最近わからないことがある。
頭の中をぐるぐるしていること。
わたしが理想に掲げてきた子育ては、「子どもの生きる力を削がない」もの。
何かを「教え込む」でも「やらせる」でもなく、
心の底から笑い転げるくらい楽しい子ども時代を過ごしてほしい。
そのためには大人も子どももフラットな関係性である必要がある。
何かに怯えるでも気を遣うでもなく(配慮は大事だよ)。
「三つ子の魂百まで」というのが不適切なワードになっちゃったのかもしれないけど、
わたし個人的には大切と思っている。
どんな環境でどんな関わり方をしてもらったかが、人格形成には大きく関わっている気がする。
わたしは早期教育は必要ないと思っているし、
小学校に上がるまでの子どもに大切なのは
「愛されている安心感」と「とことん遊び尽くすこと」
だと思っている。
けど、わたしが子育てしてきた「平成」と違って、「令和」の今は、親はとにかく稼がないといけなくなってしまった。
(「好きで仕事をする」ならいいんだけど、将来に備えて稼ぐ「べき」になってきた)
物価が上がり、税金があがり、年金支給額は減り、
老後の2000万円を、自分で貯蓄をしないといけなくなった。
今は子どもの数が減り、お金さえ払えば誰でも大学に行ける時代だけど、
やっぱり高卒と大卒では、給料に差が出る。
だから子どもを大学に入れたいと親は思う。
そのためには塾にも通わせなくてはならない。
賢くするためには早いうちから勉強を教えないといけない。
SNSで書かれている(らしい)
「歯科矯正と私大4年間の学費を払えない人は親になるべきではない」
発言を若い子たちは読んでいる。
この言葉を1度でも目にしたら、「親なら子のために大金を稼ぐべきだ」という価値観を「全くなかったこと」にできないかもしれない。
ある保育士の友人が務める園では、
週6でフルタイムで働いているお母さんも少なくないそうだ。
残りの1日の休日は、子どもに向き合う余裕などなく、家の掃除と買い物で終わちゃう。
(そりゃへとへとだよねぇ😢)
世界を見れば戦争、政治の世界も嘘と不正だらけ、物価上昇、増税、花粉・黄砂・pm2.5、アレルギー、ウィルス
そりゃ不安で仕方ないよね。
信じられるものは、子どもの目に見える成長(賢くすること)と、預金額なのかも。
「宿題よりも公園で遊んでおいで!勉強は授業中にしたらいいよ」
「奨学金を借りてまで大学に行かなくていい」
「たくさん稼ぐことよりも、好きなことをしたらいい」
「目に見える成長よりも、プレーパークやおやこ劇場での経験や見えない成長の方が大事」
「たくさんの貯金がなくても、助け合える仲間が多いことが安全保障」
と思ってきたことは、令和の時代には「理想だけどお花畑」になっちゃったのかな…
なんかわかんなくなってきて、
今日「つくラッセル」で開催されたこちらに参加した。
もう十数年前に高野先生に教わったことが今のわたしの考え方の基礎になっていると思うから、もう一度初心に帰って、おはなしを聴きたかった。
中山間地での地域再生の最前線の現場に20年向き合い続けてきた Masao Takano と、起業して22年、豊田の山村にかかわり移住して15年、地域に人生をかさねながら向き合い続けてきた 戸田 友介 が対談します。
に高野先生と戸田っちのおはなしをわたしなりにまとめます(間違いあったら教えてね)
(いなかでは)集落で一番大事な行事は「草刈り」。
「草刈り」という共通の労働(一緒に汗をかく時間)のあとで「暑かったね〜」「ジュースおいしいねー」と休憩している中の雑談で、みんなが言いたいことや心に思っていることをぽつりぽつりと話していく。
非効率に見えるけれど、こういうコミュニケーションがのちのちのトラブルを防ぐことになる。
村の寄り合いなどでは、声の大きい人や頭の回転の速い人の意見が通ってしまい、
話のうまくない人の意見は無視されがち。
そうすると(村は閉じられた空間なので)くすぶってトラブルになりがち。
会社と家の往復しかない人は「会議」しかコミュニケーションを取る時間がない。
それは成果を出すための会議だったりする。
昔はみんな「家業」だった。
百姓もそう。
長男が相続すると親は隠居し、「商売」も「職人」も親から子へ伝えられていった。
その知恵はどんどん蓄積されていって、工夫されるようになっていった。
が、「お米が年貢だった時代」から、「お金で税金を払う」時代になると、字を読めない人は土地を売るしかなくなり、貧富の差が生まれ、地主層がいろんな事業を始めて行った。
戦後は「大企業に勤めるのが良い」時代になった。
終身雇用で年功序列の時代は、定年したら「退職金」と「年金」が入るから、大企業に勤めていれば安泰。
そうすると家業があったとしても、親は子どもに「大企業に入社すること」を目指すように願った。
大企業に入らなければお金を稼ぐことが難しい時代になり、受験競争の社会に。
(家業の蓄積はなくなり、子どもはゼロからのスタートになった)
だが今は、大企業の「終身雇用」「年功序列」の前提が崩れてきた。
今までは、新入社員も20年すると課長になれる時代だったけれど、課長になるには部下の存在が必須。
人口減少とともにそれができなくなった。
まず崩れたのが「年功序列」。
課長にならずに定年を迎える人増えた。
「終身雇用」も崩れた。
中には会社で「個人事業主」になれるように起業塾まである。
会社は、どこかで社員に「良い形で」出て行ってもらいたいと思っている。
そういうものがないと「良い人材」が集まらない時代になった。
もう一度「家業」を大事にする社会にしよう。
実の子どもじゃなくても、血が繋がってなくてもいい。
自分が始めた事業を伝えていき、 成長させて、次の世代がもっと豊かになるように。
(家業を繋げるのではなく、今の「ゼロからスタート」は歴史的見たら初めての時代なのだ)
いなかにはお金がいっぱいある。
豊田のいなかだけでも年々、銀行の預金料が増えている。
いなかには資源がたくさんあるから、農業や林業を今まで通りではないやり方で智恵を使えば(いなかにはお金があるので)稼ぐこともできる。
起業家は圧倒的に東京に多くて、いろんな人が入れ替わり立ち替わりお客さんになってくれるので有利ではあるがライバルも多い。
いかなで起業するとライバルがいないし、みんなが応援してくれて、メディアも取り上げてくれるので、利益が出る経営プランさえ作ることができれば、仕事として稼ぐことができる。
(戸田っちは)ここで暮らしていきたいから、みんなで一緒に仕事をしていきたい。
「みんなで生活していく」というのは、まちなかの「合う人とだけやっていく」会社とは違う。
ここに暮らす人たちでなんとかしていかないといけない。
「得意な人」と「苦手な人」が組み合わさって、コミュニティで物事を進めていかないといけない。
自分だってこの先、どうなるかわからないから、そうなった時に自分もその一部で働けるように、ある意味非効率に「みんなでやっていく」ほうがいい。
加えていなかには資源がある。
ベースの素材があると、お金を介さなくてもエネルギーや食べ物を得ることができる。
人は苦手なこともあるし、弱さを持ってる。
(普通の)弱い人が、弱いながらに生きていける場所が田舎にあるといいな。
「仕事に人を合わせる」のではなくて、「人に仕事を合わせる」のが戸田っちのやり方。
すべてうまくいくわけじゃないけれど。
「自然栽培」をやりたい移住者と、「慣行栽培」の地元民との乖離のはなし
↓
多文化共生(国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと)の一つが「除草剤を撒くか撒かないか」。
昔は草が「肥料」だったから、草は宝だった。
それは争いが起きるほどで、肥料にしていたために昔は草がなかった。
それが「美意識」になった。
「頭がボサボサなのはみっともない」のと同じように、草がないことが美意識だったのだ。
化学肥料の出現で生産性は「3割増し」になり、働く時間は「5分の1」になった。
つまり、稲は週に2日の労働で栽培できるようになった。
ご年配の方は、「農薬・化学肥料」は奇跡の薬だと思っていて、そういう認識を持った人だと認めていかないといけない。
有機農業をやっていると「周りから虫がくる」などと言われて意地悪されたりもしたが、
「有機栽培だと、収量は低いけど売価の単価が高い」ことで認めてもらえたりもする。
かつてのように「生き物がいっぱいの田んぼ」を見て懐かしく思うご年配の方も。
粘り強くやっていけばわかってもらえる時がくることもあるし、
以前よりは 「いろんな考え方もあるよね」と思う人が増えてきた。
物価上昇で「タネ」が高くなってきたから「自家採取のタネで野菜を作ろう」だったり、「化学肥料が高価だから、草を肥料にしよう」と言い始めた年配の方もいる。
「良い悪い」の問題じゃなくて、現金(金額が高い安い)の問題。
労働はプライスレスだけど、お金を払うことには躊躇するもの。
昔に還っていくのは必然なことかもしれない。
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今のわたしに必要な時間でした。
(事務局のみなさまありがとう!)
講演終了後、お弁当を食べながらみんなでおしゃべり。
今の若い子たちは、私たちの頃に比べて「将来に不安を抱えている」という話を聴いたり、
わたしたち40代・50代と近い価値観を持っている若い子たちに元気をもらったり。
「山里ひとなる塾」https://toyotayh.org/
5/15まで申し込み延長したそうです!
人生観変わると思うなぁ!
ちょーオススメ♡
20代の子、全員受講したらいいのに!って思っちゃう😆