赤坂の不動産業「バトルステーション」営業日記

赤坂で不動産業を営んでおります株式会社バトルステーションの日記です。

学生時代の写真を見て

2017年01月31日 | 日記
先日、たまたま書類整理をしていたら、学生時代の写真が出てきたので懐かしさで見入ってしまった。その中にその当時付き合っていた二つ年下の彼女との写真があった。
その彼女とは、二十歳くらいから足掛け7年くらい付き合ったと思う。その彼女と一緒に写っている写真を見て思ったことがある。
これは決して、懐かしさでもう一度会いたいとか、まだ未練があるとかそういう類の物では無い。私は妻の事を愛しているし大切にしたいとも思っているし、感謝もしている。離婚をされそうになった事はあるが私から離婚をしたいと思ったことは一度も無い。
写真の中で私が彼女と肩を組んで一緒に写っているのを見て思ったことは、写真もフィルムで撮ったものなので情緒深く取れていることもあるかもしれないが、私や彼女の表情が本当に嬉しそうなのである。一緒にいる事への喜びなのか、彼女の事が好きすぎての嬉しさなのか、私の表情は幸せそのもので安らぎを感じているように見える。
しかし、若かったからなのかその彼女の事に対して大切に思ったり、感謝を感じたことは多分一度も無い。若いからそうい感情を持ち合わせていなかったのか自分でもよく分からないが、でもそういう気持ちを持っていなかったのははっきりそう言える。
それよりも多分一緒に入れることに幸せを感じていたのだろうか。
学生時代の写真を見て、今の生活に追われた自分に、またこんな表情が出来るのだろうかと思ったりしている。
万が一私に愛人とか彼女が出来たとしても、こんな笑顔が出来る自信が無いし、やろうと思っても出来ないだろう。
昔の写真を見ていると若さの貴重さを感じる。
今は色々な事を経験してしまって人相が変わってしまったのだろうか。
よく男は人生は顔に出るというがやはりそういう事だろうか。
私は、商工ファンドというノンバンクに10年勤務し、不動産業界に入って15年になる。私は既に人生が人相に出ているのか普通のサラリーマンには見られない。金融屋か不動産屋か怖い人にしか見られなくなったというのは人生50歳を目前して完全に人相に現れているという事なのであろうか。
私は学生時代の写真を見て、ボケる前に純粋な気持ちで純粋な表情で写真に写りたいと思っている。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

働き方改革について一言

2017年01月30日 | 日記
最近の新聞を見ていると働き方改革なる文字をよく見かける。特に電通の残業のやり過ぎによる自殺があり、注目を集めるようになった。この働き方改革で企業は残業を減らすために、夜7時になったらパソコンの電源を落とすとか閉門時間を午後8時にするとか色々な過剰残業を防止する対策を出している。これ自体悪い事では無いと思っている。
しかし確かに拘束時間が短くなるのは良い事だが、この競争社会の中で、サラリーマンにとっても社内の競争がある中で、午後の10時でも11時でも会社の出世競争で生き残るために働きたい人は必ずいると思う。
こういう人はどうしたらいいのだろう。
こういう人は、家に持ち帰って仕事をすれば良いのか。これについて仕事をしたい人に対しての抜本的改革案がどの新聞を見ても出ていない。前向きな人に対して、やる気を損ねるような改革なら、将来的には会社の為、日本の為にはならないのではないだろうか。
強制的に労働時間を減らすだけが改革なら、誰でも出来るし、無駄な会議を減らすことも誰でも出来る。
仕組みで考えるなら、今日やらなければいけない仕事を、以前は今日中にやっておけば、翌日は新たに違う仕事が出来る訳だから、仕事の能率で考えたら、残業してでも終わらせておいた方が良い。
これを「明日でもいいよ」いう寛容な精神が会社の文化或いは仕組みとして醸成されていかなければ結局は自宅に持ち帰るようになり、パソコンの電源を落としても同じことになる。
今までより、仕事の仕上がりが遅くなり、企業としての競争力も若干落ちる可能性があるかもしれないが、明日に持ち越してもそれを咎めないおおらかな心を企業は持つ必要がある。個人の業績だけで判断出来なくなるかもしれないが評価基準も変える必要があるかもしれない。
残業をしないようにして効率が上がったという会社は、今までがノー管理だっただけである。タオルを思い切り絞った状態で仕事をさせていた会社は、残業が無くなれば必ず仕事量も比例して減る。
このグローバルな時代にそれに耐えられるか企業は勝負どころではないだろうか。
ちなみに私の会社では、成果主義なので、残業したければさせている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の長男の話

2017年01月19日 | 日記
私には現在、中学1年、小学5年、小学2年の子供がいる。ちなみに全員男である。
今日は、中学1年の長男について話したい。
私の長男は、この春に運良く早稲田中学に入学した。しかし現在の成績は全生徒約300名中260番目くらいの成績である。
試験勉強もせずゲームとラインに明け暮れる毎日だ。部活はサッカー部に入っているが、平日の帰りが早ければ日曜日は休みという緩いクラブである。
家に帰ったら制服も着替えず、こたつに潜り込みずっとゲームかラインをやっている。妻が注意しても聞く耳を持たないので妻も言い疲れて諦め気味だ。私もあまりにも目に余るときは注意するが、ほとんど家にいないので、その場しのぎにしかならない。
先日、成績の悪化に伴い携帯電話を取り上げたが、他の端末でゲームは続ける始末で効果が無い。部活動の連絡がラインということでまた使わせることになったが、今度は夜中に起きてラインをやっているという。もう中毒症状だ。
自分の息子ながら本当に情けない限りだが、本当にダメ人間だと思ている。
私は自分の長男を見て、これだったら他の学校に行って毎日部活動に打ち込める厳しい学校を選択させれば良かったとつくづく思う。
そして自分の息子を見ていて勉強より大切なものが絶対にあると思えて仕方がない毎日である。本当にこいつは将来まともな人間になるのか、コミュニケーションが取れる人間になるのか。
心配で仕方が無い。引きこもりになるのではないかと真剣に思っている。現在は学校以外はほぼ家畜のような生活している。こんなんでいい訳無いが、妻も疲れているようだ。
中毒は恐ろしい。完全に自分をコントロール出来なくなっている。
ちなみに私とは一切口を利かない。
私はこんな人間に高い授業料を払いたくない。
親だから義務なのかもしれないが、本当に嫌だ。
もう高校に行かないで働いて欲しいとも思っている。
家に帰り長男のこたつに入ってゲームだかラインをしている姿を見ると無性に腹が立つので全寮制の学校とかに行って私の視界から消えて欲しいと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年。

2017年01月11日 | 日記
私のしがないブログを読んで頂いている方に、新年あけましておめでとうございます。本年も気まぐれな私の勝手なブログにお付き合い頂ければ光栄の限りでございます。
私は、新年の初日に必ず会社の社員と初詣に行く。例年当社の仕事始めは1月5日なので、その日に赤坂稲荷へ行く事にしている。
理由は、商売の神様がいそうな気がするのと比較的空いているからだ。
私は個人的には、他にも日枝神社や氷川神社という近隣の神社は一通り参拝するようにしているので大体、初日はそれで終わることが多い。
私は、毎年願う事は決まっている。
1.今年一年の会社の業績。好業績で締められる様に切実な願いとして願掛けする。
2.私含めた家族の健康だ。私も今年酉年の4回目の年男なので、そろそろ何があってもおかしくない年齢になってきた。正直病気は怖い。
3.私に関わった人がこの一年幸せに過ごせますようにと強くお願いする。やはり仕事をしていく上で、私と仕事をしたら儲かったとか良かったとか、良い事があったとか言われたい。私も、お世話になった人には今年一年幸福に過ごしてもらいたい。その一念でお願いしている。
自分で言うのもなんだが、私はよく運を持っていそうとか、私と付き合っていると良い事がありそうとか、お客様やテナント様から言われる。だから私はいつもテナント様やお客様の繁栄を切に願っている。
人は、良い事も、悪い事も半々でやってくると私は信じているが、節目節目で運が良いと何となく全体的に運が良いと自分で認識できる。
いつも一生懸命に仕事をやり、正しい事をやり、思いやりをもって人に接していれば、必ず運は巡ってくると信じている。
小手先のテクニックでは無い。心で人に接することが大事だ。
最後に零細企業の業績なんておかしくなったら一年持たないことだってある。だから忘年会で今年も生き残れて良かったねと旨い酒を飲むために今年一年馬車馬のように働きたいと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする