前回、小林克也氏の『ベストヒットUSA』をとりあげたら、またまた80'S(エイティーズ)の思いがましてき、「Back To The 80'S」のカテゴリーを作っちゃいました。自分的にはあまりカテゴリー増やしたくないのですが、他の方のBlogを見てても、カテが多いとそのBlogの輪郭がぼやけていたり、見る気も減退してしまうとこもあって・・・。でも80'Sネタはけっこうありそううなので作ってみました!「あんたのBlogなんだから好きにしたら」って感じですかね。みなさんと盛り上がれたらうれしいです。
私が、洋楽、R&Bに目覚めたのはマイケル・ジャクソンの『スリラー』との出会いです。それは84年の春でした。(あえて年齢とかはボンヤリさせておこう)マイケルから洋楽に興味がでて、当時のリスナーにとって必須の媒体、FM(雑誌)と「ベストヒットUSA」を軸に、様々なアーティスト、楽曲と出会っていくことになります。そして、世は80'S全盛の時期です。リアルタイムに体験していると、その当時の事はわかりにくいというか、客観的に見ることは難しいですが、当時の洋楽は華やかで魅力的だったという事を後になってあらためて認識します。
前にも言いましたが、この頃はいろいろな事が出てきたエネルギーに満ちた時代でした。テクノロジーも発達し、生楽器とテクノロジーの融合で新しいアプローチが生まれた。MTV時代の幕開け、映像と音楽が結びつき、音を楽しむだけでなく、ビジュアルで楽しむ手法もうまれた。そこにはすごい可能性が拡がっていた。だからリスナーも、その時、その瞬間を楽しみつつ、さらに未来に期待をもった時期でした。
ふと思ったのですが、経済活動と音楽の勢いって連動しているのですかね。経済的に豊かだと、余暇を楽しむこともでき業界も潤うのか?それとも逆に、音楽にパワーがあるから、その勢いで大衆が動かされ経済活動が活発になるのか?日本のバブルの入り口のこの時代、みなさんはどんな環境や立場で80'Sを過ごされたのでしょうか?私的には、多感なまだまだ青い頃でした。
職場やTV等で1983年生まれってきくと「Let's Dance」(デヴィッド・ボウイ)の時かよ~とか、1985年生まれて聞くと「We Are The World」の年かよ~って思ってしまうのです。感性的に出会った時期はよい年齢でしたが、大人と違って経済的に自立できてない、豊かではないので、好きなレコード(CD)を好き放題買えないという難点はありました。当時はお年玉が貴重な財源でした。社会人になって初ボーナスとの時は、CD買いまくりました。そういう意味でも、FMは無料で聞くことのできる貴重なソースでした。本当にお世話になりました。
で今回、振り返るのは1984年です。83年から始めようかなとも思ったのですが、けっこう知らない曲も多くて・・・82年、81年ならなおさら。個人的には、83年くらいから、デジタルの波が一気に押し寄せてきてる感じをもちます。84年は完全に打ち込み時代に突入。それは年間1位に輝いた完全に打ち込みドラム、プリンスの「When Doves Cry」(「ビートに抱かれて」)も象徴的。というわけでなるべく語れる時代を語らせて頂きたいと思います。
まずはやはり1984年のビルボード年間チャートです。
で今回、独自に思いつきました!当時総合チャートのビルボードと双璧とされた、キャッシュボックス誌(雑誌としては96年に廃刊)の年間チャートを合算させて、ベスト10を出してみようと。80年代のビルボードチャートは、7(エアープレイ):3(セールス)でRadioの放送回数のウェイトの方が高かった。キャッシュボックスは、セールスに重点をおいてチャートを算出していた。2つのチャートを合算させたらバランスいいかなと勝手に思いました。
それでは10位からです。(表示は、B→ビルボード、C→キャッシュボックス)
10位 All Night Long / ライオネル・リッチー (B:12位/C:6位)
ビルボード年間だとベスト10に入っていませんが、Cashboxだと年間6位でした。ただし83年でのランクインです。集計時期が微妙に違うんですかね。リリース時期は83年9月で、11月に全米1位に輝いています。
ただし、個人的には84年を代表する1曲だと思います。トロピカルで超気持ちよく癒されるパーティーSONG。84年夏のロサンゼルスオリンピックでの、リッチーのパフォーマンスは覚えています。このパフォーマンスでリッチーは、スーパースターの仲間入りをした印象も受けます。何十億の人が、このパーティーソングに酔いしれた。終盤の「Say Yeah!」のとこはしびれたな~。USAのエンターテイメントの華やかさをまざまざとみせつけられた。(当初、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンにも打診があったそうですが辞退したみたい)Extendede(6:16)はより盛り上がれる。(下段の80'S系オムニで紹介)
9位 Missing You / ジョン・ウェイト (B:11位/C:6位)
当時は、聞いていませんでした。「Missing You」というタイトルのラブバラードは多い。地味といえば地味な曲だけど、定番のセンチなコードの飽きのこないよい曲だと思います。アイドル系ルックスで、MTV効果もあったみたい。ジョン・ウェイトはほとんど知らない・・・シングルのビックヒットもこの曲のみっぽい感じ。86年のクライマックス(女性R&Bグループ)とともに80'Sを代表するMiss You系Love Song。
8位 Dancing In The Dark / ブルース・スプリングスティーン(B:14位/C:3位)
85年のビルボード年間アルバム1位。シングルも7枚カットされ、すべてベスト10に入るという、マイケルの『スリラー』の記録と並ぶ名作。この曲は、アルバムから最初のシングル。疾走感あるグルーブにブルースのボーカルがのる。ちょっとセンチなエッセンスもいい。チャート的には2位どまり。グラミーの最優秀レコードにもノミネート。
このアルバムは80'Sを代表するロックの1枚。ブルースのデビューは73年、デビュー当時からロック魂全開。そして7枚目の『ボーン・イン・ザ・USA』がメガヒット。ただ私的には、おさえていなかったアルバム。魂の入った完全ロックなアルバム。洋楽聞き始めた最初は、とにかくチャートでヒットしている曲を聞きまくりました。そして自分の嗜好がわかっていった。80'Sを代表するロッカー、ブルースとヒューイ・ルイスははまらなかった。まだヒューイ・ルイスは聞いた。ブルースよりPOPだったからだろうな。完全ロックは、当時ダメでした・・・「We Are The World」でもマイケルと並び2回ボーカルをとりますが、「なんじゃ~このボーカルは~」って当時は思ってましたもん。90年代のわびさび感のあるブルースは好き。なんか『ボーン・イン・ザ・USA』聞きたくなった。
7位 Owner Of A Lonely Heart / イエス (B:8位/C:8位)
イエスもおれのジャンルではないので語れませんが、この曲はいい。68年に結成されたイエスが、このビックヒットを生むまでは様々な人間模様があったようです。メンバーChangeを繰り返し、一時は解散もし、再結成して作られたこの『90125』から「ロンリーハート」というメガヒット曲が生まれます。往年のイエスファンからしたら、異色の曲のようです。グラミーでも、POP部門でのノミネートだし。このカラーは、トレヴァー・ホーンによるものでしょう。(95年、Sealの「Kiss From A Roses」でグラミーの主要部門を獲得)
この曲は、当時最新のテクノロジー(サンプラー)も導入されているようで音も斬新で録音バランスもいい。このヨーロッパ的なCoolな感触はすごく好みです。これも80'Sを代表する1曲ですよね~。
6位 Footloose / ケニー・ロギンズ(B:4位/C:11位)
80'Sはサウンドトラック(サントラ)ブームでもありました。映画の本編より、サントラの方が話題になった作品もある。『フットルース』からは、もう1曲、デニース・ウィリアムズの「Let's Heart It For The Boy」もNo1シングルに。他にもシャラマー、ラヴァーボーイのマイク・レノとハートのアン・ウィルソンのデュエットソングもヒット。6曲のシングルヒットをうみます。さらに邦楽的にも、「ヒーロー」や「ネバー」がカバーされTVドラマの主題歌としても使われた。POP、ROCK、R&Bバランスよく詰め込まれている。
ケニー・ロギンスは、なぜかサントラ絡みだとメガヒットをうむ。この曲もはやったな~。実は映画は見たことありません、いまだに・・・
5位 Ghostbusters / レイ・パーカーJr (B:9位/C:4位)
個人的には、84年度のFav曲のBest3に入る。超キャッチャーでノリノリ。打ち込み色は強いですが、ギターアクセントが絶妙。80'S SOUND的に最高の1曲。この感じはプリンスの「When Doves Cry」以上かも。体が自然に動くGroove。みんなも「ゴーストバスターズ!」って言ってた?Liveなんかでしたら超もりあがるな。
レイはスタジオミュージシャンとして引っ張りだこでしたが、自身のソロ活動にも輝かしい実績を残します。88年の『ゴーストバスターズ2』の主題歌は当時・ノリノリのボビー・ブラウンの「On Our Own」(LA&BABYFACE作)も全米2位のヒットとなりますが、やっぱゴーストバススターズと言えばこの曲。映画も楽しかった。
4位 Against All Odds (Take a Look at me Now)/ フィル・コリンズ (B:5位/C:7位)
この曲も、ヒットしました。90年代も活躍しましたが、個人的には80'Sのイメージの強いフィル・コリンズです。翌85年に発表された『No Jacket Required』も80'Sを代表する名盤。7曲のNo1シングルをすべて80年代に出しているフィルですが、輝かしい80'Sの幕開けとなるのが映画『カリブの熱い夜』の主題歌にもなった邦題「見つめてほしい」です。
フィルは、映画も見て、そのイメージに合った曲を書き上げます。フィル自身も手ごたえを感じた曲だったようです。Produceは、アリフ・マーディン。彼のProduce Workも幅広い。チャカ・カーンやアレサ・フランクリン、ベット・ミドラーも手がけ、02年度のグラミーではノラ・ジョーンズのデビューアルバムでProduceで最優秀プロデューサーも受賞。70歳での受賞です。(74歳死去)アリフ・マーディンのこのProduceワークは、クインシーに次ぐ音楽性かも。アリフにとっても、この曲は彼の代表作となります。余談ですが、私のFav Producer、Jam&Lewis Produceでマライア・キャリーもカバーしています。
フィル・コリンズはこの曲で、最優秀男性POP歌手も受賞しています。(最優秀ソングは逃します)
3位 Jump / ヴァン・ヘイレン (B:6位/C:5位)
この曲も、いまだにいろいろなとこで流れますね。ヴァン・ヘイレンってハードロックだと思っていましたが、この曲はポップ。これも80'S的なシンセがいいアクセントになっている。ヴァン・ヘイレンFreakにとっては、異色の曲でしょう。でもこのキャッチャーさがヴァン・ヘイレンの名前を、一気に、それこそJapanまでにも浸透させた。ボーカルのデイヴィッド・リー・ロスが前面に出てた。グループ脱退でもめてたな。私的に、ヴァン・ヘイレンといえば、やはりマイケル・ジャクソンの「Beat It」でのエディのギターplay。
この曲、日本でもめちゃ流行りましたが、個人的にはそんなに。
2位 What's Love Got to Do With It / ティナ・ターナー (B:2位/C:2位)
ティナ・ターナー、60年からシーンに登場します。60年代から70年代は、夫にもなるアイクと、コンビで活躍。しかし、アイクがドラックに溺れ関係が悪化し離婚。シーンからも遠のきますが、84年、ティナのソロアルバム『Private Dancer』が発表。ここから「愛の魔力」が見事No1ヒットとなります。当初、ティナはこの曲を気に入らなかったようです。ティナのために作られた曲のように思っていたのでこのエピソードは驚きました。しかし、英国のソングライター、テリー・ブリテン&グラハム・ライルによって書かれたこの曲は、見事グラミーにおいて、最優秀レコード、最優秀ソングも受賞。プロからも評価された名曲という事になります。テリー&グラハムはこの曲で一気に名を売ります。その後も、ティナに素晴らしい曲を提供しています。マイケル・ジャクソンの『BAD』収録の「Just Goods Friends」(with スティーヴィー・ワンダー)も彼らの曲。
そしてやはりティナのボーカルパフォーマンスは魅力的です。この曲で最優秀POP歌手も受賞しているのでもわかるように、R&Bというより、POP、そしてそのパワフルなボーカルはロックTasteもある。パワフルだけど、ゴスペルチックではない、でもすごい情念があるというか。ティナのボーカルはすごい。人生の経験が歌に表れている。アルバムタイトルの「Private Dancer」は曲にドラマを感じる。
マドンナもなめるように見てたといってたけど、ティナはかなりの美脚。84年の受賞時、45歳。でもめちゃミニで歌ってたな。おばちゃんでもきれいならいいと思います。
1位 When Doves Cry / Prince (B:1位、C:1位)
そして84年の1位は、プリンスの「ビートに抱かれて」(邦題)です。80'Sの曲はやたらとレコード会社が邦題をつける傾向があった。良くも悪くも、そのイメージが植えつけられてしまってる。センスの良さを感じる時もあるし、「ダセ~(注釈:いけてない)」って思う時もある。まんま「鳩が鳴くとき」ではたしかにイマイチ。「ビートに抱かれて」、おれには出てこない言葉です。
ついにプリンスの時代が到来です。プリンスは70年代後半から活躍していましたが、ミネアポリスのローカルスターでした。しかし83年の『1999』でその超Creativeな音楽性が評価され、84年の自伝的映画『パープルレイン』で大ブレイクすることになります。
84年当時、洋楽ファンにおいて、MJ派、プリンス派と2人のアーティストを対立させて盛り上がっていた。もちろん私は、マイケル派。プリンスなんて、色物のきもい奴ってイメージ。曲も本気で聞いたこともなく、スルーしていました。個人的には、84年はほとんどマイケル&ジャクソンズを聞きまくっていました。プリンスとの出会いは、翌85年の『We Are The World』でです。もちろんメイン曲の「We Are The World」を目的にアルバムを購入しましたがが、多くのアーティストの曲も提供されていました。その中に、プリンスの「In Your Eyes」という曲があり、魅了されちゃうのです。すごく聞きやすく、かつ斬新なSOUNDだったのです。それまで勝手に抱いていたイメージは偏見でした。
そしてちょうど『パープルレイン』の次のアルバム、まだパープルの余韻も冷めやらない中発表された『Around The World In A Day』が話題となっており購入。さかのぼって『パープルレイン』を聞き、見事にプリンスの音楽性に魅了されるのです。プリンスを通してロック、ファンクがしみこんでいった気がします。プリンスのロックSOUNDは、入りやすかったのです。そして今思うと、テクノロジーと生楽器、特にギターサウンドが見事に融合されています。
プリンスは、見事に時代のツールを使いこなした才人だと思います。こんなにマルチな才能の人はそういない。そのCreativeな感性を、最先端機器を融合させて表現した。プリンスによってミネアポリスは一気にUSAの音楽シーンの中心となった。その流れで、ジミー・ジャム&テリー・ルイスというスーパーProducerも生まれた。ジャム&ルイスも、プリンスなくして今の自分たちはないと断言しています。
「When Doves Cry」は見事に84年の年間チャートを制します。非常にシンプルなドラムマシーンを使ったトラックだけど、作れそうで作れないこの感性。プリンスはこの後も、そのCreative性を進化させていきます。プリンスの80年代のアルバムはみんな最高で大好き。やっぱ87年の『サイン Of the Times』かな。
『パープルレイン』も名盤。サントラですからね。トータル感のあるメッセージ性もつまった魅惑のプリンスワールドが全開の1枚。パープルを感じるかどうかはあなた次第。
以上、1984年の年間チャートを振り返ってみました。マイケル&ポールの「Say Say Say」はビルボード年間3位だったのですが、キャッシュボックスでは16位だったため、トータル19位でベスト10には入りませんでした。個人的には、シンディー・ローパーの「Time After Time」は一生モンの名バラード。デュラン・デュランの「リフレックス」もかっこよかった。翌85年、さらに魅力的な曲がたくさん登場します。
マイケル・ジャクソンとプリンスという100年に1人的な天才が同時期に頂点の登りつめたのも興味深い。この頃から、プリンスのアルバム、リアルタイムに購入し続けています。(最近、普通にCD出さないプリンスだけど)プリンス、MJのビンビンの感性が爆発したのも80'S!
次回は、グラミー絡みで84年を振り返りたいと思います。
★「All Night LongのExtended収録」
★フィル・コリンズの7曲のNo1ヒットをすべて収録。
私が、洋楽、R&Bに目覚めたのはマイケル・ジャクソンの『スリラー』との出会いです。それは84年の春でした。(あえて年齢とかはボンヤリさせておこう)マイケルから洋楽に興味がでて、当時のリスナーにとって必須の媒体、FM(雑誌)と「ベストヒットUSA」を軸に、様々なアーティスト、楽曲と出会っていくことになります。そして、世は80'S全盛の時期です。リアルタイムに体験していると、その当時の事はわかりにくいというか、客観的に見ることは難しいですが、当時の洋楽は華やかで魅力的だったという事を後になってあらためて認識します。
前にも言いましたが、この頃はいろいろな事が出てきたエネルギーに満ちた時代でした。テクノロジーも発達し、生楽器とテクノロジーの融合で新しいアプローチが生まれた。MTV時代の幕開け、映像と音楽が結びつき、音を楽しむだけでなく、ビジュアルで楽しむ手法もうまれた。そこにはすごい可能性が拡がっていた。だからリスナーも、その時、その瞬間を楽しみつつ、さらに未来に期待をもった時期でした。
ふと思ったのですが、経済活動と音楽の勢いって連動しているのですかね。経済的に豊かだと、余暇を楽しむこともでき業界も潤うのか?それとも逆に、音楽にパワーがあるから、その勢いで大衆が動かされ経済活動が活発になるのか?日本のバブルの入り口のこの時代、みなさんはどんな環境や立場で80'Sを過ごされたのでしょうか?私的には、多感なまだまだ青い頃でした。
職場やTV等で1983年生まれってきくと「Let's Dance」(デヴィッド・ボウイ)の時かよ~とか、1985年生まれて聞くと「We Are The World」の年かよ~って思ってしまうのです。感性的に出会った時期はよい年齢でしたが、大人と違って経済的に自立できてない、豊かではないので、好きなレコード(CD)を好き放題買えないという難点はありました。当時はお年玉が貴重な財源でした。社会人になって初ボーナスとの時は、CD買いまくりました。そういう意味でも、FMは無料で聞くことのできる貴重なソースでした。本当にお世話になりました。
で今回、振り返るのは1984年です。83年から始めようかなとも思ったのですが、けっこう知らない曲も多くて・・・82年、81年ならなおさら。個人的には、83年くらいから、デジタルの波が一気に押し寄せてきてる感じをもちます。84年は完全に打ち込み時代に突入。それは年間1位に輝いた完全に打ち込みドラム、プリンスの「When Doves Cry」(「ビートに抱かれて」)も象徴的。というわけでなるべく語れる時代を語らせて頂きたいと思います。
まずはやはり1984年のビルボード年間チャートです。
で今回、独自に思いつきました!当時総合チャートのビルボードと双璧とされた、キャッシュボックス誌(雑誌としては96年に廃刊)の年間チャートを合算させて、ベスト10を出してみようと。80年代のビルボードチャートは、7(エアープレイ):3(セールス)でRadioの放送回数のウェイトの方が高かった。キャッシュボックスは、セールスに重点をおいてチャートを算出していた。2つのチャートを合算させたらバランスいいかなと勝手に思いました。
それでは10位からです。(表示は、B→ビルボード、C→キャッシュボックス)
10位 All Night Long / ライオネル・リッチー (B:12位/C:6位)
オール・ナイト・ロング | |
クリエーター情報なし | |
USMジャパン |
ビルボード年間だとベスト10に入っていませんが、Cashboxだと年間6位でした。ただし83年でのランクインです。集計時期が微妙に違うんですかね。リリース時期は83年9月で、11月に全米1位に輝いています。
ただし、個人的には84年を代表する1曲だと思います。トロピカルで超気持ちよく癒されるパーティーSONG。84年夏のロサンゼルスオリンピックでの、リッチーのパフォーマンスは覚えています。このパフォーマンスでリッチーは、スーパースターの仲間入りをした印象も受けます。何十億の人が、このパーティーソングに酔いしれた。終盤の「Say Yeah!」のとこはしびれたな~。USAのエンターテイメントの華やかさをまざまざとみせつけられた。(当初、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンにも打診があったそうですが辞退したみたい)Extendede(6:16)はより盛り上がれる。(下段の80'S系オムニで紹介)
9位 Missing You / ジョン・ウェイト (B:11位/C:6位)
No Brakes/ Mask Of Smiles | |
クリエーター情報なし | |
Beat Goes On |
当時は、聞いていませんでした。「Missing You」というタイトルのラブバラードは多い。地味といえば地味な曲だけど、定番のセンチなコードの飽きのこないよい曲だと思います。アイドル系ルックスで、MTV効果もあったみたい。ジョン・ウェイトはほとんど知らない・・・シングルのビックヒットもこの曲のみっぽい感じ。86年のクライマックス(女性R&Bグループ)とともに80'Sを代表するMiss You系Love Song。
8位 Dancing In The Dark / ブルース・スプリングスティーン(B:14位/C:3位)
ボーン・イン・ザ・U.S.A.(紙ジャケット仕様) | |
クリエーター情報なし | |
Sony Music Direct |
85年のビルボード年間アルバム1位。シングルも7枚カットされ、すべてベスト10に入るという、マイケルの『スリラー』の記録と並ぶ名作。この曲は、アルバムから最初のシングル。疾走感あるグルーブにブルースのボーカルがのる。ちょっとセンチなエッセンスもいい。チャート的には2位どまり。グラミーの最優秀レコードにもノミネート。
このアルバムは80'Sを代表するロックの1枚。ブルースのデビューは73年、デビュー当時からロック魂全開。そして7枚目の『ボーン・イン・ザ・USA』がメガヒット。ただ私的には、おさえていなかったアルバム。魂の入った完全ロックなアルバム。洋楽聞き始めた最初は、とにかくチャートでヒットしている曲を聞きまくりました。そして自分の嗜好がわかっていった。80'Sを代表するロッカー、ブルースとヒューイ・ルイスははまらなかった。まだヒューイ・ルイスは聞いた。ブルースよりPOPだったからだろうな。完全ロックは、当時ダメでした・・・「We Are The World」でもマイケルと並び2回ボーカルをとりますが、「なんじゃ~このボーカルは~」って当時は思ってましたもん。90年代のわびさび感のあるブルースは好き。なんか『ボーン・イン・ザ・USA』聞きたくなった。
7位 Owner Of A Lonely Heart / イエス (B:8位/C:8位)
ロンリー・ハート(EXPANDED&REMASTERED) | |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |
イエスもおれのジャンルではないので語れませんが、この曲はいい。68年に結成されたイエスが、このビックヒットを生むまでは様々な人間模様があったようです。メンバーChangeを繰り返し、一時は解散もし、再結成して作られたこの『90125』から「ロンリーハート」というメガヒット曲が生まれます。往年のイエスファンからしたら、異色の曲のようです。グラミーでも、POP部門でのノミネートだし。このカラーは、トレヴァー・ホーンによるものでしょう。(95年、Sealの「Kiss From A Roses」でグラミーの主要部門を獲得)
この曲は、当時最新のテクノロジー(サンプラー)も導入されているようで音も斬新で録音バランスもいい。このヨーロッパ的なCoolな感触はすごく好みです。これも80'Sを代表する1曲ですよね~。
6位 Footloose / ケニー・ロギンズ(B:4位/C:11位)
フットルース(オリジナル・サウンドトラック)(紙ジャケット仕様) | |
クリエーター情報なし | |
SMJ |
80'Sはサウンドトラック(サントラ)ブームでもありました。映画の本編より、サントラの方が話題になった作品もある。『フットルース』からは、もう1曲、デニース・ウィリアムズの「Let's Heart It For The Boy」もNo1シングルに。他にもシャラマー、ラヴァーボーイのマイク・レノとハートのアン・ウィルソンのデュエットソングもヒット。6曲のシングルヒットをうみます。さらに邦楽的にも、「ヒーロー」や「ネバー」がカバーされTVドラマの主題歌としても使われた。POP、ROCK、R&Bバランスよく詰め込まれている。
ケニー・ロギンスは、なぜかサントラ絡みだとメガヒットをうむ。この曲もはやったな~。実は映画は見たことありません、いまだに・・・
5位 Ghostbusters / レイ・パーカーJr (B:9位/C:4位)
「ゴーストバスターズ」オリジナル・サウンドトラック(紙ジャケット仕様) | |
クリエーター情報なし | |
BMG JAPAN Inc. |
個人的には、84年度のFav曲のBest3に入る。超キャッチャーでノリノリ。打ち込み色は強いですが、ギターアクセントが絶妙。80'S SOUND的に最高の1曲。この感じはプリンスの「When Doves Cry」以上かも。体が自然に動くGroove。みんなも「ゴーストバスターズ!」って言ってた?Liveなんかでしたら超もりあがるな。
レイはスタジオミュージシャンとして引っ張りだこでしたが、自身のソロ活動にも輝かしい実績を残します。88年の『ゴーストバスターズ2』の主題歌は当時・ノリノリのボビー・ブラウンの「On Our Own」(LA&BABYFACE作)も全米2位のヒットとなりますが、やっぱゴーストバススターズと言えばこの曲。映画も楽しかった。
4位 Against All Odds (Take a Look at me Now)/ フィル・コリンズ (B:5位/C:7位)
カリブの熱い夜 ― オリジナル・サウンドトラック | |
クリエーター情報なし | |
イーストウエスト・ジャパン |
この曲も、ヒットしました。90年代も活躍しましたが、個人的には80'Sのイメージの強いフィル・コリンズです。翌85年に発表された『No Jacket Required』も80'Sを代表する名盤。7曲のNo1シングルをすべて80年代に出しているフィルですが、輝かしい80'Sの幕開けとなるのが映画『カリブの熱い夜』の主題歌にもなった邦題「見つめてほしい」です。
フィルは、映画も見て、そのイメージに合った曲を書き上げます。フィル自身も手ごたえを感じた曲だったようです。Produceは、アリフ・マーディン。彼のProduce Workも幅広い。チャカ・カーンやアレサ・フランクリン、ベット・ミドラーも手がけ、02年度のグラミーではノラ・ジョーンズのデビューアルバムでProduceで最優秀プロデューサーも受賞。70歳での受賞です。(74歳死去)アリフ・マーディンのこのProduceワークは、クインシーに次ぐ音楽性かも。アリフにとっても、この曲は彼の代表作となります。余談ですが、私のFav Producer、Jam&Lewis Produceでマライア・キャリーもカバーしています。
フィル・コリンズはこの曲で、最優秀男性POP歌手も受賞しています。(最優秀ソングは逃します)
3位 Jump / ヴァン・ヘイレン (B:6位/C:5位)
1984 | |
クリエーター情報なし | |
Warner Bros / Wea |
この曲も、いまだにいろいろなとこで流れますね。ヴァン・ヘイレンってハードロックだと思っていましたが、この曲はポップ。これも80'S的なシンセがいいアクセントになっている。ヴァン・ヘイレンFreakにとっては、異色の曲でしょう。でもこのキャッチャーさがヴァン・ヘイレンの名前を、一気に、それこそJapanまでにも浸透させた。ボーカルのデイヴィッド・リー・ロスが前面に出てた。グループ脱退でもめてたな。私的に、ヴァン・ヘイレンといえば、やはりマイケル・ジャクソンの「Beat It」でのエディのギターplay。
この曲、日本でもめちゃ流行りましたが、個人的にはそんなに。
2位 What's Love Got to Do With It / ティナ・ターナー (B:2位/C:2位)
Private Dancer | |
クリエーター情報なし | |
Capitol |
ティナ・ターナー、60年からシーンに登場します。60年代から70年代は、夫にもなるアイクと、コンビで活躍。しかし、アイクがドラックに溺れ関係が悪化し離婚。シーンからも遠のきますが、84年、ティナのソロアルバム『Private Dancer』が発表。ここから「愛の魔力」が見事No1ヒットとなります。当初、ティナはこの曲を気に入らなかったようです。ティナのために作られた曲のように思っていたのでこのエピソードは驚きました。しかし、英国のソングライター、テリー・ブリテン&グラハム・ライルによって書かれたこの曲は、見事グラミーにおいて、最優秀レコード、最優秀ソングも受賞。プロからも評価された名曲という事になります。テリー&グラハムはこの曲で一気に名を売ります。その後も、ティナに素晴らしい曲を提供しています。マイケル・ジャクソンの『BAD』収録の「Just Goods Friends」(with スティーヴィー・ワンダー)も彼らの曲。
そしてやはりティナのボーカルパフォーマンスは魅力的です。この曲で最優秀POP歌手も受賞しているのでもわかるように、R&Bというより、POP、そしてそのパワフルなボーカルはロックTasteもある。パワフルだけど、ゴスペルチックではない、でもすごい情念があるというか。ティナのボーカルはすごい。人生の経験が歌に表れている。アルバムタイトルの「Private Dancer」は曲にドラマを感じる。
マドンナもなめるように見てたといってたけど、ティナはかなりの美脚。84年の受賞時、45歳。でもめちゃミニで歌ってたな。おばちゃんでもきれいならいいと思います。
1位 When Doves Cry / Prince (B:1位、C:1位)
パープル・レイン | |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |
そして84年の1位は、プリンスの「ビートに抱かれて」(邦題)です。80'Sの曲はやたらとレコード会社が邦題をつける傾向があった。良くも悪くも、そのイメージが植えつけられてしまってる。センスの良さを感じる時もあるし、「ダセ~(注釈:いけてない)」って思う時もある。まんま「鳩が鳴くとき」ではたしかにイマイチ。「ビートに抱かれて」、おれには出てこない言葉です。
ついにプリンスの時代が到来です。プリンスは70年代後半から活躍していましたが、ミネアポリスのローカルスターでした。しかし83年の『1999』でその超Creativeな音楽性が評価され、84年の自伝的映画『パープルレイン』で大ブレイクすることになります。
84年当時、洋楽ファンにおいて、MJ派、プリンス派と2人のアーティストを対立させて盛り上がっていた。もちろん私は、マイケル派。プリンスなんて、色物のきもい奴ってイメージ。曲も本気で聞いたこともなく、スルーしていました。個人的には、84年はほとんどマイケル&ジャクソンズを聞きまくっていました。プリンスとの出会いは、翌85年の『We Are The World』でです。もちろんメイン曲の「We Are The World」を目的にアルバムを購入しましたがが、多くのアーティストの曲も提供されていました。その中に、プリンスの「In Your Eyes」という曲があり、魅了されちゃうのです。すごく聞きやすく、かつ斬新なSOUNDだったのです。それまで勝手に抱いていたイメージは偏見でした。
そしてちょうど『パープルレイン』の次のアルバム、まだパープルの余韻も冷めやらない中発表された『Around The World In A Day』が話題となっており購入。さかのぼって『パープルレイン』を聞き、見事にプリンスの音楽性に魅了されるのです。プリンスを通してロック、ファンクがしみこんでいった気がします。プリンスのロックSOUNDは、入りやすかったのです。そして今思うと、テクノロジーと生楽器、特にギターサウンドが見事に融合されています。
プリンスは、見事に時代のツールを使いこなした才人だと思います。こんなにマルチな才能の人はそういない。そのCreativeな感性を、最先端機器を融合させて表現した。プリンスによってミネアポリスは一気にUSAの音楽シーンの中心となった。その流れで、ジミー・ジャム&テリー・ルイスというスーパーProducerも生まれた。ジャム&ルイスも、プリンスなくして今の自分たちはないと断言しています。
「When Doves Cry」は見事に84年の年間チャートを制します。非常にシンプルなドラムマシーンを使ったトラックだけど、作れそうで作れないこの感性。プリンスはこの後も、そのCreative性を進化させていきます。プリンスの80年代のアルバムはみんな最高で大好き。やっぱ87年の『サイン Of the Times』かな。
『パープルレイン』も名盤。サントラですからね。トータル感のあるメッセージ性もつまった魅惑のプリンスワールドが全開の1枚。パープルを感じるかどうかはあなた次第。
以上、1984年の年間チャートを振り返ってみました。マイケル&ポールの「Say Say Say」はビルボード年間3位だったのですが、キャッシュボックスでは16位だったため、トータル19位でベスト10には入りませんでした。個人的には、シンディー・ローパーの「Time After Time」は一生モンの名バラード。デュラン・デュランの「リフレックス」もかっこよかった。翌85年、さらに魅力的な曲がたくさん登場します。
マイケル・ジャクソンとプリンスという100年に1人的な天才が同時期に頂点の登りつめたのも興味深い。この頃から、プリンスのアルバム、リアルタイムに購入し続けています。(最近、普通にCD出さないプリンスだけど)プリンス、MJのビンビンの感性が爆発したのも80'S!
次回は、グラミー絡みで84年を振り返りたいと思います。
★「All Night LongのExtended収録」
プレイ~12インチ・ヴァージョンズ(80’S) | |
クリエーター情報なし | |
USMジャパン |
★フィル・コリンズの7曲のNo1ヒットをすべて収録。
ベスト・オブ・フィル・コリンズ | |
クリエーター情報なし | |
ワーナーミュージック・ジャパン |