残照日記

晩節を孤芳に生きる。

孔子平和賞

2010-12-11 07:07:03 | 日記

○おり立ちて今朝の寒さを驚きぬ
    露しとしとと柿の落葉深く (伊藤左千夫)

∇<平和賞 空席の授賞式 劉暁波氏は獄中>──中国政府が劉氏の家族を軟禁状態におき、賞を受け取る代理人もいない異例の式典となった。中国政府が劉氏へのノーベル平和賞授与を厳しく反発している理由は「内政干渉」。「この政治的な茶番劇は、特色ある社会主義の道を歩み続ける中国人の決意と自信を揺るがすことはできない」と批判しているそうだ。(以上12/11朝日より) 対抗措置として浮上してきたのが北京の大学教授らが創設した「孔子平和賞」である。

∇中国版国際平和賞は賞金が十万元(約百二十万円)、台湾・連戦氏やパレスチナ自治政府のアッバス議長らが同賞候補だという。たゞ創設の趣旨が曖昧で、準備不足のため、表彰式当日の式場では<式次第を間違えたり、マイクが壊れたりという“茶番劇”に、会場からは失笑がもれた>そうな。(12/10東京新聞) 一番吃驚迷惑しているのは、黄泉で燕居していたであろう孔子に相違あるまい。何故なら孔子は劉暁波氏を間違いなく推挙礼讃した筈だから。孔子曰く、<仁に当たりては、師にも譲らず。(人民を愛することにだったら、師の反対にあっても貫き通せ)><弟子の子路が主君に仕える道を尋ねた。孔子曰く、欺いてはいけない。しかし、主君が間違っていたら之を犯せ(主君に逆らってでも正せ)と。> 

∇「孔子」の名は、社会や政治の趨勢次第で都合よく利用され、出たりひっこんだりする。例えば魯迅は、国の近代化を妨げたのは儒教だと批判し、毛沢東の文化大革命でも、封建主義の象徴としての孔子廟が破壊の対象となった。我が国では、福沢諭吉が慶応義塾を開いた頃、<今の開国の時節に陳(ふる)く腐れた漢説が後進少年生の脳中にわだかまっては、とても西洋の文明は国に入ることが出来ない>と、儒学を徹底的に排斥した一時期があった。(「福翁自伝」) しかるに、最近中国では、中国語普及が主たる目的ではあるが、中国政府が国策として「孔子学院」や「孔子学堂」を運営推進している。我が国でも<英語より論語を>という識者の声が上がったり、幼少児向け素読用「論語」の発刊が相次いでいる。孔子が再び脚光を浴び出しているのである。

∇周知の通り、孔子の思想は「論語」に尽くされている。「聖書」や仏書等宗教書に並んで、これくらい読まれ続けた古典はそうはない。「論語」に盛られた人間主義に基づく常識的で簡易公正な思想が、処世上の規範となり、現実を生き抜く生活信条の糧となって、多くの人々の共感を呼び起こしたからに相違ない。江戸時代の有名な儒学者・伊藤仁斎は、<知りやすく、行いやすく、偏らない正しいもので、親切丁寧なものの中にこそ、かえって万世不易で天下の最高に達する真理がある。それが「論語」である。だから「論語」は最高至極、宇宙第一の書だ>(「童子問」)と絶賛した。孔子の弟子を自認する老生も然りとする。このブログでもしばしば引用し、かつ今後も紹介し続けるつもりでいる。「孔子平和賞」などという取って付けた様な下らぬ賞を設けずとも、孔子の訓えを実践することこそが、平和を招来する行為だと思うがどうだろう……。

∇例えば──最近の読売新聞社全国世論調査によれば、菅内閣支持率は25%だった。(12/5) 衆院比例選でどの政党に投票しようと思うかを聞くと、自民26%、民主22%。政党支持率は民主23%(前回28%)、自民20%(同23%)だった。現政権及び民主党に大いなる不満はあるが、与党第一党たる自民党もどっこいでダメだと読める。こんな情勢下、自民党が独自に有権者の意識調査を行った。結果は自民党に反感を抱く有権者が6割に上り、民主党の5割弱を上回っていた。自民党への批判は「過去への反省が足りない」が最も多く、「二世・世襲が多い」「総裁のリーダーシップが足りない」が上位に並んだそうだ。(12/8朝日)──どうする?  孔子曰く、<過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。>(衛霊公篇)<過てば則(すなわ)ち改むるに憚(はば)かること勿かれ>。(子罕篇)

∇<諸国を遊説していた孔子一行が、蔡国へ向かう途中、長沮(ちょうそ)と桀溺(けつでき)という二人の隠者が畑を耕しているのに出会った。弟子の子路が舟の渡し場を聞きに行った。すると長沮が「あの馬車の手綱を持っているのは誰か」と聞くので、「孔子だ」と答えると「それじゃあ、魯の孔子か。孔子なら何でも知ってるはずだ。」と、あっさりあしらわれてしまった。そこで、今度は桀溺に尋ねると、「世界中のすべてがこの河のようにどんどん流れていく。この乱世を一体誰が変えることができようぞ。お前さんも、理想論を説いて回る孔子先生なんかに従っているより、我々のように世を捨て、流れに身を任せる輩に従った方が賢明ではないのかね」。そういって種に土をかける手を休めなかった。子路は戻って孔子にそれを告げた。すると孔子が憮然として言うには、

<鳥獣は与(とも)に群を同じくすべからず。吾れ是の人の徒と与にするにあらずして、誰と与にかせん。天下道あらば、丘(孔子)は与に易(か)えざるなり、と。>(微子篇)

∇鳥と獣が生活を共にすることができないように、我々人間は人間以外と暮らさずして一体誰と暮らせというのだ。今、天下は乱れている。乱れた世の中だからこそ、平和な世の実現のために尽力するのが人間のつとめじゃないのか。自分だって、この世に道が行われていたら、何もそれを改める必要などないのだ、と。──<子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり>(里仁篇) 朝に、有道・有能な国家元首が現れた、と知れば夕方に死んだって構わない。──桀溺が言うように、確かに政治は理想だけでは実現できない。だが、政治家には「ノーブレス・オブリージ(高い地位に伴う道徳的・精神的義務)」の気概だけは持して欲しい。リーダーがポピュリズム(大衆迎合主義)に陥って、選挙民や金をばら撒く親分の顔色ばかり気にしていてはいつになっても国はよくならない。