残照日記

晩節を孤芳に生きる。

野鴨の話

2010-12-09 08:32:25 | 日記
<東京商工リサーチが8日発表した11月の全国企業倒産件数は1061件、2010年1~11月の累計では前年同期比14・8%減の1万2219件であった。通年で2年連続で前年を下回ることが確実になったが、今後については、家電エコポイントの縮小や円高などの影響が懸念され、年末以降は前年同月比で倒産件数が増加に転じる可能性が高まっているとしている。>(12/8 共同)──倒産件数が減っているとはいえ、毎日約40社が1000万円以上の負債を抱えて潰れていることは記憶しておくべきだろう。(独白)

∇<子曰く、苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり。>(子罕篇) 孔子が言うには、苗として植えられながら、穂を出さずじまいの者がいる。穂を出しながら、実をつけずに終わる者もいる、と。──個人でいえば才能があっても開花せずじまいの者、せっかく実績を上げて期待されていたのに途中で挫折する者がいる。企業でも然りだ。良い種をもちながら、何と多くの人々や企業が中途で消え去ってしまうのか。「21世紀の森と広場」を散策している途次、鴨が餌を漁っているのを眺めていたら、ふと、IBMのエグゼクティブだったトーマス・J・ワットソン・JRの「企業よ信念をもて」(竹内書店新社)の「野鴨の話」を思い出した。手元にあるそれは21年前の24刷版である。増刷ぶりをみただけでも着実に読まれてきた足跡を物語っている。現在も尚、熟考するに値する提言に満ちた名著の一つである。冒頭は次の記事から始まる。

<1900年にアメリカ合衆国の一流工業会社のトップ・グループに位していた25社のうち、現在(1989年)でもなお同じグループに残っているのはわずかに2社にすぎない。その1社は以前とすっかり同じものである。他のもう一社は、以前25社のうちに数えられていた7つの会社の合併体である。この25社のうちの2社は没落してしまった。残る12社は引き続き事業を行っているが、実質上それぞれの地位から後退してしまっている。このように数えてみると、企業というものが、いかに転変のはげしいものであるか、またたとえ成功にまでこぎつけても、それが長続きしがたいものであり、成功はいつでも手中から逃げ去りがちなものであることが、いまさらのようにわかるのである。>

∇我が国の企業や組織の実情に照らしてみても、上記事実は否定できない。トーマス・J・ワットソン・JRはその永続的存続理由を、組織にしっかりとした信条があって、組織の構成員が忠実にそれを遵守し、かつ信条以外の全てのものをチャレンジ精神で果敢に変えていけるかどうかにかかっている、と結論づけている。そして彼のいうチャレンジ精神とは「ビジネスには野鴨が必要である」という意味である。この話は我々個人の生き方にも示唆を与えてくれる佳話だと思うので以下に抜粋しておく。

<IBMでわれわれはしばしば、われわれの行動を“野鴨”にたとえて話をする。この教訓はデンマークの哲学者ゾレン・キェルケゴールの話からきている。──キェルケゴールは、毎年秋大きな集団をつくって南方に飛び去る野鴨を観察したジーランド海岸に住む人の話を書いている。この人は慈悲深い人で、近くの沼に野鴨のためにエサを与えにいった。しばらくすると、鴨のうちの幾羽かは南方へ飛び去ろうとしなくなった。この人のあたえるエサをたよりにして、デンマークで越冬するようになったのである。だんだんこの鳥たちは飛ぶことが少なくなってきた。野鴨が帰って来るとき、この鴨たちはこれを迎えるために空を旋回するのだが、すぐにエサ場に舞いもどるようになった。三、四年ののちには、この鴨たちはすっかりだらしなくなり、飛ぶことさえむずかしいほど太ってしまった。 キェルケゴールはいう──野鴨を馴らすことはできよう。しかし馴らした鴨を野性に返すことはできないと。もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでゆくことはできない、ともいえよう。 ビジネスには野鴨が必要なのである。そしてIBMでは、その野鴨を馴らそうとはけっしてしない。>と。