早とちり!!

2012年01月21日 00時35分34秒 | 日記

やっちゃいました。    早とちり。

先日、勿忘草さんのブログで『せっかちであると同時に、そそっかしく、早とちりの名人である』とあって

ドキっ、私のことだ~と思ってたのですが、 …やっちゃいました。

切り餅と のし餅って、ひょっとしたら違うのかもって気付きました。

ようちゃんばあばさんが、

『厚みが少なめなようなので 細いかきもちになるのでしょうか』のコメントを残してくれて気がつきました。

私のは のし餅を四角く切って切りもちを作ったのですが、

そうではなく厚くのして切り口を面にした切りもちなのですね。

写真じゃわからなかった~。 早とちりです。 

それともう一つ。

うるち米も混ぜるのですね~。

私は餅米だけでついちゃいました。 

どうりでなんか柔らかいなって、 

一個焼いてみました。

 ほどなく ぷく~~と膨らんできました。

これが炭酸を入れた効果なのですね?

このまま四角に切ったら、

 

こんな感じで、これが北海道では切りもちと言います。

でも切り口を面にするには、やっぱり厚みが必要ですね。

3~5ミリくらいに切ってみました。

あはっ、こんな風になってしまいました。(^_^;)

でもかき餅ってこんな細いのもありますし…。  なんて強がり

ただ今の季節、表で寒風にさらしながら、天日干しするのは

北海道では 無理なことがわかりました。

餅搗き、初めてやってみました。

 

子供のころは、臼と杵で餅をついていました。

その日は家の一大イベントで、父の他に男の人が何人も来てかわるがわる杵を振り上げ

合いの手を入れる女の人たちで家の中はあふれかえってました。

私の餅つきは、たった1キロのもち米をふかしてパンこね機で搗いただけですが

不思議なもので、色々と昔を思い出しました。

私は搗きたての餅をちぎってもらって納豆をねぎ、醤油で混ぜ合わせた たれで食べるのが大好きでした。

今回の餅は黒豆を煮て一緒に搗いてしまいましたが、

搗き終わってから黒豆を混ぜ合わせたほうがいいとブルーメさんに教えてもらったり…。

そしてのんたさんからはみかんの皮を入れてもおいしかったとか教えてもらったので、再度チャレンジします。

失敗は成功の母と言います。

めげずに今度はもっと工夫をして上手に、搗いてみます。

うん、

 


真似っこでかき餅作ってます。

2012年01月20日 08時26分17秒 | 日記

昨日、ようちゃんばあばさんのところにお邪魔したらかき餅をついてるってありました。

ん?かき餅って自宅で作れるの?でした。

ちょうどおはぎを作ろうかな~と思ってもち米を1キロ買ってあります。

覚えてる方はいますでしょうか?

先日、、黒あずきを煮てお汁粉を使ったのを。

あの時の黒あずき、300グラムありましたから一緒に煮てお汁粉には半分、半分は冷凍しておいたのです。

それを解凍しておはぎを作ろうと餡を作りました。

それで、黒豆を煮て、準備して

おはぎと、黒豆入りのかき餅とを両方作ろうと始めたのです。

まず餅米を炊いて、3/1は、おはぎ用に取り置いて、

残り3/2はお餅用にパンこね機に投入。

あっ、餅こね機はないのです。(^_^;)

でも同じ要領で使えばパンこね機でも、できないことないのではないかと…。

思った通りうまくつけました。

さらに黒豆と三温糖と藻塩と、炭酸を投入

ようちゃんばあばさんがおっしゃるようにちょっと緩んできましたが

だんだん、固まってきました。

それをバットに受けて、冷やしてます。

あっ、ちょっと黒豆がつぶれて皮がむけてるのもありますが、ま、ご愛敬で(^_^;)

初めてお餅を自分で作ってみました。

お正月用はいつも新潟から取り寄せ便を利用していたのです。

パンこね機でもできるものですね~。

来年からは自分でつこうかな? もう少し工夫をしたらもっと上手になると思うし。

ついでに作ったおはぎ

真っ黒でしょう?  こんなのが12個できました。

でもコクがあって ポリフェノールいっぱいで おいしゅうございました。

さあ、明日は、お餅を切って、干します。

たのしみ~~。


ジビエ

2012年01月19日 09時47分30秒 | 日記

ジブリではなく ジビエです。

ジブリと言えば宮崎 駿の世界ですが、ジビエは私も初めて聞く言葉でちょっと調べてみました。

ジビエ

 ジビエという言葉は日本人にはあまり馴染がないかと思いますが、狩猟による鳥獣肉を ジビエといいます。

(仏: gibier)は、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣である。主に フランス料理での用語。

 本来はハンターが捕獲した完全に野生のもの(仏: sauvage、 ソバージュ)を指すが、供給が安定しないし、

また入手困難で高価になってしまった。

と、ありました。

 

昨日の朝刊。

北海道では 増えすぎたエゾシカ被害がひどいから、今まで,夜間は禁止していた発砲などによる夜の捕獲を

道は、認める条例を定めたとあるのです。

以前、誤発砲によって、営林署の職員が死亡するという事件が起きて

その犯人もまだ解決されていないのに、いいのかなって思います。

確かにエゾシカは夜行性なのかも知れません。

でも昼間よりも、なおのこと事故が起きるリスクが増えるのではないでしょか?

それにしても

エゾシカが爆発的に増えてるらしい。

農業被害も深刻で去年だけでも59億円の被害額だったとのこと。

このままにしておいたら増えすぎて被害額は甚大になる可能性が出てきて

今年から捕獲高を大幅に拡張したらしい。

天敵の居ない洞爺湖中之島では エゾシカが増えすぎ間引きもおぼつかないと聞いた。

つまり今までは捕獲制限をしていたのだが、もっと獲ってって良いよと言うことになったわけです。

 

そのせいもあるのか最近やたらとエゾシカ料理のレシピが巷で出回っています。

全く癖がないらしい。

でも 鹿=可愛いと言うイメージがあって 食べるなんてかわいそうと言う感じがぬぐえないのだが…。

...。oо○*  *○оo。...。oо○*  *○оo。...。oо○*  *○оo。...。oо○*  *○оo。...。

 

 実はエゾシカ肉をいただいてしまった。(^_^;)

エゾシカ肉は北海道にしかない食材ですが まだ食べた事がありません。

もう完全調理味付けされていて 、封を切ればいいだけなのですが…。

 

4年前の北海道サミットの際、世界のファーストレディにも提供されたらしいです。

無駄にして良い命などない。

美味しく加工して全国のシェフの元に発送されているエゾ肉。

頂いたエゾシカ肉…

食べるべきか 食べざるべきか…。

ハムレットの心境。

くりくりしたあの目が思い浮かび、 まだ私は決心がつかない。

さてどうしたものか…。

 


春を探しに。

2012年01月18日 10時38分55秒 | 日記

昨日の続きです。

そのリーダーだった男の子のことは もう一つ かっこよかったな~って思う思い出があります。

冬の終わりで 太陽がつららにあたってきらきら輝いてとてもきれいな日でした。

もうすぐ春がやってくると予感させるような穏やかな日でした。

いつものように1グループが集まって日向ぼっこのようなことやってるとき

その年長の男の子が、「よし、春を探しに行こう』と言ったのです。

(よし、といったかどうかは分かりませんが・・・。)

で、みんなも「行こう、行こう」ということになり

7,8人のグループが、特別の用意もなく、その男の子について行ったのです。

確か一番下の子は、おそらく3歳くらいの子もいたと思うのです。

意気揚々と一個団体、その男の子について、出かけました。

最初のうちは、田んぼの畦が日の光に照らされて、雪の溶けてる所から緑の草が生えていたりすると

見つけた子が、大声で、「春見つけた~」って叫ぶとみんなが寄ってきて

「本当だ」ってたくさんの目がその緑を見つめ、

緑色が照れて赤くなってしまうくらいに、覗き込むのです。

そうこうしてるうちに、年少の子が疲れてきて、半ベソをかきます。

するとその年長の男の子は、当然のようにその子をおぶって先に進みます。

昔ですから、今のように防寒靴なんてありません。

みんな長靴です。

小さい子は、短い長靴の中に雪が入ったりして、ぐしょぐしょになってしまうのです。

でもみんな満足でした。

その年長の男の子についてきたこと だ~れも後悔なんてしなかった。

春の息吹を感じ、雪解け水の冷たさを味わい、山の頂に見えた、粘土質の断崖に

春の近いことを感じ、疲れも感じずに、出かけたときと同じに

意気揚々と帰ってきたのです。

どのくらいの時間だったのか、何も食べるもの(飴とか)も持たずに、

今の親なら、その男の子を無謀と責めたかも知れませんが、

そんなこと、なんとも思わずに、容認してくれる寛容さが昔の親にはありました。

それがいいとは思いません。

でも子ども心に仲間と一緒に『春を見つけた』という達成感というか、征服感が残りました。

今でもふっと雪解けの春を待ちわびる気持ちと一緒にあの時の

あの顔も思い出さないかっこよかった男の子を思いだします。

 

 

 

実はその男の子には、中学生になったとき、呼び止められたことがあるのです…。

「○○さん」って。

お祭りの日でした。

田舎にも香具師のお店が出るんです。

その子はその香具師の一つで、店番をやってました。

怖かったのと、悲しさと、恥ずかしさで、逃げ帰ってきてしまいました。

確か私より3歳くらい上だったと思います。

 

昔はみんな、貧しかったから、中学以上の学校に進むことは かなわなかったのかも知れません。

せっかくの責任感の強さと、リーダーシップを、

発揮できなかった環境だったのかもと 今は思います。

 


遠い昔の記憶。

2012年01月17日 11時23分25秒 | 日記

昨日、のんたさんのところにお邪魔したら、子供のころ雪合戦をしたお話が載っていて…。

昔は近所の子供たちが、たくさんいて

何かやろうというと必ずいっぱい子供が集まってきて1グループが出来上がり

年長者が、誰言うともなくリーダーになりみんなを統率していたものです。

そして公平に遊ぶ術を覚えていった気がする。

たとえば『缶けり』というかくれんぼが進化したような遊びがあると

一人の子が長く鬼ばかりしないように、年長のリーダーが、

「今度は俺が鬼をやる」というように、みんなが楽しく遊べる工夫をしていたように思います。

あの子が鬼ばかりでかわいそうだなって思い始めていたときなど、ほっとしたものです。

ある時、その年長者が、私たちと遊ばなくなって(きっと大人になったのでしょう)

私たちは自分たちで鬼ごっこをやっていたのですが

鬼が弟ばかりのことがありました。

当然弟は泣き出してしまい、帰ろうとしました。

その時 誰言うともなく、

「わ~~い、鬼、やけた。」と言い出したのです。

そうしたらみんなも「わ~い、わ~い、 鬼や~け~た~」とはやし立てたのです。

一緒に帰ろうとしていた私は、

近所の家の庭先にあった竹ほうきを持ってみんなを追いかけたことあります。

そのあとみんなは はやし立てながら、逃げて行って

なんだか悔しくって、私も泣きながら家に帰ったことを思い出しました。

でもあの時なんで「今度は私が鬼をやる」って弟と変わってやらなかったのかって思うのです。

あのリーダーだった子のように、誰にも有無を言わせず当然のこととして

みんなを納得させることができないという不安や、自分の弟をかばってると思われるのが嫌とか

もろもろの感情が交錯していて、何もしてやれなかったのをふっと思い出しました。

 

  まだまだ幼かった遠い昔のことです。