赤坂の不動産業「バトルステーション」営業日記

赤坂で不動産業を営んでおります株式会社バトルステーションの日記です。

サラリーマン的思考と経営者マインド

2015年02月24日 | 日記
よく「経営者マインドを持って仕事をしろ」と言われるがこれはどういう事なのか。私なりに解説したい。サラリーマン的思考と経営者マインドの一番大きな違いは自分のお金だと思ってお金を使っているかどうかだと私は思う。サラリーマンが営業に行く交通費も会社からかける電話代もコピー代も事務用品も仕事に関係する費用は全て原則会社が負担している。これが創業間もない経営者であれば、これら全てがほぼ自分のお金を使って仕事をしているような感覚で行っている。経費が会社の運営や生活に直結するのだからシビアになるのは当たり前である。これがプロジェクトの為の投資資金であれば、どのくらいの投資リターンがあるかを、緻密に且つ細心の注意を払って慎重になるのは当たり前のことと言ってよい。このリスクの計算の仕方と責任の重圧度合がサラリーマン的思考の人と経営者マインドを持った人とでは大きな隔たりがあると私は感じている。利益のあくなき追求や失敗をしないための二重三重のリスク計算、そして失敗したときのリスクの許容度を計算してそのプロジェクトをやるかどうかを判断出来る人が経営者マインドを持った人と言えるだろう。でもこういう人が会社に何人いるだろう。経営者の立場で言えば、こういう人が側近に一人でも二人でもいればどれだけ助かるだろう。運よく私は取締役のH氏や社員でもそういう考えを持ってくれている人がいるので恵まれていると思うが、中々自分と同じ考えを持ってくれている人はいないと考える。では教育によって育てられるか。これは育てることは出来ると私は思うが、若い頃からそのような環境にいないと中々、一朝一夕には出てきてくれないものである。これが中小零細企業の経営者の一番の悩みではないだろうか。永会陰テーマでもあるが、私は自分の行動や言動と自分の背中で分かってもらうしかないと感じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

格差社会について

2015年02月09日 | 日記
前回「21世紀の資本論」について自分の見解を述べさせて頂いたが、「格差社会」とは何ぞやと言われたら、私は「中流階級の消滅」ということだと考える。要するに貧乏か金持ちか、の二つに分かれる事を「格差」と呼ぶと考えている。では年収はいくら稼いだら上の格差に行けるのかを考えた場合、年収500万以下は低所得層というカテゴリーに仮にした場合、年収500万~700万はどうなのか。これも格差においては下に入ってくるだろう。では年収700万~1000万はどうなのか。私は仮に1000万もらっていたとしても、子供が2人以上いれば生活は楽では無いと考えている。年収が1000万という事は、月々83万の給料になる。ここから源泉徴収、社会保険、厚生年金、介護保険、住民税、所得税だの引かれたら手取りは50万くらいだと思う。その50万から住宅ローンで15万~20万引かれて、食費や光熱費等の生活費が15万、学費、塾や子供の習い事、小遣い等を考えたら年収1000万あっても殆ど残らないと言っても良いと思う。また年収1000万の人は、年収500万以下の人よりも総じてエンゲル係数が高く、生活を落とせない人が多い。それは年収1000万の自負かプライドか分からないが、総じて6000万くらいする家を買い、勤め先もいいから見た目もリッチに見える。しかし、貯金はあまりないのが、年収1000万の人と考える。では1000万~1500万はどうなのか。私が思うには、子供を二人私立に行かせても貯金が出来るのは、年収1500万からだと考える。それでも生活は質素にしないと貯金は難しいだろう。何故なら子供にはお金が掛かるからである。経済収益率である程度、格差の上に行くには、給料である程度突き抜けなくてはならないのは前回述べさせてもらった。それが最低年収1500万以上である。私たちは地主でも無く、相続でもお金がもらえず、給料でしか自分の生計を立てられない人が格差の上に行くには、年収1500万以上は絶対に必要になる。それでも地主でアパート経営している人には、多分勝てないだろうから、ピケティの言う資本収益率には勝てないというのは全く当たっていると言わざる負えない。
ただ年収が高ければ資本を蓄積出来る訳でも無い。重要なのは計画的に貯金をして将来に備えることだと思う。年収500万の人が年収1000万の人より貯金がある事なんかは、ざらにある。普段の生活をどう過ごすかで決まってくる。私もサラリーマンを辞めた時は生活を落とすために夫婦二人で家賃75000円の部屋を借りて住んでいた。だからといって不幸せでは無かった。金は無いなりに何とかなっていた。今よりも楽しかった気がする。でも今は子供がいるので戻りたいとは思わない。ちなみに月給が200万になっても税金などが引かれれば手取り130万くらいである。引かれる額も大きいが、このぐらい残れば貯金もしやすいだろう。私の子供にはここを目指して欲しいと思っている。その為に、出来るだけそうなる確率を上げるために、塾へ行かし、中学受験をさせようと思っている。これが正しいかどうかは分からないが、あくまでも上場企業の社長は絶対的に高学歴が多いから、実力は別としてスタートだけは一緒の所に立たせてあげたいと思っている。ただそれだけである。私の経験から言わせてもらうと、金もコネも無い人間が経済収益率である程度資本を持っている人に対して優越感を得るには月給200万が基準になると私は考える。そしてそういう人はお金が貯まったら資本収益率で稼ぐ人に変わっていくのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマ・ピケティ

2015年02月07日 | 日記
最近フランスの経済学者のトマ・ピケティ氏が来日して、彼の著書「21世紀の資本論」が巷の話題を集めている。この本はかいつまんで言うと資本収益率は経済成長率よりも大きく、これによって格差が拡大していくという内容である。資本収益率とは株式の配当や利益、利息、不動産の賃貸収入等がそれに当たる。経済成長率は主に給与所得である。これをどう是正すべきかは私は論じるつもりは無いが、これって普通に考えれば私たちの生活や周りの状況を見れば当たり前のことで、それほど熱狂的になる話では無いと考えている。例えば資本のある人はどういう人かというと、まずは地主である。地主は先祖から受け継いだ広大な自分の土地にアパートを建てたり、商業施設やコンビニに貸したりと、とても私たち給与所得者には考えも及ばない収入が不労所得として入って来ている訳だから、サラリーマンの経済成長率が適わないのは誰が見ても当たり前である。また地主では無くても給料が、ずば抜けて高い人は何をするかというと、株や債券に投資をする。そこから上がってくる配当や利ざやが給料以外の副収入になるわけだから、これも真面目に給与所得だけのサラリーマンにはとても太刀打ち出来ないのである。結局、この世の中は、薄々分かっていたが、金持ちがどんどん金持ちになり、お金の無い人(投資する余裕の無い人)はずーっと鳴かず飛ばずな人生を送るという事なのである。悲しいかなこれが現実なのである。だから巷では普通の人がお金持ちになった本が売れ、ワウツー本等が売れるのだと思う。でも普通の人は何故そうなれないのかと言えば、リスクを取らないからである。でも大概の人は、余ったお金で投資をしようと考えるから、中々出来ないのである。何故なら給料が高くなってきた頃には子供にもお金が掛かるようになってくるし、そんなときに紙切れになるかもしれない投資をやると言ったら、ほとんどの奥様は反対するであろう。だからほとんどの家庭では、資本収益率を上げるための、その資本を投下しないから、この現代社会の格差の上の方に行けないのが現状なのであると私は思う。極端な話を言うとこのままいくと中流家庭が消滅して、上か下かに分かれて行くことが格差社会なのだから、出来れば上の格差に行きたいと思い、私は株はやらないが、職業で不動産業を選択したので地主を目指し、ビルやアパートを買っています。トマ・ピケティに言われて気付くようでは遅いのです。金持ちは、分かっているからすでに手を打っています。金が金を生むように仕組んでいます。
私たちもこれに乗り遅れたくはないものですね。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初期動作を間違えると大変なことになる。

2015年02月04日 | 日記
前回お話しさせて頂いたマクドナルドからベネッセへ転職した原田永幸氏もそうだが初期動作を間違えると被害が2倍、3倍になることがある。情報漏えいは今までも色々な会社が謝罪会見を行っているが、私が一番迅速で適切だったと思うのがヤフーである。ヤフーはソフトバンクの系列会社だからどちらの会社も称賛したいのだが、情報漏えいが発覚してすぐ500円のお詫び金を支払う事を発表し、迅速な対応を行った。ここがベネッセとは違うところだ。オーナー経営者の孫さんだから出来たのか、それは分からないが、ヤフーはその後、特に世論からの攻撃にはあっていないと思う。初期動作がちょっと違うだけで、これだけ企業イメージが違ってしまうという恐ろしい結果である。
特にクレーム対応で初期動作を間違ってしまうとクレームがトラブルになり収集が付かなくなる。あと一番よくないのが、感情的になることだと思う。感情的になられたら冷静な話も出来ないし、気分で物事を判断されてしまうのでまとまるものもまとまらないという結果になってしまう。
万が一こちらに非があってのクレームなら、上司がいたとしても自分が責任者だと言って、体力の続く限りひたすら謝る事が大切である。相手が「誠意を見せろ」と言ってきても、「私の誠意は謝ることが誠意です。」と言い続けるしかない。そうしたら怒りつかれて「もういい」ってことになる確率が高い。とにかく「お前に言っても金にもならないし、話の分かる上司も出てこない」という状況であれば、「しょうがない」ということになることが私の今までの経験からすると多いのかなと考える。しかし、時が経つにつれクレームの質や内容も変わってくるので一概には言えないと思っている。但し、下手に強気に出て大きなしっぺ返しを食らう事は絶対に避けたいものである。
最近、新宿区役所の近くの道でタクシーにクラクションを鳴らされて文句を言おうとしたら、止めたことがあった、そのタクシーはその先でもクラクションを鳴らしていた。ふと見ると怖い人がものすごい勢いで窓を開けて怒っていた。私の初期動作として、文句を言いに行かなくて良かったと心から思った。初期動作を間違えて文句を言いに行っていたら大変な事になっていたと思うとぞっとする。(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去の成功が未来の成功の邪魔をする。

2015年02月03日 | 日記
人は必ず、成功体験を基にして次の成功を勝ち取ろうとする。人によってはそれを本にしたり、コンサルティングをしたり、経験として次のプロジェクトに活かしたりという事で、過去の成功体験は、ビジネスを行う上で武器になることは間違いないだろう。しかし私が言いたいのは、確かに武器になるかも知れないが、成功の方程式では無いという事だ。過去に成功した時と、同じ条件であったとしても時期が違えば、周りの環境は違うし、状況は明らかに違ってくる。しかし人は、そんな状況にあっても強引に過去の成功体験を押し付けてくるものである。過去の成功体験にしがみついて状況が違っているのも関わらず同じやり方で成功に導こうとするから上手く行くはずがない。冷静に考えれば分かることだが、これが中々分からないというか認めたがらないのが人間であると私は思う。それがよくわかったのが、マクドナルドからベネッセへプロ経営者として転職した原田永幸氏だと私は思う。最初に情報漏えいが発覚したときに、センシティブな情報は洩れていないという理由で賠償もしないし、特段の改善もするような発言は無かった。しかし時間が経つにつれて、情報漏えいが世論の中で大問題になってきたら、態度を変えて、賠償もするという何ともプロ経営者らしくない、後手の対応を取ったのだ、明らかに顧客商売にも関わらず、顧客を向いていない発言をし、対応も結果的に後手に回ったために、信用の失墜を増幅させてしまった。これはマクドナルドの成功体験を、業種もビジネスの質も違うベネッセに持ち込んでしまったために起こったものだと私は感じた。原田氏はこれでプロ経営者としての晩節を汚したと言っても過言では無いだろう。今まで上手く行ってた人が失敗するっていうのはこういう事だろうと私は思っている。ヒット曲がずっと売れ続ける訳では無いのと同じように、芸能人がずっと売れ続けるのは一握りなように、ずっと通用する成功体験も中にはあるだろうが、ほとんどは形を変えて、方法を変えて活用していかないと時間が経てば使い物にはならないだろう。「現在の成功は未来の成功を保証するものでは無い」只のケーススタデイの一つに過ぎない事を私たちは認識すべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする