残照日記

晩節を孤芳に生きる。

貧乏格差

2010-12-27 06:37:10 | 日記
  
<貧に処す法>(「戦国策」・隠逸伝)

無事を以て貴に当て (無事なるを以て高貴な身分の代りとし)
早寝を以て富に当て (早寝するを以て富の代りとし)
安歩を以て車に当て (ゆっくり歩くを以て車馬の代りとし)
晩食を以て肉に当つ。(腹を減らして食べるのを以て肉代りとする)
これ窮に処するに巧みなるなり。(以上が貧乏に対処する妙法である。)

∇<生活保護 最多の141万世帯、生活保護を受けている人の数は195万人>。ことし9月時点での生活保護を受けた世帯とその人数である。内訳は、「高齢者」が1687世帯、「母子家庭」が1233世帯、「障害者」が1052世帯で、最も多かったのは、仕事を失った人を含めた「その他の世帯」で3538世帯だった。生活保護の受給世帯は、雇用情勢の悪化とともに急増し、この1年間でおよそ14万1000世帯、率にして11%余り増加しているという。(厚生労働省調査) 日本の総世帯数が約5000万世帯だから、凡そ2.8%の世帯、総人口比1.5%の人が生活保護を受けている勘定になる。──

∇昨日、午前の散歩を終えて昼のNHKニュースを見ていたら、日本橋三越百貨店で、束見本(つかみほん=本の出版に先立ち、刊行するものと同じ用紙やページ数で製本して、装丁のぐあいを確かめたり、宣伝に用いたりする見本=大辞泉)のチャリティ販売をやっていた。28日までだというので、急いで出かけた。選り取り見取り1冊が200円、とあって、飛ぶように捌けていた。老生が10冊入手した頃にはもうチャリティは終了。三越なぞ久し振りなので、店内をブラブラ冷やかしてみた。衣服、靴、バッグ、宝石類のある一階フロアは、日曜のせいもあって、顧客で溢れていた。驚いたのは、男女とも老人が圧倒的に多く、しかも高額商品をポンポン買っている。最近は、衣服類でせいぜい一着3千円がベースの老生にとっては驚きの風景だった。

∇高卒・大卒共に就職内定率は氷河期だし、生活保護受給世帯が急増するし、昨年末行なわれた「派遣村」と呼ばれる取り組みは今年は設けられず、仕事や住まいを失った人たちの相談に乗る弁護士や労働組合の関係者などがおおわらわの年末である。富める人と貧しい人がいるのはどの国でも変わらないが、貧しい中でも所謂平均並以下の貧乏人と極貧人との差が益々開いて、「経済格差」どころか「貧乏格差」を問題視せねばならないのが最近の日本ではないか。そんなことを考えながら帰路についた。それは統計上にはっきり表れている。例えば最近発表された金融広報中央委員会による平成22年度度「家計の金融行動に関する『二人以上世帯』調査」結果だ。

∇それによれば、預貯金・債券・株式・投資信託等、所謂「金融資産」を保有している世帯は全世帯の約8割で、その保有額は、平均値が1,542万円、中央値が820万円だった。へー皆、そんなに持ってるの、と思ったら大間違い。「平均値は少数の高額保有世帯に引き上げられる」傾向があることを考慮しなくては実態から反れてしまう。一般に、金融資産の分布、例えば貯蓄残高分布のような、右側の裾が長いヒストグラムを分析するには、統計値が、平均値>メディアン(中央値)>モード(最頻値)という傾向を特っていることを考慮しないと真実が見えない。中央値より最頻値を見た方がよい。貯蓄金額でいえば、貯蓄ゼロ世帯が約2割強、200万円未満世帯が一番多く(最頻値)、全国の3分の2が平均値以下である、というのが実態なのである。

∇金融資産の目標残高の平均値は2000万円。「病気や不時の災害への備え」(7割弱)、「老後の生活資金」(6割強)が目的だ。何と実情とかけ離れた希望値だろう! もうひとつ統計値を示そう。平成21年度のサラリーマンの平均年収は国税庁統計等によれば、男子500万円、女性263万円、全平均は406万円だった。(冒頭のヒストグラム) それを見ると、女性は100万円台、男性は300万円台がモード(最頻値)である。海江田万里経済財政担当相が「年収1500万円は金持ではない、中間所得者だ」と発言したのは世間知らずのトンチンカン大臣もいいところだと分る。年収1500万円を超える給与所得者は全体の1・2%に当たる約50万人しかいない。一千万円給与取りは“高級取り”に分類されることを承知せよ。

∇世の中の大半は「平凡な一般人民」たち。上述したように、今流用語を以て経済的に言えば、平均以下の“負け組”が6割以上いるのが世の実態である。河上肇「貧乏物語」に引用されている英国某教授の言葉を借りれば、<経済学や政治の真の根本問題は、我々のうちのある者は平均よりはるかに善い暮らしをしており、他の者ははるかに悪い暮らしをしておるのは何ゆえであるか>、ということの理由追求と日本国憲法第25条実現への抜本的対応策である。「平凡な一般人民」が「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を増進することに焦点が当てられるべきである。“世界第二位の経済大国”というGDPのレッテルの裏側に潜む、「経済格差」否、「貧乏格差」の進行対策が緊急の政治課題である。

∇ところで貧困とは何か。河上肇は「貧乏物語」で、<食費のほか、さらに被服費、住居費、燃料費及びその他の雑費を算出し、それをもって一人前の生活費の最低限となし、これを根拠として貧乏線という一の線を描く。かりに名付けて第一級の貧乏人というは、貧乏線以下に落ちおる人々のこと、第二級の貧乏人というは、貧乏線の真上に乗っている人々のことである。しかしてこれら第一級及び第二級の貧乏人こそ、この物語の主題とするところの貧乏人である>(岩波文庫)として論を進めている。世界的定義としては、例えば世界銀行は一日当たりの所得が一ドル以下の人々を「極端な貧困層」とし、アマルティア・セン等は、貧困の定義を広げて、最低限の教育、医療、さらに政治への参加状況などに加え、文化面をも考慮して、貧困を議論するべきだという。

∇「貧困」や「格差」は、定義付け次第で様相も、原因も、従って対策も異なってくる。我々高齢者が「老後をどう過すか」が、自分の期待する老後像の定義次第で処方箋が異なるのと一緒だ。「解体新書」で知られる杉田玄白は、晩年好んで「九幸翁」又は「九幸老人」の号を用いた。「九幸」とは彼が、1.平和な世に生まれたこと、2.都で育ったこと、3.上下に交わったこと、4.長寿に恵まれたこと、5.俸禄を得ていること、6.貧乏しなかったこと、7.名声を得たこと、8.子孫の多いこと、9.老いてなお壮健であることだった。(立川昭二著「江戸 老いの文化」) 「幸せとは何か?」の原点に戻って、貧困・格差問題を再考し直す時かもしれない。