
2017年11月にR&Bシンガーソングライター& Great プロデューサーのBABYFACE(最近はベビーフェイスではなくベイビーフェイスなのね)のビルボード公演が大盛況のうちに終演したようです。時間の都合さえつけばいきたかったですね。R&B好きの私ですが、最近、めっきりその辺りの記事をUpしてない事にも気づき、肌寒い秋(もう冬なのか)にあうLove Songを紹介。
テヴィン・キャンベルによるこの曲は、93年のヒット曲、フェイスが書き、Produceした切な系ラブソング(あえて美メロとは表現したくない)。
90年代のブラコン好き、R&B好きはmBabyface云々抜きにして、テヴィンによるこのラブソングを知っている人は多いと思うのですが、ちょっと前「この曲は元々おれが歌うはずの曲だった」と告白したUsherの記事にちょっと軽い衝撃を受けました。

「Can We Talk」は最終的に、クインシー・ジョーンズとPrinceに認められた17歳のテヴィン・キャンベルが歌い、見事にR&B-1位(POP-9位)になります。
「Can We Talk」は、Babyfaceによる素晴らしい切メロ、そして切ないほどのリリックで、まあ誰が歌ったとしてもヒットは約束されていたように思う。
フェイスも誰に歌ってもらうか、素晴らしいこの曲にみあった才能に出会うまでストックしていたのかもしれません。
アッシャーのインタビュー記事によると、LAリードとBABYFACEが設立したLAFACEレコードと契約するも、デビューアルバムの製作を進行していた際に、当時タッグを組んでいたLAリードとBabyfaceが(詳細は書かれていませんが)衝突し、タッグも解消してしまい、LAとBABYFACEの全面バックアップでデビューするというアッシャーのプランは流れた感じ。
Usherは、TLC、トニー・ブラクストン、等ビックアーティストを送り出した同レーベルから待望の男性ソロシンガーとして94年にソロアルバムが発表されますが、そこにBABYFACEの楽曲はない。Usherの言うように、LAリードからUsherのために「Can We 」を提供するよう頼まれたかもしれませんがBabyfaceはOKしなかったのでしょう。
それでも、Usherの1stには当時のTopプロデューサー、ショーン・パフィー・コムズ(P.diddy)、Devante Swing、チャッキー・トンプソン、エディー・Fらが集結してます。
アルバムは50万枚のセールスになるも、シングルのビックヒットは出ず。
R&B的には、Devanteによる「Can I Get Wit It」等魅力的な楽曲が満載ですが、キャッチーさという点ではちょっと薄い。
Usherのボーカルも過渡期にあった感じ。ここに「Can We Talk」が収録されていたらまた全然ちがったアルバムカラーになったように思う。
期待のデビューアルバムが思ったほどヒットが出ず、Usherもラフェイスレコードも危機感をもったようですが、2ndジャーメイン・デュプリがメインProとなった『My Way』がメガヒットし、スーパースターへの道が切り開けるわけです。
ヴィジュアル的にも洗練され、ボーカルも2ndでほぼ完成されるので、1stの16歳のアッシャーのボーカルでは曲の良さが十分引き出せたかはわかりません。いや、でもそれはそれでありかもしれないけど。アッシャーが、こうしてスターにならずに、ヒットもしなかったら「この曲おれが歌っていたら・・・」という仮定もなかなかシビアな話になるわけですが、曲もヒットし、アッシャーも大ブレイクしたわけですから結果的にはOKではないのでしょうか。
BABYFACEは、87年にウィスパーズに提供した「Rock Steady」が初めてのR&BのNo1ソングとなるわけですが、この曲を皮切りに20年以上に渡り素晴らしい楽曲を生み出し、自身もシンガーとしても人々を魅了してきた。
当時は、LAリードとチームを組んでいました。
ドラマーでもあるLAリードは、主にビートとリズムアレンジを担当し、楽曲部分はBabyfaceが主だったのだと思う。
といってもよくLA&Babyfaceの曲をLA抜きにしてBabyfaceの曲としてとりあげる記事を多く目にするけど、LA&BABYFACEととしてのクレジットはStreet感もあって、それにBabyfaceのRomanticメロディーとの融合が絶妙だった。(LA&BABYFACE時代に特集はProducerカテゴリーで見ていただくかLA&BABYFACEで検索してみてください)

LAFACEレーベルも設立し、元々経営的手腕もあったLAリードは、レーベル運営にシフトしていき、BABYFACEとのコンビも自然解消していったように思っていましたが、前述のアッシャーの記事をみると、実はもめてコンビを解消したのか?と思った次第です。
イメージ的には、アントニオ"LA"リードは、やり手。レーベル運営になると、多少の強引さや、腹黒さも必要なように思うわけです。
一方、ベイビーフェイスは、Chivalryr(騎士道)という曲を切々と歌うジェントルマンでもあり、ビジネス的な感じは薄い。
LAリードが3歳年上ですが性格的には正反対な二人のような気がする。サウンド面でもスタイルが違うからそれがいい形となり素晴らしい楽曲群を産んだようにも思う。
でLAとBABYFACEのクレジットの最後となったのが、94年1月のトニー・ブラクストンのデビューアルバム。ここでも「Breath again」というBabyfaceらしい切メロがあるけど、まだ&(アンド)にはなっていないけどLA(さらにダリル・シモンズ)との連盟クレジットはある。この後、コンビ解消したと思われます。
テヴィン・キャンベルも語るべきアーティストです。
何といってもクインシー・ジョーンズとプリンスに認められた才能なのですから。
元々は、89年のアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得したクインシー・ジョーンズの『Back On The Block』にゲストボーカルとして招かれ、クインシーファミリーのジョンソン兄弟が作ったインストの「Tomorow」に詩をつけ歌い、その天才的なボーカルが、マイケル・ジャクソンと比較された。
この曲は見事にR&B-1位。この時、テヴィンは12歳です。
クインシーに認められたというだけでもすごいのに、さらにあのプリンスのお目にも叶うのですから。
テヴィンのボーカルはさすがだと思いますが、ティーン時代のマイケル、全米No1シングル「Ben」を歌うマイケルと比較するとちょっとマイケルに軍配があがる。
プリンスも気に入ったというのがすごく気になるところで、プリンス映画第3弾『グラフィティー・ブリッジ』にも少年役で出演、さらにサントラにも参加しているという。
サントラからは、Princeが曲を書き、Produceさらにバックボーカルにも参加し、劇中でも歌われた「Round and Round」がR&B-3位(POPでも12位)
プリンスは、テヴィンの2ndに「ペイズリー・パーク」というクレジットで4曲も参加している力の入れよう。
歌は素晴らしいけど、クインシーとプリンスが何故、テヴィンにここまで惚れ込むのかは、ちょっとわからない・・・
91年のデビューアルバムからは、ナラダ・マイケル・ウォルデンがProduceした「Tell Me What You Want Me To Do」がR&B-1位、POPでも6位のヒットとなります。
そして93年の2nd『I'm Ready』に「Can We Talk」が収録されます。
このアルバムは、BABYFACE単独のクレジットの絶品Produce作品が4曲収録されており、LAとのコンビを解消し独自の路線を歩みだしたベイビーフェイスのRomanticラブソングが満載です。その中でも「Can We Talk」は絶品ラブソングなわけです。
さらに前述のプリンスも4曲プロデュースしており、ベットサイドソング的なセクシーでDeepなバラードをテヴィンに歌わせたりしている。
そういう意味でも90年代R&Bを代表するマストアルバムですが、今回は「Can We Talk」です。
メロディーも切な系で絶品ですが、その世界観がさらにすばらしい。
17歳のテヴィンの歌うラブソング。
ティーン時代に好きな女性が出来た時に誰もが感じるだろう切な心を歌っています。
昨日の夜 君が佇んでいるのを見て
僕は急に知らんぷりをしてしまった
僕は君を知っていたし 君も僕を知っていた
なのにまるで弱虫みたいにね
君は内気だけど それは君だけじゃない
僕だってそうなんだから
あれからずっと君のことを夢見ていた
好きなのだけど声がかけれない
切ない・・・
そして
ちょっと話せないかな
君の名前が知りたいんだ
ちょっと話せないかな
君の名前は?
邦題は「君に聞いて欲しいことがある」という微妙なタイトル。
今なら「君の名は」でしょ(爆)
当時、こういう世界観の恋をしていたのでより切ない気持ちで聞いていた。
結局、おれは声がかけれなかったのだけど・・・
こないだのビルボード公演でもフェイス自身も歌ったようですが、彼の書いた曲を聴きまくってるオレ的にはBest3に入る切な系ラブソングです。
今、好きな娘がいるけど声がかけれないティーン(おっさんではダメです)におすすめしたい曲。
テヴィン・キャンベルによるこの曲は、93年のヒット曲、フェイスが書き、Produceした切な系ラブソング(あえて美メロとは表現したくない)。
90年代のブラコン好き、R&B好きはmBabyface云々抜きにして、テヴィンによるこのラブソングを知っている人は多いと思うのですが、ちょっと前「この曲は元々おれが歌うはずの曲だった」と告白したUsherの記事にちょっと軽い衝撃を受けました。

「Can We Talk」は最終的に、クインシー・ジョーンズとPrinceに認められた17歳のテヴィン・キャンベルが歌い、見事にR&B-1位(POP-9位)になります。
「Can We Talk」は、Babyfaceによる素晴らしい切メロ、そして切ないほどのリリックで、まあ誰が歌ったとしてもヒットは約束されていたように思う。
フェイスも誰に歌ってもらうか、素晴らしいこの曲にみあった才能に出会うまでストックしていたのかもしれません。
アッシャーのインタビュー記事によると、LAリードとBABYFACEが設立したLAFACEレコードと契約するも、デビューアルバムの製作を進行していた際に、当時タッグを組んでいたLAリードとBabyfaceが(詳細は書かれていませんが)衝突し、タッグも解消してしまい、LAとBABYFACEの全面バックアップでデビューするというアッシャーのプランは流れた感じ。
![]() | Usher |
クリエーター情報なし | |
La Face |
Usherは、TLC、トニー・ブラクストン、等ビックアーティストを送り出した同レーベルから待望の男性ソロシンガーとして94年にソロアルバムが発表されますが、そこにBABYFACEの楽曲はない。Usherの言うように、LAリードからUsherのために「Can We 」を提供するよう頼まれたかもしれませんがBabyfaceはOKしなかったのでしょう。
それでも、Usherの1stには当時のTopプロデューサー、ショーン・パフィー・コムズ(P.diddy)、Devante Swing、チャッキー・トンプソン、エディー・Fらが集結してます。
アルバムは50万枚のセールスになるも、シングルのビックヒットは出ず。
R&B的には、Devanteによる「Can I Get Wit It」等魅力的な楽曲が満載ですが、キャッチーさという点ではちょっと薄い。
Usherのボーカルも過渡期にあった感じ。ここに「Can We Talk」が収録されていたらまた全然ちがったアルバムカラーになったように思う。
期待のデビューアルバムが思ったほどヒットが出ず、Usherもラフェイスレコードも危機感をもったようですが、2ndジャーメイン・デュプリがメインProとなった『My Way』がメガヒットし、スーパースターへの道が切り開けるわけです。
ヴィジュアル的にも洗練され、ボーカルも2ndでほぼ完成されるので、1stの16歳のアッシャーのボーカルでは曲の良さが十分引き出せたかはわかりません。いや、でもそれはそれでありかもしれないけど。アッシャーが、こうしてスターにならずに、ヒットもしなかったら「この曲おれが歌っていたら・・・」という仮定もなかなかシビアな話になるわけですが、曲もヒットし、アッシャーも大ブレイクしたわけですから結果的にはOKではないのでしょうか。
BABYFACEは、87年にウィスパーズに提供した「Rock Steady」が初めてのR&BのNo1ソングとなるわけですが、この曲を皮切りに20年以上に渡り素晴らしい楽曲を生み出し、自身もシンガーとしても人々を魅了してきた。
当時は、LAリードとチームを組んでいました。
ドラマーでもあるLAリードは、主にビートとリズムアレンジを担当し、楽曲部分はBabyfaceが主だったのだと思う。
といってもよくLA&Babyfaceの曲をLA抜きにしてBabyfaceの曲としてとりあげる記事を多く目にするけど、LA&BABYFACEととしてのクレジットはStreet感もあって、それにBabyfaceのRomanticメロディーとの融合が絶妙だった。(LA&BABYFACE時代に特集はProducerカテゴリーで見ていただくかLA&BABYFACEで検索してみてください)

LAFACEレーベルも設立し、元々経営的手腕もあったLAリードは、レーベル運営にシフトしていき、BABYFACEとのコンビも自然解消していったように思っていましたが、前述のアッシャーの記事をみると、実はもめてコンビを解消したのか?と思った次第です。
イメージ的には、アントニオ"LA"リードは、やり手。レーベル運営になると、多少の強引さや、腹黒さも必要なように思うわけです。
一方、ベイビーフェイスは、Chivalryr(騎士道)という曲を切々と歌うジェントルマンでもあり、ビジネス的な感じは薄い。
LAリードが3歳年上ですが性格的には正反対な二人のような気がする。サウンド面でもスタイルが違うからそれがいい形となり素晴らしい楽曲群を産んだようにも思う。
でLAとBABYFACEのクレジットの最後となったのが、94年1月のトニー・ブラクストンのデビューアルバム。ここでも「Breath again」というBabyfaceらしい切メロがあるけど、まだ&(アンド)にはなっていないけどLA(さらにダリル・シモンズ)との連盟クレジットはある。この後、コンビ解消したと思われます。
テヴィン・キャンベルも語るべきアーティストです。
何といってもクインシー・ジョーンズとプリンスに認められた才能なのですから。
元々は、89年のアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得したクインシー・ジョーンズの『Back On The Block』にゲストボーカルとして招かれ、クインシーファミリーのジョンソン兄弟が作ったインストの「Tomorow」に詩をつけ歌い、その天才的なボーカルが、マイケル・ジャクソンと比較された。
![]() | Tomorrow [A Better You, Better Me] |
クリエーター情報なし | |
Warner Bros / Wea |
この曲は見事にR&B-1位。この時、テヴィンは12歳です。
クインシーに認められたというだけでもすごいのに、さらにあのプリンスのお目にも叶うのですから。
テヴィンのボーカルはさすがだと思いますが、ティーン時代のマイケル、全米No1シングル「Ben」を歌うマイケルと比較するとちょっとマイケルに軍配があがる。
プリンスも気に入ったというのがすごく気になるところで、プリンス映画第3弾『グラフィティー・ブリッジ』にも少年役で出演、さらにサントラにも参加しているという。
![]() | グラフィティ・ブリッジ |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |
サントラからは、Princeが曲を書き、Produceさらにバックボーカルにも参加し、劇中でも歌われた「Round and Round」がR&B-3位(POPでも12位)
プリンスは、テヴィンの2ndに「ペイズリー・パーク」というクレジットで4曲も参加している力の入れよう。
歌は素晴らしいけど、クインシーとプリンスが何故、テヴィンにここまで惚れ込むのかは、ちょっとわからない・・・
91年のデビューアルバムからは、ナラダ・マイケル・ウォルデンがProduceした「Tell Me What You Want Me To Do」がR&B-1位、POPでも6位のヒットとなります。
そして93年の2nd『I'm Ready』に「Can We Talk」が収録されます。
![]() | アイム・レディ |
クリエーター情報なし | |
ダブリューイーエー・ジャパン |
このアルバムは、BABYFACE単独のクレジットの絶品Produce作品が4曲収録されており、LAとのコンビを解消し独自の路線を歩みだしたベイビーフェイスのRomanticラブソングが満載です。その中でも「Can We Talk」は絶品ラブソングなわけです。
さらに前述のプリンスも4曲プロデュースしており、ベットサイドソング的なセクシーでDeepなバラードをテヴィンに歌わせたりしている。
そういう意味でも90年代R&Bを代表するマストアルバムですが、今回は「Can We Talk」です。
メロディーも切な系で絶品ですが、その世界観がさらにすばらしい。
17歳のテヴィンの歌うラブソング。
ティーン時代に好きな女性が出来た時に誰もが感じるだろう切な心を歌っています。
昨日の夜 君が佇んでいるのを見て
僕は急に知らんぷりをしてしまった
僕は君を知っていたし 君も僕を知っていた
なのにまるで弱虫みたいにね
君は内気だけど それは君だけじゃない
僕だってそうなんだから
あれからずっと君のことを夢見ていた
好きなのだけど声がかけれない
切ない・・・
そして
ちょっと話せないかな
君の名前が知りたいんだ
ちょっと話せないかな
君の名前は?
邦題は「君に聞いて欲しいことがある」という微妙なタイトル。
今なら「君の名は」でしょ(爆)
当時、こういう世界観の恋をしていたのでより切ない気持ちで聞いていた。
結局、おれは声がかけれなかったのだけど・・・
こないだのビルボード公演でもフェイス自身も歌ったようですが、彼の書いた曲を聴きまくってるオレ的にはBest3に入る切な系ラブソングです。
今、好きな娘がいるけど声がかけれないティーン(おっさんではダメです)におすすめしたい曲。