○恒産あり 亡妻(つま)に拝謝す 年の暮れ 楽翁
▼孟子曰く、民の若(ごと)きは、則ち恒産無ければ、因って恒心無し。苟くも恒心無ければ、放辟邪侈(ほうへきじゃし)、為さざる無きのみ。──孟子が文公に言うには、「一般人民は、恒産(一定の財産や仕事)が無ければ恒心(ぐらつかない正常心)を保てません。もし恒心がなければ、放辟邪侈(無法で邪悪な行為)に走って、何をするか分りませんぞ」、と。
<北朝鮮の金正日総書記の後継者に確定した三男、金正恩氏は11月上旬頃、平壌での会合で「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(金日成主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」と述べた。祖父である金主席の威光を背景に、経済再建で指導的役割を担うことをアピールするのが狙いとみられる。(中略)正恩氏は後継者に固まった9月以降、「過去には食糧がなくても弾丸はなければならなかったが、現在は弾丸がなくても食糧がなければならない」など、経済重視の発言をしてきた。>(12/6読売新聞)
∇上記発言が真実であって欲しいものだ。北朝鮮の国民は言うまでもなく、近隣諸国の北朝鮮に対する安全保障上の重大エポックとなる筈だから。たゞこの発言と先般引き起こした北朝鮮軍による韓国・大延坪島への砲撃事件との整合性がどう考えても噛みあわない。故金主席生誕100年にあたる2012年の「強盛大国の門を開く年」への政治的パフォーマンスに過ぎないのか。或は、食糧難が加速される冬期、国民に向けての見せ掛けアピールかもしれない。暫くは彼らの動きを注意深く「注視」する必要がある。孰れにせよ、北朝鮮が金正日総書記亡き後、国家として生き残れる唯一の方策は、“弾丸(兵器)より食糧”への道しかない。
∇孟子の言葉に少し耳を傾けよう。曰く、<力を以て仁を仮る者は覇たり、徳を以て仁を行なふ者は王たり><力を以て人を服する者は心服するに非ざるなり、力足らざればなり>と。(公孫丑篇) すべてにおいて軍事を優先せんとする先軍政治(主体思想)を捨てなさい。力(軍事圧力)を背景にして、表面上は仁(慈愛)があるようにみせかける金一族を「覇者」という。力づくで人民を従わせても、彼らは心服していない。対抗する力が足りないから一時的に服従しているだけだ。だから事実は面従腹背の輩ばかり。「王者」なら徳恵を以て人民に対するものだ。<天下、心服せずして王たる者は未だこれ非ざるなり>と。現状のまゝでは早晩金王朝が崩壊すること必定だ。
∇孟子処方箋を曰く、<名君は民の生産収入を定め、父母に仕え、妻子を養い、豊作の年は食い飽き、凶年には餓えなくする。><特に鰥寡孤独の「無告の民」(=年老いて子や連れ合いを亡くしたものや、幼くして養う者がいない人々)に、産を与え生活安定すれば、放癖邪侈は無くなり、七十の老人が温かい衣類を着て栄養価のある肉が食え、庶民が餓えず凍えずいられる筈だ。><民に宅地を与え、これに養蚕をやらせれば、五十の者は帛(絹)を着て暮らせるし、鶏豚等家畜を時宜よく飼育すれば、七十の者でも肉を食って暮らすことができ、百畝の田畑を分け与え時を奪わず使役すれば、農耕が上手く行われて5、6人位の家族が餓えることはない。>かくして<七十の者が帛を着て、肉を食い、黎民(庶民)が餓えず凍えずするようになって、しかも王たらざる者は古来決して無いのである。>(梁恵王篇)
∇又曰く、<農時を奪わず使役すれば穀物は食べきれないほど繁殖する>と。「論語」にも<民を使うに時を以てす>とある。国政を司る者にとって、「入るを量る」ための最重要策は農時を奪わないようにすべきことであった。軍事や建国記念と称して、やたらにパレードの為に人民を総動員するな。司馬光著「資治通鑑」に次の話が載っている。
<かつて宋の衡陽王が春月に狩をした。途中で老父が菅笠を被って耕しているのに出会った。王の左右の者たちがこれを退けようとした。すると老父が曰わく、「狩などをして遊び楽しむのは古人の戒めるところです。今、陽気まさに長ずる時節、一日耕さざれば我々農民は其の時を失ってしまいます。どうして禽獣などを追って楽しむ方々なぞの言うことに従って退いておられましょう」、と。衡陽王、馬を止めて曰わく「賢者なり」、と。臣下に命じてこれに食を賜わんとした。老父辞退して曰く、「大王さまが農耕の時を奪わざれば、則ち境内の民は皆、大王の食に食べ飽きることでしょう。私だけがどうして独り大王の賜物を受ける必要がありましょうか」、と。(「資治通鑑」・宋紀五)>
∇又、又孟子曰く、<日暮れに他人の家の門戸を叩いて水や火を求めると、誰しもこれを与えないものがいないのは、水や火が十分あるからである。聖人が天下を治めるのもこの理で、米穀・豆類が水火のごとく豊富ならしめるためである。だから不仁な者がでないのだ>と。(尽心篇)──まさに<水道哲学>である。1932年5月5日、松下幸之助は全店員を大阪・中央電気倶楽部に招集し、当社の使命を明示した。<産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである>と。北朝鮮よ、つまらぬ挑発行為をやめ、孟子や幸之助に学んでみてはどうか。(我が国も!)
▼孟子曰く、民の若(ごと)きは、則ち恒産無ければ、因って恒心無し。苟くも恒心無ければ、放辟邪侈(ほうへきじゃし)、為さざる無きのみ。──孟子が文公に言うには、「一般人民は、恒産(一定の財産や仕事)が無ければ恒心(ぐらつかない正常心)を保てません。もし恒心がなければ、放辟邪侈(無法で邪悪な行為)に走って、何をするか分りませんぞ」、と。
<北朝鮮の金正日総書記の後継者に確定した三男、金正恩氏は11月上旬頃、平壌での会合で「3年以内に国民経済を1960~70年代のレベルに回復させ、(金日成主席の目標だった)『白米を食べ、肉のスープを飲み、絹の服を着て、瓦屋根の家に住む』を、真に成し遂げねばならない」と述べた。祖父である金主席の威光を背景に、経済再建で指導的役割を担うことをアピールするのが狙いとみられる。(中略)正恩氏は後継者に固まった9月以降、「過去には食糧がなくても弾丸はなければならなかったが、現在は弾丸がなくても食糧がなければならない」など、経済重視の発言をしてきた。>(12/6読売新聞)
∇上記発言が真実であって欲しいものだ。北朝鮮の国民は言うまでもなく、近隣諸国の北朝鮮に対する安全保障上の重大エポックとなる筈だから。たゞこの発言と先般引き起こした北朝鮮軍による韓国・大延坪島への砲撃事件との整合性がどう考えても噛みあわない。故金主席生誕100年にあたる2012年の「強盛大国の門を開く年」への政治的パフォーマンスに過ぎないのか。或は、食糧難が加速される冬期、国民に向けての見せ掛けアピールかもしれない。暫くは彼らの動きを注意深く「注視」する必要がある。孰れにせよ、北朝鮮が金正日総書記亡き後、国家として生き残れる唯一の方策は、“弾丸(兵器)より食糧”への道しかない。
∇孟子の言葉に少し耳を傾けよう。曰く、<力を以て仁を仮る者は覇たり、徳を以て仁を行なふ者は王たり><力を以て人を服する者は心服するに非ざるなり、力足らざればなり>と。(公孫丑篇) すべてにおいて軍事を優先せんとする先軍政治(主体思想)を捨てなさい。力(軍事圧力)を背景にして、表面上は仁(慈愛)があるようにみせかける金一族を「覇者」という。力づくで人民を従わせても、彼らは心服していない。対抗する力が足りないから一時的に服従しているだけだ。だから事実は面従腹背の輩ばかり。「王者」なら徳恵を以て人民に対するものだ。<天下、心服せずして王たる者は未だこれ非ざるなり>と。現状のまゝでは早晩金王朝が崩壊すること必定だ。
∇孟子処方箋を曰く、<名君は民の生産収入を定め、父母に仕え、妻子を養い、豊作の年は食い飽き、凶年には餓えなくする。><特に鰥寡孤独の「無告の民」(=年老いて子や連れ合いを亡くしたものや、幼くして養う者がいない人々)に、産を与え生活安定すれば、放癖邪侈は無くなり、七十の老人が温かい衣類を着て栄養価のある肉が食え、庶民が餓えず凍えずいられる筈だ。><民に宅地を与え、これに養蚕をやらせれば、五十の者は帛(絹)を着て暮らせるし、鶏豚等家畜を時宜よく飼育すれば、七十の者でも肉を食って暮らすことができ、百畝の田畑を分け与え時を奪わず使役すれば、農耕が上手く行われて5、6人位の家族が餓えることはない。>かくして<七十の者が帛を着て、肉を食い、黎民(庶民)が餓えず凍えずするようになって、しかも王たらざる者は古来決して無いのである。>(梁恵王篇)
∇又曰く、<農時を奪わず使役すれば穀物は食べきれないほど繁殖する>と。「論語」にも<民を使うに時を以てす>とある。国政を司る者にとって、「入るを量る」ための最重要策は農時を奪わないようにすべきことであった。軍事や建国記念と称して、やたらにパレードの為に人民を総動員するな。司馬光著「資治通鑑」に次の話が載っている。
<かつて宋の衡陽王が春月に狩をした。途中で老父が菅笠を被って耕しているのに出会った。王の左右の者たちがこれを退けようとした。すると老父が曰わく、「狩などをして遊び楽しむのは古人の戒めるところです。今、陽気まさに長ずる時節、一日耕さざれば我々農民は其の時を失ってしまいます。どうして禽獣などを追って楽しむ方々なぞの言うことに従って退いておられましょう」、と。衡陽王、馬を止めて曰わく「賢者なり」、と。臣下に命じてこれに食を賜わんとした。老父辞退して曰く、「大王さまが農耕の時を奪わざれば、則ち境内の民は皆、大王の食に食べ飽きることでしょう。私だけがどうして独り大王の賜物を受ける必要がありましょうか」、と。(「資治通鑑」・宋紀五)>
∇又、又孟子曰く、<日暮れに他人の家の門戸を叩いて水や火を求めると、誰しもこれを与えないものがいないのは、水や火が十分あるからである。聖人が天下を治めるのもこの理で、米穀・豆類が水火のごとく豊富ならしめるためである。だから不仁な者がでないのだ>と。(尽心篇)──まさに<水道哲学>である。1932年5月5日、松下幸之助は全店員を大阪・中央電気倶楽部に招集し、当社の使命を明示した。<産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである>と。北朝鮮よ、つまらぬ挑発行為をやめ、孟子や幸之助に学んでみてはどうか。(我が国も!)