赤坂の不動産業「バトルステーション」営業日記

赤坂で不動産業を営んでおります株式会社バトルステーションの日記です。

泣ける漫画

2014年08月28日 | 日記
私の独断と偏見であるが唯一泣ける漫画がある。私は週刊モーニングの読者であるがその中で「こうのとり」という産科医の漫画があるがこれが電車の中で読んでいる時に思わず泣いてしまいそうになる。子供を持つようになったからなのかどうかは分からないが、漫画の中の赤ちゃんに「ガンバレ」と心の中で言っている。
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中小零細企業は諦めた時が倒産だ。

2014年08月20日 | 日記
私共のような零細企業は手形の取引が無いから不渡りは無い。ではどういう時に倒産するかというと物理的にはお金が回らなくなった時である。私共のような不動産業者の場合は商品不動産が売れなくなり、通常一年の約定弁済期に一括返済出来なくなり、銀行から次の融資が受けられなくなって先細り、キャッシュが回らなくなるというのが一般的なパターンである。ただそれも借りれなくなっても不動産を買取しているミラクルな会社もあるので、あくまでも一般論の話である。約定弁済期に返済をしなくても事務所の家賃さえ払っていればとりあえず表面上は会社は存続できる。中小零細企業は小さいだけに風評被害が起きにくいので(世間は関心が無い)意外に生きながらえる場合もある。それでも倒産する場合は従業員の給料が払えなくなったり、家賃が払えなくなったらもうどうしようも無いが、それも零細企業は比較的固定費が掛かってないので何とかなったりする。では中小零細企業の倒産とはどういう時か。それは経営者がもう駄目だ。もう「なしのつぶて」だと思った時が本当の倒産だと私は思う。経営者は不屈の精神でやっていてもどこかで心が折れる時があって、その心が折れた時が正しく中小零細企業の倒産だと私は思う。私も苦しい時にパソコンのスクリーンセーバーに「絶対に諦めない」と書いてそれをいつでも見れるようにしていた。それが原因かどうかはわからないが、V字回復出来た。私共のような零細企業の経営者には「諦めない」事くらいしか取り柄が無いのかもしれないが、私は一番大事な事だと思っている。
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中小零細企業の経営者は一か八かの勝負はしてはいけない。

2014年08月19日 | 日記
私共のような零細企業の経営者は「社運をかけた」とかこれが成功すれば「一気に形成逆転」とかの勝負をしても100%とは言わないが大概は失敗する。「社運をかける」という事は、零細企業の場合それが駄目だった場合は会社も駄目になるという事にほぼ等しいからだ。
零細企業の場合、その勝負に負けた場合、資金力に乏しいから負けたダメージに耐えきれないということだと思う。大企業で「社運を賭けた」とか言っても結局零細企業のリスクほどでは無いだろうし、大企業で「社運をかけた」というのは聞いたことが無い。大も小も会社は一か八かの勝負は多大なリスクを伴うのに変わりは無い訳だから基本的にはやってはいけない行為だと私は思っている。しかしながら零細企業の経営者は私もそうだが、会社を大きくしたいという欲望に駆られている。リスクを取らなければ会社は大きくならないことも十分わかっている。しかし一か八かの勝負はしないというバランスも大事にしている。非常にもどかしいが中小企業は一歩間違えたら一年もたたずに負のスパイラルに落ちる。そうなったら再度上昇気流に乗せるのは非常に困難であるのは零細企業の嵯峨としか言いようがないが、そんなものである。だから私は一か八かの勝負は絶対にしないと心に決めている。
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私が今一生懸命仕事をする理由

2014年08月18日 | 日記
前回のブログで高校生の時の話をさせて頂いたが、私の人生は中途半端の連続である。中学2年生の時に大好きな野球を一時の感情で辞めて帰宅部になりそれからの1年半は正直どうしようもない時間を過ごしていた。学校が終わればまっすぐに家に帰りやることが無いから昼寝をして、5時から夕焼けニャンニャンを見ていた記憶がある。一番体を鍛えた方が良い時代に自分の心が弱くぐうたらな生活をしていた。高校生になったら好きな野球がやりたくなり、また軟式野球部に入った。しかし先にも述べたが硬式野球部になるに当たり坊主が嫌でまた辞めてしまった。その後のバレーボール部は最後までやったが内容の中途半端さは先に述べた通りである。本当に情けないの一言である。
そして大学に入ったら、軽音楽部に入ったが、そこは元々応援団が何故か音楽を始めたクラブで練習が以上に厳しく合宿では泣く奴もいるくらい体育会系だった。それもこんなはずじゃなかったと思った部分もあったが、一番大きかったのは、自分の音楽センスの無さに気付いてしまったことで、限界を感じて1年で退部した。その後普通のサークルに入った。これは何のプレッシャーも無い中での活動なので自分なりに楽しかった。自由だったのでアルバイトをしながら普通の学生生活を過ごした。
そして株式会社商工ファンドという会社に就職し約10年勤務した。辞める気は無かったので辞めたときは心の空白を感じた。そして次に就職した不動産会社は、社長とそりが合わず半年で退職した。私はその時自分はもうサラリーマンは出来ないなと悟ったので自分で会社を起業することにした。働くにおいてサラリーマンになるか自営するかのどちらかしか無い訳だから、サラリーマンが出来ない私は独立を選ぶしか無かった。その時、私が思ったのは、私の人生を振り返ってみると中途半端の連続だった。時には人に流され、時にはカッコを付け時には逃げるように、そんな人生を送ってきたような気がしている。だから私は、このバトルステーションという会社を絶対に一生の仕事としてやっていくという決意というか覚悟でいる。もう中途半端な人生は送りたくない。今は私を信じて付いて来てくれている社員もいる。その人達に報いる為にも私は絶対に諦めないし、会社を僅かながらでも継続的に成長させていくことに執念をもって仕事をしている。
私は中途半端な人生(妥協の人生)はもう送りたくない。
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一生懸命やっている人にしか悔し涙は出ない。

2014年08月13日 | 日記
私は高校一年生の時は軟式野球部に所属していたが、硬式野球部に変わるという事で坊主になるのが嫌で野球部を辞めた。その時は坊主になると女の子にモテなくなるとか今更坊主かよ~とか坊主でなくてもモテないくせにそんなカッコを付けた今思えばどうしようもない高校生だった。その後、暇になるのも退屈なので仲の良い同級生が所属していたバレーボール部に入部した。そこは3年性の最後までやり通したのだが、部活的にはゆるいクラブだった。部員も少数だし、練習もハードでは無く顧問の先生がコーチとかでは無いので抜こうと思えば全然抜けるクラブだったがそれなりには真面目にやっていた。戦績は大体2回戦で敗退する弱小チームであり私は人数が少ないのでかろうじてレギュラーだった。そんな中で3年の最後の試合の時に当時の強豪校である駒沢大学付属高校と対戦してあっけなく完敗を喫した。私は、負けたことに何故か疑問も無く、慣れてしまっていたのだと思うが、悔しさが無かった。しかし横を見るとキャプテンのU氏は泣いていた。私は何で自分は泣けないんだろうとその時思った。そしてその気持ちを自分なりに分析したところ、それなりに一生懸命に練習もやってきたつもりでいたが、その一生懸命のレベルが低く、本当は限界まで自分を追い込んで無かったという事に自分で気づいた。そして一番大事な勝利への執念が欠如していた。では勝利への執念はどうやったら生まれるのか。私が思うには誰よりも一生懸命その事に取り組んだかどうかだと思う。スポーツであれば人の何倍も練習をやったという自負があれば、負けるわけが無いという考えになり負けたときに悔しさが込み上げてくるのでは無いかと思う。スポーツ選手が金メダルを取って嬉し涙し、敗れて悔し涙を流すのは限界までチャレンジしたからではないかと思う。そしてその涙は美しい。これをビジネスに置き換えても同じだと思う。人の2倍働いていい給料、いい生活が得られなければやってられないし、ここまでやって駄目なのかと悔しさも残る。でも一生懸命にやってない奴は仕事で負けても悔しくも何ともないだろう。私はそんな人間にはなりたくは断じて無い。悔し涙は自然と込み上げてくるものだと思う。私は一生懸命働いて悔し涙を流せられる人間でいたいと思っている。
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一緒に喜んでいてくれる幸せ。

2014年08月05日 | 日記
会社を経営していると、業績が悪い時は社員の給料を遅滞なく払うことが会社的に非常に厳しい状態になることも零細企業ではよくあることである。その時に思うのが「自分一人だったら食べて行くことが出来るのになあ」、という経営者としては失格な考え方が頭をよぎる。しかしながら好決算をした後の会社の飲み会であるとか、利益の大きな案件が成約したりしたときとか、当たり前だが非常に嬉しい。だけど従業員も無く一人で会社をやっていたら会社の中で自分だけ喜んでガッツポーズを決めても嬉しいことは嬉しいがなんか今一つ盛り上がりにかける。一人で飲みに行っても、その喜びを分かち合ってくれる人はいないし、家族に話しても一緒に仕事をしていないから反応も今一つである。しかし従業員は違う。私が好きで始めた会社にも関わらず、共感して入って来てくれて、仕事がうまくいけば、私と同じように喜んでくれる。私と喜びを分かち合ってくれるのである。喜びは人と分かち合えると、「倍増」する。私は喜びを分かち合ってくれる従業員がいることに感謝をしている。そしてその従業員を俺が支えるんだというモチベーションに変わる。実際は支えてもらっているとしてもそういう気になる。皆さんに言いたい。喜びを分かち合ってくれる人がいることは本当に有難いし幸せなことであると。
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