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矢口史靖監督 『サバイバルファミリー』(2017)コメディー映画かと思ったらそのテーマ性はかなり深かった、極限の中で人間のエゴはむき出しになる

2020年03月16日 | 映画・ドラマ
 WOWOWで録画していた分を昨年見て、かなり心に残った作品でした。TVでも放送されましたよね。現代社会の盲点もついていると思うし、こういうIF(仮定)も現実問題あるかもしれない。コメディータッチの所もあるけど、シリアスな要素もあり、まったくふざけた作品ではありません。日常の中でありながらも冒険的な要素もあり、個人的には大傑作だった。
 一度見た後、妻と娘(小二)にも見せたいと思い一緒に見たけど、娘もすごく見入ってた。妻もおもしろかったと。娘のお気にいりシーンは、お父さん役の小日向文世が喉の渇きに我慢できず川の水をゴクゴク飲んだ後、お腹を下して草むらでおトイレしているシーン、ゲラゲラ笑ってた。

 タイトル通り、家族で生き残りをかけた生活を描きます。事の発端は、突然の停電、電気が断絶される世界になるのです。平凡な日常生活にそんな事態が急に展開されるのです。生活の中でもちょっとの停電はまれにありますが、この映画の中ではそれが1日、2日と続いていき、だんだんと日常生活が営まれなくなっていくのです。あらためて現代社会は電気社会というのを思い知らされます。
 そして、一向に復旧の兆候も見られず、社会はまひ。仕事だ学校だの話ではなくなっていくのです。ガス、水道のライフラインもすべてとまる。
 昨年かな、秋位の夕方、数時間の停電を体験した事がありますが、それだけでも相当不便だった。何にもできなくなる。早く復旧しないかな~、見たい番組もあるし、ネットもしたいしと思いながら復旧をまっていた。復旧するのが前提ですからね。しかし、この映画では復旧しないのです。その原因は最後に明らかになりますが、あながちない話でもないかもとも思った。
 そんな状況で、ある4人家族(鈴木家)がこの危機にどう立ち向かっていくかが描かれていきます。(AMAZON PRIMEでも視聴可能です)



 父親役を小日向文世。ちょっと昭和世代風のがんこ親父。家族を大事に思うも、家族の意見はきかず自己主張で押し切る。多感な時期の子供たちとは打ち解けていない感じ。かつらネタもうけた。
 母親役を深津絵里。ちょっと年の差夫婦の設定なのか。明るく前向きでちょっと天然。機転も利く感じ。
 子供役2人はオーディションで選ばれたみたい。大学2年の息子を泉澤祐希。高校1年の娘役を葵わかな。小さい頃は、きっと仲のよい4人家族だったんだろうけど、子供たちも成長し、だんだんと親を鬱陶しく思うのも普通の流れか。特に高1の娘は、超父親をうざがる。
 そういう、まあ個性的な家族だけど、そんな奇抜な設定でもなく、どこにでもいそうな4人家族。そして4人の演技はすばらしく親近感ももってすぐに作品に没入できる。

 最近の災害でも感じるところですが、スマホが断絶すると一気に情報も断絶する。友人や周囲のつながりもたたれる。そうはいってもついこないだまではスマホなどなく、人と人とのつながりもここまでダイレクトではなかった。一旦、得てしまったシステム等は失うとストレスを感じるのだろうな。そして、経済システムも崩壊すると、現金(キャッシュ)も意味がなくなっていく。生きるためには、食べ物や水が必須となっていく。
 
 最近海外ドラマの『ウォーキングデッド』もはまっている所ですが(シーズン9まできた)、こちらはもっと極限ですが。電気などもなく社会が破綻している所に、さらにゾンビがウヨウヨいるという世界で生きていく人を描いていくのですから。『ウォーキングデッド』の世界は、さらに法とか秩序、モラル等も関係なく、強くしたたかでかしこい奴のみが生き抜く。他者に情けをかけようならすぐに殺られちゃう。
 『サバイバル・ファミリー』はもちろんそこまでの極限ではないですが。まだモラルと秩序はギリ保たれている世界。しかし、ブランドものやステイタスなどは通用しない世界になっていく。ペットボトルの水も数千円とかになっていく。極限になると食べ物が価値基準になっていくと思う。食べないと死んでしまうんだもん。今、マスクやトイレットペーパーが品薄で困っていますが、まだ知恵と工夫とかで代用できる。でも食べ物は難しい。ほんと生きるためなら盗んだり、さらに極限になると暴力で奪うとかも、殺人とかにもなっていくのでしょうか。そんな世界は想像しただけでも嫌ですが。でも実際、今、米国では弾丸が売れまくっているらしい。ほんと『ウォーキングデッド』の世界じゃん。

 映画の中でも、水がなくなって困っている家族が「水を持っていないか?」とこの鈴木家に尋ねる。彼らは(持っているも)ないですと隠します。極限になると、自分と家族を一番に考えるのが当然でしょう。さらに家族が寝ているとき、男性が近づきペットボトルが1本盗まれます。すぐに長男がその男を追っていきますが、行きついた先で見た光景を見て取り返すのをやめます。これは仕方ないでしょうね。
 極限になればなるほど、人間のエゴは剥き出しになり、法や秩序は崩壊していく。

 家族は、大阪、西日本に行けば電気があるという情報を信じて、自転車で目指していきます。最終的には妻の実家の鹿児島まで目指す旅になります。それまでに様々な困難に直面していきます。極限のハングリー状態で食べ物にありつけたときの家族みんなで涙を流して食べるシーンは、泣けた。食べ物のありがたさもほんと作品を通して感じれる。

 私もサバイバルとは無縁な生活をしているので、こういう状況になったらどうするのだろう?と考えてしまった。こういう時、家族の絆の強さもわかると思うし、夫婦の信頼度もわかると思う。なかなかお嬢様育ちできた女性が妻だと厳しいものがあるかもしれないな。指示しないと動けないタイプとか。映画の中でも失ってはじめていろいろなもののありがたさを感じている。そして忘れかけていた家族の絆も思い出していくのです。
 
 大昔、電気がない時代は、自給自足が基本。通貨より米が価値基準だったんだもん。食べるために生きて、その合間に余暇があったんだと思う。しかし、狩猟だけではなく稲作や農業などで食物が作られ安定した供給ができるようになって、文化的なものが発展していった。そして電気は世界を変えた。今更、電気のない世界などに戻れるはずもなく・・・

 災害や今のコロナ騒動で、多くの人々が日頃の当たり前の日常のありがたさをあらためて感じていると思う。失ってはじめてわかる事がたくさんある。この状況だからこそこの『サバイバルファミリー』はまたリアルな感触をもって没入できるのではと思いました。


 
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