バンビの独り言

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「ミライの職業訓練校構想」高野雅夫(だいずせんせい)

2015-04-06 22:35:19 | いなか暮らし・ちんちゃん亭

「ミライの職業訓練校校長・名古屋大学大学院環境学研究家教授」である、(旭の大事な大事な仲間)高野先生の文章がとってもステキでしたので転載しまーす!

「ミライの職業訓練校構想」

私の知り合いに、大企業の仕事をやめていなかに移住した人が何人かいます。
収入という面では相当不利になるわけですが、その動機について彼らからよく聞くのは、自分がやっている仕事が世界平和に、また、持続可能にするのではなく、その正反対の方向にすすめていることに、がまんできなかったということです。

多くの人は、そのことをがまんして都会で働いています。
一人前の収入を得て、家族を養ったりまっとうな社会生活を営むためには、そのような個人的な感傷は横においておけ、というわけです。
そのような労働においてできてしまう心の空洞は、稼いだお金できれいな部屋に住んだり、おいしいものを食べたり海外旅行に行ったりすることで埋め合わせをすれば良いというわけです。

でもそういう人生は質の高い人生といえるでしょうか。
今の社会をよりよいものにすることに自分の能力を注ぎ開花させ、それで収入も得るような仕事をすることができればよいではありませんか。
そういうことはできないと誰が決めたのでしょうか。
むしろ、そんな理想論を言ってもしょうがないとあきらめてしまったときに、それは実現できなくなるのです。

社会をよりよいものにするというのは、一言でいえば、それを愛でみちたものにするということでしょう。
E.フロムは「愛するということ」の中で次のように書いています。

「愛の本質は、何かのために『働く』こと、『何かを育てる』ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである」

働くことがクライアントやいっしょに働く仲間を愛することになり、対象とする自然やモノを愛することになり、そのことを通して自分自身を愛することになり、さらに世界全体を愛することにつながるような働き方とはどのようなものなのでしょうか。
そのような働き方を模索し実現していくためのトレーニングの場が、今の社会にはまったく欠けています。

例えば、現在の日本の大学は形骸化してしまいました。
農学部に行っても遺伝子組換えの実験をしているばかりでコメ作りは身につきません。 
工学部に行ってもコンピューターのモニターを見ているばかりで機会を作れるようにはなりません。
これまでは大企業が大量にホワイトカラーを必要としたので、与えられたオフィスワークを速く的確にこなす労働者の育成が大学の存在意義となりました。
ところが、日本の大企業も多国籍化し、国内拠点よりも海外のほうが従業員数も売り上げも多いとい状況です。
従来型のホワイトカラーは必要なくなってきました。
有名大学を出たからといって大企業に就職できるとは限らない時代になりました。
すなわち、大学の存在意義消滅しつつあります。

いなかへの移住者に向けられる善意ではあるが(だからより迷惑な)困った質問に
「あなたは農的暮らしで楽しくやっていけれるかもしれないが、子どもの教育はどうするのか

というものがあります。
これまでいなかの親は子どもを都会の大学にやることが親のつとめと考えて、いっしょうけんめいお金をつぎこんで子どもを都会に出してやってきました。
野良仕事、山仕事で一生を終えるのではなく、都会のオフィスでスーツを着て働けと。
そうやって出してやった先の都会の大学が形骸化してしまっているとしたら、大金をつぎこんで子どもたちを進学させる必要があるでしょうか。

そこで、私たちは「ミライの職業訓練校」を開講すること準備しています。
豊田市おいでん・さんそんセンターの活動の一つに、U、Iターンの若い人たちによるスモールビジネス研究会があります。
行政のねらいとしては、6次産業化などで移住者たちの稼ぎのネタをあみだすための研究会にしようとしたのですが、集まった若い人たちからは「収入より収穫が多い暮らし」、「あえて稼がない」、「稼ぎよりもまず地域からの信用」などの発言が出ます。

そこで、まず住み開きをしてお互いの暮らしぶりを知り合い、それを発信する本を自分たちで作り出版することになりました。
本作りのために、プロのライターと写真家を呼んで実践講座をしました。
ライター講座では、「ライターの仕事は書くことではなくて聞くことだ」ということを教えられてみんなはっとします。
この講座がみんなの気持ちにピタリと響きました。
自分たちが必要とするスキルを自分たちが講師を呼んできて学ぶ。
ここからミライの職業訓練校の構想がうまれました。

自分たちが切実に必要と思うスキルを持った人は、地域の中にいくらでも見つけることができます。
自分たちがお金を(あるいはコメや野菜かも)出し合い、企画し、そういう人を講師として招いて講座をやればよいというわけです。

実は、イタリアではじまった最古の大学はこういうスタイルでした。
つまり学生の協同組合として著名な学者を招いて講義してもらったのがはじまりです。

フロムは「愛は技術」であると言っています。
つまり意識的に訓練をしなくては習得できないものなのです。
そこには規律、集中、忍耐、関心とともに客観的に自他をとらえる力、勇気と信念が必要とされています。
このような修練を一人で行うことはできません。
仲間とともに学びチャレンジし切磋琢磨するなかで、働くことが愛の実践であるような働き方をそれぞれが実現することをめざす。
それがミライの職業訓練校です。 

 



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