バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

アツい女(わたし)

2022-10-21 21:14:49 | 原発/環境/基地/貧困/政治
キッチンカーの仕込みをしている時って、ずっと頭の中でいろんなことを考えている​。
 
なんでわたしはこんなアツイ女なのだろうか😂
長い独り言なので、なげえと思ったら読み飛ばしてくだされ。
 
 
小学生の頃、大阪で電車に乗っていたときに、両親が「この辺りは同和問題の残る町だよね」と会話していた。
「同和問題って?」
と質問して、その意味を知った時にあまりの理不尽に泣いて怒った。
「わたしは好きになった人がどんな人でも絶対に結婚するから」
と鼻息荒く言った記憶がある。
 
同じく小学生の頃に、担任の先生が「カンボジア難民」の話から「食料がなくて餓死していく子どもたちがいる」と聴いて食べ物が残せなくなった。
もし自分が生まれ変わったら次も日本に生まれる保証なんてない。
自分だってカンボジア難民になるかもしれない。
これは遠い国のできごとでも、他人事でもないと思った記憶がある。
 
小学生の頃は毎年「学級委員」をやっていて、自分のクラスからいじめはなくしたいと思っていて、仲間はずれにされちゃう子の家に遊びに行ったりしていた。
嘘つきだったりズルかったり嫌われるには理由があると思うけど、なんとかしたいなと。
親が怖い家庭だったから、嘘をつくのかもなと子ども心に思っていた。
 
中学の頃、食品添加物(主に着色料)が気になりだす。
そして、帰宅後はいっつも恋愛相談やら人の相談に乗っていた(電話で)。
お節介で正義感がありすぎるから、人の喧嘩の仲裁に入っては痛い目に遭っていたのもこの頃。
(中学生っていちばん性格悪い時期だよなぁってのを思い知らされた)
当時の彼氏(ヤンキー)が家庭的に問題があって、愛情に飢えていたから、中学生でありながら母親のような気持ちで愛を注いでいた。笑
「高校くらいは出んといかん!」と勉強を教えていたり、タバコをやめさせたり、カツアゲしたと噂が出れば「誰かを泣かせるような人じゃない」と弁護に回っていた​。
 
高校時代はバンドブーム全盛期。
雑誌「宝島」を隅々まで読んでいて「タイマーズ(忌野清志郎)」の歌から「原発問題」を知る。
この社会には「知られては困ること」が存在すると。
当時組んでいたバンド「ビバガールズ」で「サマータイムブルース」を歌った。
下敷きには「NO NUKES(原子力はいらねぇ)」

 
短大の時は遊ぶばっかりであんまり時事問題は追っていなかった。
が、この頃から自然食のお店に通い出したり(合成洗剤から石鹸へ)、環境問題には興味があった。
 
選挙権がもらえてから、毎年選挙には行っていた。
1回だけ自民党に入れたこともある。
 
子どもが生まれてから、自分の家族だけでなく、誰に対しても優しいご近所の家には「共産党」のポスターが貼ってあることに気づく。
子どものころ、記憶に残るくらい優しいおばちゃんだった人の敷地にも、共産党のポスターが貼ってあったな。
 
それに気づいてからしばらく「共産党」に投票していた。
自分の両親にも「投票に迷ったら共産党に入れれば間違いないと思う」って言ってた記憶。
(元オットの実家には「自民党」ポスター。元オットは優しかったけど、舅は外食先で店員に怒鳴るような人だった。私の周りにいた「ジャッジしてくるような人」に自民党支持者が多かったので私とは合わないと感じた)
 
2005年くらい?に田中優さんの講演に参加して、わたしが高校生だった時は「37基」だった原発が「54基」にも増えていたことに愕然とした。
サマータイムブルースの歌詞で「電力は余っている」って歌われていたのに。
 
高校時代から10年間くらい、社会問題から目を背けていたことへの懺悔と後悔から、再び「脱原発」活動を再開。
優さんの講演会を企画したり、「弟子」と名乗って講演会についていくようになった。
 
2011年、原発事故が起こった時に、「脱原発」と「被爆問題」で精力的に動いていたのが、社民党の「福島瑞穂」さんだった。
私も優さんと一緒に東京の「69の会」に参加させてもらった。
わたしはテレビを観ていなくて知らなかったけれど、俳優さんやミュージシャンも「69の会」に参加していた。
https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/726d5457785a9696e5e342c1a40820d1
https://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/3e372e2477a4d3ff46397fdccfe9eb57
(有名人も「脱原発」に向けて一気に動いていた時)
 
マスメディアは嘘ばっかりで信じられないから、自分たちで放送局を立ち上げたのが2012年の「まのび放送局 http://manobing.com/」。
 
毎日Twitterを追っていたので、俳優の山本太郎さんが放射能と原発問題に触れはじめた瞬間も見ていた。
芸能人でそれをSNSで上げたら仕事がなくなるに決まっているのに(業界はスポンサー様に逆らえないからね)「困っている人や泣いている人を放っておけない心根の優しい人」だということは、ずっと太郎さんの投稿を追ってきたから知っている。
「魂を売る」ことができないかっこいい人だと思う。
 
「まのび放送局」では山本太郎さんのインタビューや、脱原発デモの撮影をしている。
(私も一度、トークセッションさせてもらったことがある。カメラの回っていないところでも紳士的で腰の低い優しい人だよ)
 
この頃、わたしは特定の支持政党はなく「共産党」「社民党」「立憲民主党」あたりで「今、誰に入れると良いか」「どこの党に議席を増やしてもらいたいか」をその時その時で判断していた。
 
太郎さんが政治家を目指すようになってきてからは「太郎推し」。
だけど、盲信的ではない。
 
「れいわ新選組」は、今まで発言権がなく虐げられていた「重度障害者」の人たちを「当事者」として議員にしたり、貧困で声すらあげられない本当に困っている人たちにフォーカスしている。
ホームレスの人たちの声を聴き、生きることに絶望している人の声を聴いている。
金持ち政党では見向きもしない人たちのことを。
 
わたしは太郎さんのことを「応援している」んじゃない。
「私にできないことを代わりにしてくれている人」だという認識。
 
いつ撃たれるかわからない恐怖の中で街頭に立ち、「矢面に」立ってくれているのだ。
わたしは太郎さんの全てを知っているわけではないけれど、10年ずっと追ってきているから他の人よりは知っているつもり。
 
わたし、根っこの部分は太郎さんと似ていると思う。
「お節介」であり「放っておけない」ところが。
(わたしの周りで「れいわ推し」の人はたいてい「放っておけない人」だわ😂
だから、彼のことを知りもせず、知ろうともせずにジャッジする人がいると、なんだか自分のことのように傷つく。
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