残照日記

晩節を孤芳に生きる。

ドラッカー

2010-12-05 08:36:32 | 日記
∇明治時代初期のベストセラーといえば、何と言っても福沢諭吉の「西洋事情」「学問ノススメ」「文明論之概略」と、中村敬宇訳のS・スマイルズ著「西国立志編」、J・S・ミル著「自由之理」であった。それに田口鼎軒「日本開化小史」、内田正雄「輿地誌略」が続き、J・ヴェルヌ原作の「八十日間世界一周」など欧米ものも翻訳出版されてよく読まれていたという。それから140年後の平成22年、今どんな本が読まれているのか。出版流通最大手のトーハンが先日発表した年間ベストセラー情報によれば、ベスト10は以下▼の通りである。老生は一冊も読んでいないが、書名を眺めただけで<降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男)>ならぬ、<冬日和 昭和も遠くなりにけり(楽翁)>の感、一入である。

▼1位「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海)2位「バンド1本でやせる!巻くだけダイエット」(山本千尋)3位「体脂肪計タニタの社員食堂 500kcalのまんぷく定食」(タニタ)4位「ポケットモンスターブラック・ホワイト 公式完全ぼうけんクリアガイド」(元宮秀介)5位「1Q84(3)」(村上春樹)6位「ポケットモンスターブラック・ホワイト 公式イッシュ図鑑完成ガイド」(元宮秀介)7位「伝える力『話す』『書く』『聞く』能力が仕事を変える!」(池上彰)8位「新・人間革命」(21、22)」(池田大作)9位「創造の法 常識を破壊し、新時代を拓く」(大川隆法)10位=「くじけないで」(柴田トヨ)

∇宗教家である池田大作、大川隆法を除外すれば、常連の村上春樹、今年大ブレークした池上彰の両氏が他にも幾冊か上位を占めているのが目立つ。2位から5位までは実用書だろうか。10位に入った「くじけないで」は、宇都宮市に住む99歳の柴田トヨさんが90歳を過ぎて書き続けてきた詩だそうだ。異色なのが元放送作家岩崎夏海さんが書いた「もしドラ」と愛称される「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」で、去年12月の発売以来、発行部数は172万部にのぼるという。この本は、高校の野球部の女子マネージャーが、経営学者、P・F・ドラッカーの著書に感銘を受け、強いチーム作りに取り組む姿を描いたものだという。読んでないので論評はできない。せめて老生も熟読したドラッカーのことでも少々述べておくことにする。

∇「経営学の父」と呼ばれ、20世紀の産業・社会に大きな影響を与えた米経営学者P・F・ドラッカーは、5年前(2005)老衰のため米カリフォルニア州の自宅で死去した。享年95歳。<企業経営学の権威であると同時に社会学者でもあり、時代に合った経営のあり方、個人の生き方、教育論など幅広い分野で執筆・言論活動を続けた。…「企業の社会的責任」「や、「知識労働者」「民営化」といった概念を世界に広げた。日本でもビジネス書のベストセラーの常連>(朝日)。<日本経済の高度成長をいち早く予見し、日本の経営手法を世界に紹介した。日本の企業経営者にも知人が多く、「知日派」としても知られる>(読売)等々と、彼の死は世界中の識者から惜しまれた。

∇オーストリア生まれ。新聞記者として働きながら独フランクフルト大学で博士号を取得後、ナチス・ドイツの反感を買い、英国に逃れた。37年渡米し、ニューヨーク大学教授に就任。「現代の経営」「マネジメント」「イノベーションと起業家精神」など約30の著作を著した。71年にクレアモント大教授に就き、90歳を超えても教壇に立った。…「従業員はコストでなく資源だ」とするモチベーション理論はインテルなど米国のベンチャー企業のぼっ興にも大きな影響を与えた。現役時代、P・F・ドラッカーとJ・F・ガルブレイスそしてF・コトラーの名を冠した著書は全て買った。彼から最も影響を受けたのが上著以外では、「断絶の時代」「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサエティ」などである。

∇老生が大学を卒業して就職した時に、最初に魅せられたビジネス書が「現代の経営」(ダイヤモンド社)だった。薬品の開発実験をしながら、化学専門書や統計学の書物を閲する合間に、それを貪り読んだ。<就航する船の大部分は、最初に目指した港へ予定の時刻に到達する。…何よりも重要な点は、まず目標が設定されることによってはじめて、事業は、天候、風といった偶発的な事件に遭遇しつつも、遂には目的とするところに到達することができるのだという事実である>。最終目標や期限を決めて、詳細に練ったPERTやフローチャートに沿って、目指す港に到達すべく、工場に寝泊りする毎日を送った。<事業は小さく始めて大きく育てろ>。現状の不具合、定説の追試を丹念にくり返した。

∇「現代の経営」が出版されたのは1954年である。56年経った現在読み返しても少しも褪せていない。ドラッカー経営学の原点は殆どこの書に濃縮されている、と言っても過言ではない。その後経営コンサルタントとして独立してからは「顧客」「社会構造」等に示唆を受けた。<情報に通暁しなければならない。殆どあらゆる組織にとって、もっとも重要な情報は、顧客ではなく非顧客についてのものである。変化が起こるのはノンカスタマーの世界である。>(ネクスト・ソサエティ) <重要なのは、人口の総数よりも年齢構造である。今や、先進国ではあらゆる組織が、人口、とくに若年人口の減少というまったく新しい現実を前提として、経営戦略をたてなければならなくなっている。>(明日を支配するもの) 

∇彼は企業責任者に「高潔な品性」を要求した。<あすの課題を果たす経営担当者は、つねに原則にのっとって決定を下し行動する人物であるとともに、単に知識や技能ばかりでなく、すぐれた洞察力、勇気、責任感、そして高潔な品性を備えた人物でなければならない。>(現代の経営)<経済的な業績は、会社の第一の責任である。しかし、経済的な業績だけが、会社の唯一の責任ではない。組織は、従業員、環境、顧客、その他何者に対してであれ、自分がかかわりをもつあらゆるものに対して与える影響について、完全な責任を負う。これが組織の社会的責任である。>(経営評論集)──晩年は、「情報」よりも「知識」そのもののの高質化を説いていた。羅針盤無き航海を叡智を磨いて渡りきれ、と。──高校生にまで、学ぶべきことの多くを遺してくれた偉人であった。