ひもをしっかり結べていなかったのでは?と人に指摘されたまま再挑戦することなく今に至るのだが。。。

さて、時は経て、大人になった私。今はさすがにテレビのチャンネル権を主張することもできるので、フィギュアスケートを放映している時には、ほとんどの場合その番組を観る。

そして、見入る。

本当に見入る。

「今、私に話しかけないで!」とばかりに。(←大袈裟)

国際大会などを観ている時は、日本人だからやっぱり日本選手を応援する。そしてどの選手でも彼らのジャンプや回転が上手く決まると鳥肌が立つし息をのんで最後まで演じきれるようテレビの画面越しに見守る。

故障した選手が復活してがんばっているなんて話を聞けばなぜだか自分と照らし合わせてはいちいち一喜一憂する。

そしていちいち感動する。

小さいころからダンスはとにかく大好き。小学生のころ住んでいたアメリカの学校の体育授業でたまにあった(と記憶している)gymnasticsが大好きだった。今思えば新体操とかシンクロナイズドスイミングもオリンピックなどでは欠かさず見てたな。そう言えばダンス甲子園なんてものも観てたような気がする。

荒川静香(元)選手や羽生結弦くんは宮城県出身、高橋大輔くん、織田信成くんや村主章枝選手はそれぞれ出身が違うけれど、浅田真央ちゃん、安藤美姫ちゃん、村上佳菜子ちゃん、鈴木明子ちゃん、もう引退しちゃったけど中野友加里ちゃん、小塚崇彦くん、(統一して「選手」って言えよ・・・)と、フィギュアスケートは全国でも特に名古屋/愛知勢が各大会で世界の頂点に立つのは言わずと知れた事実。やっぱり伊藤みどりさんのおかげなのかなぁ。

そんな名古屋は、東京に次いでやっぱりベリーダンスも盛んだそう。 

(そういえば、鈴木明子ちゃんがエキシビジョンで一度ベリーダンスを取り入れた演目を披露してたな。個人的には振付にシミーが入ってなかったのが残念だけど、はたして氷の上でスケート靴履いたままシミーって出来るのだろうか?)

にしても、フィギュアスケートをやろうと思わなかったのは何でだろう。

今更そんな疑問を抱いてみる。

浅田真央ちゃんや村上佳菜子ちゃんは、その屈託のない笑顔や振る舞いからか、女性にも男性にも受けは良いみたいだし応援しているけど、個人的には毎回衣装が独特で素敵な安藤美姫ちゃんが大好きなのだ。これからもがんばって欲しい。やっぱり名古屋嬢はもしかして少し違うね^^。(誤解のないようにあえて書くけれど、特に深い意味はないデス)

 


革命

2011-02-21 02:07:27 | Weblog

連日ニュースで報道されている北アフリカ、中東アラブ諸国での民主化デモ活動。

元ベンアリ大統領を国外に追いやった(サウジに亡命したらしいが)チュニジアでの民主運動を発端に、まずは砂糖の値段が2倍にはね上がってしまっているらしい隣国アルジェリアに飛び火、アルジェでもデモが起こった。

ご存じの通りその後次々と各地で反政府デモが行われている。

エジプトの革命。

そして歴史的な革命の後、カイロでのデモの中心地となったタハリール広場をエジプト人たちが掃除をする!なんてびっくりな発想はどこから出てきたのか私にとっては謎なんだけど。(え、失礼?笑) 誤解の無いようにお伝えしますが、私だってエジプト人を誇りに思っています。

そして個人的には少し驚きもしている、40年以上も独裁体制の中君臨しているあのカダフィ大佐に反発するリビアでの民衆デモ。

残念ながらこういうことにはつきものなのか、どこの国でも死傷者は多数出ている。

民主化政変ドミノなどと表現される中、その他の国々も相次いで名前が挙がる、イェメン、イラン、ヨルダン、シリア、オマーン、そしてもしやサウジアラビアも?UAEやカタールではそういうことにはならない仕組みがあるとか何とかだそうだけど(某個人の意見&見解による)。

そして忘れてはならないのが、最近毎日のように聞く国、バーレーン。

エジプトの革命以後、並んで耳にする国、バーレーンは、日本で言うと淡路島ほどの大きさの湾岸諸国の一つ。

そこでも反政府デモが毎日のように行われている。たくさんの人がそのデモに参加している。

そんな小さな国にも、私のエージェントはクライアントをたくさん持っているのだよね。そして今その国にいるダンサーたちはどうしているのか、今の所明確ではない。(そのうち聞く。そして多分大丈夫。)

そして今こそ私は言いたい。

バーレーン。

バーレーン。 

でも日本のみんな、実は正しくは(厳密には) 「バハレーン」 と言うのだよ、と。

 

今回の政変、民主化運動やデモ等で亡くなったたくさんの方々のご冥福を、ここにお祈りする。

 


バールベック(Baalbek)

2011-02-16 20:30:42 | レバノン

それは2009年の夏にさかのぼる。

まだその年のラマダン前、レバノンに滞在しているときに、知人を介して知り合った日本語をしゃべるレバノン人が、親切にもこう言ってくれた。

もしどこか行きたい所があれば、自分は車を持っているから、連れて行ってあげるよ、と。

なんと!それはありがたい。

長くレバノンに滞在していても、半ば住み込む、という環境の中、一度住んでしまうと中々観光地に行ったりはしなくなってしまうものなのよね。億劫になっちゃって。

てな訳で、そのアントアン(日本語をしゃべるレバノン人)にお願いして、バールベックというローマ遺跡の観光地に行ってきた。

バールベックは、ヒズボラの本拠地?を通って行く先にあるのだが。

「おー、こえー、おー、こえー」、と内心ビビりながらも行きたいから行ってしまう私。

そんな私も一人で連れて行ってもらうのは何だか申し訳ないと思い、前日、同じエージェントのアルゼンチン人ダンサー友達に一緒に行かないか聞いてみた。「もう一人の友達も誘って是非行きたい!」、と言った彼女だったのだけれど、結局当日、どうしても動かせない別の用事が入ってしまい、私はアントアンと二人でバールべックにいくことになる。

湿気も多く真夏のレバノンは、30度を超える暑さになることも普通のこと。ベイルートからおよそ80キロ北東、ベカー高原の中央に位置するバールべックは、ユネスコの世界遺産でもあり、世界でも有数のローマ神殿跡。お日様がカンカンと照る中、その日は朝から出かけてバールべックの遺跡観光を堪能した。

レバノンにはいくつか世界遺産があるのだが、平日の昼間のせいか、その日のバールべックは人もまばら。バールべック遺跡の象徴ともなっていて有名な6本の巨大な円柱は、今は大部分が損壊しているジュピター神殿を支えていた一部なのだが、目の当たりにしたそれはなんとも圧巻だった。写真でもその大きさが分かると思うのだけれど、その遺跡をバックに毎年夏には音楽や演劇などのフェスティバルが開催されるらしく、その日はちょうどその準備をしているところも見学できた。フェスティバル夜のバールべックは照明でおめかしをし、さぞ綺麗なのだろうな、と自然とため息が洩れる。そしてあちこち歩き回っては写真を撮ったり日陰で休んだり、とにもかくにも堪能という言葉が一番しっくりくる一日をバールべックで過ごした。

※中央にちょこんと立っているの、私です。ほとんど見えないでしょう。

※フェスティバルのステージ

※バールべックの一部

※フェスティバル様にステージの用意をしている様子。右上に見えるのは遺跡の一部

 

午後、観光を終えてエージェントのオフィスに戻ってきた私を見かけたスタッフが一言。

「バールべックどうだった?」

「う、うん。とっても良かったよ。」と、私。

特にオフィスの人には何も言わずに出かけたのだけど、まあダンサー友達から聞いたのだろうな、と察しがつく。

次の日、また別のスタッフが私に聞く。

「マリコ、バールべック行ったんだって~?」

「う、うん。そうだよね、知ってるよね。バールべック良いねぇ。」

もちろん私はバールべックに行ったことを隠しているわけではないんだけどさ・・・。

と思っていると次の日にはまた別の人から感想を聞かれた。

そして1週間ほど経ったある日、先週バールべックに行ったことを忘れ気味だった私に、ちょうどエレベーター乗り場ですれ違った衣装屋のおばちゃんが一言。

「ハビビー、バールべックどうだった~?」

オフィス内の人たちが私の情報を共有しているのは良いさ。いいさ、それは。そんなもんさ。

でももしかして全然関係ない近所の人たちも私の一日の行動を知ってるんかい!と疑ってしまい・・・

・・・ハッ・・・

もしかして私の一日の行動はニュースにでも載っているのか?!

そう思ってやまない日々。。。

ってかレバノン人、人の噂話ばっかりしとらんで仕事をしろ!仕事を!!!(笑)

でも憎めないのよね、大好きなのよね、私、レバノン人。