励むときには、よく/\励め、遊ぶときには、よく/\遊べ。つとめ済まして、遊ぶは楽し、遊ぶ楽しさ欲しくば、励め。
遊ぶときには、よく/\遊べ、遊び足らねば、気力がちぢむ。欲気離れて、愉快に遊べ、遊び上手は、よく励む。
励むときには、よく/\励め、つゆも、心を散すな、余所へ。当る仕事に、全力尽くせ、中途半端は、遊ぶもむだぞ。…
(国語読本 高等小学校用巻一 第十七課「はげめ遊べ」より)
∇NHKドラマ「坂の上の雲」の第二部が始まった。今回は、極東を狙うロシアへの牽制を目的とする「日英同盟」締結までの、元老伊藤博文と桂太郎内閣の対立、そして秋山真之・広瀬武夫ら海軍将校たちが躍動する物語がメインだ。──1894年(明治27)朝鮮の支配権をめぐって日本と清国との間に日清戦争が起きた。平城の戦いや黄海の海戦で勝利を収めた我国は、翌年の下関条約で莫大な賠償金と遼島半島・台湾等を手にした。その後「三国干渉」により遼島半島は変換したが、明治33年にもなると、日本の国威は大いに発揚され、上昇機運に弾みがついて来た。そして35年に「日英同盟」が締結され、愈々帝政ロシアの満州撤兵問題へと連なっていく。まさに当時は1904年(明治37)に勃発する日露戦争前夜であった。
∇ ところで我国は、明治23年、明治天皇が「教育勅語」を発せられ、その勅語の精神に基き、小学校令が施行された。明治33年に全面的に改正され、義務教育が尋常小学校4年、年齢十歳迄となった。更に明治40年には、尋常小学校6年、十二歳までに延長された。就学率が90%に達したのは男子が明治33年、女子は明治37年だったそうだ。更に明治42年には男女合わせて98%が小学校に就学しており、当時としてはこの様な就学率の高さは、他国にその例を見ないものであった、といわれる。かくして日露戦争前夜は、国民はまだ/\貧乏だったけれど、明るい将来を夢み、気概に富んだ、日本の一番元気な時代だったかもしれない。
∇それは例えば当時作成された小学校教科書に如実に表れている。尋常小学校・高等小学校用の「国語読本」は現在からみても内容の多様性と質的な高さからいっても驚嘆すべきものがある。道徳、歴史、地理、理科、実業、公民などに及び、総合読本の性格を持ち、国語能力は、その文字・文章を模範として身につくように工夫されている。豊富な事例・逸話をもとに書かれているので、少年時より、自然と有益で該博な知識が体得できただろう。特に坪内逍遥が編纂の読本が秀逸だ。上掲の「はげめ遊べ」は明治33年版の所謂“坪内教科書”に載ったものである。遊べ、励め、<遊び足らねば、気力がちぢむ>などという“遊びの奨励”をテキストに盛る国が幾許あるだろうか。もう一つ、実に小気味よい「第一課 大日本」を抜粋しておこう。
▼<我が国は、地図にて見れば、小さき国なり。それを、大日本と呼びて、はづかしからぬわけを知れりや。大とは、形の大小のみをいうにあらず。質のりっぱなるをこそ、まことの大というべけれ。人についていわゞ、善き人は大人にて、悪しき人は小人なり。いかほど身体大きく、腕力強く、身分高く、財産多く、才智、学問優れたりとも、心だて悪しき人は、小人なり、卑しむべし。国もまたその如し。いかほど領地広く、兵力強く、産物多く、国富み栄ゆとも、悪しき事を行う国は、小国なり、卑しむべし。
▼小人、悪人とは、自分勝手のみを行う者をいう。大人、善人とは、他人を思いやる心深く、道理にあかるく、勇気ある人をいう。世界に国は多けれど、我が国人は、古来、君、親を思う心深きによりて知られ、家、国を思う心深きによりて知らる。昔の人は、我が国を褒めて、君子国と称したり。日本に生れたるを名誉と思え。日本に生れたるを幸福と思え。我が国は地図にて見れば小さき国なれど、善人多く、大人多しと褒められたる国ぞ。大日本と呼びても恥ずかしからぬ国ぞ。これをして末長くまことの大日本たらしむると否とは、ひとえに国民の心がけによることなるを忘るべからず。>
遊ぶときには、よく/\遊べ、遊び足らねば、気力がちぢむ。欲気離れて、愉快に遊べ、遊び上手は、よく励む。
励むときには、よく/\励め、つゆも、心を散すな、余所へ。当る仕事に、全力尽くせ、中途半端は、遊ぶもむだぞ。…
(国語読本 高等小学校用巻一 第十七課「はげめ遊べ」より)
∇NHKドラマ「坂の上の雲」の第二部が始まった。今回は、極東を狙うロシアへの牽制を目的とする「日英同盟」締結までの、元老伊藤博文と桂太郎内閣の対立、そして秋山真之・広瀬武夫ら海軍将校たちが躍動する物語がメインだ。──1894年(明治27)朝鮮の支配権をめぐって日本と清国との間に日清戦争が起きた。平城の戦いや黄海の海戦で勝利を収めた我国は、翌年の下関条約で莫大な賠償金と遼島半島・台湾等を手にした。その後「三国干渉」により遼島半島は変換したが、明治33年にもなると、日本の国威は大いに発揚され、上昇機運に弾みがついて来た。そして35年に「日英同盟」が締結され、愈々帝政ロシアの満州撤兵問題へと連なっていく。まさに当時は1904年(明治37)に勃発する日露戦争前夜であった。
∇ ところで我国は、明治23年、明治天皇が「教育勅語」を発せられ、その勅語の精神に基き、小学校令が施行された。明治33年に全面的に改正され、義務教育が尋常小学校4年、年齢十歳迄となった。更に明治40年には、尋常小学校6年、十二歳までに延長された。就学率が90%に達したのは男子が明治33年、女子は明治37年だったそうだ。更に明治42年には男女合わせて98%が小学校に就学しており、当時としてはこの様な就学率の高さは、他国にその例を見ないものであった、といわれる。かくして日露戦争前夜は、国民はまだ/\貧乏だったけれど、明るい将来を夢み、気概に富んだ、日本の一番元気な時代だったかもしれない。
∇それは例えば当時作成された小学校教科書に如実に表れている。尋常小学校・高等小学校用の「国語読本」は現在からみても内容の多様性と質的な高さからいっても驚嘆すべきものがある。道徳、歴史、地理、理科、実業、公民などに及び、総合読本の性格を持ち、国語能力は、その文字・文章を模範として身につくように工夫されている。豊富な事例・逸話をもとに書かれているので、少年時より、自然と有益で該博な知識が体得できただろう。特に坪内逍遥が編纂の読本が秀逸だ。上掲の「はげめ遊べ」は明治33年版の所謂“坪内教科書”に載ったものである。遊べ、励め、<遊び足らねば、気力がちぢむ>などという“遊びの奨励”をテキストに盛る国が幾許あるだろうか。もう一つ、実に小気味よい「第一課 大日本」を抜粋しておこう。
▼<我が国は、地図にて見れば、小さき国なり。それを、大日本と呼びて、はづかしからぬわけを知れりや。大とは、形の大小のみをいうにあらず。質のりっぱなるをこそ、まことの大というべけれ。人についていわゞ、善き人は大人にて、悪しき人は小人なり。いかほど身体大きく、腕力強く、身分高く、財産多く、才智、学問優れたりとも、心だて悪しき人は、小人なり、卑しむべし。国もまたその如し。いかほど領地広く、兵力強く、産物多く、国富み栄ゆとも、悪しき事を行う国は、小国なり、卑しむべし。
▼小人、悪人とは、自分勝手のみを行う者をいう。大人、善人とは、他人を思いやる心深く、道理にあかるく、勇気ある人をいう。世界に国は多けれど、我が国人は、古来、君、親を思う心深きによりて知られ、家、国を思う心深きによりて知らる。昔の人は、我が国を褒めて、君子国と称したり。日本に生れたるを名誉と思え。日本に生れたるを幸福と思え。我が国は地図にて見れば小さき国なれど、善人多く、大人多しと褒められたる国ぞ。大日本と呼びても恥ずかしからぬ国ぞ。これをして末長くまことの大日本たらしむると否とは、ひとえに国民の心がけによることなるを忘るべからず。>