残照日記

晩節を孤芳に生きる。

一陽来復

2010-12-21 09:45:19 | 日記
<一陰一陽、之を道という。生々する、之を易という。>
      (「易経」繋辞上伝)

(主旨:一方に陽があり、他方に陰があり、陰と陽とが程よく調和して和合一致しているか、又は時として陰が主となって活動し、逆に陽が主体となる。世の中とはそうしたものである。陰陽が時節ごとに変化しながら運行する。これが天地の道であり、易の道でもある。又、万象を大局的に観察すると、陰極まれば陽を生じ、陽極まれば転じて陰を生ずる。このように陰陽が時々刻々変化し、極まれば窮通していくのが自然の理であり、これを事物にあてはめたのが易の理である。)

∇菅首相と小沢一郎元代表との会談が不発に終わった。首相が小沢氏に自発的に政倫審に出席するよう要請したが、小沢氏は、これを拒否したうえ、政倫審が招致を議決しても出席しないと明言した。さぁどうする? 今朝の新聞各紙は一斉に社説で取り上げ、小沢氏や党の対応に厳しい批判と注文を浴びせた。<小沢氏国会招致 実現には証人喚問しかない>(読売)<菅・小沢会談 もはや証人喚問しかない> (産経)<政倫審出席拒否 小沢氏招致の議決急げ>(毎日)<小沢氏拒否―執行部は強い姿勢で臨め>(朝日)──<残念というより、情けないというべきだろう。>(毎日)<「一兵卒」にいつまで振り回されるのか。>(産経)は、今国民の誰もが抱く、“苛立ち”を代弁していると言っていい。

∇<予想されたこととはいえ、その重い政治責任を果たそうとしない小沢氏のかたくなさに驚く。>(朝日)<三権分立を盾にするかのような(小沢氏の)主張は全く筋が通らない。……政治家には、裁判での法的責任以外に、国民に説明するという政治的責任がある。>(読売)。そして更に、民主党は「セレモニー」「茶番劇」で終わらせるな、「政治とカネ」問題に決着をつけろ、が全紙共通の主張だった。「天声人語」氏曰く、<脱小沢×親小沢の対立軸をいっぺん折らねば、日本の政治は前に進むまい。どうせ戦うならとことん、しかしさっさとお願いする。一年で昼が最も短い冬至。ここからは日が長くなる一方ということで、一陽来復の語がある。すなわち、陰極まって陽戻る。太陽が元気を盛り返すように国政も、と願わずにはいられない。> 同感である。

∇今日は暦の上では「冬至」。二十四節気の一つで、「暦便覧」では<日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也>と説明している。実際の天文学的にはズレるが、慣習的にこの日を、一年中で一番昼が短く夜が長い日のこと、としている。「天声人語」にも出るように、日本では、この日に柚子湯に入り、南瓜を食べると無病息災の効ありとされている。「一陽来復」は「易経」・地雷復の卦から発祥した言葉である。現在流布している易占いは、「周易」をもとにしているが、そのグループは64卦に大別される。そして64卦は、1・乾→2・坤から始まり、23・剥→24・復……63・既済→64・未済と、物事が時々刻々変わるさまに添って順番が決まっている。これを説明したのが「序卦伝」である。

∇その「序卦伝」に、前の卦である「山地剥」からこの卦に移ることを説明して、<物は以て尽きるに終わらず。剥、即ち剥奪・剥ぎ取ることが窮まれば下に反る。故に之を受けるに復を以てす。>とある。大雑把ではあるが若干説明を加えよう。物事は陰と陽の消長(盛衰)で説明できる、とするのが易の世界観である。善いこと(陽)でも悪いこと(陰)でも、それらは少しずつ進む。それが盛んになり頂上に達した瞬間、陰が陽に又陽が陰に変化する。善いことばかりは続かず、悪いことも然りだ。「剥」の卦は陰の勢力に追われて陽が極まった状態を表す。すると易の原理では、この状態はいつまでも続かず、陽が反転する契機を迎える。この陽が復(戻)って来る状態が“一陽来復”なのである。

∇<天下の乱れが頂上に達すると、その瞬間に、天下が復た治まるべき微妙なる萌があらわれるのである。この微妙なる萌の表れている状態が、この地雷復の卦である。地雷復の卦になったからと言って、直ちに陽気が盛んになるのでは無い。一陽来復の冬至の後に、冬至よりも一層寒い小寒大寒が来るのである。しかし冬至より以来、陽気は徐々に且つ確実に盛んになりつつあるのであり、そうして遠からずして春の暖かい季節になるのである。>(公田連太郎著「易経講話」) 確かに節気はこの後、「小寒」(1月6日)、「大寒」(1月20日)そしてやっと「立春」(2月4日)を迎える──今回の菅首相と小沢一郎元代表との会談の破談が、紆余曲折しながらも、新しい日本の未来を開く「一陽来復」になるべく与野党諸氏の善処を願う次第である。