赤坂の不動産業「バトルステーション」営業日記

赤坂で不動産業を営んでおります株式会社バトルステーションの日記です。

(株)商工ファンド(間接部門編)

2015年08月27日 | 日記
私は人事部と経営企画の部長代理を兼務していた。人事部の仕事については先般述べたが、経営企画の仕事について本日は述べさせて頂くことにする。商工ファンドの経営企画の仕事は、営業のフォローアップと会議の資料作成と営業数値向上の為の会社全体の仕組み作り、賃金体系や賞与の査定及び決定等を人事異動を絡めながら全体最適を考え社長の承認を得るというような仕事であった。間接部門は基本的に営業実績という誰が見ても分かる指標が無い為、頑張って仕事をしても営業ほど評価されない縁の下の力持ち的な役割である。私がこの部署にいる間に同期の2名は営業の統括部長になり、その当時の月給が60万円だったのでボーナスも入れると年収1000万プレーヤーになれるところに来ていた。それに引き替え私は、同期トップで営業所を出店したのは過去の話でその当時の月給は45万円でボーナスも営業ほどでは無かったので、仕事は充実していたが、心のどこかで悲哀を感じていた時期でもあった。しかし羨ましさはあったが焦りは無かった。必ず遅ればせながら同じ土俵に上がるとは思っていたし、上がる心の準備も出来ていた。それよりも営業しか知らないことより、間接部門を知って現場に出た方が自分にはプラスになると思っていた。人事と経営企画の仕事は一蓮托生であり、会社の色々な問題点を発見することが出来、自分自身も経営を勉強するには非常に良い環境であったと思っている。これは零細企業ながら今年で14年目に入った自分の会社がここまで継続できたことは、この時期の経験が大きく役に立っている。
やはり会社は人であり、営業会社、特に商工ファンドはカリスマ社長がいて、社長の考えを、部下に分かりやすく咀嚼して伝え、それを現場で実行させて行くことが出来る管理職が多数必要である。しかし社長の考えを理解出来、それを咀嚼して部下に伝え、再現可能な形に置き換え実行に移せる管理職は本当に少なかったと思う。教育はしていたが、社内の教育だけでは無く、商工ファンドの常識が世間では非常識ならないように、会社以外から各個人が学ぶ時間や姿勢が必要だったと思う。社長の言葉をちゃんと理解できるような人を作って行かなければならないことを考えると、研修体制が出来ていなかったと思う。こういう事が一つの要因ではあるが、先々に勃発する商工ファンド問題や不正に繋がっていったのだと私は思う。
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商工ファンド7年目(人事部)

2015年08月17日 | 日記
宮崎支店長を約8か月で終了し、本社人事部へ異動になった。九州には福岡、宮崎を合計して1年間滞在した。どちらもとても良い街だったと思う。通常の会社であれば人事部或いは総務部、企画部等の間接部門はエリート社員が通る道であるが商工ファンドの場合は、どちらかと言うと営業が出来なかった人が行く部署としての印象が強かった。実際に行ってみると人には向き不向きもあり、在籍しているほとんどの人が営業だけやっている人よりはクリエイティブな発想で、会社全体の事を考えて行動するので非常に優秀な人が多かった。仕事面においては常に大島社長の近くで仕事をする為、実際の生の経営者の思考に直接触れる事により経営というものを身近に且つ真剣に捉えるようになったことは会社を経営するようになった今でも非常に役立っている。商工ファンドは営業会社であったため、稼ぐ人間が一番偉いという考え方であった。でもあまりの忙しさに、新聞もろくに読めず、頭を使う事があまり無かったような気がする。人事部という間接部門は会社全体を見渡すという事で考えれば非常に勉強になる部署であった。特に勉強になったのは、新卒採用の面接であった。先輩社員の方に一次面接は営業だという事を教えられた。学生はお客様で学生に選んでもらう立場であるということを教えられたときはそういうものなのかという驚きがあった。こちらが落とした人が、「あの会社に入りたかったなあ」と思うような面接をするように言われたが、それは後になって本当に正しい事だと思った。また面接員で歩留まり率を個人別に出していたので自分が面接した人が辞退にならないように必死に会社のアピールを行った。二次面接も人を変えて私も行ったが二次面接は相手に喋らす事を念頭に置き、会社の更なるセールスを行い歩留まり率を上げる努力をし、三次面接の役員面接まで繋がるよう努力した。その当時の商工ファンドの新卒の採用目標は600人という大量採用を目的にしていたため、とにかく学生が商工ファンドに入りたいという気持ちにさせる事を主眼に置いた。私は新卒採用と並行して中途採用も行った。中途採用の予算も2億円の予算をもらい、全国を飛び回った。その中でセミナーでの会社紹介等は自分で行ったため、人前で話すことと結婚式のスピーチは上手くなった気がしている。もうだいぶ話してないのでへたくそになったが・・。この時期私は27歳~28歳という若い時期にこれだけの経験をさせてもらったことに本当に感謝している。忙しかったが無駄な事は一つも無かった。
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