私は平成14年4月1日より(株)大昇産業にお世話になった。しかしお世話になった期間は6か月という短いものだった。何故6か月で辞めてしまったかと言うと、意味も無く長い会議、会社での営業以外での業務の不満、社長との軋轢等により結果として退職することになってしまった。
毎日朝8時半から会議が始まるが、だらだらと時間を浪費し早く営業に出かけたいのに出られず結果的にやる気があるのに思いっきりやらせてもらえない環境、そして月初の会議では気合と根性を大声で叫ばされたり全くそれをやることの意味を説明されずにやらされる不快感が溜まっていった。
営業以外では、水曜日と土曜日の朝は室内でラジオ体操をさせられ、(工場労働者じゃないんだよ~と思ったり)社訓のようなものを毎日読まされるのだが、社訓もコロコロ変わり、段々長文化していったのでものすごく読むのが大変で時間が掛かるものになっていった。
極めつけは、月初の会議があまりにも詰まらないので寝てしまった。それで事あるごとに社長から寝てた事を指摘されたので思わず社長に言ってしまった。「私が社長なら、社員が何で寝てしまったのか、会議のあり方をまず考える」と言ってしまい完全に社長から不評を買ってしまった。
オーナー会社で社長に嫌われてしまった以上もう私は会社にはいられないと思い、会社を辞める決心をした。
辞めた後、どうするか考えた場合、結局男はサラリーマンをやるか自分で会社をやるか二つに一つしか選択肢が無い訳で、私はこんな形で会社を辞めたなら、もうサラリーマンは無理だと思い、仕方なくという感じとその時の勢いで独立の道を選ぶことにした。
今はその社長さんとも仲良くお付き合いをさせてもらっている事だけは付け加えさせて頂く。
こんなドタバタの大昇産業時代だったが、ここで一番の私の大きな出来事は、現在も取締役として一緒にやってもらっている公認会計士のH氏と知り合った事である。この出会いが無ければ、今の私は無かっただけに私にとって人生のターニングポイントになった。
またH氏以外でも、今でもお付き合いをさせて頂いている先輩同僚の方々が多数いる。
私が勤めた商工ファンドも大昇産業も私が退職してから数年後に両方とも倒産した。私は傾く前に運よくどちらの会社も退職している。
たまたまだが私は節目節目では付いている気がしている。そして人との出会いに関しても運が良いと自分でも思っている。
しかしながらこれで私のサラリーマン人生は終わりを告げるのである。
毎日朝8時半から会議が始まるが、だらだらと時間を浪費し早く営業に出かけたいのに出られず結果的にやる気があるのに思いっきりやらせてもらえない環境、そして月初の会議では気合と根性を大声で叫ばされたり全くそれをやることの意味を説明されずにやらされる不快感が溜まっていった。
営業以外では、水曜日と土曜日の朝は室内でラジオ体操をさせられ、(工場労働者じゃないんだよ~と思ったり)社訓のようなものを毎日読まされるのだが、社訓もコロコロ変わり、段々長文化していったのでものすごく読むのが大変で時間が掛かるものになっていった。
極めつけは、月初の会議があまりにも詰まらないので寝てしまった。それで事あるごとに社長から寝てた事を指摘されたので思わず社長に言ってしまった。「私が社長なら、社員が何で寝てしまったのか、会議のあり方をまず考える」と言ってしまい完全に社長から不評を買ってしまった。
オーナー会社で社長に嫌われてしまった以上もう私は会社にはいられないと思い、会社を辞める決心をした。
辞めた後、どうするか考えた場合、結局男はサラリーマンをやるか自分で会社をやるか二つに一つしか選択肢が無い訳で、私はこんな形で会社を辞めたなら、もうサラリーマンは無理だと思い、仕方なくという感じとその時の勢いで独立の道を選ぶことにした。
今はその社長さんとも仲良くお付き合いをさせてもらっている事だけは付け加えさせて頂く。
こんなドタバタの大昇産業時代だったが、ここで一番の私の大きな出来事は、現在も取締役として一緒にやってもらっている公認会計士のH氏と知り合った事である。この出会いが無ければ、今の私は無かっただけに私にとって人生のターニングポイントになった。
またH氏以外でも、今でもお付き合いをさせて頂いている先輩同僚の方々が多数いる。
私が勤めた商工ファンドも大昇産業も私が退職してから数年後に両方とも倒産した。私は傾く前に運よくどちらの会社も退職している。
たまたまだが私は節目節目では付いている気がしている。そして人との出会いに関しても運が良いと自分でも思っている。
しかしながらこれで私のサラリーマン人生は終わりを告げるのである。