日伊文化交流協会

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映画:『やがて来る者』

2010年05月15日 13時38分58秒 | おすすめの映画
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映画祭では初日の最後に上映された作品で、東京では大絶賛だったとか。

 『やがて来る者』

■監督/原案/脚本/編集/製作:ジョルジョ・ディリッティ
■原題:L'uomo che verra`
■出演:グレタ・ズッケリ・モンタナーリ/アルバ・ロルヴァケル/マヤ・サンサ/クラウディオ・カザディーオ/ステファノ・ビコッキ他

《2009年/イタリア/117分》






《あらすじ》
第二次世界大戦の戦況が悪化し、都会からの疎開者も出てくるようになったころ、ボローニャに程近い山間の村に住むある家族。ナチスドイツが支配し、貧しい農家の僅かな食料品さえも、実際には使い道のない、「ドイツのお金」と交換に奪っていく。その家族の一人8歳になるマルティーナは、生まれたばかりの弟が死んで以来、喋れなくなってしまっていた。口のきけないマルティーナは、目の前で繰り広げられる、ナチスと抵抗軍の血で血を贖う残忍極まりない殺戮をただひたすらに見つめ続ける・・・





えっとですね、がっちゃん下記の映画について、以前ブログで書いています。

 セントアンナの奇跡

 カーネーションの卵


でね、今回見た『やがて来る者は』この二つの作品を足して2で割った感じ。
同じ主題を視点を変えて描いた。ってとこですけれど、なんだかなぁ~

『セントアンナの奇跡』では、1944年に起った、サンタンナ・ディ・スタッツェーマ市におけるナチスドイツによる大虐殺を描いていますが、『やがて来る者』で描かれるは、マルザボットの大虐殺で、同じく1944年に、ナチスドイツ軍が、マルザボット他、グリッザーナ、ヴァド・モンツーノ、などモデナ近郊の村で1830人に上る村人がナチス・ドイツによって殺された史実を描いているのだそうです。

Strage di Marzabotto(マルザボットの大虐殺)

舞台は違っても、戦況の悪化に伴って、狂ったように人を殺したナチスのその残虐さを描いたと言う点において、『セントアンナの奇跡』と、テーマは全く同じだと思います。
また、その戦争を子供の視点で見たという意味においては、『カーネーションの卵』と同じです。

では、この3作品を比べての感想はと言うと、やっぱりハリウッド作品『セントアンナの奇跡』に軍配が上がりますね。
と言うより、これは日本の配給会社の責任なのかもしれません。と言うより字幕の問題かなぁ~。

私は岡本太郎が嫌いです。

あの「芸術は爆発だぁ~」の岡本太郎ではありません。

数々のイタリア映画の字幕を担当し、イタリア映画の時には必ずと言って良いほど、パンフレット彼の映画評が載るし、いわゆる重鎮と言うのか、恐らくイタリア映画のほぼ全てを見ているであろう人なんでしょうけれど、彼の書くものは、抽象的なんです。

ちなみに以下は、パンフレットに記載された岡本太郎の解説を抜粋すると、

たとえ勧善懲悪的展開を潔しとせず、裁くよりは見つめることを選びながらも概して主観的な視点を持ち、きわめて明晰な論理観や価値観を通奏低音とするものが少なくないイタリア映画の中で、ここまで意図的に作家のコメントを伏せて描くのは珍しく、さながらその無言さが、世界と歴史のあてどなさを示すかのようだ。それはほとんどの場合、風光明媚な視界の中で弱肉強食がごく当然の自然界に潜む野生動物の生態でも映しているかのような、極端な達観の産物なのである。


つまり、この解説に見られるように、映画における彼の翻訳は超難解。

ただでさえ解りにくい映画なのに、訳も悪い上に、『カーネーションの卵』の時にも同じ現象があったのですが、ドイツ人が喋る部分(ドイツ語の部分)は訳が全くでないんです。

これまた『カーネーションの卵』の時にも書きましたが、訳をつけないことで、理由も解らず殺されて行く村人達の心情を表現したかったのだとしても、映画を見ている人にそれがわからないようでは、やっぱり映画としてはダメだと思うのです。

イタリアで上映する際はそれでよくても、日本人での上映を考えたとき、ファシストと反ファシストと、パルチザンと、村の反乱軍の違い、更にナチスドイツとの関係について、どれだけの人が詳しく知っているかと言われれば疑問だと思います。

そういう中において、説明が充分になされないまま、次々と人が殺されていくのを、ただ単に見つめ続けるのは苦痛でしかありません。

実際、この映画は、8歳のマルティーナを視点に描いているので、なす術がないと言う状況はよくわかるのですが、いつも物陰から覗き見ている状況を再現したカメラワークなので、人が殺されても、誰が誰を殺したのかさえよく解らないのです。

また、つい先日までは一緒にご飯を食べたり、家にパンを買いに着ていたドイツ軍なのに、ある日を境に、ドイツ軍が来ると、女子供は教会に潜み、男たちは森に隠れなくてはならなくなった理由が非常に伝わりにくい。(恐らく村人がドイツ兵を一人殺害したからだが、それと時がイコールではない)とにかく全てに於いて観客を置き去りにしているように感じました。

戦争映画と言うのは、ドキュメンタリーに近く、史実を元にして描き、それを伝えることが目的だろ思うのですが残念ながらそれがよく解らなかったです。


『セントアンナの奇跡』ではナチスドイツと、パルチザン、反パルチザンに連合軍(アメリカ人)までが加わっているので、余計に大変だったはずなのに、英・伊・独全ての言語に字幕がつきましたし、更に、ドイツ人の脱走兵を匿ってそのドイツ人に恋をする農家の娘や、恐怖のあまり虐殺に走る狂ったドイツ人将校だけではなく、最後撤退の際、自分の銃を、アメリカ人に差し出すドイツ将校も描かれていたり、戦争の中における個人も表現されていたように思います。

一方、『カーネーションの卵』も『やがて来る者』も自分達の主張を垂れ流すだけのような気がして、逆にメッセージを感じ取ることが出来ませんでした。
それは私が鈍感なだけなのかもしれませんけれど、『セントアンナの奇跡』のときのように、すごく辛い映画だったけれど、ものすごく強く心に訴えかけるものがあった。と言うのに対して、ただひたすら疲れた。気分が悪くなった。と言う感じです。
こういう作品は、頭で理解するというよりも、感じ取ることが大切なのでしょうけれど、状況が理解できないまま次々と人が殺されると、ついていけず、哀しみも苦しみも置き去りになるような気がします。


映画通の人にとっては、興味深い作品なのかもしれませんが、映画の後何人かで食事に行ったときの感想は、「よく解らなかった。」でした。
どちらかと言うと男性向けのえいがなのかな~

次にご紹介するのは、ラブコメディーよーーーん。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぷー)
2010-05-15 18:45:17
こんにちは。
前記事で取り上げられた映画のように、今回の種類の映画も私ニガテなんです。何か似た感じになるのが多いんで。「みんなそれぞれのメッセージを持って作ってるんだから違うよ」と言われても、私には…うーん。
 解説ですが、「それは映画通同士で語れ」って感じですね。映画って底に隠されたメッセージがあったり、いろいろですけど、それですらごく単純に直接に私たち視聴者は感じ取れていると思います。バカじゃないんだから。
ゴチャゴチャした言葉を並べ立てるのは、論文でも何でも、ホント悪文のいい例です。この調子で翻訳字幕って、どんなんだろ?大体そんな難しい言葉でイタリア語喋ってないじゃ~ん!
こんな解説よりも、それこそ、日本人にはあまり知られていないであろう、イタリアの戦時中の国家体制、ヨーロッパの力関係、ナチの及んだ範囲、それにイタリアはどう対応して、イタリア国内でどのような活動、反発などがあったかってのを、紙面を割いて説明した方がよっぽど興味深いのでは?と思いますよん。長々失礼しました。
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こんばんは (michi)
2010-05-16 00:11:41
トラコメありがとうございました。
先ほど私からもTBしたのですがgooブログへのTBがエラーとなっていしまう事が多く
もし反映されていませんでしたら申し訳ございません。

がっちゃんサン、細かいところまできちんと観てらっしゃるんですね。
私はかなり大雑把で、他の作品との比較も殆どしないので、
レビューを拝見し、勉強になりました。
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Unknown (tosca)
2010-05-16 19:45:35
私のブログへのコメント、ありがとうございました。
岡本太郎さん、東京では監督の通訳でも出てらっしゃいましたが、通訳ではわりとすっきり訳されてるから、不思議ですね。
通訳のほうが得意な方なんでしょうか。

私は戦争映画は普通見ないのですが、これは前評判が高かったのでチケット取りました。最後のシーンがなかったら正直見たことを後悔したでしょうけど、あの少女の演技とラストシーンがあったことで見てよかったと思いました。戦争に対する視点はあえて第三者的に撮ろうとしてると感じましたが、確かにそれで中途半端になってるのかもしれませんね。
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お返事(その1) (がっちゃん)
2010-05-17 11:35:51
☆ぷーさまへ☆
ぷーさまの感想を読んで、なんていうか、私もぷーさまも大阪のおばちゃんの感性なんだろうなぁ~と思いますです。

つまり、

「なんかごちゃごちゃいわはってるけど、ようわからんわ。」

です。もちろんちゃんとそこからメッセージを汲み取る人もいるんでしょうけれど、「こっちがお金は払うてるののに、お金ら払う側の方がよう聞かんといかんなんておかしいわ。もっとわかりやすう話してくれやんとわからへん」ってなところでしょうか・・・

これを単純ととるか正直ととるかは人によるでしょうし、映画を見る目を持ってない。と言われればそうなんでしょうけれど、政治家とか、簡単なことを難解な言葉で煙に巻くひとがいますが、実際には、難しいことを解りやすく話す人の方がすごいと思います。
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お返事(その2) (がっちゃん)
2010-05-17 11:42:47
☆michiさまへ☆
>がっちゃんサン、細かいところまできちんと
>観てらっしゃるんですね。

とんでもないですよ。
私は好き嫌いが激しいし、この作品は余りにも他の2作品と似ていたところがあって、どうしてもそれと比べてしまうところあり、同じテーマであるため、ラストが予想されていたので、映画の世界に入ることが出来なかったのかもしれません。

同じテーマの作品が他にあるからこそ、もう少し違った切り口で撮って欲しかった。と言うのが本音でしょうか。
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お返事(その3) (がっちゃん)
2010-05-17 11:58:39
☆toscaさまへ☆
>岡本太郎さん、東京では監督の通訳でも出て>らっしゃいましたが、通訳ではわりとすっき
>り訳されてるから、不思議ですね。
>通訳のほうが得意な方なんでしょうか。

なんか文章になると、主語から述語までに大量の修飾語を織り交ぜるので、何が言いたいのかよくわからない文章になります。
「みんなイタリア語で話していた」って言う本なんて、正直もう買ったことを激しく後悔・・・
殆どのページにアイロニー。アイロニカルって言葉が登場して、何を見てもカワイイって叫ぶ女子高生みたいで、もうホント、読んでいて怒りが湧き上がるほど(だって時間を無駄にした気分だから)だいたいタイトルからして、???ですけれどね。

なので、字幕もそういうところがあって、この人の字幕の映画はだいたいつまらない・・・

>戦争に対する視点はあえて第三者的に撮ろう
>としてると感じましたが、確かにそれで中途
>半端になってるのかもしれませんね。

そう、まさに中途半端ですね。
パルチザンもその主義主張がわからない。パルチザンに対しての村人達の感情も伝わらない。
叔母に反発する若い娘の気持ちは解るものの、家出したあとどうなったのかわからない。助けを求めに行った牧師館がどうなったのか解らない。
どのシーンも残酷さをさけるためか、死ぬシーンをカットしてしまっているだけに、何もかも置き去りにしたまま、ストーリーだけが進行していくのは、映画としてはどうなのかな。と思いました。
ラストのシーンも最初から想像していた通りと言うか・・・。
つまり第三者的と言うのが嫌いなのかも。

「物事を公平に見る」と言うことと、「日和見主義」とは違うのと同じで、こういうことがあった。って言うのと、それに対して、監督としてそれをどう捕らえ何を伝えたいのか。を込めることは違うと思うので、私はとても残念な映画でした。
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