バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

2024.6.30「水野スウさん×けーちん死生観」あなたにとってのわすれられないおくりもの

2024-07-16 20:26:59 | 講師

6月30日は、水野スウさんをゲストにお招きして、死生観のおはなし会を開催したよ。

わたしとスウさんの出会いは、2017年。

2017.1.30のブログ
https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/a8731cbec850e31ea070a066cda66f91/?img=a60151c6fb3be95f6bffdc78afd49eec

夫けーすけ曰く「スウさんは、けーちんの『在り方』に一番影響を与えた人」
一番そばにいてくれる人がそう言うんだから間違いないんだと思う。

わたしにとって「聴く」の2大師匠のおひとりでもある。
(もう一人は「澄まし処」のふなちゃんこと吉橋久美子ちゃん)

スウさんは石川県津幡町内の自宅で毎週、
「紅茶の時間」と題した語り合いの場を主宰し、41年目になるそう。

たくさんの書籍を出版され、講演では憲法のおはなしも聴かせていただいたよ。
スウさんの今までの活動やそのお人柄、全てにおいて学ぶことばかり。

その中で特に心に沁みたのが「誰もが身の丈にあった認められ方をしたい」というお言葉でした。

そして、スウさんにお会いしてから「誰に対しても謙虚でありたい」という変化が自分に芽生えたのです。
目の前の景色が変わった瞬間でした。

それまでのわたしは、
「あの人を助けてあげなくちゃ」
「落ち込んでるから話を聴いてあげなくちゃ」
「寂しそうにしているから仲間に入れてあげなくちゃ」
さらには
「わたしが社会を変えなくちゃ」etc…

そして面白い話じゃないと聴きたくないとも思ってた。
「オチはないんか〜い!」
「話、ながっ。整理して話してくれーぃ」

これまでの自分がどれだけ上から目線でおこがましかったのか、自分がすごく恥ずかしくなりました。
(スウさんがわたしに何かをアドバイスしてくれたのではなく、スウさんの「在り方」が私に気づきをくれた)




私が乳がんと診断され、多くの方にお見舞いの品をいただいたお返しにわたしが選んだものが、スウさんが愛娘まいちゃんと共につくった「ほめことばのシャワー」という冊子。

「あなたはあなたのままでいい」
「あなたがいてくれるだけでわたしはうれしい」
わたしと関わってくださっているすべての人に贈りたい言葉がそこにはたくさんありました。

2022年11月に娘2人とけーすけと、津幡町のスウさんのご自宅に伺ったよ。
スウさんは娘たちにどうしても出会って欲しい大人だったから。
(この時、長女のお腹には赤ちゃんがいたよ♡)

今回は、わたしにとって「自分の人生に最も影響を与えてくれた」方と一緒に、死生観のおはなし会を開くというなんとも贅沢な企画でした♡

お昼ご飯は、牛すじオーガニックカレー。
地元産の野菜たっぷり、赤玉ねぎの酢漬け、完熟トマトとポテトサラダ。

まず、けーちんの死生観のおはなしを聴いていただきました。
約170枚のパワーポイントの中からチラ見せ。

事前に葬儀の相談に行くといいよの話。


長尾先生の「平穏死」の話。

苦しまずに亡くなった父の話。

「あなぐまさん」と名付けた意味。






ゴールが変わると行動と言動が変わるってこと!


私のはなしを聴いてくださったスウさんが、facebookに感想をまとめてくれたよ♡

…………スウさんの7/8の投稿より…………

6/30、愛知県豊田の農家民宿ちんちゃん亭で、おかみのけーちんこと、鈴木桂子さんによる死生観のお話。
題して「あなたにとっての、忘れられないおくりもの」。
 
すっごく個人的な、それでいてところどころ普遍を感じる、けーちん個人の、そして原家族と現家族をめぐる濃いーお話だった。
 
幼い時から死が怖くて、死にたくないから健康オタクだったけーちん。
2020年1月にがんが見つかり、一気に死が隣に来た、という。
 
西洋医学は本当に悪なのか?抗がん剤治療は毒なのか?標準治療で元気にしてる人もいる。
一体何が正しいのか、わからなくなった、と。
 
けーちんがその時FBで書いてたこと、今もよく覚えてる。
たしか、自分と自分の家族で話し合って一番いいと思える治療法を選んでいくので、その選択を不安にさせるような情報は一切私たちにいれないでください、とはっきり宣言してた。
 
友人知人、けーちんを心配する人たちはみな、良かれと思っていろんなアドバイスしたくなる。
でもそれに全部耳傾けてたらかえって不安になっちゃうもんね。
とはいえ、そう宣言すること自体、とても勇気のいることだったと思う。
 
おとなしいがんではなく、闘いは厳しかった。
髪が抜けたり、爪が剥がれたり、指が黒くなったり。
けーちんが髪をなくす前に、夫のけーちゃんは頭を坊主刈りにした。
 
西洋医学を信じて感謝して委ねること。
あわせて車の両輪のように、自然療法もとりいれた。
体温と免疫力をあげる努力。
米ぬか酵素風呂に週二回はいり、抗がん剤治療をうけた。
副作用がひどくなかったため、仕事もつづけられた。
 
こわがりのけーちんの入院中のお守りは、スマホと充電器とレンタルwi-fi。
2020年といえばコロナでおそらく家族が会いに行けない時期。
いつもそばにいるよ、一緒にいるよ、の感覚でいられるように、スマホつなぎっぱなしだったこともうなずける。
 
けーちんの話聞いてて何度も思ったのは、けーちんが気持ちを我慢したりためたりしないで、夫や娘たちに自分の今を正直に伝えてること。
親だから、大人だから、って不安を隠さない、ごまかさない。
病と向き合うのにきっととても大事なことだと思う。
 
けーちんは今年2月、88歳のお父さんを看取った。
家族や孫がいれかわりたちかわり、入院せず最期までおうちで。
 
訪問看護に来てくれてた友人のりかちゃん。
病院では聞きにくいことも家なら何でも質問できて、最後の家族写真も撮ってくれた。
 
二度ほど危ない時もあったけど救急車を呼ばずに様子を見た。
家族がかわるがわる声をかけながらからだをさすってると、一時間くらいで息が楽になってきて、みんなでお父さんと二度の峠を乗り越えたそうだ。
 
体が弱ってくると食がだんだんとれなくなり、口数減ってぼーっとする時間がふえ、臓器も脳の働きも弱り、体から水分が減っていく。
それはある意味、体への負担が減ることでもあるのだって。
干し柿の例えがわかりやすかった。
水分がみなぎっている旬の柿と、干し柿の違い。老いて、水分がへってシワシワの干し柿みたいになった体にむりに栄養点滴などすると、そこだけプックンと膨らんで、かえって心臓に負担がかかるらしい。
終末期の過剰な点滴は体に水がたまり、かえってご本人の苦しみを増すことなのかもしれない。
 
そうやって亡くなったお父さんからの贈り物は、あとからわかる。
 
入院させないなんてありえない、と言ってた医師である姪ごさんが「おじいちゃん、死に方を見せてくれてありがとう」と。
 
迷惑かけたくないから最後は施設で、そのために貯金しなくちゃ、といってたけーちんの娘さんが「みんなにお世話になる予定だからよろしく!」と。
 
パワポでいろんな絵や写真を写しながら、具体的に実体験を話してくれたけーちん。
選んだ絵や写真がめっちゃおかしくて、笑いもいっぱいの一時間半だったよ。
 
夜の部にやってくる人たちもいて、話が尽きなかったよ〜〜。
夜は6人ぐらい?お泊まり。
 
大阪から来た小野寺さん、
東京からきたきょうこさん、
娘と同じピースボートに乗ってたというモンリー。
2017年、私の声が全く出なかった日に話を聞いてくれたヨッシーも。
 
翌日の朝ごはんの豪華なこと!
変テコ顔で歌舞伎みたいな見栄切ってるのが、けーちんパートナーのけーちゃん。
 
がんサバイバーのけーちんは今後もこういう話をいろんな人に聞いてもらいたいと思ってる、おそらくけーちんけーちゃん夫婦の今後のライフワークになってくんだろうな。
機会があればあなたもぜひどこかできいてみてほしいです。
 
 

第二部はスウさんのお話。
書き起こしの抜粋です!

(けーちん死生観の)「ゴールの話」を聞きながら、NHKの朝ドラの「虎に翼」を思い出した。

虎ちゃんの夫が戦争に行くことになった時、
「僕の願いは、虎ちゃんが人生を後悔しないように生きてくれること、それが僕の望みです」
と言ったこと。

前までは「天皇のために生きなさい。死になさい」と言われていたけれど、日本国民は戦後に新しい憲法を手にした。
憲法13条には、「これからはあなたが個人の考えを持ち、周りに流されるのではなく、あなたがあなたらしく生きていい」「唯一無二、取り替えの効かない存在」とあった。

父はほぼ老衰で自宅で亡くなった。
チューブに繋がれることなく、枯れるように、全然苦しまず。
父を看取ってくれた義理の姉は、末期のガンで亡くなった。
義姉は元気なうちから「尊厳死協会」に入っていて、遺影が写してあり、葬儀に誰を呼ぶかも記してあったので残されたスウさんが困ることはなかった。
痛み止めのモルヒネは打っていたけれど、チューブに繋がれることもなく、「尊厳死」を望んでいることを病院もわかってくれていた。
医師がまぶたを開けて死亡を確認するときに、(亡くなっているのがわかっているのに)「ちょっとまぶしいですよ」と姉に告げた。
(大切にされていると感じ)その一言に救われた。

母は中学2年の時にガンで亡くなった。
その後、半年たたないうちに17歳離れた兄が自死した。
家族が自死すると残された人は自分を責める。
父や姉の前では決してこの話はできないし、誰にも言えず、「心臓麻痺で亡くなった」と言ってきた。
「残された人を苦しめる自死は絶対にいけない」と善悪で考えていた。

けれど、 「紅茶の時間」に来る方たちで人生のものすごく深い苦悩を話してくれた人たちがいた。
始めのうちはあまりにも深刻で重大な話が怖くてオロオロしていたが、スウさんはその後自分なりに勉強した。
辛いことが一生続くということはまずないとは思う。
どこかで誰かと出逢ったり、へろへろな自分が誰かをサポートする場面もあったりする。
けれど、「この苦しさがずっと続くなら、いっそ」と思ってしまう。
遺される我が子や夫のことを考える余裕などない。
そんな話を聴いていくうちに、兄のことを「どうして死んだの?(家族をこんなに苦しめて)」と「質問するふりをして」責めていたことを終わりにしたい、兄の存在を認めたいと思った。

兄が亡くなって40年目の日に、自分を責め続けて心を閉ざしていた義姉と話した。

「紅茶の時間でいろんな人の話を聞いていたら、お兄ちゃんもそんな気持ちになったことがあったんじゃないかなって思った。もう責めないことにしたし、責めるのはもうやめよう。父を最後まで看取ってくれて、娘をあんな風に愛してくれてもう充分だよ」
義姉と魂の会話をした半年後に、義姉は末期ガンと診断された。

スウさんは、家では明るい子を演じていて、くすぶってた気持ちをノートにだけぶちまけるような子だった。

高校1年生の時に「月光荘」という画材屋に通っていて、そこの(父と同じ歳くらいの)おじちゃんがスウさんをじっと見て
「スウや、お前さんは面白いなぁ」
と言ってくれた。
「変だね」「変わってるね」って言われることが多いかったスウさんが、「私という存在が認められた」と思えた言葉だった。
この60年前にかけてもらった「スウや、お前さんは面白いなぁ」は言葉の灯として、今でも内側から自分を温めてくれている。

「自分の気持ちを言葉にする」というのはとても難しいこと。
みんなが「◯◯って思ってます」と言えて、気持ちにフィットした言葉で伝え合うことができたら世界は平和だと思うけど、なかなか難しい。
上から目線で「早く話せ」と急かされたり、「またその話か」って蔑まれたり。
そうすると途端に、気持ちが言葉を探せなくなる。

「誰もが身の丈で認められて欲しい」と思っているけど、世の中は「Do的」な価値観の方が大事にされていて、
「何ができた」とか「優勝した」とか「100点取った」とかで人を見たがって、数値化できないことがとてもないがしろにされている。

紅茶の中では、(できたことを「すごいね!」とは言うけど)、あまり表には出てこない「Be」のところにフォーカスする。
「あなたらしいね」
「まっすぐだね」
すごく丁寧な人は会社では「鈍い」と言われてしまっているかもしれない。


【「のち悟らん」のギフト・思いがけず利他】

自分で自分のやっていることは見えない。
「紅茶の時間」をやってきて、「何やってるんだろう」と思うこともいっぱいあった。
何も特別な事はしていない。
お茶を出して、話したい人がいれば聴かせてもらい、相手が見えていない「自分の素敵なところ」を伝えているだけ。

ある人が、
「元気で前向きな人はパートやPTAなど行けるところがいっぱいあるけれど、そうじゃない時は行ける場所がない。だから紅茶があってよかった」
と言ってくれた。
「紅茶の時間は、元気のない時に行ける場所なんだ」ってことをその人に教えてもらった。

「月光荘おじさん」が「お前さんはおもしろい」って言ってくれたことで、「人と違っていることは良いことだ」と思えた。
自分では自分のことは見えないし、自分がやってることがわかるのはずっと後から。

「のち悟らん」は聖書の中の言葉で、亡き父がよく言っていた言葉。
後になって気づくことがたくさんあるんだよってこと。

(けーちんの話に出てくる「父からのギフト」のくだりで)
「ギフト」と言うのはその場でパッとわかることじゃなかった。
いろんなことをくぐり抜け、体験し、家族で話し合って、できるだけ相手のことを思って、自分に嘘をつかずにいろいろやってきて分かること。

相手の話を聴くことで、自分が相手の上に立たないことを大事にしている。
「(上でも下でもなく)たいら」でありたいと思っている
自分で自分のしていることがわからない。
良かれと思ってしたことがその人にとって良いことになっているかどうか分からない。

巡り巡って「あの時、あなたが言ってくれたことがね、私の背中を押してくれたんだよ、一歩踏み出せたんだよ」って忘れた頃に言われることがある。
意図的に「この人の背中を押してやれ!」「この言葉で教えてやる」って、そんないやらしいことないよね。

「思いがけず利他」言う言葉や概念が好き。
「誰かのため、人のためにすることが回り回って自分のためになる」と昔から日本では言われていたけれど、人のため人のためって、ちょっと胡散臭いかな。
ジャックアタリさんというちょっと有名な方が、「人のために、ってすることが、回り回って自分に利益が入ってくるんだよ」とおっしゃった。
そこに計算みたいなものを感じた。
「利他に生きることが、最終的に自分の利益に返ってくる」みたいなことに「ん?」と思っていたら、さらに「う〜ん????」って思っていた方たちが、「利他学」という会議をはじめた。
まわりまわって「あの時に」って返ってきて、そこで初めて受け取られて初めて「利他」が発動する。
「誰かのため・人のため・あなたのため」って言うことが誰かを苦しめることがある。
利他には「もらったから返さなきゃ」みたいな「お返し」みたいな危険性がある。
利他は慎重でなければいけないと思う。
「思いがける利他」ではなくて「思いがけず利他」がいいなと思った。

 

【映画「かづゑ的」】

先日『かづゑ的』と言う映画を見た。
 

瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園で、宮崎かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた、92歳の和江さんの一生を追ったドキュメンタリー。
「ビーイングかづゑ」
すごい言葉だと思う。

(スウさんは)伝えることが役目だと思っている。
「原発」のことを語る時も、いろいろ勉強したり講演を聴いたりするけれど、わかりやすく伝えるためには「食べたり、飲んだり、寝かせて醸造して、発酵させて」自分の言葉として出していた。

おはなしの出前のときにはいつも気持ちが言葉を探してる。
「今日来てくれた方たちにどうしたら伝いたいことが伝わるかな」
と思っている。
今は憲法の話を伝えている。

「聴く人のレセプター(受容体)次第。
「うんうん」って聞いて忘れちゃう人もいるし、何か単語が引っかかって、のちに思い出してもらえることも。
何年か後に「すーさんの言ってたことはこれか!」とハッと思い出してもらったらそれは嬉しいこと。


【ムヒカさんの言葉】



ムヒカさんはウルグアイの世界一貧しい大統領。
日本に来た時、学生たちに向かって、
「植物の種子は、風や鳥が運ぶ。人の考えの種は人が運ぶ。そんなにたくさんは芽を出さないだろう。でもそのうちのいくつかは根付いて芽を出しておいしげっていく」
と言う話をした。

たいていは芽を出さず、風に飛ばされちゃうかもしれない。
言葉は捕まえられないから。
それでも自分の信じていることや自分が思うということを伝え続けていきたい。
「beingスウ」

娘のまいちゃんが「他の誰とも取り替えがきかないこと」と、「ほめことばのシャワー(冊子)」の最後に書いた。
◯全ての国民は人として幸福を追求する権利がある
◯あなたはあなたを生きていい
◯周りに流されないで自分を持って生きていい

 

主催者側・企画する側は「参加者数が多いといいな」と思うけれど、参加人数が少ないととても濃密な時間ができるし、一人一人と会話のキャッチボールができる。
もし人が多かったら、「今日はありがとうございました」で終わっちゃう人も出てくる。
質が違ってくるんだよ、おもしろいね。
そう思うと「これだけしか集まらなかった。残念」って思わなくていいね。

↑↑↑↑↑

スウさんからは宝の言葉を今回もたくさんいただきました!
ありがとう♡

 

…………スウさんの7/12の投稿より…………

6/30、豊田のちんちゃん亭でのお話会は、おかみであるけーちんが最初に話して、続いて私。
 
メインテーマの「死生観」というワードに、まだまだ覚悟のない私は正直びびってたんだけど、けーちんが、死を考えることはどう生きるかを考えること、日頃スウさんが大事にしてること、どう生きたいかってこと話してくれればそれでいい、と事前に補足説明してくれてたので、ちょっと安心して出かけた。
 
なにより私はけーちんに会いたかったし、がんサバイバーのけーちんの話を聴いてみたかったからね。
 
いつもなら自前のレジメを用意していくんだけど、今回は何を話すか当日になっても決められなかった。けーちんの話を聞いて感じたことからはじめて、その場の空気の中で思ったまま語ろう、と、ある意味、無防備でその場にいることにした。
なので、私の話したことがその日のタイトルにあってるかどうかわからないけど、それは聞いた人におまかせすることにしたよ。
 
中2の冬に母が亡くなり、半年足らずで年の離れた兄が自死をして 、それから、お兄ちゃんのお嫁さんである 義姉と70近い父と中3の私が一緒に暮らすことになった。
母のお葬式の日、兄が私に「今日からはお前がこの家の太陽だ」って言ったのは、いったいどういう意味だったんだろう。
家でも学校でも、兄の死についてはいっさい話さず、ほんとのきもちはいつも紙に書いてはぶつけてた 。
 
月光荘の小さなスケッチブックが私の日記帳になったのも、月光荘おじちゃんが私のことを「おもしろい!」と丸ごとの Beで認めてくれたことも、その時その場ではまだわからない大きな意味があったんだなあと後からわかった。
 
兄の死について、ねやまと呼ぶ義理の姉とお腹わって話せたのは、兄の死から実に40年後。
紅茶の時間でいろんな人の胸のうちを聴くようになって、ふと気づいた。
あの時のお兄ちゃんを聴いてくれるひとってはたしていたんだろうか。
そこに思いが至ってやっと、どうして死んだの、と問うふりしてお兄ちゃんを責め続けること、もうやめよう、って思えたんだった。
 
姉と魂の対話をかわして半年後 、姉に末期のがんが見つかってあっという間に亡くなったことも今から思うと奇跡みたいだ。
あの話をせずに姉が逝ってしまってたら、もうもうどんなに悔やんだかしれない。
姉の最期の息を目の前で見た時、生きることって息をすることなんだ、って実感したよ。
姉がまだ元気なうちに、遺影用の写真を撮っていたこと、尊厳死協会にはいっていたこと、葬儀の仕方も誰を呼ぶかも全部書き残していてくれたことなど、すべていかにも姉らしかった。
 
私が今の家族と出逢えたこと、娘の誕生がきっかけで紅茶の時間を始めたこと、娘が15年前に13条を発見してくれたこと、おかげで、わたしもあなたもほかの誰ともとりかえのきかない存在 なんだって(紅茶をしながら漠然と感じてきたことが、憲法に裏打ちされてたんだ、と)もっともっと 確信できるようになったこと。それらはみんなひとつながり。
 
2年前、夫にがんが見つかり、でも早期だったので内視鏡でとることができた。
早く見つけられたのは、その半年前に娘がクモ膜下出血で倒れて、いのちぎりぎりのとこまでいって戻ってきてくれたことがすっごく大きい。
 
以来、家族のだれもがからだの声をもっと真剣に聴くようになった。
いのちは有限なんだ、と思い知らせてくれた娘は、自分の心身に日々ひび耳を傾けながら、おかげさまでいまも元気に暮らしています。
そういうことすべてがまた、ひとつながり、とわかるのはいつもその時でなくて後から。
父が口ぐせのように言ってた、のち悟らん。
 
先ごろ見た「かづゑ的」という映画の、英語のタイトルはbeing Kazue。
この言葉、深いなあ。自分であること/いること、自分を生きること。
これって13条そのものだ、とも思う。
beingけーちん。
being スウ。
beingあなた。
 
私のミッションは、伝えることかなと思ってるので、これからも、文字で言葉で、これは大事、と思ったこと伝えていくよ。
それが受けとられるかどうかも、この日の話のように、その人その人しだい。
お話会の後で残った人たちと。
私が手にしてる絵本は「わすれられないおくりもの」。この日のお話会のサブタイトルです。

 
この日はオフライン(ちんちゃん亭)とオンラインのハイブリッド型おはなし会。
(アーカイブの販売も2,000円でしています!tinchantei@gmail.comまで)
会場に来てくださったみなさまと集合写真♡
とってもあったかい場になったのは、参加してくださったみなさまのおかげです。
ありがとう!

ああ、あああ

今井さんが持ってきてくれた「414(よいし)カード」!
https://sachihouse.org/action/414card/
おはなしのきっかけづくりにいいなと思った!

夕飯ご一緒できた方にタコライス(+サラダ)!
こちらも野菜たっぷり♡

その後は宿泊してくださったみなさまと、遅くまでいろんなおはなししたよ♡
スウさんと夜も朝も一緒に過ごせるなんてスペシャルな時間でした。

朝ごはんは、プレートのおかずと、けーちゃんが育てた山の湧き水で育った「源流米ミネアサヒ」、けーちゃんが3年前に仕込んだオーガニック味噌のお味噌汁。

こちらがお泊まりのメンバー♡
楽しい時間を一緒に過ごしてくれてありがとう!

死生観のおはなし会「ゴール設定をすると生き方が見えてくる」のおはなしを各地でしたいです!
お招きください♡
tinchante@gmail.com
090-1280-0033まで! 

つづく。

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