赤坂の不動産業「バトルステーション」営業日記

赤坂で不動産業を営んでおります株式会社バトルステーションの日記です。

国会議員の口利きについて

2017年03月30日 | 日記
昨今、籠池理事長の件に端を発している口利き問題について、一言申し上げたい。
マスコミは連日飽きるくらいこの問題ばかりを報道しているが、そもそも私は国会議員というものは口利きをある意味ビジネスにしている職業であると思っている。
私の妻の父親は兵庫県龍野市の市会議員をやっていた。地方議会の人間が東京の国会議員に対し永田町詣でをするのは至極当たり前で当然のように毎年、或いは年に何回か行われている。
これは国会議員に限らず、経済産業省や国土交通省、厚生労働省等の重鎮に遭う事も同じであると考える。
地方議会で課題に上がった案件は地方の自治体単独では予算が付けられない事が多い。例えば「橋を架ける」、「病院を誘致する」等市民の為になることをやった地方議会の議員は、それが任期中の実績になる。ちなみに龍野市には産婦人科が無かったが、産婦人科を誘致したのは義理の父親だと聞いている。そういったいわゆる私の人脈で出来ました。というのは言い換えれば私の力で出来ましたと言うのと同じことである。当然自分には実績もあるし力もあるからという事で議会でも力を持てるし、次回の選挙でも市民の為に成果を上げたと訴えることが出来るので当選に近づくことになる。
この成果を出すためにはとかく地方では国の力を借りなければ成し遂げられないことが多々あるようだ。
こうして、永田町詣でをすることを地方議会からの「陳情」という。
この陳情はまさしく口利きを頼むものであり、有力な国会議員に取り入り、各省庁に口利きをしてもらうものであるから、こういう事は遠い昔から当然のように行われてきた日本の慣習みたいなものである。
民主党政権時代も小沢さんが幹事長になりそういった陳情等は全て一極集中して、権力を集中させていた。この口利きの窓口になることにより国会議員も地方の自分の選挙区に顔が利くようになり、地方議会を味方につけ、地元地方議会のバックアップのもと、有利に選挙を運びたいのである。
だからこの籠池理事長の問題も、学校を建設するには市や県などと太いパイプが無ければ認可なんか取れる訳が無いのである。何の人脈が無い私が、学校を建設出来る条件がそろっていて申請したとしても、区議会議員や国家意義意に知り合いがいる他の競合相手に勝てる訳が無いのである。ま~当たりまえの事である。
この当たり前の事を連日、報道しているのを見てもっと実のある議論をしてほしいと思うのは私だけであろうか。
こんなことを延々と誇らしげにやっている民主党を見ているとこの政党には日本は任せられないと心の底から思う。
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生パスタ

2017年03月18日 | 日記
皆様、スパゲティをランチなどで食べる場合、生の麺と乾燥した麺どちらがお好きでしょうか。
私のあくまでも個人的な感想は、乾燥麺の方が最終的には美味しいと感じている。
生パスタは最初の一口目の食感は非常に良いが、最後の方になってくると最初の一口目の感動が薄れてきてそれほどの感動では無いという感じである。
乾燥麺はどうかというと、生パスタほどの一口目の感動は無いものの、最後まで一定の美味しさで食べ終える事が出来るので私的には乾燥麺の方が好みかと思っている。
一言言っておくが、乾燥麺か生パスタかを論ずるに当たり、どちらのスパゲティも美味しい店で食べた感想というのが大前提であり、ソース等も含めて美味しくない店は論外である。
生パスタを食べる場合はあまり量が多くない方が最初の美味しさを損なわないうちに完食出来るのではないかと考える。
ちなみに乾燥麺では、八丁堀にあるマイヨールというお店がお勧めであり、生麺では先日根津の駅前でスピカという生パスタ屋さんに入ったが美味しかった。
以上、生麺か乾燥麺かのお話でした。
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結婚式

2017年03月13日 | 日記
私は昨日、知人の結婚式に出席した。新婦側の会社関係ということで参加させて頂いた。新郎34歳、新婦25歳。
結婚式の中間で、新郎新婦の思い出のスライドや結婚式での新婦が新郎をふと見つめるしぐさを見て思った。特に私は新婦側なので新婦の表情を見ているとやはり感じることがある。
新婦の表情がもの凄く新郎の事を好きなんだなあという感じが滲み出ていて、それが初々しく仲睦まじい感じで微笑ましかった。
これはやはり若さゆえのものなのだろうと思う。
ちなみにこれが私ぐらいの中年同士の結婚式で同じような表情を新郎新婦がしていたらと想像するとちょっとキモい。
若いとアツアツぶりもさまになる。何とも良い光景だ。
やはりこの初々しさが見ている私達半分汚れた中年にも幸せを与えてくれるのだと思った。二度と帰って来ない若い頃を思い出し、また戻りたくても戻れない過去を想像し、妄想し、幸せに浸れるのである。何とも幸せな時間だ。その時だけは若い頃に戻ったような気がする。
懐かしさと郷愁と若い頃付き合った人との思い出が突然脳裏に浮かんでは消える。
「俺もあんな時あったんだなあ」とこの懐かしい気持ちにさせてくれるのが結婚式であり、その癒しなのであろう。
人の幸せな顔を見ていると自分も幸せな気分になってくる。
これが幸せを分け与えてくれるという事なんであろうと思う。
結婚式の幸せ顔には嘘が無いのでそう思うのだろう。
私も、人の結婚式に参加させて頂く機会は少なくなったのでたまにお誘いを受けると本当に嬉しい。
また行ける日を心待ちにすることにしよう。
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赤坂vizタワーの中にある中華料理店での出来事

2017年03月11日 | 日記
今週の火曜日に赤坂のVIZタワーの1階にある中華料理店でランチを食べた。
食事は特別美味くも無く、不味くも無かった。
私が言いたいのは料理の味の事では無い。
ランチで1,280円だったのでレジの若い男店員に1,300円渡した。領収証如何しますかと言われたので普段はランチで領収証を貰う事は無いが一応お願いしますと言って領収証を貰った。
その時、ふと財布の中を見たら財布の小銭入れの中に、明らかに10円しか入っていないのである。という事は私はお釣りをもらってない可能性が高いと自分ではそう思った。普段お釣りをもらうという行為自体があまりにも自然なやり取りの為、心の記憶にあまり鮮明に残っていないのである。確実にもらってないとも言い切れない感覚だったが、財布には前から入っているであろう10円しかない。ポケットにも20円を入れた形跡は無い。
自分の中では明らかにもらってないという事が確信に変わって来ていた。
しかし、お金の事なのでもらっているのにもらってないという事を言ってしまう失態だけは避けたいと思っていた。
いい年こいてセコイ中年だと思われるのも屈辱的に恥ずかしい。しかもたかが20円のことで。
しかしながらたかが20円のことでももらってないものをそのままにしておくのも気分が悪いというか寝覚めも良くないし、20円をどうでも良いと思う人間でありたくない。
こういう事を僅か20秒くらいの中で葛藤していた。
しかし、自分に嘘を付きたくないので、自分の心の中で私は勇気を振り絞って、しかもちょっと気を使って「お釣りもらったっけ」とその若い男性店員に聞いた。「もらってない」じゃなくて相手の間違いを責めないように優しく言ったつもりだったが、そのレジの若い男は「渡しました」と何のためらいも無く言い放った。
私は20円で言い争いをしたくなかったので、唖然としながらも「あ、そうですか」と立ち去った。
私はお店を出てからもう一回、体全体をチェックしたが20円は見つからなかった。
私は絶対にもらってない。
20円を粗末にしたようで心残りだったのでここで書いてみた。
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