残照日記

晩節を孤芳に生きる。

愚陀仏・子規

2010-12-13 14:01:29 | 日記
 
包帯取代後、律、四谷加藤へ行く。お土産は例の笹の雪。
○いもうとの帰り遅さよ五日月
○母と二人いもうとを待つ夜寒かな
律帰る。お土産はパインアップルの缶詰と索麺(そうめん)
(「仰臥漫録」明治34年9月17日)

∇NHKのドラマ「坂の上の雲」第二部の「子規、逝く」を見た。子規役の香川照之と妹・りつ(律)役の菅野美穂が好演していた。──明治35年(1902)9月18日、朝から具合の悪かった子規は辞世の句を詠み、翌日未明息を引き取った。享年36だった。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」。断末魔が近づくにつれ痰がつまる。周知の通り糸瓜の茎から採取した水は、古来咳止めや痰切り薬として用いられた。(ドラマの中で、糸瓜の茎から液水が滴るシーンが映し出されていた)。が、もうそれも効かない。いよ/\さらばだ。辞世の三句に、長年仰臥したまゝ病と闘い続けた子規晩年のすべてが凝縮している。子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」と呼ぶ。

∇明治28年(1895)、子規が30歳の春に、新聞「日本」の記者として、念願の日清戦争に従軍した。その帰路の船中で喀血して、そのまま神戸で入院。須磨で保養した後松山に帰り、当時松山中学校に赴任していた夏目漱石の下宿で静養した。そしてその年の10月に再び上京して根岸の子規庵に入った。明治29年、病名を結核性脊椎カリエスと診断され、以後床に臥す不自由な日々。やがて臀部や背中に穴があき膿が流れ出るほど悪化、妹律が下の世話や包帯交換に明け暮れた。明治33年夏、大量の喀血があり、寝返りも打てないほどの苦痛を麻痺剤で和らげながら、高浜虚子、河東碧梧桐ら後進の指導をし、自らも俳句・短歌・随筆に健筆を振い続けた。死ぬ一週間前、血行不順が進行して足の先に水腫がみられ、絶命へ──。

∇子規の生涯やその業績に関してはまさに“汗牛充棟”ある。その中でも彼の三大随筆である「墨汁一滴」「病状六尺」「仰臥漫録」は、この余命幾許もない子規という男の超人的ともいえる強靭な精神と生き様を語って余りない。尚、「墨汁一滴」」は明治34年の冬から夏まで、「病状六尺」は翌年の5月から死去する2日前(子規の誕生日)までが綴られ、「日本」紙上に掲載された。又、「仰臥漫録」は主としてその前年に書かれた随筆、というより日記である。公表が予定されなかった分、赤裸々な子規が垣間見れる。老生はこの「仰臥漫録」と漱石、一葉、永井荷風の日記を4大日記と称し、仲間内への推薦図書と決めている。伝記類として一冊あげれば河東碧梧桐著「子規を語る」(岩波文庫)だろうか。当ブログでは、「子規を語る」書に、子規の母親と律との回顧談が収録されているが、それが面白いのでほんの少々紹介しておく。

∇先ずは母親。<(子規は)赤ン坊の時はそりゃ丸い顔てて、よっぽど見苦しい顔でございました。鼻が低い低い妙な顔で、ようまァこの頃のように高くなったものじゃと思います。十八位からようよう人並みの顔になったので、ほんとに見苦しゅうございました。><背が低かったのはえっぽど低かったと見えて、大原の祖父が、朝暗いうちに門に出ていって、何かしらん小さいものが向こうから来ると思うと、それが升(のぼる=子規の本名)じゃったなど話をよくしておりました。><小さい時分にはよっぽどへぼでへぼで弱味噌でございました。…組の者などにいじめられても逃げて戻りますので、妹の方があなた石を投げたりして兄の敵討をするようで、それはヘボでございました。><物言いを覚えるのが、えっぽど遅うて、三つの時にも「ハル」という下女を呼ぶのに「アブアブ」というて呼んでおりました。手先もえっぽど鈍で……>

∇律曰く、<泣き虫であった兄は、また弱虫で、あの時分の遊び、凧をあげた事もなし、独楽を廻すでもなければ、縄跳び、鬼ごっこなどは、まして仲間にはいったこともありますまい。表へ出ると泣かされて帰る、と言った風でした。…まあ佐伯(伯父宅)にでも行くのが、とっておきの楽しみであったでしょう。><ある時、(素読を習っていた)伯父が不在で、しばらく待っているうち、居合わせた従兄が、俺が教えてやろうと言ったら、お帰りまで待ちます、と言ってきかず、そんなら、そこを動かずいろと言われて、かなりの時間、じっと座ったきりでいました。やっと伯父が帰って、さあ教えてあげようと兄の様子を見ると変だし、また部屋中が妙に臭い。升さんどうかおしたか、と言っても急に返事もしないはず、べっとり大便をしていたそうで云々>。<兄の使っていた硯、筆、墨の類も、まことにお恥ずかしい安物でした。>……。母妹にあっては、天才子規も全くかたなしである。へぼで、弱味噌で愚直な子規、超人的で強靭な精神力は、寧ろそうした純真無垢の心の中に潜在しているのかも知れない。